一章……(二十五)【来訪】
――神事の日より、数日が経った。
ハクシの見事な舞踊を見て、一時の込み上げた感傷に浸ったリンリ。しかしながら、末の心持ちは軽やかなものとなっている。
それは人々との関わりを得て、神事の舞踊を通し彼女の玲瓏たる姿を目に映し。リンリは自分なりの『結論』を導き出せたからに他ならない。
此れまでの、此れからの人生という『旅路』を。価値の有った、意義の在った、己に合ったものと受け入れた。もう十分に自分は『満足』したと涙を流したことで、終の結実を果たしたのだ。一人の人間として、大人として立って、歩み出す為の『真意』に至ったと標す。
リンリは、我ながら『遅咲き』だと思う。ここまでの心持ちにたどり着くまで、統巫屋で一月以上の時間がかかり。元の世界での期間も加えると、更に三年だか四年だかも月日が必要になってしまった。あぁ周囲の人間は皆きっと、子供から大人になる過程でたどり着いて、思春期のうちにとっく通り越しているものだろうけど……。
様々な思考の結果。つまるところ、
『――倫理。日々が満たされているのなら。
本来は、人が生きて、活きて、何処かへ向かおうとする行為に、深い理由や目的は不要なのだ』
こんな父親の言葉が、自己の定義と重なる。
ハクシが迎えてくれた統巫屋で、
サシギに告げた覚悟。ケンタイからの叱咤激励。
シルシと手を繋ごうとした、自分を信じる勇気。
ココミへ伝えた、弱さを補う繋がりの認識。
子供達がくれた自信。筋肉を鍛える重要性。
――自分が失くしてしまったモノと、自分に欠けていたモノは見付けられた。二つの世界、今日までに関わった全ての人から得た大切な宝物達で補完できたと思う。故にここで言葉にする――。
『――自分は、自分だっ!』
なんて……とても……恥ずかしい。
――なに言ってんだ、コイツと。
リンリの脳内を誰かが覗き観れたら、その父親譲りの不器用さと、無駄な生真面さ、頭の硬さを。次いで本人元来の幼稚さ、軟弱さを纏めてひっくるめて笑い飛ばされそうだ……。
リンリはそう客観的に、自分を省みれる要領は、前から持っていたというのに。そもそも脳内でこんな珍迷走を繰り広げている男は、それなりに変わり者なのではなかろうか。そういう残念な面が、短所だとは自覚している。けれどこんな自分でも嫌いになれはしない、愛したいと今なら頷ける。
――そんな風に愉快な考え事をしながら。リンリが廊下で荷物を運んでいた、ある日の出来事。
◇◇◇
歩を緩め、抱え込んだ荷物がぐらつく。
「んん。何だか、やけに混んでるな……?」
廊下の角を曲がると、前方の通路に人だかり。
筋肉野郎達や、女中の人達、透き通った人影、お菓子をご馳走した集落の子供達まで居る。
これは物珍しい。この時刻は本来、まだ各々が持ち場で勤めている頃だというのに。
子供達は軽く挨拶をすると去っていった。
三人はリンリに構って欲しそうな顔だったが、残念なことに本日は仕事中の身であり。彼らもそれは理解しているようで、別れの際にリンリに労りの言葉をくれると、仲良く手を繋いで歩いて行く。
一言二言のやり取りによると。彼らは単に、賑やかな様子の大人達の集まりに混じって遊んでいただけであるらしい。今日のお勉強は『急遽の中止』となり、周囲の大人はこれから“忙しい”と解っているので子供達はもう直ぐ集落に帰るそう。彼らの相手は今度、改めてしてあげようと意識した。
…………。
次いで近くの手頃な話し相手、筋肉野郎の一人に『何かあったのか』問いかけるリンリ。
筋肉な彼曰く、統巫屋に急な『お客様』がいらっしゃって。おまけに、そのお客様は統巫屋にとってもなかなかの“要人達”というではないか。
そうして通路の先の間、リンリの沙汰の行われた件の部屋で、これより暫くして“重要”な『対談』が執り行われるのだという情報提供。彼は筋肉を誇張する姿勢を取りながらも丁寧に教えてくれた。
「まぁ、俺には関わりが無いかなぁ」
たまに重要な仕事も任されるようになったが、所詮は下っ端の雑用係の身だ。要人との対談という催しに内心で興味は津々でも、リンリがそれに関わる事は『無い』と言い切ってもよいだろう。もし関わりができるとしたら、対談の要件が、統巫屋全体の案件に成った場合に限るか。
荷物を運びながら件の部屋の前を通るも。襖は閉じられており、内部の様子を伺う手立てはない。
好奇心から聞き耳を立てたりするほど、リンリは無作法な男でもなし。とはいえ、気になる。襖の前で十数秒だけ荷物を持ち直すために足を止め。だが結局は部屋の中の事は何も解らず。それ以上は不自然になってしまうので仕方なく通り過ぎ、任された仕事を淡々と進めるとした。
…………。
「あぁ鈍い筋肉痛が。いや、筋肉痛大歓迎!
身体がタンパク質を求めてい――」
「――おや、おリンちゃんさん!」
運んでいた炭の補充を終え。軽い身体の疲労をほぐし、背伸びをしつつ廊下に出てみれば、サシギからの呼び声。ではなくて、正しくは彼女の姉、女中頭のソラより呼び声だ。
おリンちゃん……。まだそれを言うか。それだと名前が『リンちゃん』みたいになっている。突っ込みたいが。かといって呼び名に反応すると遊ばれてしまうと知っている為、リンリは流すしかない。
「ソラさん。どうかしましたか?」
「えぇ。この通り、私だけでは荷が重いので。
もし良ければ、その肩を貸して下さいませ」
見たところソラは、リンリの見知らぬ“翁”に肩を貸しており。共に通路を進んでいる途中らしい。
「はい。俺の肩くらい、よろこんで!
お手伝いしますね。鍛えた筋肉の出番!」
二つ返事で引き受ける。
ソラの支えるのと反対側の、翁の肩を支えた。
翁に軽い会釈をして「初めまして」と挨拶。
モジャモジャの白い髪と髭で、此方に和やかな笑顔を向けてくれる。好好爺然とした翁だ。
「――しっかり励んどるかぁ……」
「はい?」
「おぉ……。おぬしは、わしの曾孫の……。
そぅ、ムキメキじゃないかのぅ……? おぉ……まこと懐かしいのぉ……。ちぃとも顔を合わせんで。数年ぶりかぁ……息災じゃったかのぉ?」
リンリは、翁の皺だらけの手で肩を擦られた。
「んぬ? ここで何をしとるんじゃ……?
おぬしは、一族の誉れ……。ここで系統導巫様と顔を合わせるのは尚早じゃろぅ……? おぬしは必ずや系統導巫様と添い遂げ……我等の繋がりを磐石なものとせねばならんというのに……」
肩に触れる翁の手に力が入る。
「顔を合わせるのは尚早と?
添い遂げ、繋がりを磐石なものに?」
誰と間違えられている?
ソラは咳払いをして、故ありげな視線。
「いや、お爺さん。申し訳ないですが俺はムキメキさんじゃないですよ。人違いですが」
「……ぇえ? ムキメキ、何か言ったかのぉ?
……このところ……目だけでなく、わしぁ耳が遠ぉなってのぉ。手間をかけてぇ、すまんがぁ……紙にでもぉ、内容を書いて……。そいで……。ソラに読ませてぇ、伝えてぇ……くれんかぁ?」
翁は目と耳が悪いようだ。
「このように。長老は歳のせいか働き盛りの男衆全員を曾孫のムキメキと認識してしまいますが、何も気にせずに接してあげて下さいませ……」
ソラがそう耳打ちしてきた。
「あの、それでどう接しろと」
「集落の皆は、この頃は馴れてしまい。
誰が最も真にムキメキを演じられるか、長老への朝の挨拶で競われているほどで」
「おーい、いやいや。おかしいです。“真にムキメキさん”って何ですかソレは? 本人以外に有り得ないと思いますが。……俺の中でムキメキさんが何なのかゲシュタルト崩壊が起こっている。あの、そこは本人連れて来て下さい!」
「はて……おリンちゃんさん。そのムキメキという者をどなたの事だかご存知ですか……? 現在の集落内部にそのような者は居りませんが……」
「――唐突なホラー止めて下さい!?
ムキメキさんっ! 実在してますか?!」
「筋肉野郎の中でも一段と逞しかった彼は、直系の子息で御座いますよ。彼は、集落外での御勤めをしている方なので。あしからず――」
「…………」
「…………」
ソラとリンリが見合わせる。
奇妙な間が過ぎた。冗談好きな妹と、同様にソラも冗談好きではあるが。今のは冗談か?
「――ソラさん? えーと、俺の頭が本当におかしくなりそうなので、少しずつ話題を変えましょう。個人的なちょっとした疑問ですが、このお爺さんがもし二人以上の若い男に同時に会ったとしたら。そん時はどうなるんですか……?」
「どうも二人居ても、三人居ても、長老は全員をムキメキと認識してしまいますが……」
「すいません。えっと。
それは流石に俺、笑うかも……」
歳のせいなら仕方ない。しかし高齢の翁の認識に対して不謹慎は承知でも、いざその現場にリンリが居合わせたとすれば笑いを堪えられるか怪しくなってしまうところ。
ともかく、肩を貸しているこの翁は、
「――長老、ですか? このお爺さんが」
「えぇ。齢はもうじき百、集落で最も高齢であり人格者の長老でございますよ。普段は、もう御歳もあり統巫屋まではこられませんが、集落にとって重要な要件は長老の判断を仰ぎます」
「なるほど」
察するに、統巫屋に来訪した“お客様”絡みで、ここまで長老を連れてきたのだろう。すると、この先に向かっているのは沙汰をしたあの部屋か。リンリに積極的な気は無くとも、この流れのままで『対談』に関わってしまうような予感がした――。
◇◇◇
正当な職務として襖を開き、部屋を覗く。
そこには、各人各様な統巫屋の主要な人物。
ハクシ、シルシ、ココミ、ケンタイ、サシギの五人が、いつになく厳かな面持ちで控えていた。
――リンリは皆の様子に、これは誠に『ただ事』ではないのだと。今になってから実感が湧く。
…………。
それから。ここに訪ねて来たという、来訪者。
「お客様――」
親しんだ皆に対面する形で、三人の要人。
襖を引く音をもって、彼女らを振り返らせた。
「――統巫……?」
――黒い方翼の女性。
――蛇尾を覗かせ、くねらせる童女。
――腰から下の半身が魚の鰭となっている少女。
――彼女らは何者か。それは解る。ハクシに教えられた知識によって判断できた。なんせ、全員が証たる羽衣を身に纏っていたのだから。
三人、改め三柱。これから『統巫』の彼女らは、いったい統巫屋に何をもたらそうというのか。
ハクシ以外の統巫であり、張り詰めた雰囲気をした彼女達の姿を瞳に納めると、リンリは何故か胸騒ぎを覚えてしまった――。




