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統巫之番―トウフノツガイ―狐愁晴天譚  作者: 哀無風/i'm who?
◇一章・中編【統巫屋日和】
30/79

白紙の記憶……(一)


 ――ポトリと。


 何かが、そんな軽い音をたてて。

日課の水浴みをする為に木陰の細道を進んでいた我の足元に落ちてきた。


 足を止め。「何だろう?」そう思って視線を下げてみれば、それは一匹の蝉であった。

 (こよみ)上だとまだ秋だけれど、冬の到来は直ぐそこまで来ているといえる。


 日輪(にちりん)は低く控えめになり。もうすっかり肌寒くなってきて。この頃になれば辺りに満ちていた命の息吹は、冬を迎えて越す為に徐々に鳴りを潜めてくる。

 いつの間にやら、蝉の鳴き声を聞かなくなっていたのだと気付かされた。


 今年は、この蝉の姿で見納め。

 この蝉の鳴き声で聞き納め。

 そう感じると、愁思の情。


 あっ、もしかしたら……。


 この蝉は寝坊をしてしまったの?

 他の蝉がその命の最期を燃やして、次の系統に命を受け継ごうと頑張ってる中で。この蝉はまだ土の中でスヤスヤとしていたのかな?

 それで他の蝉に置いて逝かれたのかも。


 あくまでも我の勝手な想像だが。そう考えてしまえば、多少なり愁色を抱かずに済む。

 でも、もしもそうならば……。うん、とんでもない外れものの蝉だ。ここは一つ、系統導巫としてお説教でもしなきゃね。


 もしも、ただの長生きな蝉だとしたら、その時はごめんなさい。でも系統導巫のお説教なんてめったに聞けるものではないよ? どうかな聞いてみない……? 我は蝉に語りかける。

 なーんて冗談だ。……そこまで我は暇じゃないから本当に実行はしないよ。


「うーん?」


 それで、特に理由も無かったけども、我は両掌でその蝉をすくい上げてみた。

 これは只の好奇心からだ。蝉って、夏の間はいつも近くで鳴いているんだけど……。そういえば未だに我は、その姿をじっくり近くで見た覚えが無かったから。


 さてと、何の蝉だろう?

 翡翠(ヒスイ)色の身体に、葵色の翅。翅には対の瞳模様(ひとみもよう)。この特徴は、豊かで静穏な土地にしか生息しないちょっと稀少な楽土蝉(まほろばぜみ)とかいう種類だったっけ……。


 そうして我と、蝉の目が合う。

 黒くまん丸な目だ。うーん、あっ目と目が合ったら挨拶をしないと。統巫として命は等価に扱わなければいけないもんね。


「こんにちは、寝坊助な蝉さん?」


 勝手に蝉を寝坊助と認定する我。

蝉さん、怒らないでね。それで挨拶をした後は、そうだなぁ……。んぅ、虫と会話なんて普段はしないから、何てお喋りをすれば良いんだろうか。わからない。一方的になっちゃうけど、相手への質問とか?


「――ねぇ、ちゃんと生きれた?」


 我は一言だけ蝉に訊いてみた。


「――寝坊助な其方のツガイになってくれる子は、何処かに見付けられたの?」


 でも勿論、蝉は応えなんて返してはくれず、


「――わっ!」


 突然に羽をジリジリと鳴らし、我の掌から逃げるように飛んで行ってしまった。しかも蝉は我に向かって尿をかけてきたので、羽衣(ユリカゴ)でとっさに構えてしまう。


「……ぁぅ」


 えっと、ごめんなさい。

蝉さん、やっぱり怒ったのかな……?


 幸いに尿はかけられず、防御姿勢で我が構えているうち、蝉は高く高くへ飛んで行き。周囲の樹の枝葉で見えなくなっていた。

 ここで我は、我なりに勝手に解釈した。

「そうか。あの蝉は逝く前に、まだ何処へと行きたいのか」と――。


「――じゃあね!」


 だから、我は蝉を笑顔で見送った。

 装束の袖を揺らして、手を振り。例えもう瞬きの命だろうとも、あの蝉の行く先に幸があるようにって願ってみた。だけど……。


「……あ――」


 ――だけど、またポトリ……と。

 我が見送った次の瞬間には、蝉は樹の幹や枝葉にでもぶつかったのだろう。再び大地にその身を落としてしまっていた。


 蝉はそれからしばらく翅をジリジリと鳴らしながら地面をのた打つようにしていた。けども我が獣の眼でよく見てみると、二度目に高いとこから落ちた衝撃からか、その片翅は途中から折れている事に気付く。あれではもう、空を飛ぶ事は叶わないと明白だった。


 ――それでも、絶えず蝉は飛ぶ努力をしているようだった。飛ぼうとして飛べずに、バタバタと苦しそうに脚を動かすだけだった。

 上手い具合に身体が浮いても、残った片翅だけじゃあ意味を成さず、すぐ虚しく地面に落ちるだけだった。絶対に無駄な努力。既に足掻く意義は何処にもなくて、不必要な苦しみは増すばかり。


 ――何故、無駄な事をするのか。


 ――たぶん……きっと。いや、確実に昔の我ならそう切り捨てただろう。一つの命を“個”ではなく“系”としてしか見られなかった“あの時の我”ならば。だけど、今は違う。


「そっか……。ならっ!」


 我は心の中でだけれど、蝉に最高の称賛?

声援を送った。ほら「頑張って!」って。


「…………」


 ――そうして、暫くし。

蝉はまもなく、完全に動かなくなった。


「……おつかれさま――」


 我の中に喪失感が支配する。

 たかが虫一匹の命。……命は等価なんだ。

だから、いちいち命が失われる事に心を揺り動かしてなんていられない。命を単一のものとして扱うべきではない。命は繋ぐもの。命を尊びこそしても、執着してはならない。我が我であるために。そう知識の中にある。


 ――だけど、やっぱり悲しいのだ。

 そして、もしも失われる命が我にとって大切な存在だったとしたら、どうだ?

 それか、ふれ合って“絆”が出来た者だったとしたのなら……どうだろう。我は『その者』の『死』を認められないんじゃないかと思う。きっと認められないだろう。

 己を偽り、欺く。斯様なその我の『愚かしい思想』が。至った罪深き『在り方』が。系を統べ、導く巫を称する存在として失格だったとしても。その考えを持っていたいよぅ……。


 我の掌から飛ばなければ、蝉はその身を再度地面に落とす事も無くって。無駄に苦しまず、無駄に痛みもなく、そのまま『安らかに逝く』事もできたよね……?


 ――けど、だけど、でも。

 それを甘んじてせずに、あの蝉が飛び上がったのは『命』だからなのだと。我は確かに知っているよ。そこに意義も理由も必要なく。

 蝉は差し迫った『死』が認められずに『個』としてまだ行きたかったんだって、知っている。我は知ってるとも。あの蝉は、足掻いて抗ったんだと……。

 決して難しい事じゃない。系も個も、死という終わりから抗う事に価値があるんだ。


 抗って、抗って、抗ってこその命。そして最期に死ぬ事に価値が生まれるんだと思う。

 命は等価であって、その『死』は必ずしも『個』には等価じゃないから。最期まで抗って生きた命と、まだ行けるのに終わりを受け入れて生を放棄した命。とても『個』にとって等価だなんて思えないもん。


 最期を受け入れる事にも価値は有るとも。

その者が満足して逝くのなら、価値がある。

 しかし。どのような『命』であっても最後まで最期に抗う事を放棄しないで欲しい。己にやり残しがないと、やり切ったのだと、やり遂げたのだと。あらゆる全てに十全に満足するまで、己で己の命の価値を放棄したりせず、生を諦めないで欲しいの。

 抗い続ける命がどれ程まで美しく輝かしいものであるかを、我は知っている――。


 ――我が、それを知る事ができたのは。

 それを学んで、何者かが命を失う事に。喪失という事象を恐怖してしまう、出来損ないの壊れた系統導巫になっちゃったのは。きっと『あの娘』のせいに違いないよ……。


 だけど、ね――。




 ◇◇◇




 ――我は統巫。系統導巫。

此土に普ねく、生きて、逝きて、行き続ける。諸行無常なる命の系統を導く巫。系統導巫のハクシなり……で、良いんだよね……?


 その日は、確か二年前の夏の終わり頃。

我は、我に「会って診てもらいたい者が居る」という話を聞いて。ココミ一人をお供にし、統巫屋から出て集落まで行ったんだ。


 あぁ“集落”って言うのは、昔の盟約(めいやく)によって系統導巫から、おもに統巫屋のある領域で採れた作物とかを下賜。いや(ほどこ)しとして貰う代わりに、系統導巫の生活の補助、及び使従と成れるような優秀な子孫の輩出や育成を約束した一族が住んでいるところである。今のサシギの生まれ育ったところでもあるね。


「むー。ねえー、ハクシお姉ちゃん?

どうしてココミをつれてきたの?」


 ココミは断りも入れずに、我の尾を撫で撫でしながら聞いてきた。我は羽衣(ユリカゴ)でその手を弾き飛ばして答える。


「ココミよ、我には其方がそれを問う必要性が有るとは思えない。……だって、ほら」


 正直、我はココミとあんまり一緒に居たくないという本心。ココミは嫌いじゃないけど、凄く色々と怖いから。……何ぁにが『ハクシおねえちゃん』だ! 其方が今の統巫屋で一番の古株なのに。実年齢何歳だ! というか正体不明すぎるよ! あ……うぅ我慢だ、我慢。


 ……この時は、ちょうど統巫屋が大変な事になっていた。だから、ココミしか連れてこれる人材が居なかったという事情。別に我一人でも問題は無かったけど、一応は統巫屋から出る時の規則みたいなものだから守らなきゃならない故に。


 で、そうそう。統巫屋の何が大変な事になっていたのかと言うと……。シルシが、故郷のチィカバで蒸気を利用して熱湯を沸かす機術の導入が進められているって話を耳に入れて。それに対抗意識を持ったのか「統巫屋で再現するのじゃ!」と宣言したのが事の発端だ。そういった分野なら意気揚々と統巫屋に貢献してくれるのは良いんだけど……。彼女を応援してたんだけど……。


「……お姉ちゃん、あれはすごかったね。

どかーん!! てさ!! あはは。きゃはは」


「あ……うん」


 ――色々あって、爆発した。

どうしてそうなったのか。シルシが言うには、過熱で融解した金属が汲み上げた冷水と触れて……膨張して……なんとかかんとかって……。

 まさか。それで信じられない事に、統巫屋の母屋を含めた一部を吹き飛ばしてしまう規模の損壊となるとは思いもしなかった。怖い。しかも……その悲しい事故? でシルシ自身と偶々屋根瓦の補修をしていたケンタイが尊い犠牲となった。


 正直肝を冷やしたけど。幸運な事に命に別状の無かったシルシと、瀕死のケンタイの二人は我が全力で処置して。今は骨と筋肉がくっつき、後は身体組織の治癒力に任せ、体調が安定するまで絶対安静で療養中だ。サシギは窶れた顔で、吹き飛ばされた屋の部分を何とかしようと集落の男衆の筋肉達を率いて連日の後始末に追われている。


「あぅ。……思い出してしまった」


 ……はぁ、もう。考えない事とする。


 そんな訳だから、我個人に直接来た集落からの言伝てを聞き。忙しそうなサシギには声を掛けずに、幼子のように庭で遊んでいたココミだけを連れてそっとやって来た。


 ……と、そろそろ集落だ。


「――系統導巫様。

わたくし共の私的なお願いにお応え下さり、お()し頂けたこと。(かしこ)みここにお礼の意を申し上げます。(まこと)に有りがたきことはこの上無く。慈しみに溢れたその御心(みこころ)至尊(しそん)に、最上の礼節(れいせつ)(はら)い。今後とも(つつし)んで我等一族が御身(おんみ)と共に過ごして行くことをお許し頂きたく。ふふっ、フサフサ……ふふっ!」


 集落で我とココミを出迎えたのは、統巫屋にもたまに顔を出すサシギの姉だ。サシギの姉の、サシギの姉の……あれ? ……失礼だけど彼女の名前を忘れた。そして、仰々しい挨拶は放っておくとして。何故に其方も我の尾を“撫で撫で”しているのかな? 減るものじゃないから……別に良いけど。


「良い。して、我に診てもらいたい者とは?

……直接の言伝てをしてきたって事は、集落ではお手上げなんだよね?」


「はい。系統導巫様に診て頂きたいのは、

特異な症例の穢不慣(イヌモノミテキ)の者です」


「……穢不慣(イヌモノミテキ)

え? ……ただの?」


 穢不慣(イヌモノミテキ)。慣れない色の(イヌモノ)を身体に取り込み過ぎた者が、一時的に患う風邪みたいなやつ。(イヌモノ)には土地ごとに色があって、遠い土地に旅をしたりすると、慣れない(イヌモノ)に身体の自浄が間に合わず発症する事があるらしい。些細な旅病だ。


 ただ、症状はよっぽど酷くても精神が不安定になったり、身体の倦怠感を感じるだけ。それで、身体がその土地の(イヌモノ)に直ぐ慣れ、数日間から一週ほどで回復する本当に些細で“たわいない病”の筈なんだけど……。


「はい。そうです系統導巫様。

ただ申し上げいたました通り、それを患っている者が些か問題でございまして……」


「何故、言い淀む? 申せ!」


 もしかして、よっぽど遠い土地から遥々とやって来た人かな? だから、穢不慣(イヌモノミテキ)くらいでも重症化してるとか? うん。だったら我の系統を統べる力で、その者の系統にこの土地の(イヌモノ)への耐性を刷り込むだけで解決だ。


穢不慣(イヌモノミテキ)を患っているのは、此土(しど)の者では御座いません。確実に……異成り世の者です」


「……異成り世の者?」


 異成り世。恥ずかしい話だけど、この時はその意味が我には解らなかった。


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