一章……(二十八)【厄前】
統巫屋の中庭に運び込まれて来た物資の山。
件の『ぼん……なんとかの鼠』を駆除する準備の為に送られてきた建材やら食材やらの山だ。
鼠退治の策定が交わされて、もう次の日の昼前には物資が届くとは。いったいどんな運送手段を利用したのか自分には考え付きもしない。統巫屋も集落も山懐の大自然の中にあると聞いていたが……。
まぁいい。今は頭よりも身体を動かさねば。
リンリは忙しく物資の山を荷解いていき、
端から選別と移動をこなしていると。その時、
「――もし、其処な御仁。
そうボクは、声を掛けてみたのだった」
「……ん?」
何処かより呼び掛けられたか。
「どこから? あぁそんなとこに」
声のした方を向くと、中庭の隅にある庭石に腰掛けている童女の姿。彼女は、誰だったか……。
白髪に赤目、蛇の尾を持つ童女。外套の上から更に葵色や翠色の羽織りを何枚も重ねて被っているその姿は十二単のようであり。どこか雅やかでいて、しかしその振る舞いや身体的特徴から異質な雰囲気を纏わせる娘だ。
「おや、見付かってしまうとは。
ん、ボクは隠れている訳でもなかったけど」
庭石にちょこんと座る彼女と、視線が交わる。
可憐な紅玉の瞳は、此方に人懐っこく親しげな感情を向けてきているようだ。けれど、じっとみていると血色の奥に言い知れぬ闇を垣間見せ、じわりじわりと形容できぬ畏れを抱かせてくる。
かと思えば、彼女はやはり人当たりの良さそうな笑顔を向けてくれているのだ。
いったい、彼女は、
「えーと、どちら様だったっけな?」
「――覚えていてよ。ボクは、アヤシ。
統巫、斉統導巫だと既に告げていたはずだ。呼ばれ方は、気にしない。覚え易く呼び易く、例えば『斉統さん』とでも呼んだら良い。そう提案する」
「サイトウさん、か」
サイトウさん。そう告げられると、リンリが過去『被り物をして怪人と闘う役』をする興行な仕事仲間であった『怪人役』のオジサンの顔が浮かぶ。
地方の小規模な興行の劇、その一役。それにしてはとんでもない運動神経を誇り、巷で話題となっていたオジサン。彼の名前は斎籐さんだった。
「サイトウさんって……世界観が壊れるな」
苦笑いを浮かべて呟いてしまうリンリ。
何かが面白かったのか。
彼女は瞳を輝かせて「クスッ」と笑って返す。
「ボクと話す際があるとは、才が有る。
この再開を祝して。細やかながら、こちらを与えるとしようか。受け取って欲しく思う」
「あぁ、どうも」
彼女から白い蛇の尾が伸びてきて、そこに咥えられた筒状の物を渡されるリンリ。
蛇の尾というか、蛇の頭は、当然に彼女の意思で動かせるらしい。どうでもいい話だが。
リンリは深い理由なく昔飼っていた蛇が懐かしくなり、その蛇の頭を撫でてみると。彼女は顔を紅くして身をよじり、撫でた指を蛇に噛みつかれた。
「いてっ」
「ボクに触れないほうが懸命。災があるぞ。
ボクの取り扱いは、細心の注意を払うことだ。
そう最初で最後の忠告をしよう」
「あぁ、ごめん。悪かった」
すぐさま謝罪の意を示すが、
彼女は「そういうことではない」と頭を横に振る。
「危険ということ。
次に、ボクに噛まれると最期だ。ボクの毒が致死量を越えてしまい、その身体が血飛沫をあげて吹き飛んでしまうぞ。そう宣告する」
「――なんだってっ?! 怖っ!?」
「打ち明けるさ。冗談だとも。ゆかいな御仁だな。
ボクは珍しく心が弾み、笑みを浮かべてしまう」
「……そうか」
……此土の童女は、どうも癖が強い。
彼女に遊ばれてしまって。リンリの少しだけ成長した『空き缶』のような心が凹んだ。
「んでもって……コレは」
彼女より渡された、筒状の物品に視線を落とす。
筒の材質は紙製だかで、竹輪と同程度の大きさにしてはやや重さが有る。中身は、封がされていて破かないと解らない。それに片側の内円には導火線のような紐が付いている物品だ。
……正直なところ、爆発しそうな見た目である。
「何だこりゃ? ダイナマイト?」
「だいなぁまいと……? それは発香筒だ。
ある種への強力な誘引作用が有る。匂鼠用の特注。
危ない際に紐を引き、できるだけ遠くへ投げて使うことで誘引作用の煙を昇らせる。その間に災から逃げるんだ。無意味な御守りよりは済にはなるだろうと太鼓判を押したい。しかし、考え無しに使ってはいけない。策が成り立たなくなると警告する」
「誘引作用か……。コレで変なところに誘導して、もし逃げられたら今回の駆除の意味が無くなるんだよな。あの巻物を読んだから理解してるさ!」
彼女は『こくり』首を縦に振ると。
庭石から飛び降り、何処へやら歩み出すのだ。
「この地には、個人的な理由で迷惑をかける。
ボクは僅かでも済となればと。渡せる者に配るために用意してきたんだ。使用する際は、来ないに越した事はない。そう願うけれどね……。どちらにしろ賽を投げてみるしかない。ボクは意味も無く、そう言い残すのだった――」
「サイトウ様……さん、で良いのか?
ありがとう。コレ、いただいておきます!」
筒は懐にしまっておき、礼を述べる。
気が付くと彼女の姿は消えていた。
「……意味有りげに、アイテムを入手した」
とは言っても、直接使う機会は訪れない。
リンリは領域の内側の安全圏で、鼠の厄災と対峙する皆の帰りを待っているだけの身分だから。
「よし。シルシにでも渡しておこう」
数日後に来る鼠の群体。
統巫屋側の人員で鼠と直接まみえるのは、系統導巫のハクシと、ココミ以外の使従達に、それに加えて腕に覚えがある筋肉野郎共が三十数名だ。
必要とされたのはハクシ一人だったが、結果として『系統導巫様のみに背負わせはしない』し『この地は自分達も守らねばならない』と主に筋肉野郎共より声があがった。
集落の者達も心は一つ、けれど各々にできる事は限られておる。臆病になるしかない。臆病だからこそ系統導巫に依存する体制が築かれ、今日まで安定した暮らしを送ってこれた故に。『ならば自分達は系統導巫に背負わせ、守られるだけの畜生か?』と『畜生でも構わない。しかし畜生なりに主人への忠義は示して然るべき』で『臆病で結構だ。万が一にも、集落を途絶えさせぬように身を守る事だけしてればいい。荒事は筋肉に任せておけ!』筋肉達は力強く長老に申したのだ。やはり筋肉は心強い。
当日までには、婦女子、老体、残った男、全員が絶対に安全な統巫屋の領域内に避難してくる。
全員の避難が済んだなら、統巫屋は普段よりも強固な領域の干渉を以て外界から隔てられ。鼠を迎え撃つ厳戒体制が敷かれると相成った。
「どうか。何事もなく終わりますように。
俺は自分にできることをして、皆の無事を願って、後は大人しく引っ込んでるよ……。それしかできないのが心苦しいけども――」
◇◇◇
小休憩。でなく、暇をもらってしまった。
交代に人が来て。思い返してみれば、自分は朝からずっと休憩を取っていなかったらしいと判明。
そうか。もう日が沈みかけているし。
おまけに『どうして交代を申し出ないのか』とソラから怒られてしまったリンリ。いや本当に気が付いていなかっただけなので『ご勘弁』と謝った。
心配事があったりすると、ほらこの有り様だ。
リンリの精神は相も変わらず脆くて困る。自分自身の制御さえ儘にならなくなってしまう。
とっくに水気が抜けた握り飯を飲み込んだ。
もうこれは昼飯、というよりかは晩飯に近しい。
「こんな時は、ふらふらしよう。そうしよう」
精神安定、気晴らしの為に散策としようか。
水筒を飲み干して、頬を叩き。立ち上がった。
廊下の高欄を手で撫で進む。故郷の町で、夕方になると流れていた曲を無意識のうちに口ずさむ。
……そうしていると。
「これ何の音だろう?」
普段は施錠され、使用されていない用途不明の建物の前を通りがかったところで、言葉に表すならば『パン、シュッ、ドン』と。そんな風な物音が聞こえてきた。聞き慣れぬ音だ。
気になって木製の扉に近付いてみれば、どうやら今時は解錠されている模様であり。
しかし勝手に入って良い場所かどうかが不明。
「むー。あれーどうしたの、お兄ちゃん?」
すると丁度よい所、木扉は内側から開かれた。
顔を出してきたのはココミ。
「ココミちゃんか。通りかかったら普段は閉まってるこの扉が開いてたからさ……。そういえばここって何の建物で、この中で何をしてるのか気になってなぁ。好奇心的なやつで」
「ふーん……。あー、そうかー!」
ココミは訳知り顔をして、手をたたく。
「うーわ、お兄ちゃん。やーらしい!」
「――いや、何故?!」
「あはは、男の子だもんね。
ココミ、わかってるよ。りかいあるココミだよ」
「男の子ではあるけども。嫌な予感しかしない」
「お兄ちゃん。のぞきたいなら、男らしくどうどうと入ってきて。どうどうと女体をながめたり~どうどうとついでに着替えを持っていったりすればいいのに。苦しい言い訳なんてしちゃってさ。むだに体面を気にするから罪になるんだよー?」
「絶対にその理屈はおかしいぞ!
墓穴掘りそうだし、細かくツッコミしないけど」
「ほらっ、だから。入って入って!」
「うわっ、ちょ、ココミちゃん――!」
毒舌にツッコんだ隙に、腕を引かれて拐われる。
リンリは否応なしに引き込まれてしまった。
「…………」
ココミに連れられた結果、シルシの“裸事件”が発生したという苦い経験から。細心の注意を払う。
扉から入って直ぐに更衣室のような部屋があり、そこを通り抜けると、奥に伸びた長い中庭に面した天井の高い一室に繋がった。
「ここは……」
見渡そうとするも。射し込む夕陽が眩しい。
「――肘の張りがなってない。姿勢も縦の重心が、引いたときに背中側によっていってる。良くなったところ、またすぐにだめになってるよっ!」
「うん? ココミちゃん……何を言って?」
急にココミが声をあげたので、一体どうしたのかと思えば。目蓋を開き、正面を見て理解が叶う。
今まさに弓の弦を引き、矢を中庭の奥に設置された的に向けて射とうとしている紅髪の女性だ。
弓矢の彼女に向けて、彼女に対して、ココミが送った言葉だったのだ。
――キリッ……キリ……ギリッ。
渇いた空気に、弓の弦が強く絞められる音。
――パンッ! 刹那、弓より矢が放たれ。
シュ……ッ! 風切りの響きが轟き渡り。
ドンッ! と衝撃は遅れて残響を伝えた。
矢が射られ、的の中央から逸れた所に命中。
あの特徴的な音は、弓矢を射る音か。それから此処は、簡易的ながら弓道場であったのか。
でもって弓矢を射る女性は、見知った彼女。
「凄いな、サシギさ「サシギお姉ちゃん、やっぱりこんなもんなんだ。あんまり才能ないね?」」
「えぇ、そうか?」
ココミにダメ出しされているのは、
まさかのまさか、サシギであった……。
「……才能、無くはないと思うけどな」
中心ではないけたれど、サシギの放った矢は遠く離れた的へ見事に命中しているのに。それでも才能が無いと切り捨てられるとは。弓の世界は難しい。あるいは、ココミの採点基準が厳しいだけか。
「このごろは、ここ閉まったままだった。
もうずーと、弓やってなかったんでしょ?」
「――――」
サシギは否定も肯定もせず、弓を見詰める。
「むー。才能ないなら、数をこなさないと。
ほ~ら、もう一度。言われたことを思い出しながら、からだの芯と軸に気をくばって。矢をつがえたら、肘は矢とからだが十の字になるように張って。あと、足はもう少し開いたほうが良いよ。よーし。
んじゃー、もう一度!」
「――はい!」
サシギは、的を正面に見据えてから返事をした。
彼女は集中しているのか。室内に入って来たリンリの存在には本当にまるで気が付いていない様子であって。ココミの指導を淡々と受けている。
「……普通は逆だろうに」
とりあえず、この一言に尽きる。
どうして童女なココミが、年長者のサシギを指導しているのだろうか。何故、弓矢の師事を?
リンリは不思議な空間に疑問符を浮かばせ。でも男子故に弓矢に興味を引かれたのと。サシギが普段はあまり見せない、統巫屋の御勤め以外で一心に何かに打ち込む様子を……邪魔してはいけないと。
だから、ただ黙って見守る事とした。
十分ほどは、そんな刻が流れてから、
「ころあいー。やり過ぎもよくないよ。
サシギお姉ちゃん、その辺りにしておこっか?」
ココミが『終了』の頃合いを告げる。
それでもサシギは、正面の的から視線を逸らそうとはせずに、腰に掛けた矢筒に手を伸ばすのだ。
「はぁー、もういいよ。ぜんぜん上達してないし。
もうおわりー。おわりー!」
わざとらしい『溜め息』混じり。ココミが厳しい言葉を放って、この場を締めようとした。
「はい――」
サシギは弓を下げて、
「――ですが」
脇の弓台に弓を納め、
「――最後に、ご覧下さいませ!」
その言ノ葉は、ココミへの宣言だった。
サシギは此方に振り向くと、弓懸を外し。
続いて胸当てを外し、矢筒を外し、袴を緩めて降ろし、ついには上着をはだけさせて……。
ようやく視認したリンリの存在に心付いたか。
サシギは指を止めて、此方を二度見してくる。
「……リンリ殿。……どうしてこの場に?」
「サシギさん。勝手に見てて、すいません」
止まってくれて良かった。
もうすでに胸のサラシやらの下着は見えてしまっているが、それより脱がれてしまっていたら『冗談』でなく丸見え。リンリが制止の言葉を掛けるか迷っている間に、彼女の生まれたままの姿を見てしまうところだった。
「――うぞうむぞうに構わないっ! サシギお姉ちゃんが手を止めてる間も、此土は動いてるんだよ。しじゅうとして必要とされているんだよ。ほら、時間をとらせないで。ココミに何かを見せてくれるんだよね? さぁ早くしてよ!」
そんなところで、ココミが一喝。
リンリに構わないで、さっさと脱げということか。
「おい、有象無象とかナチュラルに酷いぞっ!」
ココミからの扱いに、異議を申すリンリ。
「――ふふ。リンリ殿、私が今からお見苦しい姿を晒す事をご了承くださいませ……」
サシギは張っていた気を抜いたように、柔らかな笑顔を向けてくると。それだけ一言。言葉と同時に彼女は、はだけさせていた着物を放っていた。
「うぉっ! ……サシギさん?!」
大人の女性の裸体なぞ、刺激が強すぎる。
生まれたままの姿のサシギに、リンリは反射的に腰を落として目を背けてしまうが。
横に居るココミから尻を叩かれ「目をそらさずに見守ってあげて」とそっと耳打ちをされた。ついでに背中を叩かれ、無理やり首を傾けられて、再度サシギに視線を戻すことになる。
――次の瞬間、サシギは変化を始めた。
まず彼女の太股にポツポツと爬虫類とはまた違う形の鳥の鱗が現れる。その鱗はあっという間にサシギの太股から足の先までを包み込むと、彼女の足を鉤爪の生えた鋭い猛禽類の物に変えた。
次に、サシギの臀部の辺りから飛び出てくる羽。淡く七色に輝く美しい鳥の尾羽だ。同時に腕の羽毛は範囲を広げ、厚みを増し。彼女の腕が人の指の形を残して大翼に転じて行くではないか。
最後にサシギの首下から紅い羽毛が皮膚を浸食するように広がってくると、全身が覆われた。
――冠の如き頭の飾り羽根。
金色と橙色の模様がある両翼。落陽の光を受けて淡く七色に輝く尾羽の束。一度あの滝で出逢った、美しくも異形の出で立ちの紅き鳥人の姿。
鳥人は弓台より弓を嘴で咥え。矢筒を方翼の爪に引っ掛け、器用に紐を胸に巻き。飛び立つ。
「サシギさん。弓矢を持って、なんで空に……?」
あっという間に。地上から見れば、米粒の如き距離へと羽ばたいて行ってしまっている。
かろうじて見えた。上空で紅翼が翻って、円を描き舞ったのだと。そうすると、
――ドンッ! と。音が響く。
中庭の的の中央に矢が刺さっていた。
「……え、打ったのか? どうやって?」
「サシギお姉ちゃん……。足で弓を打ったね。
なーんで、あんなふうに打てるんだろー」
続けて再び、ドンッ! 中庭からの音。
的の中央に矢が突き刺さる音の響きが木霊する。
「…………凄い」
「むー。サシギお姉ちゃんは、ココミが思ってたよりも成長してたんだね。あの子なりに、目標をもって自分なりの結果をものにしてたんだね……」
三度目。放たれ矢は、風を切り裂き。
もう当然のように的の中央を射抜いていた。
「――――」
横から、喉を鳴らす音。
声を押し殺すような音。
リンリは、ココミの顔を覗いてみる。
「ココミちゃん? なんで、泣いてるんだ?」
「えー泣いてる? ココミが?」
「あぁ、泣いてる。ポロポロと、水玉落として」
「ココミが、そんなこと……。泣くなんて。
お兄ちゃん、変なことを言わないでよ……」
なおも水玉が落ちる瞳に睨まれてしまう。
「――わかった。俺は、何も見なかった。
そういうことに記憶を改竄しておくから……」
リンリは、そっと手拭いを取り出して。
ココミの顔に押し付けておいた。
「かんむりょう……。
知らないうちに、成長しちゃってさぁー」
「サシギさんのことか?」
「あはは……は。あの娘も、いつかココミをおいて飛び立って行っちゃうのかな……?」




