各務将人の告白 ‐神を堕とす力‐
夏美の再検査が実施されたのは、捕縛してから一週間後のことだった。
主要な目的は、火災の時に測定したデータとの差異があるか確認すること、そして新たに生じた変異の有無を確認することの二点だ。
「今回ばかりは桐島にも感謝だな。これだけ人員集めても少し足りないくらいだ。もっと少なかったら捕縛自体成功したかどうか怪しかったぜ」
「立花くんもやっと私の偉大さに気づきましたかー? これからは崇め奉っていいですよー」
珍しく嫌悪する相手を素直に褒める立花に、褒められた当人は得意げな顔をしてみせた。
事実、新しいスタッフの選定には桐島晴香が大きく関わっていた。彼女は元々あらゆる場所に出入りして、自分が置かれている境遇に不満を抱いて燻っている人材の情報を収集するのが仕事だ。鷲陽病院にいたスタッフも半数が彼女によってスカウトされていた。
「状態を安定させるには感応系の能力持ちを必要としたから本当に助かったよ。検査をするには能力を発動させる必要がある。けれど、彼女は我々に敵意を抱いているから普通なら大人しく言うことを聞いてくれない」
「新入りに精神干渉が得意な血統種がいて良かったな。脳の機能が低下した状態なら指示に従わせることができる」
「無論限度はあるけどね」
現在の夏美は半ば夢現の泥濘に嵌っており、正常に思考できない状態にある。
そこに至るまでにはいくつかの過程を経る必要があった。
まず、抑制剤で能力を封じてから拘束具をつける。
次に、立花の“夢幻工場”で精神干渉に対する抵抗力を著しく低下させる。
最後に、新たに雇った思考誘導の能力持ちが浅賀の指示に従うように暗示をかける。
面倒な手順であったが、これで夏美の敵意を消失させることに成功した。
こうして浅賀たちは夏美を制御下に置き、実験を開始するための準備を整えた。
前回と同じ過ちを繰り返さないよう緊急事態の対策を練ることに随分費用をかけたが、それだけの甲斐はあり実験は開始から終了まで何のトラブルもなく進んだ。
ただ一つ想定外の事態を挙げるとするなら、実験の結果が彼らの想像を遙かに超える異常性を見せたことだけだった。
ガラス張りの試験室の中には少女が一人と魔物が一体。
魔物は中型の鰐に似た爬虫類タイプの種だ。つい数秒前まで命無き抜殻だったのが今はぴんぴんとして床の上を這いずっている。再誕によって蘇った被験体だ。
新たにスタッフに加わった者たちは再誕の一部始終を目の当たりにして驚愕と興奮に満ちていた。
「事前に説明されていなければ自分の頭がおかしくなったと疑うところですよ……本当に死んだ生物を蘇らせるなんて」
「便宜上“蘇らせる”って単語を使うけどさ、実際はどうだろうね? これは肉体を材料にして新たな生を創造する能力といえる。果たしてあれを前と同一存在と呼んでいいかは怪しいな」
「こういうのって何て言えばいいですかねー。テセウスの船? スワンプマン?」
元の肉体と何一つ変わらない姿であるが、細胞レベルで全て新しく造りかえられた生命。
“前”と同じ性格、記憶、嗜好を持つ新たな生命。
そこに同一性を見出せるかどうか彼らには判断がつかなかった。
「非常に興味深いですが、自分が再誕される側になるのはちょっと嫌ですね」
もし、自分の肉体が再構築され新たに生まれ変わったとして、そこに今の自分は存在しているのか。
存在しないのであれば、どこに行ってしまったのか。そして、代わりにそこにいる自分は何者なのか。
研究者の男は身震いした。
「じゃあ、被験体の調子を見るとするか」
研究者のささやかな恐怖には気づくこともなく、待ち侘びた実験に嬉々としている浅賀は早速結果を求めた。
実験室の管理を担当するスタッフが夏美を外へと連れ出し、内部に被験体の魔物のみを残す。
これから行うのは再誕後の魔物のデータ採取だ。
再誕した魔物は夏美の支配下に置かれる。このとき、支配下の魔物の身体能力や能力の差異を確認する。魔物を使役する系統の能力には支配下の魔物を強化するものがあるからだ。鷲陽病院の事件では変異後に狂乱が巻き起こり確認する機会がなかったため、今回が初の試みとなる。
「それじゃあ、まずは能力を発動させてみようか」
医師の一人が暗示によって柔順になった少女に魔物への指示を出すように頼む。
夏美はこくんと頷くとガラスの向こうにいる魔物をじっと見つめた。
彼女の視線が魔物を射抜いたその瞬間、這いずっていた鰐の魔物がぴたりと動きを止めた。
鰐は己の主のいる方向を一度見てから小さく鳴いた。
スタッフの一人が実験室内にターゲットとなる魔物を放つ。体長五十センチ程度の細長い胴体を持つ鼠のような魔物だ。各地の異界に広く分布している種であり、山中の異界から湧き出ることがたまにある。田畑を荒らす害獣としてもよく知られている厄介者だ。
鰐は水辺の異界に棲息していることが多い種で、人が襲われる被害がいくつか報告されている。
水辺で見かける割には氷や冷気を操る能力を保有する風変わりな魔物であり、水中の獲物を周囲の水と共に凍らせてから捕食するという生態で知られ、海外では“凍える顎”と呼ばれている。
今回は海外の異界で猟師によって狩られた個体の亡骸を買い取り、日本に持ち込んだ。魔物の能力は種によって千差万別なので、多くのサンプルを求めるなら海外の異界から拾ってくる必要がある。浅賀と繋がりを持つ闇ルートが協力してくれた。
「氷や冷気を操る能力ですか……なんだか先の戦いを思い出しますね」
「御影沙緒里か?」
「ええ、私は直接見たことはありませんが……とんでもない強さだって噂じゃないですか。御影礼司や名取小夜子の次くらいには、と評価されてますよね」
御影一族の看板は伊達ではない。礼司と小夜子を最上級クラスなら、沙緒里の実力はその一段下に当る。
『同盟』の主要戦力と鋭月一派の戦いでも沙緒里は八面六臂の活躍を披露した。
鋭月の尖兵のほとんどは先陣を切った沙緒里によって氷像へと変えられ壊滅したことは記憶に新しい。混戦の最中に撮影された当時の映像がインターネット上にアップロードされ、ディスプレイ越しに観た者すら凍えさせるほど衝撃を与えたことで、彼女は一躍時の人となった。御影家は礼司だけではないと囁かれたものだ。
「本当に戦わなくて良かったよ。研究者であることに感謝したのはあの時が初めてだ」
「そうですねー、亡くなった方も結構いましたからねー」
「……数値の上昇を確認。被験体が能力を発動します」
計器をチェックしていたスタッフの言葉で、浅賀は桐島から実験室内へと視線を戻した。
「おっと、無駄話はここまでにしよう。さてさて、能力の性能はどうなっているかな?」
“凍える顎”が生成する氷の塊は直径約六十センチ、大きいものでは八十センチに達する。
一般的な性能強化の感応系能力は一・七倍から二倍程度に強化することができるので、効果があれば百センチ近い氷塊が出来上がるはずだ。
浅賀たちは期待に胸を躍らせながら、“凍える顎”が鼠を仕留める瞬間を見守ろうとした。
しかし、彼らが次に見た光景は想像の真逆をいくものだった。
期待外れという意味ではない。彼らが目にしたのは性質的に正反対の光景だったのだ。
“凍える顎”は鼻を鳴らすように唸り声を上げると口を大きく開けた。その先端に小さな赤い渦がぽんと生じたかと思うと、轟音を伴い舞い踊る火炎が床を突き破るように噴き上がった。
捩じれた炎は蛇行するような動きで鼠に向かって突進していきその身を包み込む。鼠は逃げる動作を見せたが間に合わず、渦に閉じ込められた後はもう姿が見えなくなった。
「……ん?」
誰かが疑問を声を上げた。
炎の渦は鼠を抱擁した後ぐるりと円を描くように動いてから四散する。
実験室内には“凍える顎”と燃えた床、それに焼けた鼠の肉が残された。赤く爛れた肉の上に炭が塗され、体毛は全て焼けている。身体からは魂と共に抜け出るように灰色の煙が細い筋を立てて天井へと昇っていた。
“凍える顎”は満足したように尾を振り、床を叩く。
「……あのー、確かあの魔物って氷を操るんじゃありませんでしたっけ?」
しばらくの間沈黙が続いた後、ようやく桐島が口を開いた。
「そうだ、あれは周囲の温度を下げたり、自分の身体を堅い氷の殻で覆ったりする能力を使うはずだ」
「でも、あれ炎を操っていましたよね?」
その言葉に誰もが頷くしかなかった。
計器が感知した実験室内の熱気もそれが事実だと証言している。
「鰐を一度調べてみてくれないか?」
「……違います」
“凍える顎”の鑑定が終わり結果を携えてきた研究者は声を震わせてそう言った。
「違う?」
「何が違うんだよ?」
分かりやすく説明しろという表情で立花が言う。
「何が、と言いますか……その、一言で言うなら種が違うんです。あの魔物は再誕する前とは別種の魔物です。遺伝子レベルで変化しています」
「……冗談だろう?」
「戯言だと思いますか? 遺伝子検査の結果もありますよ」
研究者はずいと手にした資料を突き出してくる。
それを受け取り内容に目を通しつつも浅賀はなお否定を続けた。
「いやいや待て。再誕ってのは古い肉体を材料にして新しく肉体を造る行為だろう? あくまで造れるのは元の肉体と遺伝的に同じものでしかないはずだ」
「でも、違うんです。あれは肉体が根本から造りかえられています。外見こそ同じですが別物です。付け加えるなら、凍える顎”の近縁種にはあのように炎を操るものは存在しません」
衝撃的な結果を告げる研究者本人も信じ難いという態度だ。
浅賀は鑑定結果を手にしたままぶつぶつと独りで呟きだす。
「再誕の能力が再変異した結果……いや、俺たちが思い違いをしていただけか? 肉体の再構築は最初からわかっていた。造りかえることこそが能力の本質? 治癒どころか再誕すらも単なる結果に過ぎない?」
浅賀は息を呑んで報告書から顔を上げた。
「創造したのか? 新たな種を――」
「ちょっと待って! 新種の魔物を造りだした? いくら血統種の能力が多岐に渡るといっても、そう簡単にできることじゃないわよ?」
「だが、こうして現実に起きている。あの炎の渦だって使えるはずのない能力だ。再構築された際に付与されたとしか考えられない」
「ですよねー。ところで、元々保有していたはずの氷を操る能力はどうなったんですかー?」
「……恐らく消失したと考えられます。さらに言えば、肉体を造りかえられた結果能力が変わったのではなく、能力を造りかえた結果として肉体も造りかえられたのです」
「糸井夏美が自分の意思で自由にカスタマイズできると?」
研究者は頷いた。
「ここに来る前、彼女に聴取を行いました。本人も肯定しています」
薬と能力の影響で意識が半ばぼんやりとしているとはいえ、イエスかノーで答えられる簡単な質問であれば問題なくコミュニケーションが成立する。
彼らに対して従順である以上、虚偽の回答をしたとは考えにくい。
「生命を根本から造りかえる……能力すらも望むままに」
この時、彼らは糸井夏美が保有する能力の真価を理解した。
治癒でもなく、再誕でもなく、そのさらに先を行く力。
神の領域に踏み込む禁忌とも呼べる行為。それは新たな生命を創造するという神の所業を陳腐にさせた。
これを科学の力を借りることなく一人の少女が可能とした。
“神を堕とす力”――後に、浅賀善則はこの力をそう評した。