姉と聖女と武器屋(4)
前回までのあらすじ。
お客様は神様ではなく、聖女様でした。
「ところで、店主はどこにいるのかしら?」
シシル……あ、いえ。シシルさんはどうやら私を探しているようです。さっき、自分の名前を呼ばれたから来たというのは彼女なりの軽口だったのでしょう。それにしても教会の聖女様が、私に何の用が……あ、ああー。あるほど、そういうことですか。納得していしまいましたが、それでも会いたい相手ではありません。本日も臨時休業となりますが、それも仕方ありません。
逃げます。
戦略的撤退です。
「なるほど、だから隠れたわけだ」
カウンターの影に身を潜めている私の近くに、楽しそうに笑っているカルがいました。これから何が起こるか楽しみ! といった無邪気さを感じます。
というかですね……。私のお店は小さいんです。勿論カウンターも小さいんです。となると、あなたのような長身が無理に隠れようとすると……ほら、もう暑苦しいくらいに密着する必要があるんですよ。
「はっはっは。姉妹久しぶりのスキンシップだ」
「……嬉しそうでなによりです」
なぜ彼女がここに? しかも、その体躯で誰にも気付かれずにどうやって身を隠した? と、疑問は次々に生まれますが、今は逃亡します。
レッツ、エスケープ。
逃げるが勝ちとは良い言葉です。
「待て待て」
カルは、こっそり裏口へ向かおうとする私の襟首を背後から掴みます。きゅっと首を絞められ、「ぐえ」と女子としてはどうかと思う声が出てしまいます。少し涙目になりながらも、カルを睨みつけて言います。
ちなみに、当たり前ですがここまでずっと小声です。
「何をするか」
「いきなり口調が変わると誰かわからなくなるかやめた方がいい。……それよりも、考えてみろ。今逃げても、店の場所が知られてるんだから、次も絶対に来るぞ」
うぐ。確かに、言われてもみてもその通りです。
逃げても、問題を後回しにするだけで解決にはなりません。
「それにほら、タクマがすでに限界に近い」
それを聞いて、物陰から二人の様子を見ます。
タクマは、シシル…さんから発せられる重圧にたじろぎながらも、応対しているようです。さっきから、店の奥の方へに対して「ル、ルミスさーん? ルミスさーん……」と呼びかけています。そこに私はいませんが。
対するシシル…さんは、自分のせいで怖がっているタクマのことなど気にせず、店内を興味深そうに見ていました。といっても、あるのは飾り太刀と、武器屋と主張するために創った普通の武器たちだけです。まあ、いくつかは本気で創ったものもありますが。
「見ろ。タクマが泣きそうだぞ。可哀想だから助けてやってくれ。私でも、あんな露骨に無視される奴と同じ空間にはいたくない。空気最悪だ」
「それは……同感ではありますが」
仕方ありませんね。
いつかはこういうときが来るかと思いましたが、やるしかないようです。
「確認なんだが、ルミスはあの人と知り合いなのか?」
「まさか。私は、知り合いじゃないですよ」
「ああ、だろうな。じゃあ、いつも通り頑張ればいい」
簡単に言ってくれます。
無愛想で涼しそうな顔をしているかもしれませんが、内心はびびりまくりですよ。
「眼鏡借ります」
「ん? ああ」
カルが掛けている眼鏡を受け取り、装着します。あー……。度が強いです。視界が歪みます。しかし、彼女の【瞳】のことを考えれば当然の対策です。
「ル……ルミスさーん……。おかしいなー……」
「……いないなら、また来ます」
踵を返し、立ち去ろうとするシシルさんに対して、私はその背に声を掛けます。
呼び止めたい、とは微塵にも思っていませんが、一度決めたことですので覚悟を決めました。
「すみません。お待たせしました。店主のルミス・アーチェリアです」
シシル…さんの歩みが止まり、振り返ると彼女と目が合います。
しかし、私が眼鏡を掛けていることが予想外だったのか、苦虫を噛み潰したような顔をしました。いやいや、本性出てきてるんですけど……。聖女がして良い顔じゃないですよ、それ。
ま、一瞬だったので気付いたは私だけだったと思いますが。
気を取り直して、シシル…さんは私に歩み寄り、右手を出して来ます。
「初めまして、アーチェリアさん。お会いできて嬉しいわ」
「こちらこそ。【最強の探究者】の一人にして、【聖女】であるあなたとこうしてお会いできるなんて、恐縮です」
そう言って、彼女の手を取りました。
その握手は……ちょっと痛かった気がします。
私が応接間に促そうとしますが、シシル…さんは、それを断ります。
「実は時間があまりないのよ。だからここに落ち着く暇もないし、このままで大丈夫よ」
「はあ、そうですか。ところで相談があるのですが……」
「え? あ、何かしら?」
いきなり私から相談事があるとは思っていなかったらしく、面を喰らったような顔をしていました。断られても仕方ないのですが、私の精神衛生上どうしてもお願いしたいことがあったのです。
「その、いきなりこのようなことを言うのは、しかもそれが聖女様だと思うと大変心苦しいのですが……無礼を承知でお願いがあります。その……………シシル、と呼んでもよいでしょうか?」
「…………はあ?」
ああ、当然の反応です。
カウンターの下にいるカルが声を出さない様に大爆笑しています。
大変苛つくので、蹴っておきます。
「いえ、本当に失礼だと思うんですけど……いつも、そっちで呼んでいたから、といいますか。その分、そっちの方が呼びやすい、といいますか」
もう、自分でも理由付けが意味分かりません。
でも内心で『シシル…さん』と、いちいち言い直すのが面倒臭くなってきたのです。何のことやらわかりませんかもしれませんが、私にとって『シシル』は『シシル』という呼び方がしっくりくるのです。自分でも何か墓穴を掘っているような気がしますが、もう細かいことは気にしません!
絶対、怒ってますよね……。
私は彼女の顔色を窺うため、歪んだ視界で彼女の顔を見ます。
すると、目を細めて訝しんでいました。
これは駄目なパターンです。朗らかに笑って「いいわ。それじゃあ私もルミスって呼ぶから」と、平和的に解決しませんかね? と楽観的に考えていましたけど、現実は厳しいです。
謝りましょう。
謝るのなら、早い方が良いです。
鍛冶師だけに、鉄は熱いうちに打ちます。
意味は全く違いますけど!
「そ、その……すみま――」
「いいわ。別に呼び捨てでも構わないわよ」
「え?」
「なに、意外そうな顔してるのよ。あなたから言い出したことでしょう? それに、それくらいで許してくれるならお安い御用よ。聖女様を、呼び捨てにできるのだから十分よね」
若干、想像とは違いましたが、どうやら呼び捨てを許してもらえたようです。
しかし……許してくれるなら……?
「少し話が逸れたけど本題に入るわね。最初に言った通り、時間があまりないの」
「ええ……。お願いします」
先程の発言に対して疑問を感じますが、シシルはそんな私のことなどお構いなしに話し始めました。いや、別にいいんですけどね? 時間が無いということですし。
「……そうね。たしか三週間くらい前だったかしら。紅の髪をした女が、『神様を殺す』という発言をしたのよ」
「ああ……はい」
言わらなくてもわかります。
それは私です。
「ぶっちゃけ言うと、私はそんなことはどうだっていいと思ってるわ。宗教なんて、信じたい人が信じればいいし、信じたくない人は別に信じなくていい。だから、無関係な人が何を言ったって、気にしなければいいのよ」
教会のトップが、トップとしてやばい発言をしています。
しかし、彼女のこれまでの言動からしっくりくる考え方でもあります。
「それでも、教会内にはそれを良く思わない連中もいたりして……私は後から知ったことなんだけど、その紅の髪をした少女を殺そうとしたらしいのよ。異世界人の女の子も一緒にね」
「はあ……。それはまた、物騒な話で……」
「私は馬鹿なことはやめなさい! って何度も言っているんだけど、その部隊のトップのグドルって男の頭は固くてね……。神のため、神のため……って言って暴走してるのよ。本当、神様にボディブローしたい気分よ」
罰当たりな発言は聞かなかったことにしましょう。
といいますか、グドルさんはこれを聞いて『神罰』を下そうとは思わないのでしょうか。
まあ、聞こえなかったことにしているんでしょう。こんな人でも聖女であり、教会のトップでもあるのですから。
そこで、シシルは一息吐き、微妙な表情をします。
踏ん切りがつかない。こんなことはしたくない。でもしなきゃいけない……。と、様々な感情が入り混じってますが……とにかく嫌だなー、という顔でした。
その顔を向けられるこちらの身にもなって下さい。
しかし、彼女も意を決したのか、私を真っ直ぐ見て言います。
「まずは……あなたが生きていてくれてありがとう。そして、私の部下がひどいことをしてごめんなさい」
そう言って、深く頭を下げてきました。
……例の事件関連だとは考えていましたが、まさか頭を下げられるとは思いませんでした。彼女の行動に驚き、何も言えなくなりますが、すぐに正気に戻り彼女に声を掛けます。
「や、やめて下さい……。私にはあなたの謝罪を受け取る権利はありませんよ。今でも仕方のないことだと思っていますが、あの場にいた人たちの命を奪ったのは私です。あなたには、私を糾弾する権利こそありますが、謝罪する義務は――」
「あらそう?」
そう言って、シシルは顔を上げました。
それはもう、晴れやかな顔で。憂いは全く無いようです。
「そう言ってくれるなら気が楽になるわ。それでも悪いのは明らかに私たちの方だから、あなたを責める気は全くないわ。勿論、部下たちにもあなたを狙うことを禁止してるから安心してちょうだい」
………切り替え早いですね。
やっぱり、謝ってほしくなりました。
私ではなく、カナタさんにですが。
「本当は、許してくれなかったらあなたの要求を何でも飲むつもりだったのだけど、あなたが私を『シシル』と呼ぶことを要求するならお安い御用だわ。どこでも、いつでも、どんなときでも『シシル』と呼んでいいわよ」
「はあ……」
やはりそういうことでしたか……。
まさか先に要求を呑むことで、交渉を優位にするとは……。
別に何かを要求するつもりは全くありませんでしたが、少し損した気分です。
「話はそれだけよ。……いや、それだけのつもりだったのだけど、ちょっと気が変わったわ」
「え?」
さっきからやけに一方的に話されている気もしますが、シシルはマシンガントークなので割り込む暇がないんですよね。自分のことさえ良ければそれで良いと思ってるタイプです。
「あなた、武器屋よね?」
「そうですが」
「じゃあ、武器の鑑定とかできる?」
「できますけど」
「話は決まったわね」
「何が決まったのというのですか」
ほら! 自分さえよければ良いと思ってます。
もう少し事情を話すとか、私の予定を訊くとか……色々と相談する内容はあるでしょうに。
「言ったでしょ? 忙しいの。私、今逃亡中だから」
「逃げてるんですか……」
「さっき言ったグドルって男からね。監視の目を盗んで逃げ出すのはいつものことなんだけど、グドルは私があなたに会うことに猛反発してるのよ。『あの女は危険です!』とか言ってね。まったく、私はグドルより強いんだから心配するなっての!」
どうやら、かなり彼に対してストレスが溜まっている様です。
それは私には関係のないことだから放って置きましょう。
スルーです。
「まあ、そういうことだから、明日の午後に大聖堂に来なさい」
「はあ……」
一方的に予定を決められて、その後は「じゃ」と軽く手を振ってシシルは去って行きました。
すでに言うことは無く、これ以上ここにいる必要は無いと言わんばかりの強引さです。
私は、店の前まで出て見送ったのですが、屋根から白いローブの人たちが現れて、シシルが「しつこいのよ!」と叫びながら走っていく姿が見えました。その白いローブの内の一人が、私をじっと見ていましたが……気にしないことにしましょう。
『いやあ、危なかったの』
「……カナタさん……じゃなくて、シューカですね」
上を見上げると、屋根の縁にカナタさんの姿をしたシューカが腰かけていました。
小さな足をぶらんぶらんと振りながら、楽しそうです。
『久しぶりじゃの、武器屋。シューカと呼んでくれて余は満足じゃ』
「途中からカナタさんの姿が見えないと思ったら、あなたが逃げてたんですね」
その通り! と言って、シューカは屋根から飛び降ります。
しかも、その着陸予定地点は私の上でした。少し体勢を崩しながらもシューカを受け止めた結果、私の腕の中には嬉しそうに笑う悪魔がいます。
『相手はあの聖女だったからの。完璧に憑依していないとはいえ、近づけば悪魔の存在に気づくかもしれん。大事を取って逃げたというわけじゃ』
「その行動には感謝しますが、なぜ私に向かって飛び込んだんですか」
『だって、思ったより高かったんだもん』
だからいきなり口調を変えてはいけません。
誰かわからなくなるでしょうに。
私はシューカを地面に下ろしました。
いや、私の貧弱な身体では重かったので。
それに、ずっと抱えているのも変でしょう。
『それにしても武器屋』
「なんですか悪魔」
さっさと身体をカナタさんに戻しなさい、と言いたいのですが、神妙な顔つきの彼女が気になりました。さっき、腕の中で『テヘペロ♪』としてた人と同一人物……いえ、同一悪魔とは思えません。
シューカは私の方を向き、言いました。
『あのとき、奴らの命を奪ったのは余じゃ。お主も何人かは傷つけたかもしれんが、結果的には余が全て燃やし尽くした。自惚れるなよ。奴らは、余が殺したんじゃ。お前の手柄ではないぞ』
「それは……すみませんでした」
わかればよいのじゃ。
私の返答に、満足げに笑うシューカでした。
全く……本当に悪魔かどうか、この笑顔を見ているとわからなくなりますね。
気にするな、と言いたのかもしれません。しかし、それは私の傲慢な思い違いかもしれません。結局のところ、真意はこの悪魔の内です。
『それじゃあの。またいつか会おう』
「出来れば、もう二度と会いたくないですけどね」
『つれないことを言うな、武器屋よ。お主の事情を知る者として、そして余の名前を知っている友人として、仲良くしていこうではないか』
そう言って、シューカはカナタさんの内へ戻って行きました。
崩れ落ちる彼女の身体を、私が受けとめます。
まったく、皆さん一方的に別れを告げていくのですから卑怯です。
言いたいことが全く言えません。
まあ、その筆頭は――。
店の中から紅の髪をした美青年が顔を出します。
キョロキョロと辺りを見回すと、私が支えているカナタさんを見て驚いていました。
「おや、カナタはここにいたのか。いきなりいなくなるもんだから探したぞ。それにしても、なんでこんな往来で寝ているんだ?」
不思議そうに首を傾げていますが、まあいいかと勝手に納得して、私が抱いている彼女を自然に背負いました。そのまま、応接間に運ぶつもりなのでしょう。ゆっくりと店の方へと歩いて行きます。
しかし、扉に手を掛けたときに私の方を振り向きました。
「そうだ。ルミス。そろそろお昼ご飯を食べに行こう。どうせ、君も私も料理が出来ないんだから、外食でいいだろう? お金に困っていないのはわかるが、姉として私が奢ろう」
それじゃあ、後でな。
と言って、店内へと戻って行きました。
本当に、一方的に言ってきて……。
やっぱり、その筆頭はこの人ですね。




