二章……(十) 【闘諍の儀】
「――――ッ!」
「白銀色の狐姫よ。自らの身は潔白であり、そこに嘘偽り無く。疚しいところなどない! 恥じるところなどない! 何よりも貴女を信じた、女中頭ソラの志に報いるというのならば。さぁ構えなさいな! 烏狐の相搏。一意専心にて力戦奮闘。闘諍の儀を結ぶと致しましょう!!」
「わかった。構えてやる――」
リンリは包みを解き、件の小刀を握る。
あれこれ考える前に、勇み構えていた。
そうして構えてからの思慮、
行き違いがあることは、承知している。
互いが互いに、物申したい立場なのも。
然れども、これは止む無し。
先方より露骨な挑発と敵意を向けられ。
潔白を証明しろ、ソラに報いるならば。
その様に求められたのなら、
「――ほら、構えたぞ!」
意思表示の通りに応えてやった。
応じない、という選択はできなかった。
それにおそらく。応じてからではあるが、小刀を構える行為が最も早く相互理解を得られる手段でもあろうと勘考する。いやこれは建前か。
あぁ白状すれば……正直なところソラとの一件で頭の中が乱れており、それに加えて其事の発端である当人が現れて、煽るような言葉を浴びせられての応酬であり。普段の自分からは逸した振る舞いだと自覚はしているとも。
握る刃物、刀身には知らぬ顔の己が映り。
それはふと、一抹の不安を掻き立てる。
「構えた、が――。とぅらんけ……?」
曰く『挑む』『交える』『闘諍の儀』と。
彼女、ヒノアサメから投げ掛けられた言葉をそのままに受け取れば『とぅらんけ』なる事柄は、ある種の『果たし合い』のようなものでは? そう遅れて心配になってくるリンリ。発した言葉に疑問符を付けて顔を傾けてみるも、察してもらえず。構えてしまってから詳細を訊ける雰囲気では無い。
「…………」
……いいや、なに心配いらない。本当に言葉のまま闘諍が始まるなんてあってたまるか。きっと言葉の綾だろう。名乗りを上げて小刀を構え合う姿というのは、いかにもこれから決闘を行おうとする作法のようだが……。巫女が刃物を持って果たし合うなんてまさか……。仮に、仮にだ。もし切り合いでも始まりそうになったなら、直ぐに格好悪くても降参して話し合いに移行する所存である。
一方で。リンリの行動は意外だったらしく、
「――貴女に敬意を表しますわ。
あたくしの予想では、はい。断られ逃げられてしまう可能性が高いと踏んでいたのに。素直に応じて頂けたというならば、貴女は……何故、どういった意図で? 先程のは演技ではなかったの? それはそれで困りましたわ。無関係とはとても思えませんけれども、可能性の一つとしていた『都合良く動かされた』だけの『使い捨て』だったりして」
そうヒノアサメは丸くした目を白黒。困惑を言に表しながら近付いて来ると、リンリの銀髪や肩を橙色の羽衣で軽く撫でて、返ってくる反応を伺うようにしつつ「それはとっても難儀なことで」と。深く思案しているのだろう顔をする。
「意味が解らない」
少しだけムッとした顔を作り。遠慮なく人の尻尾や胸元までを撫で始めたヒノアサメの羽衣を、空いている手で払い退けて言うリンリ。
「あら。それは、あたくしの台詞ですわよ」
「そうは言われても」
「貴女の全てが、解らないの」
「互いに齟齬があるのは確実だろうから。
あの……認識を摺り合せた方が良いのでは?」
話し合いで解決するなら、それに越したことはないのだからと。一歩引いての提案だったが、
「ではでは、貴女は何も抵抗せずに。ねぇ?
あたくしに降参してくださるのかしら?」
「――おわっ!」
「認識。言うに事欠いて『認識』ね――。
貴女が乱したんじゃないかしら。皆さんの認識を。それで事前の策を狂わせた。違う? そこについては違わないでしょう? 多くの犠牲が出るところでしたのよ。だから女中頭さんは自尽し、あたくしと貴女はここで向かい合ってるのですわ!」
しかし。相手は別の意味で受け取ったのか。
突然にリンリは彼女の羽衣によって引かれ、崖際から互いの立ち位置を反転させられる形となり。引かれている最中に、リンリと彼女の小刀が打ち合わされ、双方の刀身より火花が散る――。
「やはり交える必要がございますわね!
このままでは真意が見えませんもの。故に」
「急に何を……」
「――さぁ貴女の腕を見せて下さいな!」
「腕を見せろ? て、なんだ……これ!?
腕に変な模様が……えっ?!」
――即ち、約定が交わされ。
闘諍の儀が執り行われてしまった証明か。
リンリの腕、白い肌に異変が広がる。
小刀を構えていた方の腕に蛇が巻き付くよう。鎖を象っているのだろう黒い紋様が這って行き、ある程度まで伸びるとそこで定着。じんわりとした熱を帯びる。見ればヒノアサメ、彼女の腕にも同様に紋様が浮いているではないか。これは何か、
「これで、諍裁和は交わされましたわね。よろしいかしら? ご存知でしょうけれど、いざ雌雄決すれば諍裁和によって交わされた約定は絶対の束縛であるからして。仮に相手より『獣のような服従』を求められたとしても抗う事は決してできないわ」
敗者に課される絶対の束縛。
「抗う事ができない、束縛だって?
そんな……これが? 統巫どうしの?」
総毛立つリンリ。
ヒノアサメは不思議そうな顔で続ける。
「……慣れてはいないご様子ですけれども。
お母様や、或いは育ての者に必要な知識として与えられていらっしゃいませんの? 諍裁和とは統巫どうしの間で発生した、互いの意見の相違、相手に譲れぬものがある事柄、どうしても自らの主張を相手に通したい場合などなどに『その諍いに折り合いを付ける』為の儀式。ご存じでしょう?」
……ということらしい。
頼んではいないが、概要を説明してくれた。
可能ならばもっと早く説明が欲しかったところ。
「知らない。知ってるはずがない。
だって俺は本物の統巫じゃなくて……」
彼女は肩の翼を羽ばたかせ、また言葉を遮る。
「ご冗談を」
「あーもう! 絶妙に会話が成り立たない!
前のシルシ以上に成り立たない!」
「申し訳ないけれどぉ、貴女に首輪を付けさせてもらいますわよ。ご了承を。あたくしには立場というものがございますから。手抜きは少しだけ、大怪我をさせないようにしか致しませんわ。加減も苦手ですし。痛い思いをしたくないのでしたら、何もせずに降参の意を表明しなさって?」
「降参はできないからな!」
「困りましたわ、困りましたけど。まぁまぁそれも良いでしょう。当然に統巫としての自尊心、誇りもあるでしょうし。むしろ正体不明な貴女の権能を直接判断できる、良い機会と捉えましょうか」
「ぐッ!」
鋭い眼光に睨まれて、僅かに臆する。
心の臓が跳ねて、頭痛に胸焼け。
「…………」
「もう既に、どちらかが降参するか、背を向けて逃げようとしてしまうか、羽衣を完全に破かれてしまうか、意識を失ってしまうか。勝敗までは儀を止める術はございませんわよ。いざいざ神妙に!」
リンリは、よろけながら距離を取る。
置かれた状況の実感が押し寄せて来た。
「…………」
絶句して固まり、頬に汗が伝う。
浅慮に過ぎた。なんでこんなことに。
これは降参できない。本物の統巫ではないリンリに果たしてどこまで強制力があるか不明でも、約定が結ばれてしまっていて。これでもし相手に降参してしまうと従属関係に置かれてしまい。人としての尊厳さえ奪われかねないのだと理解した。
とはいえ。痛い思いをするのも、相手にさせることも御免である。なのに相手は完全にやる気で、相応に戦いの心得もあるだろうし。これはまずい。ではどうするか。解らない。逃亡が降参となるなら逃げられもしない。敗北以外の未来が見えない。とてつもなく芳しくない。
芳しくないが、状況は動いている……。
「枝は芽吹きて、災渦を払う祭具とならん。
其は形を得た神業たる証にして、此土と彼ノ者との約定の印、縁を繋ぐ鍵。枝――芽吹なり」
ヒノアサメが何やら呟くと、彼女の小刀は柄と刃身の二つに分かれて輝き。そのまま刃の方は装飾のなされた大きな銅鏡のような形へと変化し。柄の方は掌におさまったままで勾玉の形に転じた。
それから彼女は銅鏡を脇の下に抱え、身に纏う装束の裾をからげると、腰の後ろに斜めに差していた打刀を抜き放つ。そうすると、
「『戴掌儀・自在天納』経始一局、開闢!」
何らかの呼称をして、流れるよう足運び。
抜き放った打刀を銅鏡の表面に滑らせ、さながらそれが鞘であるかの如く、平面の銅鏡に刀の一本がまるごと納められてしまったではないか。
「誤って大怪我をさせないよう、貴女には事前に明かして差し上げましょう。あたくしの権能を」
「権能ってのは」
「あたくしは『導きの彼ノ者』に連なる統巫、託統導巫……。とっても非力な統巫、ですけれども。これこのように。携えた『銅鏡』を、此土を計る『秤の皿』と準えまして。銅鏡の鏡面を此土そのものと結い、載せ一体とした存在達の歩みを導ける。詮ずるところ、それと同形状、同質量、同物質に近しい存在までを己が認知が届く限りで自在に操るのがこの『戴掌儀・自在天納』であり。あたくしの権能にして、主たる御業ですわ!」
「え、なんだそれ」
小刀が変容した銅鏡に、載せた物を操る力?
何を言っているのか理解が追い付かない。謎めいた固有名詞が非常に多いのも理解を妨げる。先程からずっと与えられる情報に、リンリの頭は処理が間に合っていない。だから言葉を信じて、なんとか理解できた部分だけで推察。前に系統導巫様に見せてもらった命を統べる力……あれとはまるで毛色が異なる神様の力なのだろうと。植物を成長させる、水分を集めて発射するといった範囲を越えて、もっと複雑な領域へと干渉してしまっているのでは?
「だとしたら……」
震える声の呟きが洩れた。
だとしたら……只人では、まるで相手にならないことが明々白々。勝負になりはしない。
「ご覧にいれましょうね、はい。そうして無駄に抵抗はせずに、ほどほどで降参をなさいな」
彼女の言に端を発し。周囲の木々の枝葉が強く揺れて一斉に鳥の群れが飛び立つ音がした。
いいや、しかし。だというのに後に続く鳥達が空に去って行く羽音は聞こえはしない。地面に静止する細長い影も鳥にしては妙だ……何故ならば、その真実は単純。飛び立ったもの達の正体が、そもそも鳥などではなかったからに他ならず――。
「いやいや、こんな……滅茶苦茶なッ!」
――信じ難い、超自然的な光景だった。
常の世の法則をまるで超越している。
――無数の刀剣が、宙に浮いていたのだ。
リンリとヒノアサメを中心にし。何かに操られるようにして、晴天に舞う鳥類が群れの如く。




