友と嵐と武器屋(3)
わからないなら調べろよ。調べてもないのに人に訊こうとするなよ。と、言う人がたまにいます。いえ、これは至極正論だとは思いますよ? それが、自分のことであるならば。自分でやらなければならないことならば、やはり自分でやり遂げるべきなのです。
でもまあ、調べても調べてもわからないことがあり、自分の手には負えないなと感じるときもあります。まるで、迷路の行き止まりで目の前の壁の前にただ唸っているだけで、ちっとも前に進めていない感覚です。それが、すごく嫌で、面倒で、ストレスが溜まっていきます。
いや……本当に、進展が無いんですよ。
いくら文献を漁っても、いくら逸話を調べても、セフィロトの『セ』の文字も出てきません。スグハの名前が出てくるような事件や伝説めいた話はいくつか見つかりますが、彼が赤い短刀を振るったという文章を見つけることは出来ません。加えて、似たような性質な武器や現象を調べますが……やはり、見つかりません。
アプローチの方法を変えるべき?
それとも、他の人に訊いてみるべき?
と、考えても答えは出てきませんし、進展はありません。
その無駄といえる思考が、私の頭の中に渦巻いて余計にイライラが募ります。
そんなときは、気分転換をするに限ります。
しかし、図書館内というのは飲食が禁止されてますし、だからといって図書館外から出るのも憚れます。ですので、私がここでする気分転換とはつまり、お喋りなのです。
「というわけで、最近のあの子たちの様子はどうですか? シェルミさん」
「……ルミス様? 図書館内はお静かにお願いしますよ?」
呆れた様子で私を見るシェルミさんの隣に、私は座ります。
彼女は図書館の司書さんであり、普段の私よりもずっと多忙なのです。それに加えて、勇者学校の臨時教員まで勤めているのですから、やはり根っこから真面目な人なのでしょう。
そして、私の雑談に付き合ってくれるのですから、善い人です。
「そうですわね……。皆さん、お変わりなく、勉学や訓練に勤しんでいますわ。とくに、カイトさんは最近は真面目に授業も受ける様になりましたし、あの調子ならばあと一ヶ月もすれば卒業ですわね」
「卒業……。そういえば、勇者学校の卒業ってどうやって決まるんですか?」
すでに冒険者のとしての仕事を始め、数々の実績を積んでいるタクマやカナタさんでさえ、まだ学校に通っています。少なくとも、三ヶ月から半年以上は在学するような傾向があるように思えますが、どうなのでしょう?
「卒業試験がありますわ。まあ、その人によって試験内容は変わりますが……武器を扱うタイプの生徒は、大体の場合、校長先生と一対一で戦います」
「え? あれに勝てというのですか?」
「いえいえ、それはあまりに酷というものですわ。一太刀、あるいは一撃を叩き込めば、一人前と認められるようですわね。戦いに関しましては私は専門外ですので、それがどれだけ難しいかはわかりませんが……終わった後にはボロボロでびっくりしますわ」
傷付いた学生たちを思い浮かべ、顔を顰めるかと思いきや、意外にもシェルミさんの顔は楽しそうでした。いえ、なんというか慈愛に溢れた顔をしています。それがどうにもよくわからず、怪訝な顔をすると、シェルミさんが「ああ、すいません」と謝ってきました。
「私たち、エルフ族は人間と比べれば長寿であるために、時間に対する認識が雑なんですわ。ですので、ああやって限られた時間を一生懸命に生きる人たちを見ると、とっても眩しくて羨ましくて……ついつい応援したくなりますの」
それは、所謂『青春』というものなのかもしれません。
私には、シェルミさんの感覚がわかりませんが、頑張る人を見るのが好きという気持ちはわかります。どんなときも、どんな人でも、努力してる人は輝いて見えるものですから。
「それはそうと、ルミス様は何をお調べに?」
シェルミさんは、今の仕事が一段落して余裕ができたのか、私に問い掛けます。ああ、シェルミさんが協力して頂けるなら頼もしいと思いますが……。うーん、シシルにはつい言ってしまいましたが、私がセフィロトに携わっていることは口外してはいけないんですよね。それらしいことを匂わせるような言動も控えるべきですし、残念ながら相談は出来ません。
「すいません。今回は私だけで何とかしなくてはいけないので……」
「あらら。そうですの? まあ、あなたも厄介事に巻き込まれる方ですので、ご自愛のほど忘れずに。子供たちが悲しむような顔を見たくはありませんわ」
それは、私も見たくはありません。
割と体力はある方だとは思いますが……もう一度家に帰って休むことにしましょうか。事情を知っているシシルに相談すれば、何か突破口が見えてくるかもしれませんし。
私は机の上に広げていた本たちを棚に戻し、シェルミさんに一礼して去ろうとします。しかし、意外にもシェルミさんは私を引き留めました。「ああ、そういえば」と、いきなり思い出したような口ぶりです。しかし、書類から目を離さず、投げやりな言葉だけが私に届きます。
「ルミス様、知っていますか? 最近、ヴァロテスの街がひどい嵐に襲われたそうですわよ」
「ヴァロテス? あの頑強な砦が自慢の城塞都市がですか? あの壁ならば、嵐など問題ないでしょう? それがどうしたんですか?」
「私もそう思っていましたわ。しかし、実際には……なんと、その嵐によって、ヴァロテスが、跡形もなく吹き飛ばされた……らしいですの」
ヴァロテスに赴いたことはありませんが、その砦の頑強さはよく知っています。いかなる魔物の攻撃も、いかなる兵器の一撃も、その壁に穴を空けることは出来なかったと聞いたことがありました。噂に尾ひれがつくものではありますが、ヴァロテスがこの百年間で攻め入れられて劣勢なったという史実はありません。つまり、その頑強さは本物ということです。
「どんなに頑強な壁を築いても、どんなに高い壁を造り上げても、自然には敵わない――。そういう、教訓めいたことを私たちに教えてくれているとは思えませんか?」
「はあ……。それで、結局何が言いたいのでしょうか……?」
国語の先生らしく、やけに回りくどい言い方をします。
引き留めたのであれば、それらしい理由があるように思いますが、彼女の意図がわかりません。
しかし。
そう言って、彼女は書類から私に視線を移します。
「一度崩れたら、さらに強い壁をつくる。何度失敗しても、何度壊されても、諦めずに石を積み上げる。そういった不屈の精神も、また人間の美徳であります。私は、あなたの中にその高潔な信念があると思いますわ」
気づけば、彼女はまた書類に向き直っていました。
まるで、それ以上は何も言うことがないと言わんばかりの切り替えです。彼女の言葉を聞いて、しばらくその場に立ち止まってしまいましたが、再び歩き始めます。
何てことはありません。
あれは彼女なりのエールです。
私は、それに恥じないような努力をしなくてはなりません。ああ、嫌です嫌です。何が好きでこんな辛いことをしなくてはいけないのでしょう。店でのんびりとしていた時期が懐かしいです。最近は、こうやって走り回る時間が多いように感じますよ。
しかし、決してつまらないわけではありません。
充実した日々が、とても心地よい。
図書館の重たい扉を開けて、私は街へと歩き出します。
意外にも、出て行くときの方が気力は充実してました。
気分転換。
最近は、全くしていませんでしたが、そういえば私は気分転換にウィンドウショッピングを楽しむ少女でした。スタントラル大通りに立ち並ぶ大手の武器屋に入店し、最近の武器のトレンドを調べます。ひとつ、ふたつ、みっつ……と数を重ねる内に、おかしいことに気づきます。気のせいかと思いますが、四点目にして疑惑が確信に変わりました。
武器の値段が、高騰している……?
何も変哲もない量産型のロングソードが、約二倍の値段前に引き上げられています。これは一体どうしたことなのか。私が気にしない内に、鉱物の市場に何かしらの変化が生じていたのでしょうか? 我慢できず、私は店主に訊きます。
同業者であるために顔馴染みではありますが、相手は自分の競争相手です。私の姿を見るなりに、その男性は顔を顰めました。そこまで敵対視することでもないでしょうに、とは思いますが、それはまだ私が子供だからかもしれません。って、そうじゃなくて、高騰の理由!
「ん? なんだ、知らねえのか紅いの」
「その呼び方はやめて下さい。最近は、武器を創る機会が無いんで素材屋に行かないんですよ」
「お前、武器屋だろうが……。まあいいか。なんでもよ、嵐の影響で鉱山からここまでの陸路が封鎖されてんだとよ。それで、現在、スタントラルには武器を創るための素材が全くないわけだ。まあ、魔物の身体から造る奴らは困ってねえだろうが、鋼鉄製を売りにしている俺たちにとっちゃ、厄介なことだぜ」
嵐――?
ああ、シェルミさんも言っていた嵐ですか?
ヴァロテスを吹き飛ばしただけでは飽き足らず、まだこの国の空を漂って蹂躙しているわけですか……? いやいや、そんな嵐が意志を持ったようなこと、ありえません。それに、自然というものは私たちの想像を越えてきます。今回のは、ただの偶然……でしょう。
「紅いの。お前、余ってる素材とかねえか? 武器造んねえなら、売ってくれねえか? もちろん、色はつけるぜ?」
「残念ですが、私の武器屋も倉庫はスカスカです。期待には応えられそうもありません」
ただでさえ、一千万の借金があったのですから……売れそうな素材はすべて売却しましたよ。念のために残している、最後の資産しかありません。
店主は露骨に残念がる顔をして、半ば店を追い出された私は、またフラフラと大通りを歩きます。
鉱石が採取できないのであれば、セフィロトの素材はどこから手配すれば……? いやいや、そもそも、まだ必要な素材さえ明らかになっていないんです。まずはそこから解明しないと、何もできません。しかし、あれはスグハが【創造】で創り出した【創造武器】。それは、無から有を創り出す神の如き業であり、不可能を可能にする力でもあります。そのため、この世に存在しない素材で創った可能性も、否定できないんですよねえ。
「はあ、多難ですね」
先ほどのシェルミさんのエールは、これを見通していたようにも思えてきました。ああ、甘い物。そうです。甘味で心を解して、脳に栄養を届けて、考え直しましょう。まだ、ゲームオーバーと決まったわけではないのですから。
最寄りの喫茶店へ向かおうと、振り向くと誰かにぶつかります。
私よりも背が低く、ちょうど胸元当たりにその人の頭がぶつかってしまいました。「わぷっ」と可愛らしい悲鳴が聞こえてきて、私は慌てて後ろに下がります。
「す、すみません。大丈夫でしたか……って、カナタさん?」
「あ……その、お、お久しぶり、です」
黒いボブヘアに、柔和な雰囲気を感じさせるたれ目。
もしかしたら、初めて会った時よりも幾分か身長が伸びたかもしれません。いや……丸まっていた背中が、最近ではぴんと伸びているので、そのせいでしょう。自分を誇るように、自信が溢れているように立つ彼女の姿を見ると、成長したことを実感します。
勇者学校でお会いしているため、久しぶり……というわけではないのですが、こうして二人きりになるのは確かに久しぶりです。
思い返せば、前も気分転換でウィンドウショッピングしているときに彼女に会いました。その巡り合わせが何だか面白くて、私はつい笑ってしまいます。
「え? えっ? その……何かありました?」
「いえいえ。こちらの話です。そうだ、カナタさん。せっかくですから、ご一緒にどこかで甘い物でもどうですか?」
と、ここまで言って、何だかこの流れも前と同じだと思い返します。
そのことにカナタさんも気づいたのか、少しばかり緊張した顔つきでした。それも当然でしょう。もしこの流れが続いたら、店から出たら襲われるのかもしれないのですから。二人の間に、しばらく無言の時間が流れましたが、急にカナタさんが私の手を掴みます。すると、そのまま私を裏路地の方へと引っ張って行きます。彼女らしくないその強引さに驚き、私は戸惑ってしまい、気づいたときには狭い路地で二人きりでした。
若い女性二人が、狭い路地に二人きり?
いえいえ、何も起こりませんよ。
何も起こら――と、思ったときに、私はなぜか膝から崩れ落ちてしまいました。脚に全く力が入らなくなり、壁を背にして、その場に座り込んでしまいます。
ドン、と。
私の頭の横で音がします。
そこには、カナタさんの小さな右手がありました。まるで私を壁に追いやるかのように、逃げ道を塞いだかのように。未だに混乱が収まらない私ですが、その隙を狙うかのようにカナタさんの顔が私に近づきます。
大きな瞳。
吸い込まれそうな大きな瞳が私を射貫きます。そんなに見つめられることに慣れているわけではないので、その視線を反らしたいのですが、彼女がそれを許しません。なんと、カナタさんの左手は私の顎に添えられているのです。
そして、私の唇と……カナタさんの唇がより一層近くなります。
嘘でしょ嘘でしょ。
この前はシシルに襲われましたが(あれは彼女のなりの悪ふざけですが)、今度はカナタさん? だから、私にそちらの趣味は無いって……近い近い近い近い! 待って待って! 心の準備が――。って、私は何を言って――。
「くくっ。面白い顔をしてるな武器屋」
突如。
彼女の可愛らしい顔から、獰猛な笑顔が現れます。
凄惨で、シニカルで、楽しそうな笑顔です。
私は、彼女を知っています。彼女の存在は、私だけが知っています。
カナタさんの中に潜む、魔力の生命体。
魔界に住む、暴虐の存在。
シューカ・リズベルス・カーキライン。
正真正銘の――。
「んー。余興のつもりじゃったが、いっか」
「え? ちょっ……!?」
――悪魔です。




