一章……(十三) 【挿技】
さて、色々あった初日より一夜明けて。
「――ハクシ様、お待たせいたしました。
使従各員、皆この場に参上した次第。これより私達は、昨日の沙汰から継続して事の成り行きを見届けさせていただきます」
「うん。サシギ、ありがと!」
サシギの進行の言葉に、ハクシが頷く。
――改めて、沙汰の再開だ。
現在、リンリは前日と同じ“謁見の間”のような部屋に連れてこられて、使従という役割の彼等【シルシ】【ケンタイ】【ココミ】【サシギ】の四人に囲まれ、その主であらせられる系統導巫のハクシ“様”と対面していた。
リンリが自分からの希望で、サシギへ再度の沙汰を願い上げたところ、ものの半刻ほどでこの機会を作ってもらえる運びとなった。彼ら彼女らも忙しいだろうに。ありがたい事だ。
まだ朝も早い為か、使従の一人である童女のココミは座布団を枕にして眠っているし、巨漢の強面ケンタイは大きく欠伸をしている。
朝から彼らに面倒を掛けてしまったように思うリンリなものの、申し訳ないが少しだけお付き合い願いたいところである。
「――初めに、ハクシと使従の皆さんに。
昨日の沙汰での、俺が……なんとも、凄くみっともない姿を晒した事と、自分勝手な振る舞いをしていた事を謝罪したい……です」
まず、けじめとして。
昨日の自分自身を恥じて謝ったリンリ。
続けて頭を下げようとしたが、ハクシがそれを掌を上げる事で制する。
「否、不要だ。其方の置かれた状況、その心中は察するに余りある。故に誰も其方を責めたりしないし、不敬だと咎めたりはせぬ。ここで改まって謝罪などせずともよい。……うーんと、それよりも」
数秒の間、自分と向き合った愛らしい琥珀のような瞳に“じーっ”と観察されるリンリ。
静かに見つめられていると、獣と相対する小動物になった気分だ。それから、ハクシの縦に割れた瞳孔だけは怖いと思ってしまった。
「其方、多少は顔色が良くなっているし、眼にも光が戻っているようだ。はたして、それが吹っ切れたからか。はたまた、この場の為に上手く取り繕っているのかは定かではないが。して……りんり、もう我は“答え”を聞いて良いの?」
良く見られている。それに、思いのほかに鋭い事を言うハクシ。口調と仕草から、リンリの身を気遣ってくれているのが痛いほど伝わる。
――どうして彼女は、そこまで自分に手を差し伸べ気を回してくれるのだろうか。恐縮の極みである。
「ハクシ。はい、もちろん……。
あぁ、その為にこの場を設けてもらったんだ。俺はすでに、ここで色々と親切にしてもらったんだし。これ以上はご厚意にタダで甘えるわけにもいかないと思う。自分の身の置き方に関する事だし。返事は早いところ済まさないとな」
こう宣言した通り。彼女や統巫屋にまだまだ甘えてしまう事になるが、少なくともタダで一方的に厚意を受け続ける状況は早々に卒業しなければならない。でなければ、何処かで自分が「また腐ってきてしまうのではないか」と恐怖が湧いてくるからだ。
ただ単に【生きる】のでは無く『ここで生きる意義』を持って【活きる】のだ。せめて最期に逝くのなら、どれ程に【この地で前進できたか】が自分の価値となるのだろうと。そうやって前を向く事にしたから。
「そうか。其方がそう申すならば――」
――昨夜、リンリは案内された部屋で、直ぐに倒れ込むように床に就いた。
けれど、精神的に参ってはいたが目が冴えて寝付けず。仕方なくトウフヤでの初日の出来事を思い返し、その上で今後の自分の“在り方”や“身の振り方”をあれこれと考えて過ごしたのだ。そして、いつの間にか夜が明けてしまっていた事で反省する。
早朝になり、サシギが朝食として“握り飯”と“吸い物”を部屋に持って来てくれるまで、はたして一体どれくらいの事を考え、悩み、処理したのやら。それはリンリ本人にも解らない。ただハクシへの回答は、回廊でサシギへ「宜しくお願いします」と宣言した時に決まっていた。というよりも、元より選択覧など有って無いようなものだったが。
「では、ハクシ様。並びに皆さん――」
「うん」
リンリは唾を飲み込み、一呼吸。
ハクシは言葉を促すように頷く。
「あぁ、俺は――」
さらに深呼吸し、口を開いた。
「――俺は、鈴隣倫理は、ハクシ様のご提案を受け入れて、この場所でお世話になろうと決めました!」
……そうだ。それ以外に答えはない。
「恥ずかしながら、ご厚意に甘えてそのままやっかいになる形ですし。ここで俺が役に立つか微妙なところだけども……。恩を受けた以上、ご厚意で居場所を与えてもらう以上は、精一杯に頑張らせていただきますから! これから宜しくお願いします!」
上手くやれるかは判らない。
必要とされているかも判らない。
それが、ただの事の成り行きにしろ。
優しい好意に甘える形になるにしろ。
他に選択肢が無いにしろ、だ。
自分自身の決意を確かめる。
この異世界のような場所で、自分は最終的に「死んでしまう」のだろうとしても。それでも、自分自身の“確固とした意志”で、今よりも前に進む選択をしたかった。そう決めたから。
「うん。その言葉、我は確と聞き取ったぞ!」
「はい」
ハクシの言葉に、リンリは大きく頷く。
「――じゃあ、改めてだけど。りんり、我からも宜しくね? 宣言する。この時より、系統導巫の我が【りんり・すずとらりん】この者を統巫屋で過ごす一員と認めよう!」
「ハクシ様のご厚情のほど、恐れ入ります」
ハクシは立ち上がり、手を叩いた。
彼女はリンリに笑顔を向け、その尾をはち切れんばかりに振りながら大きな声で宣言してくれた。言うのも無粋なので、名前を間違えられた事には触れないでおくリンリ。
“すずとらりん”って……。
――此れは、秋の終わりと冬の到来が近付いた此の頃。寒くなりつつも、まだ心地よい程度には暖かい日々の日和なり。
異成り世から落ちて来た哀れな青年、倫理が送る、系統導巫と使従達との統巫屋で過ごした細やかな日和の記憶。その追憶なり。
…………。
「りんり、統巫屋は其方の居た彼土と勝手が違う事も多いだろう。故に当面はサシギを其方の指導係としよう。……サシギ、それで良いかな?」
「ハクシ様。はい、承知いたしました」
その瞬間から、リンリの居候もとい使用人研修期間が始まったのだった。
◇◇◇
「さてと――」
――さて、仕事を貰うにあたり、どこの職場でもやっておかなくてはならない必要事項はあるものだろう。これより住み込みで働く事となったリンリにとっては、取り分けて建物の中を一人で歩けるようになる事が先決だろうか……。
「――と。方向音痴ですみません。
今貰ったばかりの間取り図を見ても、簡単には覚えられないです。武家屋敷的な迷路だ」
――地図を見て実感する。
生涯学習。「生きることは学ぶ事」とは言うが、この歳になって改めて様々な事を学ぶ必要性に迫られているのだと。
幸い“謎の翻訳設定”で、リンリにとって共通の言葉としてここでの会話は成り立つが、それだけ。ここでの一般的な知識は幼児程度しかない実情。これは実に難儀、前途多難な話だ。
「とりあえず、まずは……部屋の名前とか、何故か感覚で俺にも読める字と読めない字があるし。その辺りが不思議でしかたがないです……ヘルプで」
単純な仕事を教わる前に、地図を覚える前に、初歩的な識を学ぶ前に、文字が解らない。けれど“書かれた文字”の意味を読み取る事はできる。それが不思議でならないリンリ。
文字の形の判別をすると同時に、脳内で自動変換されるように意味を理解できるのだ。読み物をする度、一々頭の中に誰かから干渉されているようで少し気持ち悪くもある。
常識との乖離とでも言い表すか。“謎の翻訳設定“で言葉が通じるのと同じように、此土では都合の良い理屈でも働いているというのか?
「リンリ殿? へるぷ?」
リンリは自分の指導係の方を見遣る。
「サシギさん、質問よろしいですか?」
「リンリ殿? それは、なぜ書かれている文字が読めるかという意味の質問でしょうか?」
「はい、指導官。ここでは基本的な一般常識かも知れないですが。誰かに質問できるうちに知っておかないとと。お教え願います」
「ふむ、承知しました。
では僭越ながらお答えいたしましょう。良いでしょうか、私達は普段は意識しませんが、文字とは言の葉であり言霊の宿るもの。それを統べる柱の統巫も当然いらっしゃいます。文字として存在し万人に認知され、共通の意味を持つのなら、文字という形象が表している意や内容を“正しく理解し読み取る事”の道理を識として修得さえすれば、それは即ち、込められた意味を読む事が叶うという概括と成り得ると。……リンリ殿“そういうもの”でございます」
「…………」
数秒ほど呆けて、リンリは手を叩く。
「……あぁなるほど。メタな話になっちゃうけれど、やっぱりこの世界で俺の言葉が伝わるのと同じ原理の力ですね。もう、ややこしくなるから深く考えちゃいけないファンタジー的な理屈とか都合として納得しておきます!」
もうその辺りは、思考を放棄した方が利口なものだろうか?
異世界的な場所で、“言葉が伝わり文字が読める”その理屈付けを長文で説明してくる物語なぞ読者は離れてしまう。といったものか。
まぁこれはリンリにとって“現実”な訳だが。この世界の仕組みなぞ、考え始めると切りが無い。新生活に適応する為には「無理に理解するべき事柄かどうか」判断、選択をした方が賢いのだろう。
サシギの説明はなおも続いている。
「――便利上の記号は具体的な象徴に、抽象的な“意味を与える”ものであり。本来はそれ自体から“意味を読み取る”ものではございません。誰かに“意味を与えられた”記号は、他者が“意味を受け取る事”が可能な文字であるという見解もできますが。文字とのその線引き、それは明らかもの。元々、文字とは大衆的な認知がされてこそ始めて成り立つものです。言霊を統べる統巫達は、あくまで万人の共通の認知を無意識下で共有し繋ぐものであります故。つまり、ですね――ふふっ。もう少しだけ踏み込んで話しましょうか?」
説明というか。いつのまにやら高等な講義に発展しているではないか……。
「――質問しておいてなんですが、もうぜんぜん理解が追い付かないです。というか、アレですねサシギさん……。わざとめちゃくちゃ難しい言い回しをして、俺のたいして良くもない性能のオツムを試していませんか? だとしたら酷い指導官ですね。俺は簡単に泣きますよ?」
「ふふふ、滅相もございません。
ただ、此土での大衆的な知識を持たないものの、ある程度の水準には達した教養を持つ存在というのが興味深く。……おっと、お気を悪くしてしまったのなら失礼いたしました」
サシギはキリッとしている顔を崩し、悪戯がバレた少女のように微笑む。堅物かと思いきや、やはり冗談などお好きなようで。
このくらいの距離感と、気兼ねの無い会話ができる人物はリンリにとって好みだ。個人的には理想的な上司であるといえる。
「いや、まぁ俺も逆の立場なら。“私有地内に全裸で現れた変態蛮族”みたいなヤツが、急に『ここで働きます』って自分の部下になったみたいなもんで。そのシチュは色々と思うところあるだろうから。ハハ……まったく気にしませんけども」
「ふふ……褌野郎。ふふふ」
「『褌野郎』まだ引っ張ります? それ?」
「ふふ、冗談です。それでは次に――」
サシギは木卓に広げた先程の間取り図、トウフヤ内の図をリンリに見易いよう寄せて。その甲まで鱗の生えた手を動かし、次々と紙に描かれた間取りを説明して行く。
「ここが釣殿。ここが対屋。ここは浴場。これが寝殿。寝殿には母屋と廂があり、注意点として母屋ではハクシ様が無防備なお姿で過ごしている可能性がございますので、普段の立ち入りは極力ご遠慮下さいませ」
「……無防備な姿?」
「はい、無防備なお姿です。様々な意味で。
……次に寝殿後方のこちらが雑舎、私達使従の私室がございます。こちらは立ち入りに関しては問題ありませんが、立ち入る以上は全て“自己責任”でお願いします」
自己責任。リンリはハクシの無防備な姿というのも気になったが、その次に続いた“自己責任”という直接に身の危険がありそうな言葉に焦点を変える。
「自己責任、ですか?」
「何者か、とまでは存じませんが。定期的な爆発や、悪酔いのウワバミ、半裸の巨漢などと遭遇するやも知れませぬ。そういった場合は全て自己責任でございます。まぁリンリ殿は沙汰の場でもう全員とは会っておりますが」
「いや、それ誰だか存じ上げてますよね?
正体不明じゃないですよね?」
サシギはどうにも遠い目をして、若干の苦笑。
「後ろ2つはともかく、爆発ってのは?
ガスとか通ってなさそうだし、純和風建築で爆発は無いでしょ。サシギさん、また妙な冗談を。実は結構冗談とか好きなタイプですか」
「冗談……。えぇ、冗談でございます。……そう取ってもらっても構いません。まぁ、そのうちに慣れるものだろうと存じますが……」
言葉に引っ掛かりがある。
サシギの冗談なのか、そうでないのか。そんな言い方されると、気になってしまうではないか。
これは「感情爆発」やら「芸術爆発」などの比喩表現とかの線だろうか?
――沙汰の席で、座布団が空を舞うという奇妙な光景が脳裏をチラつくリンリ。
「えっと……ハクシ様の従者の人達ですか。
確かに他の皆さん個性的だったけども」
「個性的。ええ、その通りです。
……使従皆、傑出傑士で素晴らしい者達でありますが、いかんせん一人ひとりの癖が強く。なにぶん繊細で気難しい者や、二面性を持つ者、強面の巨漢といった曲者揃いであります故に――」
サシギは困った顔で息を吐く。
「――彼らの人柄を深く知らぬうちは、私の補助が届かないところで。あるいはリンリ殿が不快な思いを抱いたり、彼らに対して誤解をしてしまったりするかもしれぬ、との懸念から。そういった意味で自己責任でございます」
「あぁ、なるほど」
「お恥ずかしい話。
私自身も未だ、先代のサシギには程遠い身。人望も人徳も足りぬ至らぬ身であり、修行中でございます。正直、先達の彼ら三人との間に、まだまだ隔たりすら感じている次第であります故に」
その話を纏めると。つまり、
「――サシギさんの名前って、襲名制なのか。
というか、年功的にここでは一番若いんですか。ハクシに信頼されてるようだし。沙汰の場ではいかにも纏め役ぽかったし。……失礼かも知れないけど、それはすごく意外な」
話の腰を折ってしまうようだが、つい思った事を口に出してしまったリンリ。
「ふふ。それは、私が集落の出であるから。
そして、統巫屋で系統導巫に仕えるため育てられた“集落の出”である“私は別”として。他の使従の彼らが皆、生まれは違えど“使従に選ばれるに足る故”があった。その辺りをリンリ殿には留意していただきたいのです――」
「留意、ですか」
「…………」
サシギが黙ってしまった。
これは藪蛇だったかも知れない。
「すいません。俺、アレですね。余計な事を口にした感じのアレですね?」
「……いえ、とんでもありませぬ。
思えばこれは、どちらかというと私の抱える課題でございました。ここまでのように相手に対してさり気なく配慮できるリンリ殿ならば、えぇ別段心配はいらないと存じます。特別に気を負わず、自然体で彼らと付き合えれば十分にここに馴染めるでしょう。ふふふ」
そこまで話すと、そこで襖が開いた。
襖の先から現れたのは黒髪の女性で、彼女はサシギを呼びに来たようであった。
「少々お待ちを」と言い残し、女性と共に退室するサシギ。部屋に一人残されるリンリ。
…………。
「……今の女の人は、使用人の人か?
今まで見かけなかったけども。ハクシに仕えてる人間は使従以外でもちゃんと居るって事か。使用人用の宿舎があったって話と、集落ってとこの話の流れや、この広い屋敷の管理とかを考えるとそりゃ居るんだろうけど……」
これは、ただの独り言だ。
「――サシギさん、使従っていうのは?」
しかし、単なる独り言のままでは終わらせたくないリンリの本心。直接尋ねるのこそ憚られるが、彼らを知っておかないといけない気がした。
サシギ。笑い上戸な部分といい、冗談が好きそうな部分といい、同僚への悩みといい。今更ながら、リンリが抱いた第一印象とは随分と違いのある女性。
そして、サシギとの会話で――【使従】という存在へ抱いた形容し難い感情。
リンリ自身は沙汰の場で、ハクシと彼らを家族のような主従関係と例えたものの。そう簡単な関係性でもないようだと認識を改める。ハクシは、彼らを使用人や従者という認知で構わないと言っていたが、或いは自身の【眷属】とも言い表した。その言葉の意味は?
『しじゅうは、えらばれれば一生をかけてけいとうどうふに仕え、守り、従う――』
あの幼い少女、ココミの溢した台詞。【選ばれれば一生をかけて】とは童女が口にしたにしてはなんとも仰々しい言葉である。
さらに『使従に選ばれるに足る故』とはどういう意味合いか。
そういった形で選ばれた者と『系統導巫に仕えるために育てられた者』との違いとは?
選ばれるとは何者にか? 疑問は尽きない。
「……そうだなぁ」
――統巫屋で過ごす以上は、自分なりに関わっておかないといけないのは確実だ。その「必要性が有ると」一人で頷くリンリ。
となると、新しい職場での必要事項が一つ明確になったわけだ。
「……別にするなと言われ、止められたわけじゃないしな。ただ全て俺の自己責任なだけで……。なら、ここはいっちょ」
……自己責任での挨拶周り、か。




