一章【用語解説】
用語集・五十音
◇◇◇
◆アクッ・オリュコウ【彼ノ者】
此土に現存する中でも最古の故事集である、
【此土始導至集】の譚の中で名の語られる彼ノ者の一柱。いわゆる神。その在り方は『此土を愛し、生命を慈しみ、摂理を定め眺むる者』『尊という苗木を愛で撫でる者』などとされる。
譚の中で彼の神は、創世より悠久に等しい刻を命に寄り添って過ごし、神世から降りてきては繰り返した幾重もの人々や生命達との触れ合いを通して、神々が本来持ち得ない自己の感情というものを芽生えさせてしまった一柱として謳われており。
感情を持つに至った彼の神は、やがて此土の全てを“植物の苗”のように扱う“秩序そのもの”である“己を含めた神々の存在”に疑念を抱くようになり。紆余曲折を経て他の神々と袂を別つ事となる。
その末には、その慈愛の深さ故に己が神としての在り方に深刻な矛盾を孕み。歪み果て、大災厄の権化と成り果ててしまった。
曰く『もはや摂理は定まらず。無常に廻る命を尊び眺むる神は何処にも居られず。禍神として盲目と成り、とうに狂ってしまわれた。彼ノ者、無情に繁栄する命を愛おしむのみ。命の芽が腐りて冒されも、枯れ果てようと栓方無き事なり。彼の命の大樹に蜷局を巻き、根を嚼み、幹を引絞り、葉を散らし。壊れた心で嘆くばかり』と。
其は、禍神なりし神の一柱。無情繁命の禍神。厄梵禍淵。此土始導至集の譚では結果的に、殆どの神々、彼ノ者達が此土を見限り旅立ってしまう致命的な原因の一つとなってしまったのだと語られる。
◇◇◇
◆イシネレップ【某之怪】
説明のつかない奇妙な事柄。その場に存在する筈のない存在。未知、正体不明の何かへのとりあえずの形容など。広域で、人智の及ばぬ怪異への表象的な共通認知とされる某之怪の一種。
その名は古い言葉から『夜闇に紛れて現れ出て、何処かへと誘う者』の意であり。
名の通り。主に物音や灯りや見知った者を思わせる声などで気を引く事により、人を深い深い闇の中へと誘って行ってしまう存在だとされる。
これに誘われてしまった者の末路は、親の語り部によって大きく異なっており。『誘われた者は次のイシネレップにされてしまう』『取り殺され、骸は頭から喰われる』『凶兆の前触れの化身』といった人に害を及ぼす危険な怪異だとされるものから。『無くした物が見付かる』『誘われる事で、むしろ差し迫った危険を回避させようとする和御魂』といった風に人にとって有益な存在とされるまで。実のところ事柄にあまり統一性がない。
これが『人に害を及ぼすもの』であると語られる場合には対処法が有り。まず二人以上で居れば遭遇せず。これに誘われそうになっても意識を強く保ち続けて振り払う。刃物などの尖ったものを周囲に向けて一度二度振って威嚇する。その場に自身の“身代わり”となる物や“食い物”を置いておくなどといった方法で対処できるという。
その多くは、語り手が聞き手に注意を促す言葉で締め括るのが習わしであり。従って、その正体や実在性はとにかく『夜道を進む場合は、常に気を張っておけ』といった先人達の教訓から生まれた民話であろうとされる。
◇◇◇
◆カメアシュマリ【化狐】
説明のつかない奇妙な事柄。その場に存在する筈のない存在。未知、正体不明の何かへのとりあえずの形容など。広域で、人智の及ばぬ怪異への表象的な共通認知とされる某之怪の一種。
狐が正体とされる、不穏な出来事のこと。
人が野山で不必要な殺生などを繰り返して、その因果として人に怨み辛みを募らせた野狐が転じてしまい。人に災いを呼ぶとされる民話から。
◇◇◇
◆コムイセポ【毛毬兎】
毛に包まれた毬玉のような姿をした兎。実際の体躯は細くしなやかであるが、それを覆うように油分を含む多量の縮れた毛が生えている。天敵との遭遇時に危害を受けた際、強い外的刺激等により、表皮ごと毛塊を身体から切り放し囮とする。
夏の始まりと秋の終わりに換毛期があり。比較的楕円形となり毛量が少ない夏毛と、完全に四つ足と長耳が生えた毛毬の見た目となる冬毛とを交互に繰り返す。夏毛の際は『コムイセポ』と、冬毛の際は『コムコムイセポ』と呼び分けられており。毛織物として利用される抜けた毛にも含有油分や繊維の太さといった質に違いがある為に区別される。
刷り込みや餌付けでは懐いたりはせず。一定期の間に近距離で過ごしていても己に対し危害を加えてこなかった動く存在達の匂いを覚えて群れの仲間であると認識する。群れであると認識すると、認識した群れから離れようとせず。追従し付いて回るようになるが、暫くその群れでまともな餌がありつけないと興味を失くしたように去ってしまう。
見た目に似合わず肉食傾向が強い雑食性で、上述のように自ら狩りを行ったりはしないが。追従している他の生物(※群れの仲間)が食い残した死肉等を漁る習性があり、血の匂いに敏感に反応する。
◇◇◇
◆しんせん【神饌】
神々に捧げられる食事の事。神々“彼ノ者”達の代行、化身たる統巫達が口に入れる食物を他者が謙ってこう呼ぶ場合もある。
どの統巫も決まって、食物を摂取する行為に並ならぬ警戒心を持っており。それがたとえ心を許した者の前であっても変わらないとされる。理由として、統巫は自らの身に及ぶ直接的な暴力や障害などには纏う“羽衣”により無類の堅牢さを持つが。
反面、毒気や大気の汚染といった“身体の内”より蝕む類いの害には万人の身と同様に無力だと語られ。そういった点では、その身を絶対に害されないという訳ではないからだ。
生命であり、食事をするのだから“水や食料を取らないこと”による衰弱も有り得るものの。統巫達は、よっぽどの事でなければ物を口にしようとはしないという。それを知らずに接するのは憚りがある。
過去には、統巫が愚か者に毒で殺害されてしまったり、監禁され慰み者にされてしまったりした記録がいくつか残っている(※だが、どれも不確か曖昧な記録であり。直接の当事者は誰一人として生存していないので、詳しくは不明)。
◇◇◇
◆タマカギル
茎より上はただ苦味のある草だが、根の部分を煎じて飲むと強い鎮痛作用がある多年生の草。特徴的な五角の形で、斑模様の紫色をした葉が目印。
◇◇◇
◆テイネシヌイナ
地名。テイネシヌイナの地。
シンタニタイの地の北から西北西に位置する。
他の地との土地境に【キツイ大渓谷】と呼ばれる雄大なる規模の渓谷が割って流れる。
◇◇◇
◆ティネップ【彼ノ者】
此土始導至集に登場する彼ノ者の一柱。神。
故事の中では『在りし此土を巡り恵み恵む雫の君』或いは『純澄清浄なる無色の母だった澱み』などと称されている。
はじめに『渇きを癒やしたい』そのように渇き飢えた人々に望まれた。望まれた故、彼ノ者は降り立って初めて出逢ったその者達に恵みを与えた。人々は対価を求めぬ恵みを与えられ『渇きが癒えた』と心より感謝と畏敬の念を捧げ奉った。
丁寧に丁寧に彼ノ者は祀られ。年月が流れる。
何時の頃からか。人々は『これまでの分では足りない。もっと欲しい』とより多くを望み出す。それに応え、人々にとって必要ならばと、彼ノ者はそれまでより更に多くの恵みを下賜する。
人々は重ねて恩恵に感謝の意を表した。されど『望めば与えられる』と。かような認識を持ってしまう者も少なくはなかった。謙虚な者から命を落とす不安定な世だった故に、貪欲になるのが一番の生きる術だった故に。加えて、感謝や畏敬といった悼みを伴わぬ感情とは、苦難の過程を伴わぬ感情とは徐々に風化して薄れてしまうものである故に。
何処かを境として人々と彼ノ者の関係は軋み綻んでしまい、しかし憂虞を唱える者は居らず。”望まれ”“恵む”“望まれ”“恵む”“望まれ”“恵む”“要求され”“恵む”肥大する要求““されど恵む”そんな円環。そうやって何度も、何年も何十年も何百年も、人々と彼ノ者はとても長く永い間それを繰り返して過ごした。
何世代もの間に、十全に飢えも渇きも満たされて肥えるまでになった人々。人々は恵みを与えられる事に慣れ、当たり前となり、増長し、何時しか感謝をしなくなった。少数で分け合っていた恵みは、多数のうち力を持った少数が壟断するような仕組みとなっていた。おまけに彼ノ者の存在なぞ最初から居なかったように忘れてしまったらしい。しかし『それで良い。それが神の役責。後は人が拵えゆく世』と。彼ノ者はそんな己が在り方を受け入れて過ごした。
ある時を頃合いに『既に人には彼ノ者は不要』と。己の役責の末を悟り、彼ノ者は此土の行く末を人々に託し静かに消える事にした。
……けれども。消えた筈だった“彼女”が再び目覚めると、いつの間にやら己の存在は言い表せぬ程まで澱み、醜く変質しており、神格は零落していた。己を表す【ティネップ】その名は『水害を起こす禍淵』やら『理不尽な渇きをもたらす神』として禍神扱いされているではないか。
彼ノ者の恩恵が強く残る土地を、禍神の厄災が届かぬ楽土と定めて。争い、奪い合っている始末。
誰からも忘却され、存在が曖昧となって消えた彼女だったが。己が去り、権能が薄れ普遍化し。此土で自然に起こった水害。自然に起こった旱魃。人々は、そんな自分達に振りかかった厄災の数々を“名も忘れていた神”のせいにしてしまったらしい。彼女の名を思い出し、畏れ、憎み、怒り、かってに禍神と貶めてしまったようだ。
ここで彼女は、初めて嘆いた。淀んだ落涙を流し『人とは、どれ程まで自分自身に都合の良い理不尽な解釈をする生き物なのか』と叫喚を轟かせた。
人々の底無しの愚かさが、貪欲さが、罪深さが、恵みをもたらしていた神格を大きく貶め歪めさせてしまった。人が自らの行いで、此土が破局に至る忌因たる厄梵禍淵を生み出してしまったのだ。
しかし、どうして人のみを責められようか。
彼ノ者は人々に恵みを与えるのみで他には目を向けなかったので。結果、人の傲慢さを肥え太らせ増長させてしまった。人々が無償で与えられる恵みによって何処までも堕落し、自らを律して励む美徳を忘れてしまうのも仕方のない事だったのかも知れない。終の結果が示す。根本的に、彼女と人々は“掛け違え”てしまっていたのだ。
そうして彼女は、人々と己自身の至らなさに大きく落胆し絶望し悲観し、新たな禍神としての在り方を受け入れる。彼女の落涙は渦巻き、凡世を呑み込む大嵐となった。この神のような“歪み”が此土始導至集の譚では結果的に、殆どの神々、彼ノ者達が此土を旅立ってしまう原因の一つとなる。
◇◇◇
◆トイヨンノッカ
地名。トイヨンノッカの地。
シンタニタイの地から南西に位置する。
◇◇◇
◆トゥランケ/トャランケ【諍裁和】
二柱以上の統巫、及びその眷属達が行う儀式。
統巫同士の間で発生した、互いの意見の相違、相手に譲れぬものがある事柄、どうしても自らの主張を相手に通したい場合等に“その諍い”に一種の“折り合い”を付ける為に行われるものだとされる。
挑み、挑まれ。双方の合意の上でのみ執り行われるらしく。挑まれたとしても、統巫同士は対等なために一方的に拒否する事は可能らしい。
また統巫が万人、人間に対して行う事はなく。そもそも成り立たない。ただし儀式の最中に、故意にそれを邪魔しようとされた場合はその限りではない。人と統巫の間に『人が儀式を邪魔するならば、先ずはその身を排除する』といった契約が強制的に結ばれてしまうという。
互いの権能、枝や羽衣、誇りや理念、牙や爪といった全てを交る神聖な儀式なのだと謳われており。どのように小さな諍いだとしても、いざ雌雄決すれば諍裁和によって交わされた約定は絶対の束縛であり。仮に相手より『獣のような服従』を求められたとしても抗う事はできないという。これ以上は詳細不明。
◇◇◇
◆フラエレムゥ【匂鼠】
特定の雌を中心とした数十匹規模の群れを築き、発達した外分泌線から放出する(※体内生成された化合物質の気化する際に発生する独特な匂いである)体臭による個体間の意思伝達、及び役割分担をする風変わりな鼠。自然界でも稀な原始的な社会性を形成する生物として研究され、注目されている。
群れそのものや、群れの中心である『雌』に危機が訪れたとしたなら、それを『匂い』により理解し一斉に防衛行動を取る。外敵の排除をする。
それでも『雌』が絶命した際は『雌』が死の際に出す『匂い』により。或いは『群れ』が外敵に太刀打ちできぬとなるや、肥えた『雌』と弱った個体が外敵の囮になり。群れの存続のため『全ての個体』が散り散りに逃げだしてしまう。
ひとたび『雌』が失われれば、無作為に違う個体の雌が群れを再びまとめ始めて、中心の『雌』に成り代わる。その繰り返しを重ねることにより、過程で群れが外敵への対策を学習し。また弱い個体が間引かれ、強靭な個体が生き残ることによって淘汰的個体数調整が行われる。いわば個体ではなく群体として成長してゆく、特異な生態を持つ生物であろう。
通常、ある程度の規模を越えた群れは『雌』の役割をする個体が一時的に二匹以上となり。そこから世代が新しい個体を中心とし、次第に分化して別々の群れとなる。
しかし不思議なことに、必要な過程を経られない群れの再構成は困難であり。よって非常に繊細かつ複雑な群れの形成がなされているようである。
実験で人為的に手を加え、群れが『雌』の個体の喪失を完全に知覚できない特定条件下で『雌』を失う状況を作ると、群れが機能する上で複数の致命的な問題が発生すると判明しており。その場合は新たな『雌』が現れることは無くなり。残された個体は徐々に異常行動(※自傷、共食い、不活発化、常同行動等)を始め、最終的に個体個々に分散し全滅してしまう。原始的な社会性を獲得するにあたって、どうしようもない種としての欠陥や個体としての脆弱性を孕んでしまったということか。それは進化なのか、はたまた退化なのか、彼等自身にも解るまい。
本種については未だに不明な部分が多いが、これらの研究は『人間は何時、無垢な獣から人になったのか?』と定義する上で生物学視点からも重要な意味合いを持つのではないだろうか。
◇◇◇
◆ぼんせふくぐんのそ【凡世覆軍の鼠】
子の厄災。命の『繁栄』の禍淵。
ある種の繁栄とは、他種の衰退や減衰に等しく。自然界において、他種との共存や調和の中では著しい繁栄なぞ有り得ぬもの。命は均衡をしてしかるべき。命は共存してしかるべき。命は闘争してしかるべき。共存と闘争を以て緩やかに繁栄し、時に衰退する。環境の変化や天変地異や疫病等の要因により、一時的な生態系の乱れこそ生じること有れども。少が多になれば多が少になり、どこかで揺り戻しの働きが起こる。そうしておのずと釣り合いを取り、整った状態に帰結回帰せしものなり。それが必定。繁栄と衰退を繰り返し、生態系は無常に巡り、大いなる流れとなる。それが調和。食物の連鎖として形成された理たるもの。
しかしもしも【厄災】と呼び称されるような。際限や限度を逸した繁栄をする種が沸いてしまったならば、それは最早【禍淵】と扱い、畏れる他に無い。たとえ『繁栄』こそ、生命すべての持つ根源的な願いだとしても。見過ごしてはおけない。必ずや調伏しなければならない。他種を蹂躙し、食らい尽くす暴虐の末には、子孫繁栄なぞ有り得ぬもの。放置すれば、やがて此土は増え過ぎた厄災の身に覆われ、タチガレへと至る。凡てを道連れとした破局という自滅が迫っているのだから。
人は己を今一度省みて、厄災を祓い、戒めとしなければならないのだろう。そして何故、斯様な厄災が此土に沸き出してしまったのかを鑑みるべきだ。人の内に潜む災の芽は、けっして祓う事が叶わぬ己が片端なのだから。敢えてそれ以上は語るまい。
自らの種が繁栄可能な範囲を、自然の中で培われた法則や、増え過ぎて自滅すらし兼ねない危険性を無視し。ただ同族以外の生を貪り喰らって、制御を越えた繁殖に重点を置き暴走した悲しき命。
本来は大人しく、警戒心が強く、少数の群れで虫や植物性の僅かな栄養を糧とする命。それが人身さえも己が獲物とし、群れで襲い食らうようになってしまった。そうして喰らえば、その分だけ無秩序に繁殖する。同じ性質を持った個体が増える。
全にして一、一にして全の群。
その実態は驚くほどに単純であり、己の複製個体を生殖もせずに産み落とす歪な変異をした鼠。
故に、凡世覆軍。放っておくと、ある地域ーつの生態系のみならず。万の世を、此土そのもののあらゆる世を貪ってしまい。その末に、此土を同族で覆ってしまうのではと畏れ喩えられた災厄。
◇◇◇
◆マガノミ【禍巫(様)】
統巫と本質的には同じ存在なものの、統巫とは逆にその統べる力の“柱と役“から、人々や此土に厄災を呼び込んでしまう存在達だと謳われる。
この辺りの土地(※シンタニタイの地、周辺)に確かな記録としてあるのは、数百年前に何処からか現れて、大國を“その身より振り撒いた厄病”のみで滅ぼしたとされる蝕統導巫という禍巫ただ一柱のみ。
人類の健やかな営みの上では『居てはならぬ』存在だが、此土の恒久的存続の為には、必ず何処かに『居なくてはならぬ』面も有るとされ。矛盾した在り方をする悲しき者達という。
◇◇◇
◆マガフチ【禍淵/魔淵】
厄災の如きもの。大いなる流れの歪みであり欠陥。此土の秩序に溜まる穢膿、摂理の癌。命の宿業因果の報い。忌むべきもの。良くない物の濁った澱みによって生じるとされる“架空”の化物。または災害などと称される。
某之怪との差異は、その『実在』の有無に関わらず『実害』であり。(※例として。村人全員が正体不明の何かに無惨に喰い殺された村といった事例や、禍淵が居ると信じて恐慌に陥った人々の狂気的な行動等)目に見える形で、禍淵が原因とされる“実害”が発生している。発生したかどうか。
放置すれば禍の淵は、此土全体を侵す縁と転じ。病魔の如く、厄災は伝播伝染し侵食するもの。多くの土地や國で禍淵とされる事象が発生した場合は、必要に応じたその周囲一帯が禁足地と定められ。古来より伝わるその土地事の禍淵を鎮める為の、然るべき祓い事と浄めの慣わしが取り行われるとされる。
◇◇◇
◆マホロバぜみ【楽土蝉】
翡翠色に反射する身体に、薄葵色の翅。翅には対の瞳模様が特徴の蝉。雌と雄ではその模様の大きさと位置に僅かな差違がある。
この種は外的刺激に弱く、温度変化にも弱く、大きめな身体から飛行も得意ではなく。顕著な体色の為に目立つので鳥類等の天敵にも狙われやすく。十年以上を幼虫の状態で土の中で過ごすため、生活環の循環がとても遅緩な上に、繁殖力が極めて低い。したがって楽土と名前に付いているように、いくつかの条件が重なった自然豊かで静穏な土地にしか生息できない希少な蝉である。
一度聴けば、忘れ難い鳴き声の蝉としても有名。鳴き始めは高く力強くて、徐々に低く細やかにしていく『キュル、キュル、キュルリ』と表される、美しく寂しげな鳴き方をするという。
◇◇◇
◆ヤッタネウネクル【彼ノ者】
此土始導至集に登場する彼ノ者の一柱。神。
礎となりて道引く者。偏する陰と陽の秤持ち。
曰く、『神々の意図を越えて此土で最も繁栄した命ではあるものの、人はどれだけの永い刻が過ぎようが、どれだけの命が失われようが、衰退と繁栄の環、終わりなき苦しみの輪廻から解脱する事が叶わないではないか』ならば『神々の傍観は誤りであった。人には神々が必要であり、神々が直接的に人に手を差し伸べ、人の中の優れた芽を伸ばし、人の中に紛れる弱い芽や悪い芽を間引き淘汰する。其れこそが正しき秩序。其れこそが真に望まれる務めなのだ』そう定義付けてしまった。
曰く、『望まれた神々の在り方から外れ、その末に“己の存在”が災厄の権化である禍神となってしまうとしても構わない』と。この一柱は神々の中で最も“正しい神”であろうとして己の歪みさえ容認し、終いにはそのまま壊れてしまったという。此土始導至集の譚では結果的に、殆どの神々、彼ノ者達が此土を旅立ってしまう大きな原因の一つとなる。




