一章……(三十一)【丸綿】
ケンタイのお供として厠に行って、その帰り。
リンリは中庭に乗り出し、空を見上げてみる。
曇天とした空模様。まだ真昼を少し過ぎた時分だというのに、暗い。それに加えて、先程までは無かった薄い靄が立ち込めてきていた。
そのように。口を開け、天を仰ぎ見ておると、
「――居た。兄ちゃん!」
「お兄さーん! 探してたんだよー!」
「……お兄ちゃん、です」
廊下を走ってきた子供達三人に飛び付かれる。
三人いっぺんは受け止め切れず、床に倒された。
「――いたたっ。腰と尻が……。
慌てた感じで、皆どうしたんだよ?」
「……ぅっ」
「……あのね」
「……その」
三人は訳を話す前に、あたかも叱責されたような様子で表情を歪め、身じろぎ。廊下の真ん中で男の子を先頭として身体をすぼめてしまうでないか。
「あー。その反応でよく解ったぞぉ。
俺の背後に、恐ろしい人でも居るんだな……」
男の子達と対面する方向に首を回せば、こちらに“のっしのっし”と歩いてくるケンタイの姿だ。彼も厠を済ませ、何処に行ったかと思えば。その左手には食事の乗ったお膳が抱えられていた。
……リンリの分も合わせて、ついでに二人分の昼食を貰いに行ってくれたらしい。なんだ。頼んでくれれば良いものを。片手が満足に使えない怪我人に配膳係りをさせてしまった。
「ケンタイさん、怖い顔するの止めて下さい。
子供が怯えますから。あと膳は俺が持ちますよ」
彼からお膳を奪い取る。
子供達共々、睨み据えられてしまう。
「オイオイッ、お前さん。『怖い顔』ってのは、オヤジの事かよ。酷ェなァそりゃよォ。こちとら表情筋を限界まで鍛えて、笑みを絶やさねェ気さくなオヤジとして売り込んでんのさ。子供が怯えるなんてあるわけねェだろォ!!」
眉を吊り上げ、焼け付くような眼差し。
歯をむき出して、大声。そんな言葉を宣う。
「――なん、だって……?」
思わず手に持ったお膳を落としそうになり、廊下の高欄に一時置いておくリンリ。
――自覚がない? そんな事が有り得るのか?
それこそ冗談でなく? 信じられないぞ……!
色々と言いたいが、ケンタイには己の現在の表情を鏡で見てみて欲しい。現実を見て欲しい。表情以外にも、他人に“怖がられたくない”なら、改めるべき声色やら立ち振舞いやら有るだろうが……。
「そンで? そいつら。ガキんちょ達がどうかしたのかよオイ。あれか。この機会に、オヤジに『鍛えてもらいたい』と志願してきたつゥー話かァ? 悪いが、早い。もうちィと成長してからだな」
「違うと思いますけど……」
片膝を折り、屈んで。先頭の男の子に視線の位置を合わせるケンタイ。彼は「筋肉は良いだろォ」と「もう少し身体できてからなァ」と語り、機嫌が良さげに「ガハハハ」と笑い。男の子の肩をペシペシと叩いて懐から取り出した菓子を握らせた。
男の子は涙目だ。よほど怖かったのであろう。
でも二人の兄貴分として頑張った。よく頑張った。
ケンタイと子供達の間に入り、皆を安心させ。
リンリは再度三人に問いかける。
「――で実際は、皆どうしたんだ?」
男の子から、袖を掴まれた。
その袖で、男の子の目元を拭ってやった。
「ぐっ……。兄ちゃん“まるわた”がっ!」
「“まるわた”がね。逃げちゃったって!」
「……うん。いっちゃった。です」
――なんと【まるわた】が逃げてしまったと。
それは大変だ。事の程度を確かめる為に、リンリはケンタイに視線を送ってみる。すると彼は左腕の筋肉を誇示していた。いやだから『安静にしろ』と内心で言葉をぶつけておく。
「――“まるわた”が、逃げたっ?!
えーと悪い。まるわたって何だろう?」
「兄ちゃん。兎だ、兎っ!」
「丸くて、綿みたいなの!」
兎……? そういえば、居たか。
三人のうち、童女ちゃんが抱えていた兎が。
「……いっしょに、これ、とりにいった」
童女ちゃんが、土で汚れた手を開き。
毒々しい色の五角形をした草を出してくる。
「よく見付けたなァ。ソイツは、タマカギルの葉じゃねェか。上はただの苦い草だが。根を煎じて飲むと、強い鎮痛作用がある多年生の草だ。珍しいが、統巫屋でもたまに生えてたかァ」
人の頭に手を置き、覗き込んできたケンタイ。
童女ちゃんは、その【タマカギルの草】をそのまま手を伸ばしてケンタイに差し出した。
「オイオイッ……あ?」
「あげる。からだ、だいじに」
よく見てみるとタマカギルの草には根がない。
まだ幼く、どこかで聞きかじった知識。根に効用が有ることまでは知らず。根を地中に残して引っこ抜いてしまったのだろう。
それでも。意味が無い行為では、ない。
「こわいけど。すき。
だから。からだ、だいじにね」
「――感謝すんぞォ。あんがとなァ!」
ケンタイは草を受け取って、直接口に入れた。
やはり苦かったか凄まじい顔。ここは笑い処だ。
リンリも、残りの二人も。童女ちゃんの『オヤジが好き』発言に目を丸くして固まっていた。怖いけど好きと。父親などに向ける感情の延長に近しいものではあろうが。幼い少女の好みは、解らない。
「“まるわた”ちゃん探しだな。大丈夫だ。
任せろ。きっと見つけられるさ!」
放心状態が解けて、リンリは手を打つ。
――さて、突然の一仕事ときたぞ。
あまり時間をかけると、もっと暗くなる。靄も酷くなるかもしれない。急がなければ。
ケンタイの『監視役』は誰かに引き継ぐとして、リンリは自分に助けを求めてきた子供達に応えた。
◇◇◇
南側から森林を抜け、そこは草地となっていた。
草地の先の木々には注連縄が巻かれており、何かの境界を引いているようだ。
前方の先、北西から東にかけては、進んできたところより深い森林と背の高い草が繁っている。
「――このあたり、でした」
「統巫屋から二十分くらいだったな」
童女ちゃんに案内してもらい、到着。
統巫屋の門を出て、白くて四角い塀というか外壁というかに見送られてから、それなりに歩いた。
地図を開き。概ねの位置を確認してみれば、
領域の『西北西』端部分、崖に近い場所か。
まったく。正午前に兎を連れて、一人と一匹でこんな遠くまでやってきていたとは。その優しい動機はどうであれ、後で叱ってもらわなければ。
リンリは、物置きから借りてきた網を構える。
それに倣って、男の子も網を構える。
中性的な男の子も、網を構える。
ケンタイも、左腕で網を構える。
「……いやあの、ケンタイさん。なにナチュラルに参加してんですかっ。監督者として同行してくれたのは嬉しいですけど……。というか無理やり同行してきたのを止められなかった俺ですけどね――」
「ハッ、オイッ。言い淀んで、なんだよ?」
「――あなたは怪我人ですからっ!
安静に。立って見てるだけでお願いします!」
怪我人のケンタイの監視役のリンリの監督者のケンタイ。ややこしい。ケンタイが重複している。
何故に彼の同行を拒めなかったのか。それは『オヤジの為にした行動でよォ、兎が逃げ出したってんならな。そりゃオヤジの責任だろがァ!』と。己の理屈を押し通す彼に、リンリが言い負けたから。
――本心では。殴って、殴られてでも。
彼を寝かせておくべきだったのかも知れない。
その場合はリンリが逆に寝かされて、ケンタイが兎を探しに行ってしまう可能性も大いに有ったが。
「ペットショップで短期間、生態のお世話してたことありますけど。兎は逃げ出してもそんなに遠くには行かないらしいです。臆病だから、驚かさないように注意するのが大事。静かに探して、見付けてキャプチャ作戦っ! ……よし、皆いいか?」
もう仕方ないと。網を掲げて一声す。
「作業にかかれー」
「「「おー」」」
――端を発するように、弱い風が吹く。
草が揺れ動く。木々の枝葉がさざめく。
先の深き森林より、ひゅるりと煽る風の波。
「――おいッお前ら。聴けやァ」
その時、その時だ。普段にも増して、強面。視線だけで人間を恐怖に戦かせられそうな荒々しい顔付きをするケンタイ。
「……ケンタイさん?」
「――統巫屋によォ、後ろを見ずに走れェ!!」




