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エンゼルプラン  作者: 夏多巽
第二章 三月二十七日 前半
10/173

その日の朝

 その日の朝、俺が起きたのは九時丁度だった。


 ベッドから起き上がり背伸びをして頭に残る眠気を振りほどく。服を着替えて部屋から出ると、雫世衣も部屋から出てくるところだった。


「おはよう、昨日はどうもありがとう」


 雫の髪にはほんの少しの寝癖がついている。紅い瞳はぱっちりと開いていることから、あちらはよく眠れたらしい。昨日と違って別人かと思うほど笑顔が多い。昨夜の話で満足のいく成果が得られたからなのか。


 既に朝食の支度はできているだろうということで、俺たちは一緒に食堂へと向かうことにした。階段を下りると丁度玄関から辰馬さんと隼雄さんが入ってくるところだった。

 二人の表情を見て怪訝に思う。どちらも不穏な表情をしている。特に辰馬さんの方は苦々しげに歪んでいる。

 両者とも階段から下りる俺たちの姿を認め、相対的に表情が変化する。隼雄さんは幾分機嫌が良くなったように、辰馬さんは余計に酷い顔になった。


「おはよー由貴くん」


 隼雄さんは手を上げて挨拶する。内心を隠すような笑みを貼りつけているのが気になった。


「おはようございます、隼雄さん、辰馬さん」

「おはようございます」


 辰馬さんは無言で視線を逸らしていたが、隼雄さんに何か目配せするとそのまま去ってしまった。

 隼雄さんは肩をすくめる。


「やれやれ、お客さんの前であの態度はないでしょ」

「御気になさらず。顔色が優れないようでしたが?」

「あー……ちょっとね」


 雫の指摘を受けて、隼雄さんは気まずそうに言葉を濁した。


「仕事上のトラブルが起きてね。ここのところバタバタしてたから」

「ああ、成程……」


 雫は礼司さんの死後に起きた面倒事を想像したらしい。納得したような声を上げる。

 しかし、俺は別の感想を抱いていた。二人の顔つきは単なるトラブルではなく、もっと厄介な事件が発生したと語っていた。


「それって寧の当主就任や補佐決定にも関係するか? あるなら聞いておきたいんだが」


 俺はそう言ってから、雫の方に向き直った。


「雫は先に行ってくれないか。少し話をしてから行くから」

「わかった」


 隼雄さんがほっとしたように息をつくのが聞こえた。雫はそれに気づく様子もなく食堂の方角へと歩いていく。


「――それで?」


 隼雄さんはもう一度玄関の扉を開け、俺を外へと誘った。

 外に出た途端、外気の程よい冷たさが肌を撫でる。今日も天気は快晴だ。

 扉を閉めて周囲に誰もいないことを確認してから隼雄さんは語りだした。


「今朝早く『同盟』から報告が入った。対立派のメンバーとされる血統種が昨日の段階で数名この街に入ったという情報だ」

「……このタイミングでか」

「そう、このタイミングでだ」


 辰馬さんも隼雄さんも渋い顔をするわけだ。

 この街は『同盟』の力が強く、対立派や自治派はあまり大っぴらには動けない。限定的とはいえ『同盟』はこの街の政治経済双方に影響力を持っている。それだけに監視の目は強力だ。

 しかし、御影家が揺らいでいる今なら隙をつくチャンスに恵まれるかもしれないという期待を持つ敵も少なからず存在する。そんな連中が御影家の新当主就任式が執り行われる前日に動いた。『同盟』も礼司さんの死に疑惑が残ることから神経を尖らせているのだろう。ここ最近、対立派の動向は逐一報告させていたと隼雄さんは言う。


「そして一番厄介なのはね、その連中が桂木(かつらぎ)鋭月(えいげつ)の取り巻きとして有名な連中だってこと」

「……おい」


 思わずどすの利いた声を出してしまい、隼雄さんが泣きそうな顔になる。


「そんな顔されても困るよ。事実なんだし」

「よりによって奴のシンパか……」


 桂木鋭月――俺にとってもある意味関わりの深い血統種だ。直接的な繋がりでいえば礼司さんが一番深い。

 何故なら俺が殺した親友――都竹蓮の父親だからだ。


 礼司さんとは真逆の方向で名を知られた血統種。

 血統種至上主義であり、血統種が主導する社会の形成に燃える男。

 国内最大の血統種犯罪の首謀者。

 それが桂木鋭月という稀代の犯罪者を形容する言葉だ。


 礼司さんとの戦いに敗れた鋭月は、現在監獄の奥で二度と日の目を拝むことのできない生活を送っているが、彼の配下たちは未だに活動を継続している。


「警備部が既に街中に散らばってるよ。沙緒姉にも連絡行ってるだろうなあ」

「沙緒里さん……こんなときに暴走しないといいんだがな。鋭月の手下なんだろ、旦那さんを殺したのは」

「……そうなんだよね、その辺は慎くんと信彦さんに任せようか。あと警察にも応援を要請しているって。凪砂(なぎさ)ちゃんが指揮を執っているそうだよ」

「そ、そうか。あの人がいるなら頼りになりそうだ」


 知り合いの警察官の名前を出されて表情が強張ってしまった。ある意味で一番苦手な人だ。嫌いではないが好き好んで逢いたくはないというか。まさかこの事態にかこつけて屋敷(ここ)へ来ないだろうな。


「……ああ、うん、多分凪砂ちゃん来ないんじゃないかな? 緊急の用があるならともかく、そうじゃなきゃ顔出さないと思うよ」

「それを心から祈るよ」


 俺の心情を察した隼雄さんが憐れむように慰めてきた。

 俺はただその言葉を信じるしかなかった。




 午前九時半、食堂には俺と雫の他に章さんと慧がいた。

 俺と雫は食事を終えている。章さんと慧は数分前にほぼ一緒のタイミングで来て、食事を始めた。


 章さんは難しい顔で考え事をしながら食べている。対立派の話が届いているのだろう。五月さんが話しかけても上の空だ。

 五月さんは章さんの様子に心配げだ。この屋敷の一切を任されている彼女もまた話を知っているはずだ。屋敷の外で隼雄さんと話したときに、メイド人形の数が昨日より明らかに増えていたのだから。それも血統種用の特殊武器を装備している人形ばかりだ。

 屋敷の防衛は五月さんと登が主翼を担う。隼雄さんが登にも伝えると言っていたので、あいつも万が一に備えた準備を整えている頃だろう。


 しかし、気になるのは慧の方だ。こちらも昨日に増して様子がおかしい。精神的に参っているように頭を抱え、ろくに食事に手をつけていない。


 章さんもそんな弟が気にかかるようだが、昨夜の一件で避けられていると思っているのか自分から話しかけようとしない。

 俺と章さんが注目する中、慧の懐から軽快なメロディが流れてきた。

 慧は慌ててスマートフォンを取出し、画面を見てはっとする。それから盛大に音を立てて椅子から立ち上がると、食堂を出て行ってしまった。

 慧が食堂を出て扉を閉めてから数秒考えた後、俺は慧の後を追うことにした。章さんが申し訳なさそうに頷くのが視界の端に映っていた。


 慧は廊下の奥で窓の外を眺めながら誰かと電話で話をしていた。俺は声が聞こえるぎりぎりの距離まで近づき、会話に耳を傾けた。


「……兄貴ももう親父の世話にならなくてもいいくらい認められてるんだ。家を出るくらいやろうと思えばできるぜ。俺が話せば嫌だとは言わないはずだ」


 慧は瞳に憂いを浮かべて、電話の相手に期待の籠った口調で言葉を返している。

 誰と話しているんだ?

 慧は俺の存在に気づかないまま会話を続ける。


「親父のことなんか今更気にする必要ないだろ。原因はあっちなんだし、それに誰と一緒に住もうが勝手だろ。もし、兄貴が出世すればもう余計な口出しできないはず――」


 そこで慧の言葉は一旦途切れた。電話の向こうから届く声を受け、次第に焦燥が浮かぶ。


「どうだっていいだろ! 勝手に周りに当たり散らして評判落としたのが悪いんだからよ。昨日だって由貴に一々突っかかってみっともなかったんだぞ。あれはもう無理だ、改善する見込みなんて無いって。だから母さんも――」


 そこで窓から顔を逸らした慧はようやく俺がいることに気づいた。俺を見据え口を開けたまま固まっている。俺もどう言葉を返そうか悩んでいたのでしばらくお互い無言で突っ立っていたが、やがて慧は電話の相手に断りを入れて通話を打ち切った。


「ど、どうしたんだよ」

「昨日からあまりにも様子がおかしいから心配して見に来たんだ。電話の邪魔して悪かったな」

「……別にどうってことない。気にすんな」


 慧は素っ気なく答えてから黙り込んだ。

 俺はどうしようか逡巡し――やがて好奇心が勝利した。


「母親に電話してたのか?」


 慧は電話の内容を聴かれていたことに不機嫌さを露骨に示した。


「少し前から聴いてた。一緒に住むつもりか」

「……それが何だ、誰と一緒に住もうが勝手だろ」

「それは俺が口出しすることじゃないが、辰馬さんと章さんは知ってるのか?」

「“まだ”知らない。兄貴には近い内に話すつもりだけど。親父には邪魔されたくないから出て行くまで話さない」

「邪魔といっても、もう別宅暮らしなんだろう? 心配する必要はないと思うが」


 慧は首を振って答える。


「兄貴も誘うつもりなんだよ。親父は兄貴を手元に置きたがっているから、このこと知ったら絶対に邪魔する。そういうわけだから由貴も一先ず二人には内緒にしといてくれ」


 どうやら慧の父親に対する反抗心はかなり根深いらしい。章さんも巻き込んで完全に縁を切るつもりでいるとは。


「……いつから連絡を取り合っていたんだ?」

「三年前からだ。母さんの友達を頼って調べたんだよ。その頃の母さんは入院してたからその友達もすごく同情しててさ、俺が逢いたいって言ったらすぐに教えてくれた。それから定期的に逢いに行ってる」

「同居したいというのはお前の提案みたいだな、さっきの会話を聴く限りでは。だが母親の方は考え直すように言ったんじゃないか。そんな感じに思えた」

「母さんは甘いんだよ。親父にも事情があるんだって……庇うんだよ」


 慧は疲れたように息を吐いた。

 慧の母親は今は辰馬さんのことをそれほど嫌っていないということか。離婚で揉めたのは知っているが……実際二人の間柄はどうなのだろう。


「急ぐこともないんじゃないか。ゆっくり考えればいいだろう」

「それでもいいんだけど……ちょっとな」


 何故か慧は俺を気まずそうに見つめてくる。その視線は昨日玄関で逢ったときのものと似た色を帯びていた。

 やはりこいつは俺に何らかの感情を抱いている、そう確信させるには充分だった。


「昨日から俺の顔を見て変な奴だな。気になることでもあるのか?」

「……なんでもない」


 慧はそれだけ言い残して食堂の方へと帰ってしまった。


 どうも慧の言動はあからさまに怪しい。礼司さんの死後から挙動不審になったという話もそうだが、ここに来てからの態度を見るにそれだけではないように思える。少なくとも俺に対して隠し事があるのは間違いない。


 ともかくデリケートな問題なので慧との約束を優先して、五月さん経由で章さんには何の収穫も得られなかったとだけ伝えておいた。




 十時を過ぎた頃、俺は庭で登と話をしていた。


「屋敷の周囲には“花壇”を設置しているから容易に侵入するのは無理だけど、過信はしない方がいいな。相手側が本気ならそれなりの対策はしてくるだろうし」

「小夜子さんの弟子のお前なら、どんな能力を持っているか知っている奴は多い。油断だけはするなよ」


 五月さんの人形による防衛体制と、登の“花壇(トラップ)”による防壁の組み合わせはこの屋敷の守りの要である。

 二人とも自分自身は前に出ることなく戦うスタイルが主体であり籠城に向いているためだ。


「――そうね、甘い考えを持っていると匂いに釣られて虫がやって来てしまうもの」


 沙緒里さんは俺たちの近くでベンチに優雅に腰かけている。こうして見ると姿だけなら白髪と美貌が相まって神秘的な女性だ。中身は混沌の塊であるが。


「虫は甘い匂いに敏感よ。いつも決まってそんな人から群がられるのよ」

「そうですね、油断は禁物です」


 俺の言葉に満足したのか沙緒里さんは妖しく微笑み、空を仰いだ。

 太陽の光は庭に広がる緑を鮮やかに照らしている。風の音も無い。この風景だけ切り取ってみれば牧歌的である。緊張感とは無縁だ。


「今日は就任式じゃなくて同窓会に変更かもしれないわね。皆元気にしてるかしら? 逢えたら嬉しいわ」


 鋭月一派との同窓会はさぞや歓喜と悲鳴に満ち溢れたものになるだろう。血肉が舞い踊る余興はかつて夫を奪われた沙緒里さんをどれだけ喜ばせるのか、あまり想像したくない。

 沙緒里さんの夫を殺害した犯人一味のほとんどは死亡しているが、その数少ない生き残りが今回街に潜入している連中の中にいる。ある意味では、最悪の事態が訪れることを期待しているといえる。


「ああ由貴くん、ちょうどよかった」


 俺と登はほっとした。沙緒里さんの相手をするのに相応しい人物――彼女の今の夫が現われたからだ。


「信彦さん、どうしましたか?」

「彩乃を見てない? 部屋にいなかったから見て回ってるんだけどどこにもいなくてさ」

「……彩乃ですか? 今朝はまだ見てませんけど」


 信彦さんは「そうか」とだけ呟いて困った顔をつくる。


「昨日から部屋に籠りがちだったから部屋にいると思ったんだけど、まあ家にいるときもそうだけどね」


 俺が知る限り彩乃が長時間部屋から出ていたのは、あの居間での一幕のときだけだ。ここに到着した後は夕食時まで姿を見ていない。

 それが今朝はずっといないのか。信彦さんは屋敷の中をほとんど捜したらしいが……。


「誰かの部屋に行ってるわけじゃないんですね?」

「うん、それは確認したんだよね。他に行ってない場所は……」


 信彦さんの視線の先には訓練場がある。


「訓練場か……鍵は閉めているはずだが。俺が見てきましょうか?」

「いいのかい? それじゃあお願いしようかな」


 信彦さんはベンチに座る妻を一瞥した。ハイテンションになっている沙緒里さんが気にかかるらしい。彼女の相手は信彦さんに任せるのが一番だ。登もそうしてくれと視線で訴えかけてくる。


 俺はすぐに訓練場へと向かった。入口の扉に手をかけるがやはり施錠されている。中には入っていないようだ。入口がここしかない以上中にはいないが、念のために周囲も見回ってみることにした。

 外壁を沿うようにして彩乃の姿を探し求める。本館から離れたこの場所は訓練のとき以外に人が来ることは滅多にない。特に血統種でない彩乃がここへ来る用事はないはずだ。


 そう考えていたのだが、屋外フィールドの外周に差しかかったとき、死角から現れた影が俺の胸にダイブしてきた。


「ぎゃん!」


 軽い衝撃が身体に伝わるが痛みはない。ぶつかった当人は間抜けな悲鳴を上げてから、反動で真後ろに倒れた。見下ろすと三白眼の少女が額を抑えていた。


「大丈夫か、彩乃」

「……由貴さんですか」


 彩乃はこちらを睨むように目を細くして立ち上がった。恥ずかしい姿を目撃されたせいなのか口を結んでいる。


「信彦さんが捜していたぞ、こんな所で何をしていたんだ?」

「別に何かしていたというわけでは……ただの散歩です。気分転換ですよ」

「散歩なら庭でやれ、あまり敷地の外に近い所へは行かないでくれ」


 対立派の動きに警戒を強めているので、人気のない場所を一人でうろつくのは避けてほしいところだ。まだこの辺りにメイド人形は配置されていないようなので、後で五月さんに話しておこう。


「……この建物が訓練場と聞いたので興味が湧いて観てみようと思ったのです。建物の周りを歩いていただけなのですぐ帰るつもりです」


 そう言った彩乃だが、彼女は建物よりその周囲に注目しているように見えた。時折、屋敷の敷地外にも目を配っていた。


「まあ……これ以上は特に観るものも無さそうです」

「この辺りは元々旧館が建っていた場所なんだ。今の本館ができてから取り壊されたらしい」

「へえ……じゃああの物置小屋のような建物もその頃使われていたのですか?」

「ああ、物置だけは旧館が無くなった後も使われていたが、あれも新しいのが建てられてから使われなくなった」


 訓練場は本館から離れた位置にあり、付近にある建物といえばあの物置くらいだ。中の道具はほとんど今使われている方に移されていて空に近い状態だ。建物自体も古く雨風に晒されて汚れている。


 それから本館へ続く道を歩いている間、俺たちの間に会話は無かった。ただ、彩乃はしきりに辺りの様子を気にしている。訓練場の外周にいたときからあちこちに視線を配っているが、それほど珍しい光景だろうか。


 庭に到着したときには、既に沙緒里さんと信彦さんの姿は無かった。登によればもう部屋に帰ったらしい。

 彩乃は屋敷の周囲を歩いて時間を潰すと言い、俺から離れるようにその場を去っていった。


「お前微妙に嫌われてない?」

「……ほっとけ」


 彩乃と性格が合わないことを改めて実感した。




 俺が寧の部屋を訪ねたのは十一時前だった。

 就任式が始まるのは十二時からだ。その前に一度寧の様子を見るために訪ねるつもりだった。緊張しているようであれば“同調”して落ち着かせようと考えていたが、思いのほか寧は落ち着いていた。

 寧は式に備えて黒いドレスに着替えていた。ノックして部屋に入ったとき、寧は椅子に座り俺に背を向けていた。振り向きもせず写真立てをじっと眺めている。


 写真には在りし日の寧と紫が映っていた。俺が移り住んだ後に撮った写真だ。撮影したのが俺だったのでよく覚えている。場所は小学校の校門前だ。


「随分と懐かしいものだな」

「そうね、私が小学校に上がったときに撮ったのよ」


 敬愛する姉と一緒に満面の笑顔を浮かべる寧は幸せそうだ。姉の方はその考えの読めない顔をほんの少しだけ綻ばせている。


「……姉様に並べるようになりたいって思ってたわ、この頃は」

「今でもそうなんだろう?」

「ちょっと違うわね、今では姉様に追いつくのは難しいって確信してる。多分、一生努力したって姉様には勝てないわ。その位凄かったもの」


 子供でありながら大人顔負けの力を発揮する寧だったが、それでも紫と比較すると劣るのは事実だった。


「どうしても考えてしまうのよ……姉様が当主の座を私に譲ったのは、私に気を使ったからじゃないかって。姉様が実力を証明してからは皆姉様の機嫌取りしてたじゃない? それで誰も私には目もくれなくなったでしょう、だから姉様は……」


 他の血統種より圧倒的な力を持っていても、次期当主でなければ敢えて近づく必要もない。そのように考える者が多いのは不思議ではなかった。


「その可能性が無かったとは言わない。ただ、理由がそれだけだったとも思えん」

「他にも理由があったと?」

「紫は自分の好きなように動いた方が効率が良いと考える奴だった。当主になって行動を縛られるより、自由に動ける立場を得ようとするのは当然だ。それに――」

「それに?」

「……蓮のこともあったからな、蓮と一緒になるなら当主の椅子は邪魔になる」


 御影の一族が対立派幹部の息子と結ばれることを許すはずがない。当主であれば尚更だ。だからこそ紫は自由を求めた。


「それもそうね、蓮と一緒にいるときの姉様は本当に楽しそうだったもの」

「ああ……」


 紫に最も大きな変化を与えたのは間違いなく蓮だ。俺が蓮と引き合わせてから、家族に対する愛や力ある者としての民に対する愛とは異なる、生涯を共に歩む相手を強く求めようとする愛を知った。それは俺たちでは与えることのできなかったものだ。


「正直言うと当主になるのは不安よ。当主として巧くやれるかどうかって話ではなくて……私がお父様のように人を守れる存在になれるのかって不安」

「お前ならできる、礼司さんの背中を見て育ったんだからな」

「……そう思う?」


 寧は悲壮な表情で口を噛み締めた。


「私ずっと思ってた。お父様のように誰かを守れるようになりたいって。そうじゃなかったら当主になる意味も『同盟』の地位を継ぐ意味も無いって」

「それは思いつめ過ぎじゃないか?」

「ううん、これは話したこと無かったと思うけど……私ね、昔お父様が戦うところを間近で見たことがあるの。敵を倒しながら、一緒に戦っていた『同盟』の人達も守っていて……どうやったらあんな凄い人になれるんだろうって悩んだわ。私もああいう風になれたらいいのにと」

「お前はお前なりの強さを求めればいい。礼司さんと全く同じになることを求めたってだめだ。お前の力はお前の手でつくられるんだからな。それで足りないと言うなら……そのときは俺が手を貸してやる」


 寧は薄く笑った。


「あら、補佐の件やる気出てきた?」

「地位があろうとなかろうとお前の助けになるつもりだ。いつでも頼れ」


 まだまだ幼い義妹に全てを任せる気など毛頭ない。今や家族は俺しかいないのだ。ならば俺が一人だけでも支えてやる。


 寧は窓の外に広がる青い空を見つめて、ぽつりと言った。


「姉様にまた逢いたいわ」

「絶対に逢えるさ」


 俺は断言した。




 就任式の会場である広間に行くと、五月さんがメイド人形を指揮して最終確認を行っていた。

 

「警備の方に人形を割かないといけなくなって困ります。人形を増やすと管理するのが大変なのに……」


 人形は五月さんが直接操るだけでなく、半自律的に行動させることも可能だ。直接操る場合は人形の五感から得た情報を五月さんも得ることができるが、半自律で動かす場合は得られない。人形が破壊されたときだけそれを感知できるのみだ。


「警備にはどれくらい割いているんだ?」

「ええと……正門には四体、敷地を囲むようにして二十体、敷地内を八体に巡回させていています」


 分身を生み出す能力を持つ血統種は大勢いるが、その中でも五月さんのように多数の人形を同時に制御できる者は多くない。五月さんは自分の力など他の人には到底及ばないと謙遜するが、『同盟』全体で見ても彼女は上位の強さを誇る。


「式が始まるまであと三十分程度か……このまま何事も無ければいいんだが」

「敷地外の人形の視覚を拾ってみましたが、不審な人物や車は見ませんでした」


 ここは街の中心部から外れた所にある。周辺に住宅街は少ないので、」妙な連中がいれば目立たないはずがない。異常がなければ安心していいのだが……どうもしっくりこない。


「街に入ったのは単にこちらの動きを探るのが目的で、何か仕掛けるつもりは無いのか?」

「それならいいんですけど……街の方は凪砂さんたちが見回っているそうです。こちらへ向かう不審な人がいればすぐに連絡すると」

「連絡が無いなら大丈夫ということだろうが……連中が街へ来たことに気づいたのはいつ頃か知っているか?」

「昨日の夜と聞いています、確か八時頃です」


 結構遅い時間帯なのか。把握したのがその時間なら、実際に侵入したのは夕方から日没にかけてくらいか。有力な目撃証言は望み薄か。


「ホテルなどに問い合わせても所在はわからなかったそうです。ひょっとすると既に潜入している仲間がいるのかもしれません」

「そうだな、ありえない話じゃない」


 監視の目も万全ではない。住民の中に敵の間者が紛れ込んでいる可能性は充分ある。そいつが隠れ家を提供しているなら、そう簡単には見つからないだろう。


「何か危険が迫っているとわかっていれば式を中止することも検討できたのですが……本当に何を企んでいるのか――」


 五月さんの言葉は最後まで延べられることなく途中で途切れた。

 変に思った俺が彼女の顔を見たとき、そこには驚愕があった。


「五月さん?」


 俺の言葉に五月さんは何も返さなかった。つい今しがた神経を張りつめるのに疲れたと語っていた顔が蒼白なものに変貌する。


「……たった今、敷地外にいた人形との接続(リンク)が途絶えました」

「何だと?」


 人形との接続が途絶えた。

 それは人形が壊れた事実を意味している。


「嘘――」


 五月さんの瞳が大きく見開かれた。何か信じられないものを見たように呆然とする。


「――何があった?」

「他の人形の視界を拾いました。これは――」


 彼女の両目が俺を見つめる。


魔物です(・・・・)

「……は?」


 五月さんは唾を飲み込んで、声を絞り出した。


「今、魔物の群れがこの屋敷に向かっています」

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