一章……(三十) 【親父】
――抜き足、差し足。抜き足、差し足。
視界の端で、強面巨漢が扉に手を掛けたところ。
「あ……」
ウトウトしていたか。いけない。些か緊張感に欠けるお勤めだったせいで、どうにも眠気が。
眠気。数日はよく休めていないのも一因か。
危うく何処かに逃げられてしまうところだった。
目を擦り。リンリは立ち上がって、
「――ケンタイさん。どこに行くんですか?」
そう彼を呼び止めた。
強面巨漢ケンタイさん。
彼は振り向き。悪びれる様子も見せずに扉から指を放す。眉はハの字に、えくぼに皺を寄せ、下唇を噛み。リンリに恐ろしい顔を向けてくる。
訂正、おそらく戯け顔を向けてきたのだろう。
それのち、副木をしていない方の左手をひらりひらりと動かして見せ、短く「堪忍ん、堪忍ン」と降参の意だかを示してくる。
「ダメですよ。しっかりと安静にしてないと。
放っておくと、鼠退治に『勝手に参戦してきかねない』って。俺が監視に付けられたんですから」
「なンだ。面倒かけて済まねェなァ、オイ」
「ケンタイさん……。いったい、どの立場で言ってんですかその言葉。しかも現に今、俺の隙をついて『脱走』しようとしてましたよね?」
怠そうに、頭の後ろを掻くケンタイ。
「逃げ出されちまったら、そん時はそん時だ。
オヤジに逃げ出されたとしたらよォ、監視を任された“お前さん”の落ち度ってヤツだな。本能のままに生きるオヤジを束縛してんだ。そのオヤジに責を求めても仕方ねェって話だろ? 違うかァ?」
「――違います。絶対にその理屈はおかしいっ!
というか、オヤジって動物か何かですか!?」
本能のまま生きるオヤジ……。なんだそれ。
「――ハッ。オイオイ、お前さん一丁前に言うようになったじゃねェか! オヤジを畜生扱いとはなァたまげた。そいで信用を得て、邪魔なオヤジの監禁ときた。次はなんだ。使従の座でも狙ってっか? 徐々に恐ろしい本性を表してきたもんだァ」
「いやいや。人の事を、なんか裏で企ててる悪者みたいに表現しないでくださいっ!」
ケンタイは大声で「ガハハハ」笑うも束の間。
右肩の辺りを押さえて顔をひきつらせる。
ほらどうだ。だから何度も、リンリが「安静に」と伝えているのに。この親父ときたら。
「ケンタイさん……」
――ケンタイの姿は痛々しい。上半身はぐるぐると包帯で巻かれており、右腕に副木をしている。
彼が担架で運ばれて来た際は、皆が憂患した。
聴いた話によると。
策定の際に説明のあった対策、鼠返しの付いた『関壁』を老木を利用し固定したところ、耐久性と強度の確認中に老木が根元から折れて来てしまい。作業者達が押し潰され“かけた”と。
居合わせたケンタイが、咄嗟に作業者達を押し退けて老木の幹を受け止め。数秒耐え持ち堪えた後、全員が逃げたのを確認すると力尽き。彼は関壁と老木の幹の下敷きになってしまったらしい。
安全性を後回しにして、突貫的に作業を進めてしまった託統導巫ヒノアサメの従者の非であり。
十分に理解しないまま作業を進め、関壁の固定方法を誤っており。一本の老木に複数の負担を集中させてしまった現場の筋肉達の非もあった。
此土に労基署のような機関が存在するなら、後々みっちり指導されてしまうだろう。
「気にするこったねェな。変な顔をすんな。
痛みが残ってるだけだ、直に治まるだろうよォ」
「ほら、安静に!」
ケンタイは、なかなかの重症ではあったが。
幸いにして系統導巫の『命を操る』権能、ハクシの力で処置をし。折れた骨の接合。筋肉や内臓組織の修復を迅速に行えて。まぁ事無きを得た。
しかし、怪我に対しての自然な治癒の流れを経たわけではなく。強制的な方法で骨を固定し、血管や筋肉を繋げているだけなので身体の内はまだボロボロであるのだと注意されていた。
多くの血と栄養を人体修復に充ててしまい。
肉体の組織は、辛うじて日常生活を過ごせる程度の継ぎ接ぎ状態。本当の意味で完治するには、少なくとも半月は“絶対安静”が必要だと……。
だから。リンリは扉の前に立ちはだかり、
「安静! 安静!」
彼の背中を押して、床に敷かれた布団へ誘う。
「ンわーたよ。仕方ねェなァ。
特別だ。オヤジの監視なんて損な役を任されてる、お前さんの面目を立ててやろうじゃねェか」
「だから、ケンタイさん。
どの立場で言ってんですかその言葉……」
口でやれやれと。ケンタイは中央に敷かれた布団を跨ぎ、窓側の文卓の前に腰を降ろしてしまった。
「横には、なってくれないんですか?」
「悪いがなァ、領域の外の事がよォ。
何もせずに天井を見てっと、気になっちまって。
おちおち床に就いてもいられねェんだよクソ……」
ハクシ達は、今頃は外で……。
本当ならば外で、使従としてケンタイは、系統導巫のハクシを守るお役目があったというのに。
仕方ないこととはいえ。急な怪我から身体が『万全でない』とされ留守番。元々お留守番だったヤツとは訳が違う。彼の心の内は察するに余りある。
「……そうですね。わかります」
でもきっと、心配する気持ちは同じだ。
「お前さんは、休んでも構いはしねェぞ。
オヤジの布団だが、臭くも汚くもないから安心しとけや。使うんなら勝手に使え。お前さん、初めて会った時みてェな目の隈に顔色してよォ。酷ェ面してんじゃねェかよ。そっちも気になんだよオイッ」
そんな彼から、同じく心配されていた。
「俺が寝たら『脱走』しませんか……?」
「お前さんが『休みたい』ってよォ。理由を告げて横になるんなら。そうしちゃ、あれだ。オヤジは勝手に部屋から出たりはしねェぞ。それは誓ってやるよ。お前さんを裏切ることになっからなァ!」
「ありがとうございます。でも寝たりしません。
俺も起きてますよ。全部が終わって。ハクシ、サシギさん、シルシ、筋肉野郎の人達。皆に『お帰り』って声をかけるまでは……起きてますから」
「オイオイ……」
呆れたような顔で、彼から屁を鳴らされる。
「お前さんも大概よ、ン面倒くせェヤツだな――」
臭う。リンリは換気の為に障子窓を開けた。
外は曇天。寒くなり、すぐに窓を閉めた。
「――そう、ですね。でも、そんな面倒くさい自分でも良いんです。そう皆から言われました。
欠点も有って、良いとこもある。どうしたって俺は、俺です。他の何者でも無い。今後は、もうちょいと自分を好きになれるよう努力して。今の自分を見失わずに。生き抜こうと思ってるところです」
「ハッ、そうかい――」
ケンタイから左の拳が突き出た。
指でさして、リンリの拳を求められている。
「……フィスト・バンプ的な?
えーと、世界観が違う気がしますが……」
その拳に、自分の拳をぶつけ合わせるリンリ。
「……オヤジの故郷の、習わしだァ。
年長者や立場が上のもんが、若人や部下に拳をやってな。鼓舞してやんだよ。鼓舞志合とか呼んだか。そういうもんだァ、洒落が利いてンだろ?」
「洒落……駄洒落ですね。
いや、ありがとうございますっ!」
「――こいつはよォ、お前さんだからやった。
オヤジが、危ういヤツに鼓舞してやりてェと思った時にやってんのさ。ここの筋肉野郎共以外、やってやったヤツは、クソッ垂れな世界でみんな死んじまいやがったがよォ……」
「あそれ、フラグ……」
「ふらぐぅ? は? いんや。テメェは違うだろ?
勘違いすんじゃねェぞ。壊れたり、狂ったり、命を投げ出す。お前さんには無縁なもんだとオヤジは信じてんぞ、オイッ!」
――やや不謹慎ながら。
今其処に、ケンタイが居てくれて安心した。ケンタイと共に過ごし、不安を忘れられた。大人の男としてリンリは自分で情けなくあり。
しかし、心の内より尊敬できると判断した人間が身近に居ることに喜びと誇りを抱く。彼は、リンリの精神的な師匠だ。統巫屋の現地師匠だ。
――または、現地親父だ。
◇◇◇
「――そいでもってよォ。
オヤジは、今にして思い返してみりゃ『死に場所』でも探してたンだろうなァ。長く長く、身を削るような忘我の放浪よ。歩みを止めてりゃ、其処ですぐにくたばったろうさ」
「…………」
「でも死ねねェ。テメェの心は死んだが、身体は死んでくんねェ。さながら此土をさ迷う亡者さ。いつの間にやら生まれつきの病が悪くなってんのに加えなァ、厄介な病まで抱え込んじまって。足を動かすのさえ、目を開いてるのさえ、息をするのさえも難しくなっちまった……なのにどうして死にゃしねェんだよこれが」
「…………」
「そいでなァ。アイカミ……あいや、女の『苦しんで』と呪いの言葉は一時も止むことなくなァ、人の頭の中で響いてやがるんだ。たまったもんじゃねェよ。だからよ。テメェは女の言葉に従った。それが罪滅ぼしにもならねェ、もう意味を持ってもいねェ約定だと知ってても。と、だがある極寒の最中。限界がきてよォ。オヤジは、この地で倒れた」
「…………」
「この地に拾われたのさァ。んで命は取り留めた。
そいでも臓のいろんな所がよ、病に侵され。無理も祟り。その間もなくオヤジは終わるはずだった。が、死なねェのさ。オヤジはテメェ自身の“執着”に呆れちまったよ。『なら、苦しんで』『生きて』って女の言葉への執着だ。気持ち悪りィな。本当に呪いってヤツだありゃよォ」
「…………」
「ある朝起きてみりゃ、系統導巫のミナリミに迎えられた。『以後よしなに』と。オイオイなんだと、その時ばかりは叫んだぞォ。まったく知らんうちになァ、系統導巫の使従【ケンタイ】ってのに成ってやがると。行き倒れた際に、この地に何かを願っちまったらしいって話だ。彼ノ者の眷属、使従となった対価だか何か知らんが、蝕んでいた病は無くなっていて、身体は以前のように筋肉がよォ……」
昔語りをしているらしいケンタイ。
それを黙って聴いていたリンリは、頷き、
「……店内で召し上がりますか? お持ち帰りになさいますか? 期間限定のコチラはいかが――」
目を開いたままで、完全に寝惚けていた。
「――はァ?」
ケンタイによって、文卓が叩かれる。
「――ハッ! ……あぁ、すいません。
ケンタイさん、俺に何か話してくれてましたか?
夢の世界にトリップしていたみたいで……」
「オイオイッ……まるで聞いてなかったなァ?」
「ははは。はい、申し訳ありませんっ!」
謝ると、彼は恐い顔で文卓に突っ伏した。
元はといえば「疲れを飛ばせるから」と、
自分に強い酒なぞ呑ませるからだ。
「オイッ、なんだ。クソッ興が冷めた。
……厠に行ってくる。『脱出』じゃねェぞ」
「えと、俺もトイレに……」




