学校と武器屋(16)
管理局の外で待っていたのは、まあ……予想通りシシルでした。
桟橋の突き出た丸太に足を乗せて、夕暮れの湖を眺めています。私をここまで運んできたフュリーさんも、「……何やってんだ、あいつは」と困惑した表情でした。彼はそのまま私に目線を向けますが……いや、私に訊かれても困ります。
私がフュリーさんの目線から逃げていると、どうやらシシルが私に気付いたようです。
彼女は丸太から足を下ろすと、くるりと桟橋の上でまるで舞うように回転し、私の前で仁王立ちします。
「待ってたわよ、ルミス」
「なんでそんなにテンション高いんですか……」
おかしなシシルです。
いつもは気怠げな顔つきで、『面倒なことは却下』と言う彼女だというのに、今日はなぜか元気溌剌としています。いや……考えてみれば当然ですね。シシルは、私がなぜ管理局へ行ったかを知っているわけですし、私が彼に仕返しをしに行ったことも、当然既知のわけです。
私がフィセリーを嫌っていたように。
シシルもまた、彼を嫌っていたのでした。
性格的にはシシルの方が根に持つタイプでしたので……それは、もう、この瞬間を待っていたかのようにテンションがアゲアゲ状態のわけです。
「どんな顔してた? 悔しそうな顔してた? ちゃんと土下座させた? 泣き喚いて『許して下さいルミス様』とか言ってた? ねえねえ、どうだったのよ?」
「一体どんな様子を想像してるんですか、あなたは」
シシルの期待を裏切るようで申し訳ない(しかし彼女の一方的な妄想ですので悪いとは思っていません)ですが、フィセリーとの対談の一部始終を話しました。しかし、すべてを話したわけではありません。一部、そう、私がシシルを侮辱して怒ったことについては言いませんでした。
……いや、言えるわけないじゃないですか。
恥ずかしいです。
シシルは、「期待して損した」と言うかと思いきや、意外にも「まあ、上出来ね」と満足した様子でした。何がそんなにも嬉しいのかわかりませんが、まあ彼女の内心について深く考えても仕方ありません。慣れないことをして疲れましたし、今日はこのまま家に帰ることにしましょう。
「ほら、行きますよシシル」
「はいはい。今日は祝勝会ね!」
そう言って、彼女はいつもは手を出さない高価な酒を買うために商店街へと向かうのでした。
「それが……どうしてこうなるんでしょうね」
「ははは……まあ、たまには良いじゃないですか」
そこは私の家……ではなくて、私の行きつけの宿屋『秋の夜明け』の食堂です。いつも陽気な冒険者は酔っぱらった商人たちで騒がしいですが、今日は一味違います。なぜなら、悪酔いしたシシルが勇者学校の学生たちに絡んでいるからです。
酒瓶を右手に、シシルはその両脇にミズキさんとカイトを抱えていました。疲れ切ったミズキさんと嫌がるカイトのことなど露知らず、シシルは壊れたように笑って食堂内を練り歩いています。ときどき、ミズキさんに手に持った酒を飲ませたり、カイトを席に座らせて『ほら、一発芸』と芸を強要することもありましたが……まあ、大体はそんな感じです。カイトが鋭い目つきで震えて、シシルに殴りかかることもありましたが、そこは酒に酔ってもシシルなのでいとも簡単に防いでしまいます。そればかりか『はい、ざんねーん』と言って、守護魔術の盾で逆に彼を吹き飛ばすという罰も与えています。
可哀想なミズキさん。
哀れなカイト。
「でも、これも社会経験のひとつですよ」
「意外と寛容なマルンさんに私は驚きです」
彼女も酒を飲んでいますので、もしかしたら物事の判断基準が馬鹿になっているのでは、と思う私でしたが、それは間違いでした。彼女は、愉快そうに騒ぐ学生たちを愛おしそうに見つめており、しっかりとしている様子です。まだ呂律もおかしくなっていませんし、どうやらそれなりに強いようです。
時を遡ること一時間半前、私とシシルが夕食と酒の調達に商店街を歩いていると、そこで同じように買い出しに来ていた学生諸君と出会いました。すると、「面子が揃ったわね!」と、シシルが思いついてしまい、突発的に宴会が始まったわけです。流石に未成年……というか子供を参加させるわけにはいけませんので、何人かはマサヨシ先導のもと一緒に学校へと戻りました。シシルの手によって、ミズキさんとカイトはは誘拐され、そして……。
「あっはっはっはっは! カイトくん、なんだよそれ、全然面白くねえぞ!」
「そのわりには笑ってんじゃねえか!」
タクマも、この場にいました。
ちなみに、カナタさんは十二歳のために強制的に学校へと連行されました。久しぶりに会えたというのに、学校へと連れていかれるときの、あの悲しそうで恨めしそうなあの目線を私は忘れません。今度、プライベートな時間で遊びに行きましょう。
そして、マルンさんがお目付け役で同行したというわけですが……どうにも、彼女自身が飲みたそうな雰囲気をしてましたので、もしかしたら状況に便乗しただけかもしれません。私よりも明らかに早いペースでグラスを空けていきますし……意外にも酒豪なのでしょうか……。
「しかしですね、ルミス様。社会経験というのは冗談じゃないんですよ」
「はあ……」
「あの子たちはこれから苦しいことも……辛いことも経験していく。そういうときに支えになるのは……こんな風に、騒がしくてうるさくて、でも暖かくて楽しい思い出だとは思いませんか?」
マルンさんは、グラスを片手に騒いでいる勇者学校の生徒たちを見ます。
ミズキさんはげんなりとしていますし、カイトはシシルに弄ばれて怒髪天といった感じです。タクマはそんな彼を見て笑ってますし、その他の学生たちも……まあ、悲しそうな顔をしている人はいません。
彼らがこうして騒げるのも、限られた時間の中だけです。
それならば……今だけでも、楽しいと思ってもらいたい。
「それで、ルミス様はこれからはどうするんですか?」
「はい?」
マルンさんの突然の切り出しに首を傾げます。
しかし、彼女が言いたいことはなんとなくわかりました。
私が借金を返した以上、もう勇者学校で教鞭を執る必要はないのです。管理局からの出向命令は取り消されたのですから。私を必要と感じて、私を呼んでくれたマルンさんにとっては……大きな問題なのでしょう。
「……できれば、続けて頂きたいです。勿論、給料もお支払いいたします。色々とありましたが、まだ色々でしかありません。あの子たちも、ルミス様のことは信頼しているようですし、ぜひお願い――」
「残念ですが、それはできません」
私は、マルンさんの言葉を遮ります。
きっぱりと、はっきりと、断言します。
「私は不器用です。一度に複数のことをやれるほど器用ではありません。それが今回のことでよくわかりました。マサヨシは、私を教師であり、そして武器屋だなんて言ってくれましたが……実のところ、私は教師にはなれなかったんですよ」
あのとき。
私はシシルの言葉に奮起して、私が教師だという言葉に立ち上がって、ミズキさんとカイトの喧嘩を止めました。そのときは、そうなんだと思いました。ああ、今の私は教師であり、彼らを仲裁しなくてはならないと。だからこそ、私は……頑張れた。
「……教師としての生活は楽しかったですよ。嘘じゃありません。問題はありましたし、私の力不足もありました。それでも、彼らたちが成長していく姿を見るのは……確かに、嬉しかったです」
それでも。
それでも、私の本質は変わらない。
変えられない。
武器を創るだけという存在は、普遍です。
「……冒険は武器屋から。誰がそう言ったか定かではありませんが、私はその言葉に恥じない武器屋になろうと思ってました。……誰かさんのおかげで、初心を思い出したんですよ」
己惚れるな。
勘違いするな。
戸惑うな。
迷うな。
自分の存在を、見誤るな。
「結局のところ、私ではやはり役不足です。誰かに物事を教えられるほど、私は優れていなかった。ただ武器を創るだけしか能がない小娘が、何を教えられるのか。残念ながら、マルンさんの人選に誤りがあったようです」
それで話は終わりです。
楽しい酒の席だというのに、随分と乾いた空気になってしまいました。マルンさんも、私の話を聞くばかりで何も言いません。手に持ったグラスの中身も、先ほどから全く減っていません。
よくよく考えれば、こんなところでする話ではありませんでした。
流石にこの空気で談笑に戻れるほど強くはありません。
私は切り替えようと、外に出て風に当たってこようと席を立ちました。
「お話はわかりました」
そこで、マルンさんが切り出しました。
もしかしたら、弱気な彼女が出てくるかもしれないと身構えた私でしたが、意外にも彼女は強気なままで……いえ、強気というよりは……今の彼女は負けん気が強いというべきでしょうか。
このままでは引き下がれない。
そういった強い思いが、その大きな瞳からは感じます。
そして、彼女は提案を始めました。
「では、こういうのは如何でしょうか……」
月が私の頭上で優しく輝いています。
満月……ではありませんが、この暗闇の空の中で大きく光るそれを見ていると、とても懐かしい気持ちになります。スグハの記憶の影響でしょうか。世界は変わっても、違う場所にいても、見上げる星々に変わりはない……。なんともロマンチックなことです。
私は、一人で酒場のバルコニーで涼んでいました。
店内からは、変わらず喧しいほどの笑い声と、叫び声、そして歌声などが聞こえてきます。そんな集団の中から、こちらに歩いてくる一人がいました。
あれほど酒を呷っていたというのに、その足取りはしっかりとしていて、全く酔っている様子を見せません。わずかに頬が紅潮し、訳も分からず楽しそうに笑っていはいますが……どうやら、彼女も酒豪のようですね。
彼女は……シシルは跳ねるように歩いて来ます。俗にいう、スキップです。そして、そのまま私の隣に着地すると、酔っ払いらしく絡んできました。両手を私の首にかけて、ぎゅっと自分の身体を押し付けてきます。涼みに来たのに、暑苦しくして仕方ありません。
「あら、あんたが一人でいるなんて珍しいわね。てっきり、子供たちに囲まれてニコニコしていると思ってたわ」
「……シシルこそ、まだカイトに構っているかと思ってましたよ。そうだ。どうせなら、あの子たちの中から自分のお相手でも探したらどうですか。若い子がたくさんいて、逆ハーレム状態なことですし」
「まだその話するの……? 残念だけど、パス。私、年下は好みじゃないの」
「あら、そうだったんですか。では、どういった人が好みで?」
「んー……そうね……」
そこで、シシルが私を見ます。
舌なめずりをして、その紅い唇を潤わせて、大人の女性らしい色気を出してですが。
さながら獲物を狙う捕食者のような瞳に、身体がぶるりと震えます。
「……最近は、もう女の子でもいいかなって……」
「嘘ですよね? その気はないって言ったじゃないですか」
「その気は無かったわ。でも……人の心は移りゆくものよ……」
冗談じゃありません。
私は逃げようとしますが、残念ながら身体は彼女の腕によってホールドされていました。最初に抱き着いてきたのは、このためだったんでしょうか……!? 私が抗えば抗うほどに、腕に込められる力は強くなっていき、すでに私とシシルの顔は……急接近状態です。
「あの……シ、シシル?」
「ルミス……」
何をするつもりなんですか!?
今度は彼女を突き離そうとしますが、まったく離れる気配が見えません。そればかりか、首に絡まった彼女の腕の力が強まるばかりで、逆に痛いです。
それはつまり、私が彼女から逃れる術はないということで。
この状況を脱する方法はないということで。
……詰み?
待って待って待って待って!
無理無理無理無理無理!
首を横に振りますが、またしても腕によってがっちりと固められます。なぜか、首が全く動かなくなりました。これでは……本当に、しちゃいますよぉ。あのときは、あのときで何とかなりましたが……いざ、振り返ると……無理無理! あ、ああ、待って待って! 本当に近い! シシルの唇が近くて……。
…………………………………んっ。
「さて、本題に入りましょうか」
「本題ってなんですか。逃げないでください。どうしてくれるんですか、この空気」
滅茶苦茶ですよ。
ちなみに、そういったことはしてませんので。
本当にやばいと思った瞬間に、シシルが「なんちゃって」と言って、腕を離してくれました。そして、私の唇に人差し指を当てて、「悪戯成功」と微笑んだのです。
……本当ですよ?
「なんだか、最近こうしてゆっくり話せてなかったし。前なんて、喧嘩別れっぽい感じだったから、ちょっと欲求不満が溜まってたのよ。お茶目なシシル姉さんもいいでしょう?」
「……年齢らしい振る舞いをして下さい」
見てて辛いときがあります。
シシルは本題と言いました。
つまり、私に何か用事があって来たようです。まあ、先ほど彼女が言ったように、『喧嘩別れっぽい』感じがありましたからね……。そのことでしょう。
私も、ちょうど言わなくてはと思っていたところでした。
「あなたの答えを聞く前に、報告しておくわね」
「報告?」
「不良くんのことよ。ほら、あんたを脅してたじゃない。甘いあなたは放置して大丈夫と思ったかもしれないけど、きっちり私から口止めしておいたから。安心して? 加えて、あの委員長っ娘にも言っておいたわ。ルミスがスグハだってことは……誰にも言っちゃだめよって…」
そう言って、シシルは胸を張ります。
二人にやたら絡んでいたのは、そのためだったのでしょうか。
カイトはタクマに脅され、そして私から押さえつけられたことで彼自身のプライドも粉々になったこともあり、すでに歯向かうような真似はしないと思ってましたが……。まあ、念には念を入れて……ということでしょう。ミズキさんに関しては、吹聴するような娘ではないので問題ないだろうと考えてました。
「さてと……もろもろの問題も片付いたし、やっと落ち着いてあの時の答えを聞けるわね」
「……私には、シシル。あなたはすでに私の答えを見通している気がしてならないのですが」
「私はそこまで万能じゃないわよ。それに、そういうのは、あなた自身の口からちゃんと聞いておきたいの。言葉にしないと……不安でしょ? 口に出さなくても分かり合えるなんて、そんな関係は気持ち悪いしね」
シシルから問われたこと。
私に出された宿題。
それは、『ルミスという人間は、勇者たちを救わなければならないのか』ということです。
スグハの責任を、ルミスが背負う必要があるのかという話です。
その問いに対する、私の答えは。
実に簡単でした。
「知ったことではありません」
「…………ふーん」
「シシルの言う通りですよ。私はルミスで、スグハではありません。彼とは全く別の存在であり、私は彼ではありません。そんな彼の重荷を、私が背負えるわけがありません」
責任の放棄と思われるかもしれません。
無責任だと罵られるかもしれません。
そう考えれば考えるほど、私は追い詰められます。
故に、だからこそ、私は知らんぷりをします。
「この問いに答えなんてありません。そして、もう知りません。ルミス・アーチェリアは、この問題について考えるのをやめました」
「それこそ、無責任なんじゃない?」
「そうかもしれませんね。ですが、まあ……それで許してくださいよ」
シシルは、何も言わず、ただ微笑むだけでした。
私の答えに満足したのか、それとも素っ頓狂な答えが面白かったのかはわかりません。
彼女が去って行くその後姿を見る限り、『あなたがそれでいいんなら、それでいいんじゃない』と語っているような気もします。しかし、私と彼女は以心伝心が出来るほどに親しいわけではありませんので、それはあくまでも私の妄想です。
言葉でなければ、意味がない。
それもまた、シシルの言う通りです
数々の問題を先送りにして、子供たちの思いを無碍にして、私という卑怯な人間は今日も生きています。いつかきっと。その代償を支払うときが来るだろうと……そんな確信めいたことを考えつつ、私もまた喧噪の中へと戻っていきます。
いつか来る、その苦渋の日のために。
私もまた、楽しい思い出をつくることにしましょう。




