学校と武器屋(2)
「暇ね」
シシルは、スーちゃんが淹れたお茶を楽しんでいると思いきや、唐突にそんなことを言い出しました。暇なら少しくらい私の仕事の手伝いをしてくれても良いのではないか思いますが、彼女にはこの家の家事を任せているために強いことは言えません。積極的に家事を行うのは意外でしたが、彼女に訊いたところ「イライラして見てられなかったから」ということでした。まぁ、つまりは私の生活態度がいい加減だったのが許せなかったのでしょう。変なところで几帳面なところは変わっていません。
「暇だから、私の相手をしなさい」
シシルが話しかけているのは私ではありません。
応接間で、彼女の対面に座っているスーちゃんです。
スーちゃんは『ふう、やれやれ』と言わんばかりに身を震わせていました。そして、椅子から跳ねてシシルの膝の上に着地します。それを見てご満悦なのはシシルでした。プライドがあるのか笑顔こそ見せませんが、積極的にスーちゃんを撫でて愛でています。
彼女がこの家に来てから二週間が過ぎましたが、どうやらやっとスーちゃんの可愛さを知ったようですね。最初なんて、まるで害虫を見るかのような態度で接していたというのに、今では可愛い子猫に愛情を注いでいるかのような振る舞いです。
例えるなら……。
「お母さん?」
「あなた、とてつもなく失礼なことを考えてない?」
シシルの敵意を含んだ瞳が私を見ます。
おぉ、怖い怖い。
しかし彼女と住んでからこのくらいの軽口は日常茶飯事です。
「シシル。ここには私たちしかいませんから訊きますが、今いくつですか?」
「女性に年齢を訊くのは失礼だと思わない?」
「ですから、ここには私たちしかいませんから。誰にも言いません。それに、先ほどのあなたの台詞は男性に対して言うものですよ。女子会では、適用されません」
「女子会って……これ、女子会なの?」
シシルは呆れ顔で肩を竦めていました。どうやら年齢を私に言うつもりはないようです。絶対に訊きたい! という意思は無いのですが、むしろどうでもよいことなのですが、隠されると知りたくなるのが人間というものです。
軽く年齢計算をしてみましょう。
まず、スグハとシシルが出会ったとき、たしか彼女は18歳でした。
スグハが15歳でしたので、3歳年上なわけですね。
それで5年間旅をして、スグハが消えて私が生まれます。
私はカルに拾われて3年間旅をして、そしてこの街で2年間過ごしてきました。
そして先日シシルと再会したと……。
つまり……スグハとシシルが出会ってから10年?
ということはですよ……? シシルは今――。
「28歳って……生き遅れても知りませんよ?」
「あー! 今、私の年齢計算してたわね! ひどいわ! 人が気にしていることを! ていうか、これも全部あんたが悪いんじゃない! 具体的にはあんたの前世? が悪いんじゃない! 乙女の純情を踏みにじってさ!」
「だから、あなたが乙女という年齢ですか?」
しかし、まあ彼女の容姿だけ見れば、シシルはまだ二十代前半でも通用すると思いますけどね。
化粧や服装を変えれば、十代でもいけるかもしれません。
と、素直に褒めれば彼女も気を良くするのでしょうが、私が働いている最中に「暇だ」と発言する人を褒める気はしません。え? 家事しているのだから、そんなことを思う資格は私には無い? それはそれ、これはこれです。
「大体! あんたは何歳なのよ!」
「私ですか?」
シシルは私に指さします。まるで犯人はあなただ! と言われているような気もしますが、私は犯人ではありません。というより、人を指さすのはやめましょう。
実のところ、シシルの問いかけに対して、私は厳密な答えを知ることができません。
スグハが死んだのは、彼が20歳のときです。それから5年経っているのですから、25歳? と思いきや、どうにも私の容姿では25歳には見えないんですよね? 恐らくですが、スグハからルミスに成ったとき、年齢に何らかの変化があったのではないでしょうか? そのため、私が何歳か、私自身もわからないのです。
仕方ないので、シシルに訊いてみましょう。
「私、何歳に見えますか?」
「うざいわ。若い子アピールか」
一蹴されました。
え、ひどくないですか?
素直に疑問に思ったことを訊いただけなのに、この扱われ方は。もしかして、先ほどの私に対する細やかな復讐なのでしょうか。なんて馬鹿なことを。復讐は何も生まないというのに。
と、まあ。
これが私とシシルの毎日のように交わされている会話でした。
とくに意味はなく、ただの無駄話です。
しかし、今日に限っては、シシルはかなり踏み込んだ話をしてきました。
「ところでさ、あなたって彼氏とかいるの?」
「はい?」
「いや違うわね……。元が男だから、もしかして女性の方が好みなのかしら?」
「ちょっと、待ってください。何をいきな――」
「あ、もしかして私狙われている? 確かにキスしたけど、私にそういう気があったわけじゃ……」
「ちょっと待てと言ってるでしょう!?」
何を暴走しているんですか!?
しかも直接的な描写を控えた事実を、なぜここで暴露しちゃっているんですか!
加えて言ってしまえば、確実にあなたはその気があってしたんでしょう! 私じゃなくてスグハに対してですけどね!
口に出しては言いませんが、私の内心は突っ込み祭りでした。
確変来てます。
「で、どうなのよ?」
「……いませんよ。今までも、これからもですけどね」
「あら? 今までってのはわかるけど、これからっていうのはどういうこと?」
はあ……。
あまり、こういった浮いた話をするのは好きじゃ……いえ、得意じゃないのですが。ここで言っておかないと、後々までしつこく追及されてしまう気がします。それに、私が言ったことですが、ここには私とシシルしかいませんし大丈夫でしょう。
「なんていうんでしょうね。私、まだ恋愛ってよくわからないんですよ?」
「はい?」
「こういった身体だからかもしれませんが、男性にときめいたことはありませんし、かといって女性が好きだということもありません。ようするに、胸がキュンキュンしたような経験が無いわけですね」
「キュンキュンって……乙女か」
あ、あんたは乙女でも通用しそう! むかつく!
シシルはそう言うと、私の言葉に首を傾げていました。
「ルミスって、女の私からみても可愛いと思うし、言い寄って来る男性は多そうよね。実際、どうなのよ?」
「たしかに、お誘いを受けることは多いですけど、全部断らせて頂いています。後々、面倒なことになりそうなので」
一度オッケイしてしまうと、次の誘いが断りづらくなるんですよね。
前例を作らないためにも、そういったお誘いはすべて断っています。
「それに……私には武器があればいいですし」
「うわあ……。言っちゃ悪いけどドン引きよ。それ、あれよ。仕事に生きてきた女の人が、久しぶりにあった級友に『あなたは結婚しないの?』って訊かれて、『私は……仕事が恋人かな?』って返す寂しい女の典型例よ。本人は含蓄ある言葉を言えて良い気分かもしれないけど、聞いてるこっちとしては『うわあ、女として終わってる』って思ってるやつよ」
例が具体的過ぎて気持ち悪いです。
まるで体験談のような物言いです。
しかしシシルが言うことにも一理あります。武器屋として、創りだした武器たちは子供のように可愛がりますが、それは子供としてです。恋人とはまた違うわけです。それならば、武器を引き合いに出すのは趣旨に反するでしょう。
「わかりました。ではこう言い換えましょう」
「聞かせて」
「それに……私にはスーちゃんがいればいいですし」
「却下」
そう言うと、シシルは膝の上のスーちゃんを投げてきました。
避けようと思えば避けれましたが、スーちゃんが向かってくるのであればそれを優しく抱きしめます。すっぽりと私の腕の中に納まったスーちゃんは、シシルに対して怒りの感情を露わにしていました。『いきなり投げるな! この野郎!』という感じです。宥めるためにスーちゃんを優しく撫でつつ、シシルに注意します。
「スーちゃんを投げないでください」
「あんたわかってんの? 言っとくけど、女としてかなりやばい領域に立ち入ってるわよ。今からでも遅くないから、恋愛始めてみましょうよ」
「恋愛に早いも遅いもありませんよ」
「知ったような口を利かないの」
はり倒すわよ。
と、睨まれてしまい、私は「怖い怖い」とおどけつつスーちゃんを撫でます。
実際のところ、本当に恋愛に興味はないのです。
まあ出会いが無いと言ってしまえばそれまでなのですが、自分からその出会いを探しに行くこともまずありません。
結局、私はまだ子供なのかもしれません。
生後五年の、五歳児に、恋愛は早すぎますよ。
シシルもそれ以上言うのは無駄だと感じたのか、私に対して恋愛を語って来ませんでした。しかしフュリーさんといい、なんで大人の人たちは……こう、ディープな恋愛話が好きなのでしょうか。それが大人の余裕という奴なのでしょうか? タクマやカナタさんに対し、(舐められないためにも)大人っぽく振舞おうと心得ているつもりではありますが……私にはやはりまだ足りないのかもしれません。
どうすればもうちょっと背伸びできるか考えていたところで、店の扉が開きました。
久しぶりのお客様に「いらっしゃいませ」と出来る限りの営業スマイルでお迎えします。私の腕の中にいたスーちゃんはというと、私の足元に落ちてぽよぽよと跳ねています。とっさに彼を隠そうとして、下に落とした結果がこれです。一般人の方にモンスターが店内にいるのを見せるわけにはいけませんからね。スーちゃんが私に対して怒っているかと不安になりましたが、かしこいスーちゃんは私の意図を理解したらしく、怒らず静かに奥へと消えて行きました。
後で、たくさん遊びましょう。
それこそ玩具を呼んで。
スーちゃんに向いていた意識を、入ってきた男に向けます。
その男が知人であることにはすぐに気づきました。そしてすぐに逃げ出したくなりました。
なにせ、彼は私の記憶の中に深く刻まれている、うざい人でしたから。
「ふふ。その可愛い笑顔を僕だけのものにしたいよ」
甘いマスクの微笑みで、彼は――フィセリー・ロイノマゼスタリアは、歯が浮くような台詞を言います。優男という表現がぴったりのフィセリーは、高身長、高収入、高学歴……というよりは、由緒正しき家柄の息子です。そのため、貴族が着るような豪華な服装です。そして、まるで誘うかのような扇情的な潤う瞳で私を見ています。男性にしては細い金髪は、風に揺られて爽やかさを演出し、時折見せるその白い歯がキラリと輝いているのは……私の気のせいと思いたいです。
一瞬、嫌な顔をしてしまいそうになりましたが(すでになっているかもしれませんが)、ひとまず挨拶はしなくてはなりません。これでも、一応私の上司みたいな人ですから。
「お久しぶりです。フィセリー副局長」
「おっと、そんな堅苦しい呼び方はやめておくれよ。前から言ってるじゃないか? 僕のことはフィセリーでいいよって? あんまりいないよ? 僕を名前で呼べる人」
「それで、フィセリー副局長? 本日はどういったご用件で?」
まったく、つれないなあ。でもそんなところがまた……。
と、フィセリーは自分の世界に入り込んでいました。
いつものことで慣れてはいますが、できればやはり逃げ出したいです。この人との会話はある意味疲れます。この人といつも会話しているパポンたちを素直に尊敬します。それとも、何かコツでもあるのでしょうか。今度訊いてみましょう。
「へえ……この人が管理局の副局長なのね」
私の横まで歩いてきたシシルが言います。その手には、お洒落なお盆の上に人数分のカップとポットを載せていました。それを見ると、あの日大聖堂での対談を思い出します。
どうやら応接間を使うと判断したのか、シシルはすぐに席を立ってその準備を始めてくれたようでした。今まではスーちゃんが淹れて持ってきてくれたお茶ですが、今はスーちゃんが淹れてシシルが配膳する流れになっています。シシル曰く、『お茶に関してはこの子の管轄らしいから、私も手を出さないわ』ということです。上手い配分で住み分けているのでしょう。
まだフィセリーが自分の世界から戻ってこないことを確認すると、念のためにシシルに説明をしておきます。
「その通りです。彼がスタントラル管理局副局長、フィセリー・ロイノマゼスタリアです。もう一度言いますが、副局長です。ぶっちゃけ、私たち冒険者の生活を支えている偉い人です」
「なるほどね。人間的には残念そうだけど、イケメンじゃない」
「ええ。残念ですが、危険なイケメンです」
フィセリーの趣味は、ナンパです。
女狩りともいいます。
あの甘いマスクで微笑まれ、そして瞳が合うと、大概の女性は一目惚れしてしまうらしいです。あくまで噂話ですけどね。それに関しては、女の人と遊びまくってるという黒い噂もありますが……考えたくない可能性です。
え? 私は大丈夫なのかって?
問題ありませんよ。私にその技は効きません。なぜならば。
「カルの方がずっとイケメンです。言動も、雰囲気も」
「なるほど。イケメン耐性が高いのね」
あのカルと三年間旅をすれば、イケメン耐性も確実に上がります。
もしかしたら、私が男性にときめかないのはカルのせいなのかもしれません。罪深い姉です。
「大分前から……それこそ、私が管理局に出入りするようになってから、ずっと言い寄られてます。勿論、ほかの方々と同様に全部お断りさせて頂いてますけどね」
そのため、現在進行形で私はフィセリーに口説かれているわけです。しかし、その度に自己陶酔に陥って一人でフィーバーし始めるのですから……疲れるのもわかるでしょう?
流石に男がひとりでぶつぶつと呟いている姿を直視できなかったため、強制的に彼を現実世界へと引き戻しました。方法は簡単です。物理で殴りました。
応接間に着いた私とシシル、そして対面には殴られた頬を抑えながらも微笑みを絶やさないフィセリーが座っています。彼はシシルを見ると怪訝な顔をしましたが、興味が無いのか何も言いませんでした。気になるのは彼の態度です。まるで値踏みするような視線でシシルを見たかと思えば、すぐに鼻で笑っていました。
私の隣からは憤怒のオーラを感じますが、それには気にせず本題を進めましょう。
いい加減、始めろよって声がどこからか聞こえてきそうです。
「それで、本日のご用件は?」
「君に会いたかった……じゃダメなのかな?」
「シシル。一名様お帰りです」
「喜んで……」
彼女が魔力を高めると同時に、フィセリーは「冗談だよ」と言いました。もう少し遅れていたら、もしかしたら家が半壊したかもしれません。主にシシルの手によって。あ、でもそれをけしかしたのは私でした。
シシルの怒りをやっと感じ取ったのか、フィセリーは肩を竦めてやっと本題に入るようでした。そうだそうだ。ちゃんと仕事をしなさい。
「本当はね、仕事無しで君と会いたかったんだけど、残念ながら仕事の話なんだ」
「わかってますから。副局長が来た時点で、察しはついてますから」
心なしか、私の言葉もフィセリーを急かすような口調になってしまいます。どうやら、むかついているのはシシルだけではないようです。
「それじゃあ、さっそくだけどルミスちゃん」
そこで、やっと本題を言い伝えられました。
そしてそれが、この物語の始まりでもありました。
「君に、学校の先生をやってもらうよ?」
ちなみに、この物語に恋愛沙汰はありません。
期待した人、ごめんなさいね。




