一章……(二十三)【爆発】
――どかーんと、轟音っ!!
――それは、平和な昼下がりのことで……。
長閑に気を抜いて縁側でお茶を飲んでいた時に、
“どかーんと”統巫屋全体に轟音が響き渡ったのだ。
「――――」
湯飲みを口元で傾けたまま、リンリはこの事態に放心してしまう……。
今のは自分の「空耳ではないか」と疑いつつ。
湯飲みを水平に持ちかえて、近くの建物に目を向けてみれば、屋根の上よりゴロゴロと転がり落ちてきた何らかの物体……もといココミの姿が目に入る。
何故、屋根の上から……?
「――はっ? ……えぇ?」
轟音から続くココミの登場。そうして彼女は、頭から受け身も取らず地面に激突した。
これにはリンリも二重に驚いてしまい。手に持っていた湯飲みを落下させ、今回も自分の着物の股間部分を濡らしてしまう。
「――って、熱ァッウッ!!」
溢したお茶で、まるで失禁野郎みたいに……。
昔からリンリは、水分には運が無い。いつも巡り合わせが悪い。道路で打ち水を掛けられたりした事はよく覚えがあり。目前の水道の蛇口が、何故か破裂して“びしょ濡れに”なんて経験もある。
もうそろそろ、自分には水難の相でもあるのではと疑悄すべき頃合いだろうか……? 何時かそのうち水害とかに見舞われそうで怖くなってくる。
…………。
「で、えーと。ココミちゃん、平気か?」
縁側の先、落下した彼女に声をかけた。
「…………」
落下してきて、何事もなく起き上がったココミは無言で曖昧に笑んで返してくる。どうも“落下した事実そのもの”を笑って誤魔化そうとしているらしい。
そこで彼女は、下半身をぐっしょり湿らせた男の様子を目に入れてしまい、笑みを固めて。
まるで汚いものでも見たかのように経薄で且つ引き気味に後退りして去って行くのだ。
「…………」
――絶対に「漏らした」と誤解されている。
「……ココミちゃん、せめて何か言ってくれっ!
コレは漏らしたんじゃないからなっ!?」
リンリはココミを追おうとするも。
「ココミちゃん、待っ……てっ、もう居ない」
速い、速すぎる。追跡を迷っているうちに彼女の姿は消えているではないか。
仕方なく、ココミは放っておく。
今は「それどころではない」と思考を切り替えた。仮に、あの響き渡った“轟音”が事故や災害といった非常的な事態だとするならば、さっさと然るべき行動をしておいた方が賢いとの判断から。
……ということで。
手早く着替えて、自室を後にした。
◇◇◇
コレは――。
「――シルシっ?!」
――リンリがまず向かってみたのは、統巫屋の回廊で繋がっている建物の内の【雑舍】であった。
使従達の私室がある区画。音がした方向的に、そこかも知れないと見当を付けてやって来た。
加えて、以前にサシギから雑舍では『定期的な爆発』が有ると聴いていたので。半信半疑、まさかとは思いつつも来てみるとコレで……。
「しっ、シルシ……。嘘、だろ……何が?」
――焦げ臭い部屋の中央には、
ぐったりと力無く……シルシが横たわっていた。
――謎の既視感を抱き。リンリは記憶から、敵の自爆攻撃を受けて爆死した漫画の登場人物の姿を思い浮かべてしまう。これが漫画なら、爆殺された人物の何処か非現実的で滑稽な様子にじわじわと笑えてくるところだけども。現実で、すぐ目と鼻の先で人間が倒れているとなると、とてもじゃないが落ち着き払ってなどいられない。
シルシの衣の端々は焼け焦げていて、淡く蒼かった髪は毛先が灰色にくすみチリチリとしてしまっており、肌や鱗には煤が付着して黒ずんでいる。そうして彼女を襲った衝撃の大きさを物語るように、眼鏡が割れ拉げて転がっているではないか。
現場は彼女の私室で。入り口の木扉は見事に吹き飛んでおり、床板には円形に焼け跡が付き、紙切れや硝子片が散乱している。ぱっと見回しただけで彼女も部屋も酷い有り様だと知る。
――ふとリンリは、シルシと一緒に遊んだ『将棋』に似た遊戯の駒も地面に散乱している事に気が付いてしまい。最近もう当たり前となってきた日常が、また大切となったものが……失われてしまう。掌から溢れ落ちてしまう。かような恐怖と動揺に震える。
過呼吸ぎみに、堪らずに駆け出した。
――尖ったものを踏み怪我をしないようにシルシに近付き、彼女を抱きかかえる。
「シルシ、おいっ、シルシっ!
あぁ良かった。息が普通にある……!」
その服や髪に煤や焦げこそあるけれど、柔肌に直接の火傷などといった外傷は無いようで一安心。頬の汚れを指で拭い。シルシの口元に耳をやれば、問題無く呼吸をしてくれていた。静かな呼吸音から、気道の熱傷などにも心配はないだろう。
「良かった。無事で、良かった……」
安堵して、リンリはシルシを強く抱きしめる。
頬と頬が接してしまう程に強く抱きしめた。普段の彼女に“こんなこと”をやったら、リンリは尻尾で叩かれて拒否されてしまうのだろうが、今だけは勘弁して欲しい。無事を確かめて、思わず抱きしめてしまったのだから。
すると抱擁に対する反応か、
「って、シルシ。いててて」
シルシの掌が動き、リンリの腕に爪を立てる。
「――ハッ! なにやっとんのじゃ、お主ッ?
うぬぅ、妙な事をするな。儂を離せ、離すのじゃ」
その拍子に意識を取り戻したようで。彼女は強引に暴れ、腕の中から抜け出していく。リンリは加えて腕を尻尾でバチンと叩かれてしまった。介抱も兼ねた抱擁だったのに、あんまりだ。
「うぅ……。儂は何故、お主に抱かれて……?」
シルシは立ち上がり、ぽかんと一言。
「…………おいおい」
リンリは思わず、ケンタイの口癖みたいな声を出してしまった。まさか、シルシはこの状況を理解してないとでも言うのだろうか……?
ついでに、彼女の側頭部に生えた珊瑚の角が“ポッキリ”と途中から折れて床に落下した。
火傷は無いのに、部位破壊は受けている。いったいどんな身体の作りをしているのだか。というか、そこは折れても問題の無い部位なのだろうか?
「おい。シルシ、お前は色々と大丈夫なのか?
そいで、この現場の状況について。俺に理解できる説明が欲しいところなんだが……」
リンリは落下した角を拾ってみて。それを指揮棒のように振り、周囲の惨状を指してやる。
「うぬぅ? お主の言っている意味が――」
シルシはそうして、
「――ってッ、なんじゃこりゃー!?」
周囲の惨状を目に入れて、叫んだ。
まぁ叫べるほどに元気な様子で何より。
でも当事者が状況を理解していないとは。
「おーい、まったく。かなり心配したんだから、
ギャグみたいな声をあげるなよ……」
「――ぬぅぅっ意味がわからんぞぉ!!
爆発したみたいになっとるぞ。儂と儂の部屋に、いったいぜんたい何が起きたというんじゃっ?!」
「いやそれ、俺の台詞だからなっ!」
「確かに儂には何度か、取るに足りぬ失敗で統巫屋を爆破してしまった前科は何度か有るがのぅ。今回はまるで身に覚えが無いのじゃ。身に覚えが無いのに、部屋が爆発しておるのじゃがっ!?」
「統巫屋を『爆破』した事はあるのか……何度も!」
聴いていた『定期的な爆発』というアレ。
サシギの言は、冗談でなかったらしい。比喩的な表現ではなく、物理的な爆発を何度も……。
一気に今回の事態が滑稽で馬鹿らしくなった。
リンリの恐怖と心配と安堵と。ついでに、お茶で濡れた袴を返して欲しい気分だ……。
とりあえず、今回の爆発事件について。
原因不明。当事者も理解していない爆発なんて恐怖以外の何物でもない。今回は運良くこの程度で済んだだけであって。原因を突き止めて再発を絶対に防止しなければ、今度は統巫屋そのものが“吹き飛ぶ”可能性すらあるのだから。
「……えっと、ガス漏れでもしてたとか?」
純和風な建築の統巫屋で、爆発の原因としては相応しくないかも知れないが。リンリにとって唐突な爆発といえば『気体』による線が濃厚だと考える。
この爆発現場、もとい『シルシの部屋』は理科室的な改造がなされており、可燃性の気体を扱っていたなんて事もあるかも知れない。
「万が一の再発が怖いから、爆発の原因を探ってみないと……。片付けとかはそれからだな」
「うぬ。それは尤もじゃ。とは言うても儂はやはり可燃性の気体なぞに、爆発する要因なぞに“今回は”心当たりが無いのじゃがのぅ……」
「今回は、か」
「今回は、じゃ」
「……なら意外なものが爆発したんだろ。古いバッテリーとか、埃の詰まったコンセントとか、アルコールスプレーとか。そんなん。世界観的にそういうのに類似した何かしらが。……事件が起こる前の行動を思い出してみろ」
どうも『爆発』は日常茶飯事のようなので、ちょっと真面目に取り合う事に疲れ。ややぶっきらぼうにシルシへ言葉を投げておく。
言いながら、折れてしまった角をシルシの頭測部に残った根元に繋げてみるリンリ。断面は一致するが、当然にくっついたりはしない。支える手を離せば、角は重力に負けて落下してしまう。強力な膠でも使用しなければ元には戻らなそうだ。
まぁもう折れた角の事を、本人は特に気にしていないようなので。リンリはなんとなく角を懐に仕舞って会話に集中するとした……。
「確か、儂は……。頼まれ事を熟していて。
ここで座って、歪んだ鉄鍋やらの器具を金槌で叩いて直しておったのじゃが……」
シルシは爪を噛んで、リンリに部屋の爆発事件前のあらましを語ってくるのだが。口にした以外は何も無いのだろう。その先は言い淀んでしまう。
「爆発する要素、あんまりないなぁ……。
作業中に火花くらいは出そうだけど……。引火するものが、何か近くに有ったのかどうか」
「ぬ……火花かのぅ?
そういえば、手が滑って鉄鍋と金槌を直接打ち合わせてしまい。儂の方に火花が跳ねて――」
そこで何を思ったか。シルシは尻尾を天井に向けて伸ばし、リンリの方へと臀部を向けてくる。年頃の女子がするには少々はしたない行動だが、あえてそれを言葉にする理由もなく黙っておく。
否、黙っておこうとしたのに……。
「シルシっ、お前、お尻が見えてるぞ!?」
「――ぬぅぁぁあ!?
お主、なら儂の方を見るでないわっ!!」
尻尾で腕の辺りをペチり叩かれるリンリ。
「いや、見せて来たの、お前だろっ!」
シルシの袴の臀部に、丸い穴が空いていた。
臀部の割れ目が丸見えの、丸出しだ。そこだけ燃焼焼失したように、布の周辺が焦げている。
「――ぶッ。ははっ、あッハハッ、ハハッ!!
ちょっと待ってくれ、完全に不意打ちだ。ソレはヤバいって。笑う笑う。キャラ崩壊する。サシギさんみたいに笑いが止まらない。シルシ、お前どうしたらそんな珍妙な惨状になるんだよ!?」
間近でそんなものを見てしまえば、笑う。
シルシは“わなわな”と震え始めた。
別にリンリに笑われたことが、彼女の気に触ったとかではないようで。つまるところ『爆発の原因』に『思い当たった』ような顔。
「――合点がいったわい。茵じゃ!!」
「はははっ、はっ、えっ? 茵だって……?
なんだよ、座布団がどうかしたのか……?」
「あの時、儂の座っておった茵に。うぬ。
茵に火花が当たり、弾け飛んだのじゃ!!」
「――は?」
「要するに、茵が爆発しおったのじゃっ!!」
…………。
「――なんでだよっ!!」
――何を言い出すかと思えば。よもや。何故。
シルシの言い分では『茵』が、『座布団』のようなモノが『爆発』した、と。何処の世界に『爆発する座布団』が存在するものかと。リンリはとんでもない発想にそれ以上ものも言えない。
「あれは儂のお手製の高品質な羽毛茵じゃった。
素材から選りすぐり、素材は自身で採取し、布にまで拘った至高の逸品……。だったのじゃ」
「おい。待て待て、絶対におかしいだろ。いったいどんな不思議ファンタジー素材を使えば、こんな爆発する座布団が出来上がる――」
「……サシギじゃ。サシギの羽根なんじゃ」
「――――」
シルシの発言に、リンリの時間が止まった。
脳の情報処理が間に合わない。あんまりな衝撃で口が半開きとなってしまい、数秒間は呆ける。ごくごくごく最近に何度もこんなことがあったような酷い錯覚に強く襲われる。
いや、というか、
「……ちょっと、サシギさん。皆から色々な意味で玩ばれすぎだろっ! このくだり何度目だ!?」
覗きをされ、卵事件、食料扱い、素材扱い。
周りの皆に悪意とかは無くて、自然体で上記の扱いを受けるサシギ。そりゃ彼女も苦労するわけだ。
座布団を作成するほどの量の『羽根』をどうやってシルシは採取したのか、とか。本人に確認を取った上で座布団に加工したのか、とか。
気になる部分はいくつもある。告げ口とかではなくサシギの名誉のために。後でリンリは、サシギ本人に『爆発』の件と共に報告しておく。
「ホホ、とんでもない可能性を秘めた素材じゃ。あまり量は用意できず、また再現性も不明じゃが。あの燃焼反応は焔硝にも匹敵するかも知れぬのぅ!」
「シルシ、お前は何で楽しそうなんだ……」
尻尾をくねくね。声を弾ませるシルシ。
件の『爆発』の正体、原因がわかり。彼女の意識はその『素材』に向いたもよう。ニヤニヤして羽根の有用性やらを呟いている。
爆発に巻き込まれた当事者だというのに、見上げた度胸やら探求心というか。リンリは敵わない。ある意味では彼女に見習うべき所がある。
特定の分野の趣味志向に没頭できる人間には、ある種の敬意を抱くが。『爆発』に心躍らす少女とは如何なものか。ちょっと彼女の将来が不安になる。
シルシの気質や感性は、やはり年頃の少女とズレているらしい……。
「爆発して、楽しそうにしてる意味が解らない」
リンリの発した言葉に、
シルシは起伏無き胸を張るようにして答える。
「――何じゃ、決まっておるじゃろ。
偶然にも、己の未知の事柄に巡り合ったのじゃから。……良いか? 未知を知って、知識として蓄え、記し、伝える。万人は皆、産まれた時は等しく愚かで、愚か故にこそ未知を識ろうとし。他者を理解しようとし、他者と己の比較をして、己の欠点を埋めようと足掻け。その度に、己の長所を伸ばして成長ができる愚か者なのじゃ!」
拉げた眼鏡を拾い、格好付けて言い放つ。
シルシは初めて出会った際よりも、前向きな姿勢でものを言うではないか。リンリに懐いてくれているから、リンリとの会話だから、といった部分を差し引いても彼女は変わった。
「おーい。そんな焦げてボロボロの姿で『良い事を言った』風のドヤ顔はよしてくれ。シルシ、お前、お尻が丸出しなのを忘れるなよぉ……」
「――うっさいわっ!」
シルシの精神の変化に、本当に少しだけ『寂しく』思ってしまうリンリがいる。
歳上のリンリよりも、シルシはきっと精神的には成熟しており。リンリが過去に縛られて、うじうじと悩んでいた数年分を、彼女は些細な切っ掛けからあっという間に飛び越えて。一月でこんなに前向きに成長してしまったのだから。
直に、この一月だけ『兄』の如き役割となった自分のお役目も終わるのだろう。彼女と腕を繋ぎ、暫く共に過ごして。それだけでもう大丈夫だ。いつの日にか、リンリが旅立っても。……彼女は、もうとっくに自身で歩んで行ける。
だから。寂しさを、ちゃかして誤魔化した。
『丸出し』を指摘してしまったからか、シルシは恥ずかしそうに、もじもじと身を震わせる。
「はぁ、原因として釈然としないけど。
サシギさんの羽根が『爆発物』なのか、その件は今回もう置いておこうか。……よーし、日が暮れる前に、この部屋を片付けちゃうぞ!」
「……うぬぅ、そうじゃな」
ここはシルシに配慮して、
「俺は、掃除用具を取ってくるから」
リンリは一度、部屋を後にしようとし。
「――のぅ。のぅ、お主?」
「シルシ、どうした……?」
「――お主は、何処にも行かぬよな?」
着物の襟腰を後ろから引っ張られ、訊かれる。
「清掃用具を取ってくるって言っただろ?」
「違うわい。そういう意味でなくのぅ」
「シルシ。じゃあ、どういった意味で――」
「――お主の、おかげでの。最近は、前よりも日々が充実しておるのじゃ。礼を言いたい」
背中に向けて、シルシから言葉を送られた。
「――有言通りに、お主は儂に付き合ってくれた。
手を繋いで、引っ張ってくれておる」
「おう、約束したからな…………」
「儂は、どうやらまだ成長できるようじゃ。
お主と、統巫屋の皆とならの。『醜い』と『愚か』だと捨て置いていたモノと戦える。今ならば、そのうち、己の世界を広げられる気がしておる」
背中を彼女に向けたまま、リンリは苦笑い。
「感謝するのじゃ。ありがとう、とな。
そして、これからも。儂は、お主に構ってもらうつもりじゃから。……ぬ、間違えた。儂は、お主に構ってやるつもりじゃからの。ふらふらと何処にも行くでないぞ。よいか、よいな?」
ハクシにも『お願い』された内容を、シルシからもシルシなりにお願いされた……。
「…………約束、したいな」
――また、リンリは泣いてしまった。
ハクシのお願いから、月日を重ねてしまったのがいけなかったのだ。皆と縁や絆を結んでしまったのがいけなかったのだ。様々なモノを得てしまったのがいけなかったのだ。感情が爆発した。
――この一月は、皆との思い出は、
統巫屋での日和は、この上なく辛過ぎた。
優しくて、あたたかくて、夢のようで。
いつか終わると、解っているのだから。




