各務将人の告白 ‐“猟犬”ふたたび‐
俺は登の証言を回想する。
紫は浅賀が暗殺未遂事件の一ヶ月前に蓮と逢っていたことを不審に思っていた。蓮の凶行はそれを発端としているのではないかと推測していたのだ。そして、その内容とは鋭月からのメッセージだという。
紫がいつから蓮と浅賀の関係を突き止めたのか定かでなかったが、それも各務先生の証言により明らかとなった。
あの事件の直後には既にその事実を知り、密かに浅賀の裏を探っていた。
俺がずっと無気力でいたあの頃から、たった一人で。
そして、紫は調査を続ける中で同じく浅賀を追っていた各務先生に気づいた。
「紫さんに問い詰められて洗いざらい話す羽目になったよ。あの時の紫さん、本当に鬼気迫るって雰囲気だったな。あんなに怖い顔したの始めて見た」
盗み聞きした登に対してもそんな態度だったと聞くので、この事件に関してはかなり神経質になっていたのだろう。普段はぼんやりしているが、身近な人を傷つけられると途端に冷酷になるのが紫だ。
「じゃあ紫には先程お話したこと全部吐いてしまったんですか?」
「いや、それが最初から火災の一部始終は知っていたんだ。僕の話に驚いたり関心を持った様子もなかったし、あの子も話の裏付けがとれたみたいなこと言ってただけだった。ああ……でも、詩織を助けた男性のことは気にしていたかな」
先生を尋問した時に紫は既に鷲陽病院火災の真相を知っていた。何故、と言われればやはり蓮と浅賀が関係していると考えるべきだ。
火災の当事者である浅賀と、夏美の友人だった蓮。この二人の名が挙がるのは決して偶然ではないと確信している。
一部始終を完全に把握していたなら、その情報源は浅賀以外に考えられない。だが、奴が紫に真相を漏らすことはあり得ない。二人には直接の接点はないし、真相を語る理由が無い。
接点があり、語る理由があるとすれば――蓮の方だ。
「で、話は紫さんが失踪したところまで飛ぶんだけど」
一旦思考を中断して、先生の話に集中する。
先生から話を引き出した後、紫は彼に口止めを要求した。彼としても恋人の裏を暴露するつもりはなかったので問題なく了承。
次に、紫は戦う力を持たない先生に深入りしないよう忠告したそうだ。血統種でない単なる一人の人間には荷が重すぎる。この件は自分が調査を進めるので結果が出るのを大人しく待ってほしいと。
先生は紫の言うことも尤もだと納得して、一度は手を引いたらしい。優れた力を有する紫が調査してくれるなら頼もしく、また理由は不明だが秘密を守ってくれるなら一任することに異論はなかった。
ところが、紫が置手紙を残して突如姿を消してしまう。置手紙の内容も意味不明ときた。どこに消えたのか一切手がかりなし。誘拐など事件に巻き込まれたのではなく自ら姿を消したというのが唯一の安心材料だった。
当然、先生は驚愕した。置手紙の内容はともかく彼女が姿を消す大きな理由といえば浅賀の一件しかないからだ。自分の知らないところで事態が急転しているのではと不安に駆られた。
「各務先生は紫の失踪が浅賀と関係があると疑っているんですか?」
「疑っているというより確信しているよ」
何の迷いもなく先生はそう言い切った。
その態度に俺と凪砂さんは揃って頭に疑問符を浮かべる。
「紫さんがいなくなった後、少し経ってから僕宛てに小包が届いたんだ」
「小包?」
思わず低いどすの効いた声が出てしまったが、先生に気にした様子はなかった。隣に座る凪砂さんも俺と同様に彼が口にした言葉に気をとられていた。
「小包の中には手紙が同梱されていてね。手紙には浅賀の裏の顔と、詩織が奴の研究に加担していた事実、鷲陽病院火災の真相、それに浅賀を僕や紫さんが追っていたことを全て把握していると綴られていた。それだけじゃない。消えた詩織がまだ無事で、彼女の居場所も知っているとも。その証拠として失踪した当時に詩織が身につけていたピアスも添えてあった」
「……凪砂さん」
「ああ」
俺たちはこれと全く同じ話を数日前雫に教えてもらったばかりだ。
紫の失踪後に届いた小包、同梱されたアクセサリー。
特徴も一致している。
「……各務先生、その小包の差出人って誰ですか?」
「本名はわからない。ただ“猟犬”という仮の名が書かれているだけだった」
“猟犬”――礼司さんに裏切者を探り、雫と協力関係を結ぶように指示を出した正体不明の人物。
まさかここでもその名が出てくるとは思いもよらなかった。
「各務先生にも送っていたのか……!」
「僕“にも”?」
俺の発言にテーブルの表面を見ていた先生の視線が上がる。
意外な事実が判明したことで口を滑らせてしまったが、隠すこともない。
俺が視線で促すと、凪砂さんは承知したと頷いた。
「各務先生、実は似たような内容の小包を礼司さんも受け取っているんです。同じく紫さんが消えた直後に」
「……そうか、じゃあやっぱり紫さんが消えたのも浅賀と関係があったのか」
先生は特に衝撃を受けた様子もなく、むしろ納得したという雰囲気だった。
「“猟犬”の手紙に何か指示が記されていましたか?」
「“浅賀を探るのを止めて大人しくしていろ”と書かれていたよ。いずれ全てが解決して詩織と再会できる時が来るから待つようにと」
礼司さんに宛てられた手紙と比較すると、こちらは余計な介入を阻止しようとする意図が透けて見える。礼司さんには調査を任せ、各務先生の行動は制限しているのは、魔物や血統種への対抗手段が乏しい者を遠ざけたいからだろう。
それにしても“猟犬”は一体どんな立場の人物なのだろうか。
「“猟犬”か……奴の目的は何なんだ?」
「礼司さんと各務先生への指示の内容からすると『同盟』の味方だと推測できるが……」
現状の情報からは辛うじて敵ではないことが窺える。だが、奴が何を目指しているのかが捕捉できない。
礼司さんへ与えた指示の一つに“雫と共に火災の真相を究明する”ことがある。だが、各務先生へ送った手紙には既に真相を把握していることが述べられている。
これは妙だ。奴は火災の真相を礼司さんに調べさせようとしていたわけではないのか? 何故、答えを知っている問題を投げかける?
考えられる可能性は、礼司さんか雫、あるいはその双方を誘導しようとする狙いがあるから、という説。
“猟犬”はただ真相を伝えるのではなく彼らの手で暴いてほしいという願望を持っている。そのために紫の居所を餌にして礼司さんを操り、各務先生には大人しくするように命じた。
だが、結局この説も最後にはこの疑問に辿り着く。
何故そんなことをするのか?
「僕は火災の時に詩織を助けたっていう正体不明の男性がその“猟犬”じゃないかって考えているんだけど」
「確かにその可能性はあるか。浅賀の研究を知っているという条件を満たすからな」
地下フィールドに乱入してきた謎の男。竜を押さえつけたり炎をかき消したりできる能力を保有していると思われる。
この男は糸井一家を目当てにやって来たような口ぶりだったという。糸井夫妻と面識のある人物と見てよいだろう。後で凪砂さんが親衛隊経由で糸井夫妻の交友関係を当たってくれるはずだ。
「――ふう、とりあえず僕の知っていることはこれで全部かな。長くなっちゃったね」
全く予想外の収穫であった。もし、俺が各務先生と横山修吾の会話を聴こうと考えなければこの情報を得ることはできなかった。あの時の小さな判断に感謝しなければなるまい。
これで鷲陽病院火災の真実は細かい部分を除けば解明できたと言えるだろう。残された謎はその後の経緯だ。最終的に浅賀の研究がどんな結末を迎えたのか。今回俺たちが巻き込まれた事件とどう関係するのか。
それに――。
横山が死ぬ前に口にした奇妙な言葉。過去に寧と浅賀に何らかの因縁があったことを匂わすあの言葉には、何が隠されているのだろうか。寧は何故あれほど動揺したのか。横山は八年ほど前の出来事と言っていたが、一体何が起きたというのか。当時の御影家について知る誰かに話を訊きたいものだ。
「先生、お話してくださってありがとうございます。九条さんのことは心配でしょうが、後は我々にお任せください」
「うん、流石に誘拐されたのは精神的に参った。ここから先は君たちに任せるよ。それで、その、申し訳ないんだけど……」
「了解しています。九条さんのこと、夏美さんのことは、まだ上層部に伏せてほしいのですよね?」
「……無理を言っているのは承知しているけどお願いするよ」
俺と凪砂さんは顔を見合わせ頷いた。夏美の処遇に関しては俺も最大限考慮したい。鋭月によって人生を狂わされた上に危険視されて殺処分されるなど救いがない。どうにか救う手だてを見つけ出したいが、そのためにも浅賀の行方を突き止めるのが先決だ。
事務所の外に出ると潮の香りが混じった空気がほどよく鼻をくすぐった。狭い部屋で重い話題を広げていたせいか気分も下がり気味だったので、丁度いい塩梅に頭がすっきりした。
「……ふう」
「疲れた顔だな。まあ、無理もないが」
「疲れたといえば疲れたんですが、それより雫に今の話を伝えるのが少し億劫で」
「あんまりな話だからな。私も気は進まない」
親友の身に降りかかった過酷な運命。それを知った時、彼女はどんな反応を示すのだろう。
怒りに震えるか、悲しみに震えるか。
場の雰囲気を少しでも軽くするために加治佐牡丹も巻き込もう。
彼女との約束で鷲陽病院に関する事実は全て共有することになっている。
そのついでとして雫を宥めるのに協力してもらっても、追加の報酬を支払う必要はないだろう。