姉と聖女と武器屋(13)
あの日の雨が嘘のように、ここ連日は晴れ間が続いていました。
雨の日が嫌いというわけではありませんが、春夏秋冬を問わず晴れというのはとても心地が良いものです。そりゃもう、自分に言い訳しないで料理の勉強を始めようかと思ったくらいには、気分が良かったんです。
結果として、やはり料理はやらない方が良いという結論に達しました。
犠牲にした物が多いですが、【秋の夜明け】の女将さんに頼るのが一番美味しいご飯を頂けるという事実を再確認できたので、まあ良しとしましょう。
炭の塊になった昼食をスーちゃんに与えていると(ちなみに、スーちゃんは嬉々として食べていました。いえ、取り込んでいたというのが正しいのでしょうか)、店の扉が開きます。久しぶりのお客さんに喜びつつ視線を向けると、そこには見慣れた人が立っていました。
全身には包帯が巻かれ、両脇には松葉杖があり、自身の身体を支えています。明らかにまだ入院していなくてはならない様子だというのに、そこにいる男性は平気そうな表情でした。そして、私に気づくと頬を掻きつつ、頭を下げました。
「あー……その、どうも」
「お久しぶりですね。ライカさん」
彼の満身創痍の様子からして、商談ではないことはすぐにわかります。そのため、私は彼の次の言葉を待たずに応接間へと案内しました。彼は松葉杖を器用に使って、応接間の椅子に腰かけます。その動きは至ってスムーズであり、全身に重傷を負って後遺症があるような身体とは思えません。パポンの報告によれば、【鎮静】の効果がやっと切れ、彼には痛覚が戻っているはずなのですが……驚異的な回復力だと思うしかありませんね。
「それで、本日はどのような?」
私の問いかけに、彼は思い詰めた顔をして、そして何をするかと思いきや自分の額を机に押し当てました。もう、頭突きをするかのような勢いで、ごんっ!という音が耳から離れないくらいには勢いが良かったです。そして両手は頭の脇に置き、そのままの姿勢で彼は話し始めます。
「本当に、申し訳なかった!」
それは、ライカさん謝罪でした。
恐らく、誰かから自分がしてしまったことを教えられたのでしょう。まあ、なんとなく想像は付きますが、やはり管理局の方々は厳しいですね。私でしたら、憶えていないのであれば無理に教えるませんけどね。
しかし、彼の謝罪の話を聞いてみると、どうやら暴走中でも薄らと意識はあったようです。
自らの凶行に絶望しつつも、心の片隅では自分の欲望が実現できることに嬉しさがあったことを、彼は包み隠さず言いました。そして、自分が取り返しのつかないことをしてしまいそうになったときに、紅の髪をした銃士と、白い髪をした露出度の高い女に助けられたということも覚えているようです。
「その二人に礼を言いたいんだが……管理局の愛猫族の女の子はここに来れば会えると言っていてな。そして……ここに来て、あんたの顔を見たら襲い掛かったことを思い出したよ。本当にすまなかった。俺に償えることなら何でもしよう」
「ああ、別に良いです。私に怪我はありませんし、何か壊されたりした被害もありませんから」
ライカさんは驚かれた表情を見せましたが、すぐに眉を吊り上げて「そういうわけにはいかない!」と言い出します。
「俺の気がすまないんだ! 勿論、怪我が治り次第……いや、今からでも街の復興の手伝いに行くさ! でもそれとは別に、世話になったあんた達に恩を返したいんだ!」
「そう言われましても……」
ある意味、面倒臭い人です。
しかし、何か頼まないと引き下がらないという威圧感を出してます。なぜ頼み事する方が脅されなければならないのでしょうか。仕方ないので、私は最近の困ったことはないか考え始めます。二分ほどして、ひとつだけ思いつきました。これを彼に頼むのは実力的にどうかと思いますが、まあ……受領期限を無期限にすればいつかは達成してくれるでしょう。それに無理にとは言いませんし。
「ちょっと待ってくださいね」
私は工房へと入り、倉庫の中の材料を確認します。最近はカナタさんの杖やカルの銃弾を創ったため、稀少な素材が結構消えています。それらを含めて、必要な素材と欲しい素材をリストアップしていきます。中にはこれは必要ないかも? と思うものもありましたが物はついでです。一緒に頼んでしまいましょう。
「というわけで、この素材をすべて納品してください。後日、あなたを指名する形式で管理局から正式に依頼を出しておきますので」
応接間に戻った私は、一枚の紙を埋め尽くさんと言わんばかりに書かれた素材のリストをライカさんに見せます。それを見て、明らかに青ざめましたが「わ、わかった」と声を震わせて了承していました。まあ、中にはライカさんの実力では討伐できない魔物の素材もありますが、それは彼の今後の成長によるでしょう。
しかし、ひとつ気がかりがあります。怪我も心配ですが、シシル曰く彼の身体には後遺症が残るということでした。私の頼みごとを了承したはいいのですが、彼は再び戦うことができる身体なのでしょうか?
「それなら心配ない。ちょっと見ててくれ」
彼は自慢げにそう言うと、深く息を吐いて瞳を閉じます。そして両手の指を合わせたかと思うと、ゆっくりと離していきます。その間には微かですが青白い電気のスパークが見えました。杖も使わず、武器も使わず、彼は自身の力だけで雷を発生させていたのです。しかし、真に驚くべきは、彼の本来の魔力性質の【火炎】に【雷】の性質が加えられたということです。しかもかなり高精度な制御が可能な様子でした。
「これが後遺症だ。たしか……発電体質といったかな? 俺の身体は常に電気を帯びているらしくて、色々と不便なことがあるようだ」
「はあ……それは、また……」
金剛槌ヴァジュラの雷を何度も身に受けた結果でしょうか? それに加えて、死にかけたライカさんの身体をシシルが再生したことで、彼の身体がその状態に合わせて変化……いえ進化したのかもしれません。喜んで良いのか、謝った方が良いのかわかりませんが……まあ、ノータッチとしましょう。
ライカさんは、その後早々に店を去っていきました。
なんでも、管理局から無断で抜け出してきたらしく、そろそろ捜索隊が来るかもしれないと言っていました。しかし、まだ二人に謝ってないということでこのまま逃亡を続けるそうです。私は安静にした方が良いのでは? と思いますが、まあ……松葉杖を放り投げて歩いていく様子を見る限りでは大丈夫でしょう。
不死身ですか、あの人は。
あ、カルは街にいないことを伝え忘れました。
……そのうち、気づくでしょう。私は悪くありません。
店の外で、ライカさんの後ろ姿が消えてからそう思いました。
後を追いかけるのは面倒なので別に良いでしょう。
「そして、もう一人は……大聖堂にいるので会えるとは思いますが……聖女様だと気付きますかね」
「気付かないと思うわよ? だって、もう聖女様じゃないし」
声をした方向を振り向くと、そこには悪戯を考える少女のような顔をしたシシルの姿がありました。
あの【雷の雨】と呼ばれた戦い以来の再会となります。
しかし、その容姿が大分異なっていました。
まず、あの聖女の白いローブを着ていません。
かといって、彼女が好んで着用する露出度の高い服装でもありません。
ひざ丈まである白いワンピースの上から、黒いカーディガンを羽織っています。それに加えて、簡素なレザーブーツを履き、背中には多量の荷物が入っていると思われるリュックが見えました。それは、聖女のシシルと素のシシルが合わさった服装であり、まるで旅を始めるかのような装備は冒険者のころの彼女を連想させます。
そして、一番目立ったのはその髪の毛です。
自分の身長と同じくらいの髪の毛をばっさりと切り、ボブヘアとなっていました。大人の女性らしい立ち振る舞いは変わりませんが、不健康そうな白い肌にはほんのりと色がつき、それに赤い唇と綺麗な翆色の瞳がよく似合います。
彼女の変わりようにも、そしてここを訪れた理由も気になりますが、まずは先ほどの発言を追及するべきでしょう。
「えっと……シシル? 聖女をやめたとは?」
「その言葉の通りよ。おっさんどもと神罰隊の目の前で宣言してきたわ。私、普通の女の子に戻ります! って」
「女の子という年齢ですかあなたが」
「突っ込むところそこ?」
シシルは、腹立つわ、と可笑しそうに笑います。
それがとても柔らかくて、自然な笑みでした。
「そもそも、私が教会の聖女になったのは、その地位が欲しかったからよ。スグハを探すために、多くの人を動かせるほどの地位が欲しかったの。でも、もう行方がわかっちゃったし、いらないわ。それに権力や政治にも興味はないし、いろんな人の顔色を窺う生活はもう御免だわ」
髪の毛も、思い切って切っちゃった。
と、短くなった髪をいじりつつ言います。
その寂し気な表情に私は気が付き、髪を切った真意にも検討がつきます。
しかし、私からは何も言うことはありません。
いえ、何も言えないというのが正直なところでしょう。
「なるほど……それで、これからはどうすんですか? また冒険者として各地を旅するんですか?」
「あら? 聞いてないの? 私今日からここに住むのよ」
そう言って、彼女が指を差したのは私の店でした。
私の店……つまり、私の家でした。
「うん?」
「あなたのお姉さんから頼まれたんだけど? あなたの身辺警護を」
ううん?
カル? 私はまったくそのような話を聞いてませんよ? というか、何を勝手に私の了承も得ないでそんな話をしているんですか……。しかも、いつの間にそんな――。
そこで、カルが、あの日の帰りが異様に遅かったことを思い出します。
どうやらそのとき……道に迷ったと嘘を吐いて、彼女はシシルを口説きに行ったということでしょう。。
恐らく、私がキョウヤに狙われていることを心配しているのでしょう。
カル自身が守りたいと思いつつも、彼女には彼女の目的があります。そこで頼ったのは、最強の冒険者の一人であるシシル・ホワイトベルです。実力はもちろん、カルは私とシシルが和解したことまで見抜いて、お願いしたのでしょう。
本当に……抜け目のない姉です。
私がため息を吐くと、何かを察したのかシシルも力なく笑います。
どうやらカルは強引にお願いしたようで……申し訳ない気持ちでいっぱいですね。
しかし、シシルは首を横に振ります。
「まあ、私にとっても環境を変えるいい機会かなって思ってね」
「はい?」
「つまり、新しい人生をあなたと始めるのも悪くないかなと思ったわけ」
私の新しい冒険を、この武器屋から始めるのも……悪くないかなってね。
そう言うと、私の了承を得る前にシシルは店の中に入っていきます。
それを制止することが私にはできました。そればかりか、勝手にカルがお願いしたことなので、必要ないと。お節介はやめてくれと、彼女の厚意を無碍にして断ることもできます。
しかし私はそれをしませんでした。
ひとつ、良いことを思い出したのです。
シシルは料理が上手だったはずです。
スグハとの旅でも、彼女の料理が彼の楽しみのひとつでした。
同じ家で供に過ごすのであれば、彼女の役目はそれで決まりでしょう。
つまるところ、今回の戦いは私の完全敗北です。
姉と聖女に……武器屋はしてやられました。
私は自嘲気味に笑いつつ、彼女の後を追って店の中に戻ります。
その後、私の食生活が改善されたのは……まあ、語る必要はないことでしょう。
これにて「姉と聖女と武器屋」シリーズは完結です。
次のシリーズの再開までに少し時間がかかると思います。(この季節は忙しくて嫌ですね)
大変申し訳ありませんが、少々お待ちください。




