友と嵐と武器屋(23) ~禍津風~
地上へと落下していく一人の男とは対照的に、別の男が大地の架け橋から飛翔し、さらには落下した男を足場にしてさらに跳躍して行きました。うわあ、残酷なことをするなあ、と遠目から思いますが、その人影には見覚えがありました。
「あ、あれは……フィセリー?」
嵐の中、荒れ狂う風の中、地上から飛び出したその男は、管理局副局長フィセリー・ロイノマゼスタリアその人です。ああ、彼なら、男性を踏み台にするくらいのことはするでしょう。そして、それが女性を助けるためだというのであれば尚更です。
彼が管理局服局長というポストに収まっているのは、単純に仕事が出来るからではありません。冒険者としての確固たる実力があるからです。私、どこかで言いませんでしたっけ? むかつくけど、あの男は強いんです。
スタントラル最強の剣士。
フィセリー・ロイノマゼスタリア。
彼の剣技を言葉で表すのであれば、【一閃】が相応しいでしょう。
その鋭い斬撃は、落ちていく少女(恐らくミズキさんでしょう。この作戦を考えたと思われるカイトは後で叱らなくてはなりません)に迫りくる颶風龍の牙の一本を断ちます。
長い巨躯をくねらせ、痛みに悶える颶風龍。
しかし、それでフィセリーの攻撃が終わるわけがありません。
彼は奴の頭部へとたどり着くと、その獰猛な瞳を剣で突き刺します。そしてそのまま、龍の身体を駆け、まるで風のように駆け、鱗を裂き、肉を断って行きます。夥しい血液が、それこそ雨のように戦場へと降り注ぎ、彼自身もその姿を血で染めます。
颶風龍は、自分の身体の上を這いまわるその虫を払うように身体を大きくしならせます。フィセリーは、その反動を利用して、颶風龍から一気に距離を取りました。勿論、その目的は落下しているミズキさんを助けるためです。
無事に、落下中のミズキさんを抱きかかえることに成功し、そのまま地上へと落ちていきました。
まあ、フィセリーのことですから、彼自身もそしてミズキさんも無事でしょう。
血まみれの男に、彼女がときめくかは知りませんが。
■■■
私の近くにいた、とある冒険者はこう言います。
「行けるんじゃ…ないか?」
それは、雷雲の中でフィセリーさんの斬撃に悶える龍の姿を見ての一言でした。
確かに、今まで防戦一方だったのに対し、今では私たちの攻撃が通じているように思います。それは、私たちの先を塞いでいた壁にひびが入ったような、そんな希望が湧いてくる事実です。
龍は無敵じゃない。
神様でもなんでもない。
私たちと同じ、生き物。
だから……殺せる。
そんな当たり前の事実を、皆さんは再認識したんだと思います。嵐の中、皆さんの士気が高まり、攻撃にも消極的になっていた魔術師たちが、再び魔力を練り始めます。
「なんだか……怖いね」
隣でずっと私を庇っていた友達――彼は私のことを『相棒』って呼ぶ――に、そう声を掛ける。私と同じことを感じているかはわからないけど、この状況を彼がどう考えているのか知りたかった。
「ん? ……そうか? 押せ押せーっ! って感じが良いと思うけどな。よっくわかんねえけど、俺たちの知らないところで割と優勢みたいだし、勢いは大事じゃないか? カナタ?」
タクマくんは、逆にそう問いかけてきた。
そ、そう言われても……私も、単に思ったことを口に出しただけだから、わからない。でもきっと、タクマくんが言うのだから、そうなのだろう。彼は、私よりもずっと戦いを知っている。元の世界でも、休み時間はずっと読書ばっかりしていた私には、団体行動の勢い? というのが、いまいちわからない。頑張ろう! って気持ちは大事だとは思うけど、勢いで突っ込みすぎるのもどうなのかな……?
「なんていうか……浮足立っているっていうか……上手く行きすぎている気が、するよ」
「いやいや……むしろ、さっきまで一方的にやられてたじゃねえか。こっからが本番ってことだろ?」
タクマくんはそう言って、私の不安な気持ちを拭い去ろうとしてる。とっても優しいし、その気持ちは嬉しい。でも、私が言いたいのはそういうことじゃなくて……もっと、客観的に考えたことだった。
「ううん。……だ、だって……あの龍は、いくつもの都市を、滅ぼしてきたんだよね? その力が、この程度……なのかな?」
「この程度……って、十分すぎるだろ。……あんまし考えたくねえことだけど、もう何人も死んでる。シシルさんがいなかったら、多分街だってとっくの昔に吹き飛んでる。それだけでも驚異的だろ」
タクマくんの言うことは、勿論のこと。
でも、なんだろう。もともと、悲観的な私は、心配性な私は、どうしでも物事を悪い方向へ考えてしまうところがある。でも、今は……それが正しい気がしてならない。
「で、でも……いくつもの街を滅ぼしてきた……ってことは、街ごとに戦いがあった……ってことだよね?」
「え? ああ、そうだろ? 街を守るために戦っただろうさ」
「あの龍は……多分、スタントラルと同じくらい……ううん、歴史を紐解けば、もっと大きな街さえも滅ぼしてきた……んじゃないかな? 私たちと同じように、戦った人間たちも……みんなみんな吹き飛ばして」
私たちは、この戦いにろくな準備が出来なかった。
嵐により陸路、海路を塞がれ、物資を外から補給できないために、薬も、武器も、防具も、何もかもがあるものだけ。強い冒険者を招致しようとしても、移動方法が無いのではそれもできない。国軍に至っては、すべてを私たち冒険者へと押しつけ、自分たちは完璧に守りの姿勢に入っている。つまり、これ以上の援軍は期待できない。
準備という点で見れば、私たちの境遇は最悪、最低……だと思う。
だからこそ、思う。あの龍と戦った街の中には、私たちよりも万全の態勢を整えて戦った人たちもいる……んじゃないかな? 私たちよりも、ずっと強く、ずっと強固で、ずっと強かな人たちがいたんじゃないかな?
「あの龍は、そんな人たちまで吹き飛ばしたんだよ? それが……この程度、なのかな?」
私の憶測に、タクマくんは腕を組んで唸っていた。目線は、天高い場所にて、魔術の一斉攻撃を受けている颶風龍だった。私がドキドキしながら、タクマくんの返事を待っていると、彼は口を開いた。
「わかんねえ。けど、カナタのそういう勘は当たるしな。用心しておくのはいいことだと思う。でも、今の勢いを削ぐのもどうかと思うし、最悪の場合を考えて俺たちだけでも少し下がっておこう」
「う、うん。わかった」
正直言えば、私はほっとしていた。
怖いものからは遠ざかりたちって気持ちは、私の中では大きい。この世界に来て、タクマくんと冒険して、色んな戦いを潜り抜けてきた。でもやっぱり、戦いが、死ぬのが、殺すのが、怖いって気持ちは……無くならない。
どうしても怖い……ってときは、私の手の中にあるこの杖を強く握ることにしてる。
ルミスさんが創ってくれた私の……最強の杖。
これさえあれば、なんだって出来る。それだけは、はっきりと言える。だから、自信が揺らぎそうなときや、怖くて仕方ないときは、純白の聖灯を信じることにしている。
颶風龍に背を向けて走り出す私とタクマくん。
フィセリーさんも言ってたけど、逃げ出した者を追うことはしない。そのためか、誰も私たちを制止したり、咎めたりする人はいなかった。逃げ出したわけではないのだけど、何か言われるとその行動理由が『勘』なわけだから、納得してもらえないと思う。それに、何も言われないのであれば気楽でいい。
度々、後方の龍を確認しつつ、タクマくんは言う。
「しかし、何もできねえってのは歯がゆいな。あっちから近づいてくれりゃ、俺の剣も届くんだけど」
「そ、それは怖いよ……。それに、そのときはむしろ――」
「ああ、ルミスさんの武器の出番だろうさ」
そう言って、タクマくんはにかっと笑う。
私もだけど……タクマくんはルミスさんのことが本当に好きなんだよね。私にとっては、ルミスさんは……うん、憧れの人、かな? 大人っぽいし、頼りになるし、綺麗な人だし、それに……とっても優しくて強い。将来は、こういう人に私もなりたいな、と思う。
「さっさとこの戦いを終わらして、ルミスさんに告白しなきゃなー。オッケーって言ってもらえるかな? どう思う、カナタ?」
「え、ええっと……」
わ、私に訊かれても……わからないよぉ。
恋愛とか、好きって気持ちとか……今まで感じたこともない。本の中の話なら、何度か読んだけど……そんなの、現実世界の恋愛の参考になるわけがないし。
で、でも……正直に言えば、ルミスさんはタクマくんのことをそういう対象としては見ていないと思う。どちらかといえば、腕白な弟を宥めて、見守る姉。って感じ? だから、答えは……無理、なんじゃないかな? でも、ここで『無理。絶対、無理。タクマくんがルミスさんと釣り合うと思ってるの? やめた方がいいよ。ていうか、やめて』なんて言ったら、戦いの最中だっていうのに意気消沈しちゃうだろうし、ここは良い返事が聞けると思う……と、濁しておこう。
「………………………………………………………………………………………だ、大丈夫だよ。ルミスさんなら、きっと応えてくれる……んじゃないかな?」
「今、だいぶ間があったよな? おい」
私はタクマくんから顔を反らして「そんなことないよ、うん」と言うけど、それが本人に聞こえているかはわからない。でも……なんだろ、今は、タクマくんの方を向けなかった。
しばらく走って、ちょうどシシルさんの守護魔術から百メートルくらい離れたところまで逃げてきた。振り向けば、大分戦争の中心から離れたところに来たのがわかる。息を整えつつ、私はその戦いを見守っていた。
火柱が上り、風の刃が乱れ撃ち、氷槍が一斉射出され、それらはすべて颶風龍の身体を微量ながら削り取っている。対する龍は、その弾幕のような魔術に耐えているようにも見える。弱っているのか、嵐もやや弱まりつつあるように感じる。
「なんだ……いい感じじゃん」
「うん。やっぱり、わ、私の勘違いだったかな?」
タクマくんの言葉に、私は頷く。
やっぱり、心配しすぎなのかな……? すでに優勢だっていうのであれば、私もあそこにいて魔術で攻撃すれば良かったのかもしれない。少しでも、力になれたかもしれないというのに。しかし、今から戻っても仕方ないし、後はこの場で見守ることにする。
二人して、黙ってその戦争の光景を眺めていた。
龍が一方的にやられているその姿に、やはり私は違和感を覚える。こんな、ものなのかな? と。あの最強の勇者が倒せなかった邪龍と、肩を並べるほどの力を持っている四元龍ってこの程度? それなら、今までの人たちは、私たちよりもずっと弱かった……ってこと?
『違う違う。よぉく、魔力の流れを感じるんじゃ、小娘。あの龍、とんでもない魔力を溜めておるぞ。嵐が弱まっているのも、一方的に攻撃を受けているのも、そのためじゃ。こりゃあ、とんでもない攻撃が来ること間違いなしじゃ』
え? あ、あれ?
「タクマくん……今、何か言った?」
「え? いや、何も言ってねえけど?」
どこからか聞こえた声に、私はタクマくんかと思って訊いてみるけど違うみたい。よくよく思い返してみれば、喋り方はどこか老人っぽいし、声も女の子っぽかったかな? でも気になるのは、言っていたこと。今の颶風龍の状態は、大きな一撃の『溜め』ってこと……なの?
『ん? なんじゃ、小娘。ついに、余の声が聞こえるようになったのか? この土壇場で? クックック。なんというか、持っとるの、お主』
「え? ええ? ど、どこ? どこにいるの?」
再び聞こえた声の主を探して、私はあたりを見る。でも、見渡す限り、嵐によって地形が変わった草原と嵐しかなく、人影などどこにも見えない。隣にいるタクマくんも、訝しがって心配そうな顔をしている。
『落ち着け小娘。そして、よく聞け。簡単に説明すれば、余はお前のなかにいる悪魔じゃ』
「あ、あくま!? え、ええ……!?」
『声を出すな。喋るなら心の中で話せ。隣にいる生意気そうな小僧が心配そうな顔で見ておるぞ。こいつ、頭大丈夫か? って顔をしておるぞ。変人と思われたくなければ、平静を保っておるんじゃな。心配せんでも、余の声はお主にしか聞こえておらんよ』
突然のことに、私の頭が追い付かない。
悪魔って……本で読んだけど、あの魔力生命体の? それが私の中にいるって……それってまずいよ。乗っ取られちゃう。こんなときに、なんでこんな……。
『だあーっ! もう、説明がめんどいのぉ! 言っておくが、余は何か月も前から、勝手にお主の身体を使っておるぞ。ときどき、意識が飛ぶときがあったじゃろ? それは余がお主を乗っ取ったからじゃ』
え、えええ!? あ、ああ……言われてみれば、なんか突然覚えがないところにいるなあ、と思ったこともあったけど……それってそういうことだったんだ? でも、まだ私の意識があるってことは、完璧の乗っ取られたってわけじゃないってことだよね? それに、私が普通の人よりも魔力量が多いのって……あなたがいたから……なのかな?
『察しが良いの。その通りじゃ。まあ、安心せい。余がお前を殺すことはない。それに、お前を殺すと、今度は教会の奴らが出張って来るしの。……武器屋とは仲良くしたいと思うとるし』
武器屋……? それってルミスさんのことだよね? あなたのことは、ルミスさんも知ってるんだ。
『知ってるも何も、余と武器屋は親友じゃよ。あっちがどう思っておるかは知らんがのー』
わ、私の中にいる悪魔と親友って……ルミスさんって一体何者なんだろ……。
それはさておき(さておき……ってしておくわけにもいかない話題だけど)、今重要なのは、悪魔ちゃんが言っていた颶風龍に関すること。さっきの話が本当なら、前線で戦っている人たちが危ないということになる。
『悪魔ちゃんって……、まあ良い。余は寛容じゃからな。……前線だけではないぞ。あの魔力の感じは……後ろの守護魔術もろとも、街を吹き飛ばす気じゃろ。さては、あやつめ……遊びに飽きたな? 面倒臭くなって一気に勝負を決めに来たと見える』
遊びに……飽きた?
待って? あの龍は……今まで遊んでたの? つまり、全然、本気じゃないってこと? し、信じ、られないよ。あんなにみんな、必死だっていうのに。私の予想が、嫌な方向に当たったってこと……?
『まあ、そういうことじゃな。……っと、無駄話はそこまでじゃ。ついに、来るぞ。宿主のお主が死んでは、余も身体が保たん。余もまだ生きたいんでな。ちょいと身体を貸してもらうぞ』
え? ちょっと、何をする気――。
■■■
あー、もう無理。限界。ちょっと、休みたい。
そんなことを思っても、私は守護魔術を解くことをやめない。そんなにきついならやめろよ、ともう一人の私が言っている気もするけど、私はこう言い返す。
私ってば、ひねくれものだからね? やめろよって言われると、むしろやめたくなくなるの。応援ありがとう。
それが元聖女の台詞ですか? と、あの子なら言ってきそうなものだけど、元聖女だから言いたくなるの。ずっといい子のふりをするっていうのは、予想よりも気苦労が多くて疲れるのよね。今は、その反動が来てるって感じ。
突如、腕に痺れが走る。
それは、私の守護魔術のどこかに重たい一撃が当たったってこと。多分、雷かなんかだと思う。さっきまでは、それはもう一方的にあのクソ龍の攻撃を受けてたけど、今はだいぶ楽になった。多分だけど、初めはあの龍は私の守護魔術をぶっ壊そうと躍起になってたけど、今はそんなことをしている暇はないってことね。私の負担が軽くなるのはいいことだけど、だからってこれを持続するのはきつい。
颶風龍がこの街に来る。
そして戦いが始まる。
そう聞いた時から、私は魔力を貯めに貯めこんだ。相手が相手だけに、多くの魔力が必要になると思ったし、私の役目は街を護ることだろうと思った。倒すべき相手を倒しても、街が更地になっていたんじゃ何のために戦ったかわからなくなるしね。
またさ……その魔力を貯めるっていうのも容易じゃないのよ?
想像してみて? 水風船に水を送り込むと、『このくらいが丁度いい』っていう適切な量があるじゃない? それが普段の魔力量。でも貯めるってことは、その風船を無理矢理広げて、許容範囲を大きくするってこと。風船が破れる寸前まで水を入れて、それが割れないように必死に抑え込む。少しでも気を許しちゃえば、風船がパーンと弾けて、私の魔力がドバーンと放出される。たぶん、貯めてた分が全部一気にね。
そんな苦しい状態であの子の面倒なんて見てられなかったから、しばらくは管理局の一室を借りてうだうだしてたわ。だから、帰らなかったわけ。
そんな極限状態をずっと持続してたわけだから、あのクソ龍の最初の一発を防いだ時は、むしろ心地よかったわ。こう……限界まで我慢していたことから解放された気分。けど、それからは魔力を多く使う必要が続いちゃって……結局、魔力が枯渇寸前な私。楽とは言ったけど、それはさっきまでに比べればの話。今でも、雷や突風が吹いてくるし、気が抜けない状況ね。
「早く、好機つくりなさいよ、あのバカども……」
そしたら、ルミスが何とかしてくれるんだから。
それでこの戦いは終わり。
明日から、またいつも通りの平凡な毎日がきっと来る。
いや……違うわね。平凡っていっても、あの子と一緒にいるとトラブルが絶えないし……そう、楽しい毎日がきっと来るわ。
それまで、この街は私が――。
そう思っていたとき。
そう心を改めていたとき。
私は――油断していたんだと思う。
相手の力が弱まったことに、余裕を感じていた。
それはつまり、隙ってこと。
【神城の盾】は私が扱える守護魔術の最強魔術。
それに加えて、私の【再生】を加えることで不死身の盾が完成する。
でも、不死身だからって完璧ってわけじゃない。
魔力が切れれば魔術は使えないし、体力が無ければそれを持続させることも苦しい。
それに……一撃で壊されてしまえば【再生】することもできない。
気づけば、私の盾が一瞬で砕かれていた。
ガラスが割れるような音に「え?」と小さく呟く。何の音かと周りを見れば、私の眼前に広がるその盾が、微小な光の粒子となって消え去ろうとしていた。それはまるで雪の結晶のように煌めいていて、私の盾だというのに、幻想的な風景だと思ってしまった。
遅れて、腕に激痛が走る。
盾が壊れたことによるフィードバックが遅れて私に襲い掛かってきた。
「あ、がああ、あああああああ!」
【再生】は外傷を癒すことはできても、痛みを緩和することはできない。
まるで両腕の骨が粉々に砕かれたようなその激痛に、その場に屈みこんでしまう。実際には、腕に怪我はない。守護魔術が壊されたときの反動は、いわば盾が壊された時の記憶が再現さるようなもの。その痛みさえも、ただの記憶だというのに……人間ってのはそういう思い込みでも痛みを感じちゃうものなのよね。
腕の痛みが間違いではないことを明白だったし、その光景を目の当たりにしたのだから、私の盾が壊されたことはすぐにわかった。問題は、一体、何が私の盾を壊したかってこと。気づけば、割れてたって……どういうことなのよ。間違って魔術を解いたかと思ったわ。
盾が無くなったことで雨風を遮るものがなくなり、私の身体に雨風が打ち付けられる。それを不快と感じる前に、再び【神城の盾】を発現させようとするけど……やっぱり、駄目。もう、魔力がない。すでに、私に戦う力は残されていない。
つまり、次、私の盾を壊した一撃が来たら……終わりってことね。
腕を抑えつつ立ち上がり、私は戦場を見る。
太陽が雲に遮られたことで、まるで闇夜のようだったけど、その光景が異常であることはすぐにわかった。
戦場の中心……つまり、あの龍がいた場所に真下に大きなクレーターが出来ていた。それは平原の三分の二を占めるほどの巨大な穴で、到底人間にできることではないことから明らかに龍の仕業ね。そして、草原の雄大な緑の絨毯が、今ではまるで汚物を巻き散らかしたかのように黒く淀んでいる。多分……草原の表面の大地が、風によって捲られたのね。風に削られ、上空へと巻き上げ、残ったのは草原の下にある泥だけ。あの平和で穏やかだった草原が、嘘みたい。
私がその光景に呆然としていると、突如私の真後ろに何かが落ちてきた。
突然のことに顔を痛めた腕で庇うけど、それっきり何もなかった。何よ、驚かせて……ひとまず、私はそれが何なのかを見る。
それは小さいものではなく、人の大きさのような物体だ。
というか、人だった。
「え、は、はあ?」
人が上空から落ちてきたことに驚きを感じる前に、今度は少し離れた左方にまた何かが落ちてくる。見れば、全身の骨が歪に折れ曲がり、まるで壊れた人形のような姿をしているけど……全身からポンプのように血が噴き出していることから人間に違いない。
そして、また。
また。
また。
また。
また。
またまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまたまた。
数えきれないほどの人間が……人間の死体が落ちてくる。
大地に叩きつけられたことで形が歪になり、中には身体の一部が欠如したものもあった。死体だけではなく、人間が装備していた武器や防具までもが降り注いでくる。近くで生き残っていた人間に、その死体と武器が直撃したときには、流石の私も顔を青ざめた。まるで人が隕石のように上空から落ちてくるその光景は、まさに地獄の一言に尽きる。
ここまでくれば、私は確信していた。
盾を壊したのは、圧倒的まで威力を高めた風。
大地を捲り、人間をはるか上空までに吹き上げる破壊の風。
災厄の風。地獄を呼ぶ風。……そうね禍津風とでもいいましょうか。
今も、死体はまるで隕石のように降って来る。
「この状況で……何人が生き残ってるのかしら」
少なくとも、私の盾の内側にいた人は無事でしょうね。私が生きているのが、その証拠。でも、この死体の雨で何人かが死んだと思うわ。問題は、戦える人間が生き残ってるか……って話。恐らく、前線にいた奴らのほとんどがお陀仏ね。いや……全滅かもしれないわ。
一撃。
たった一撃。
颶風龍のたった一回の行動で、私たちは一気に窮地に追い込まれた。
「本当に、やってられないわね」
私に……何ができる?
私は何をすればいい?
少し考えて、降り注ぐ死体に気を付けながら私は走り出した。
残酷なようだけど、今は死んだ人たちのことを考える余裕はない。
やるべきことをやり遂げるために、私は動かなくてはいけない。
……そういえば、平原の一か所だけ無事なところがあったわね。
どこかの誰かがが防いだのでしょうけど、その人が何とかしてくることを祈るわ。
ああ、本当に……神様に祈りたい気分。
フィセリーすまん。
君視点の話は……なんか、こう、書いても『違うな』感が半端なかったんだ。




