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二章……(一)  【朝穏】


 ――想起。何かをはかなみ、うれい、しのぶ。

 己とは異なる己の跡。ふつくに知らぬ残映ざんえい

 感情が清算され、幾度目かの虚無に還る。

別段に良い夢見だった、というわけでもなし。


 加えて、観ていた夢幻の内容はもうすでに大半は憶えてはおらず……。なんとなれば、現実を冒すことは許されない故に。夢は夢の中で完結させなければならない故。よって夢想に置き去りにしたモノへ手向(たむ)ける手立ては持ち合わせてはいない。

 なのに己の目縁(まぶち)から、一滴の雫が頬を伝って流れてゆく。それが堪らなく不思議でならない。


 取り立てて意味なぞ無い。何も無いのだ。

 己は虚夢きょむ。己は夢幻むげん夢現ゆめうつつ。己はけっして意味を持ってはならぬ存在。虚構きょこう虚蝉うつせみを隔てる存在。抱く情は空想。元より全て空虚、絵空事。嘘、偽、欺瞞ぎまん(ともがら)虚色きょしょくの天。虚実のことわり掉尾ちょうびうろ。さらば己が身が執着なぞ以ての外。由無し些事。


 情抱くことなかれ。いとおしがること勿れ。単にいつまでも身を委ねていたい、深い眠りだったというだけだろう。おそらくは眠りと別れるのが惜しかったというだけ。然る事とすべし……。


 詰まるところ、()(わずら)わしい。

 心地よい睡眠をとっておったが、もう枕許(おんもと)まで日輪が射し込む時刻なのか(いささ)か眩しくある。

 まだ寝足りぬ、寝ていなければならぬと相手も居らぬ嘆きを溢し寝具にしがみつき。掉尾なる日輪の訪れを騙し、外界(げんじつ)との境界である布団(へだて)を被った。


 だが、ままならぬ。再度の睡眠には旅立てぬ。

 夢に戻りたい意思に反して、充分に休息はとっていると身体が眠りを拒んでいるようだ。

 休息を目的としてはおらず。眠りそのものに使命感を帯びていたというのに。眠りこそが楔身たる要であったというのに。それを今更になり否定されてしまったとは、これ如何(いか)なる所以(ゆえん)か。


 なので床に横たわったまま、得意の悪足掻(わるあが)き。

 もう暫しだけ。あと僅かだけ。猶予を乞う。


 微睡(まどろ)みと覚醒の境目(さかいめ)を見極めて揺蕩(たゆた)い。手遅れやも知れぬが、幾つかの手を打つ。手繰(たぐ)り寄せて接した感触を深く刻むかのように。何時の日にか再び、愛しき邂逅(かいこう)が果たされる福音を念う。

 否、願っていた、のだったか……。


 壮途に不可欠なものは、確と委譲された。

概していえば、やるべき事があるという事か。

だというのに。真実は分断され、置き去りか。


 ――あぁ、いと口惜しき其事なり。

嘆きは、虚ろな己が内を薙ぎ。揺らぎは、虚蝉と夢想の境界をより寡少で脆弱にしてしまうのだ。


 稀釈される。曖昧に、透明に、硝子のように。

故に割れる。砕ける。散ってしまう。楔たる我が。


 そう思考を巡らしている時点で、自覚。

そうか覚醒はもう玉響(たまゆら)(きわ)かと。覚醒とはそれ即ち、忘却と喪失の刻。誕生と終身の環。逃れられぬ呪縛であり、救いたる解放も兼ねるもの。

 あぁ認めるとも。始まったものは終わるが定め。何時かは起き(あきらめ)なければならないと。元より条理に反するのは本意ではなし。睡眠(へいおん)へ焦がれる言ノ葉(じゅそ)はこの程度で抑えておこう。そう一度でも端を発してしまえば、覚醒は緩やかに訪れるのだ――。


(――そう、か。……そう、なんだね)


 ――嗚呼(あぁ)嗚呼(あぁ)。寝醒めの刻か。


(……欺け、ということか。此度も――)


 ――終に何かに思い至り。

 我只、委ねし者の安泰を願わじ。




 ◇◇◇




「――んぅ……ふぁぁ」


 欠伸(あくび)をして、布団の中で身体をうつ伏せに。

 背中と腰で布団を持ち上げるようにし、両腕を枕に向かい伸ばすことで渋々と起床するとした。


「…………ん?」


 すると視界に銀色の細糸がかかる。

何ぞやと手で払いのけてみれば、己の髪かと。

言い知れぬ違和感を抱くが、正体は見付からず。


 そのまま猫のように、両腕から上体を床につけて臀部(でんぶ)を高く突き上げての柔軟運動。それは、忙しくない朝に思い出すとやっている『習慣』のようなものだったと記憶にあった。

 寝起きの運動に合わせて、己の臀部から伸び、豊かに(たくわ)えた銀色の毛束(けたば)が上下に揺れてしまい。少しばかり(くび)れた腰に掛かったままであった掛け布団をバサリと脇に退()けてしまう。


「ふむ……毛の束、と?」


 丸みと張りのある臀部を掻きながら呆ける。


 どうにも重ねて違和感を抱く。何故だろうか。


 まぁ気にする程のことでも……と、流し。

 もうそろそろ『切らないといけない』と心の内で呟いて、いつの間にやら妙に長くなっている絹糸のような髪を背中側に()いて送っておいた。

 その行動によって指が耳に擦れ、こそばゆく感じてしまい。ピクリ頭上の耳を伏せさせてしまう。


「……頭上の耳?」


 またもや積まれる違和感。それでも流す。

 世の中には触れぬ方が賢明という場合もあり。

 すでに一度『流す』と決めたならば、理由もなく再考する必要性は思い当たらなかった故に。


 ――と、慮外からの干渉に襲われる。


「……うぅ、頭がっ――」


 ズキリと頭痛。手腹で己の(かんばせ)を覆い隠す。


 内心で『流すな、ちょっと待て』と震える声。

 曰く『男としての本能』を称する己が内の雑念から強い警戒を鳴らされたらしい。

 分を弁えずに、雑念が進言してくるとは。


「はぁ、はぁ……解せぬ、な」


 驚嘆し、呼吸を乱してしまうとは。


 ……いや、なんだ。続けて疑問符。その『男としての本能』とは具体的にどの様なものであるか本人にもよく飲み込めないのだが……。

 しかしながら、捨て置くのもどうかと。

 不憫にも、放っておけば消え入りそうな声が『待ってくれ』と頭の内で震えて申すのである。それはもはや懇願と表して良いやも知れぬ程に。意識を向けたからには、とても無下にはできなかった。


 仕方ないと。一日の始まりの前に、己の男としての本能とやらを宥め、耳を傾けるとしよう。

 中腰のまま俯くというのも滑稽(こっけい)な姿故に。尻尾(からだ)を踏まぬように注意をしながら、敷き布団に内股で腰を降ろしておくとする。

 座った際に、ちぐはぐな感覚だ。臀部に引っ掛かりを感じて、後ろで揺れる尾っぽに振り向く。

 なに当然のように伸びる銀色の尻尾。


「……尻尾……尻尾?」


 左腕を尻尾にそっと触れさせ。胸元に組んだ右腕に力を掛けてみれば、見知らぬ弾力。

 胸元には、茶椀と同程度の双丘が主張する。


「これは……胸……乳房(ちぶさ)……か?」


 何かしらをする度に、倍々と増す違和感。

 対話を試みた『男としての本能』とやらは、聞くに堪えない嗚咽(おえつ)呻吟(しんぎん)を絞り出しておった。


「いったい、どうしたというのだ……?」


 不安から、尻尾の毛を指で鋤く。


「…………」


 いい頃合いだろう。


 違和感を無視できる、己の許容を越えた。

 己の根底を否定されているかの如き焦燥。薄気味悪さを感じての悪寒。股の間にスースーと風が通るような形容の難しい寒さが柔肌を撫でる。

 このままでは本日の勤めに支障が出ると危惧。

 心付けば、断末魔。喚き散らし塵芥となって崩壊してゆく『男としての本能』とやら。

 それ以降、何も聞こえなくなった。だが、胸に穴が開いてしまったような虚しさは何ぞ。ここまで来ると現状を再考する理由としては十分か。

 手元の枕を抱え込み。現実逃避の終了、もとい頭を傾けての謎解きに興じようか。


「……我は――」


 口を開き、それだけで違和感が上乗せされる。

疑問符を浮かべて感情の整理。そこでやっと――


「――我? いや、俺は……?

あれっ、この声は何なんだ……っ?!」


 ――ハッとして、裏返った。


 己が精神の矯飾とでも喩えよう。心を保護する為にか、被っていた化けの皮が役目を終えたとばかり翻された。ようやく精神と思考の回転が符合。

 歯車が噛み合い、自認やら認知が追い付く。


「俺は、リンリ……で、間違いないよな!?

アイム、スズドナリ、リンリ……オーケー?」


 枕を押し付けた胸元には、正体不明の双丘。

 寝巻きから覗く腕が、細くきめ細かい柔肌。

 高くて淀み無く。透き通った凛とした美声。


「いやいや、間違ってたら怖いって……でも」


 ……自分が自分(リンリ)だと疑わしくなった。


「リンリ、なのか、どうか」


 ――記憶が確かならば……己は、我は、否。

自分は【鈴隣(すずどなり)倫理(りんり)】しがない平凡な男だった。

 不運にも此土(このせかい)に紛れ込んで、最初に出逢った系統導巫様、彼女の(おさ)める領域(ここ)で保護され。

 なんやかんやで統巫屋(そこ)の皆に支えられて、自分を省みれて、久々に心身の満たされた日常を送り『活きている』と実感した。その頃に巻き込まれた鼠退治で災難に見舞われ。自分にできる事を精一杯やってやろうと行動を決意。終いに風土病(イヌモノミテキ)のようなもので精神混濁しながらも、全身全霊を賭して駆け抜けた先で死んでしまったような……?


「怖い怖い。たった今までの精神汚染は、穢不慣(イヌモノミテキ)のせいなんだろうか。うーん。その割には、何だ。ずいぶん意識がクリアというか、身体がとても好調というか……好調だけどもこれは」


 鬢髪を無意識に指で巻き取り、唸るリンリ。


「……俺は、どうなったんだろう――」


 それもそうだが。言い替えるとするなら、


「――俺は、どうなってるか。だな?」


 こちらの方が、状況に相応しいか。


 きょろり。リンリは辺りを見回してみる。


「ここは、知ってる天井。知ってる部屋だな」


 現在地は、統巫屋の【客間】だろう。

 死後の世界等ではなく、見知った場所。清掃の手伝いをした際の記憶によると、部屋の片隅に立派な姿見(すがたみ)があった筈で、と視線を横に動かして行くと……直ぐに発見できた。


 リンリは四つん這いで姿見(かがみ)に向かい、


「オープンザ、ミラー……」


 唾を飲み込んで。呼吸を整えて。

覚悟を決め、姿見(それ)を覆う布に手を掛ける。


 鏡面にうつるのは勿論決まっていて、


「――は?」


 一人の美しい少女の姿だ。

 姿を視られ、少女は反射的に高い声を上げた。


 現れた鏡面の向こう側には、長い銀髪と琥珀の金瞳をした可憐な少女が隠れていたのだ。


 リンリは頬に手を当ててみる。すると、少女も赤みが差す頬に手を当てて見せた。

 リンリが頬を思いっきり引っ張ってみる。そうすると少女も同様に、ぐにーと頬を引っ張り。少し涙目になった視線を送ってくる。

 試しに、頬をつんつん。あかんべー。ぷくりふくれ面。笑顔。困り顔。悲しそうな顔。容姿端麗な少女の御顔がしばらく色々弄ばれてから……。

 ……表情を固め。手を打つと、


「これ、俺だあぁァァっ――ッ!?」


 少女(リンリ)は叫び声を轟かせたのだった。

 



   ◇ 第二章 ◇


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