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統巫之番―トウフノツガイ―狐愁晴天譚  作者: 哀無風/i'm who?
◇一章・中編【統巫屋日和】
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一章……(十二) 【揺籃】



 ――不意に『死んでしまう』そんな、かなり重要な一言をハクシにぶつけられた。しかしその一言が流れてしまうほどに、


「――前提から。りんり、其方が異成り世に戻ることは叶わぬ。うん、故郷に帰る事は、ほぼ不可能だと告げなくてはならない……ごめんね」


「……帰れない」


 追い打ちをかけるように告げられた言葉。

 正直なところ、現代に帰還が不可能なのはトウフヤというこの地で再度の目覚めを自覚した時に。ハクシからここが異世界のような場所と聴いた瞬間には予想できていたリンリ。

 ……けれども、いざその真実を突き付けられてしまえば心に来るものがある。


「帰れない……かぁ」


 リンリは虚しく、そう反復して。

途端に膝が笑い出し、その場によろよろと腰を降ろしてしまう。


「…………」


「そうか……」


 俯く。顔を覆う。現状を直視しないように必死に自分を騙し続けて、目をそらし、見て見ぬふりをしてきたがもう完全な手詰まりか。

 もう限界に達した。ここらで直視をしなければならないらしい。「帰れない」と告られた以上は、精神的にも場的にも逃げ場などどこにも無いのだから。


「……ふか、のう。か」


 続く、言い表せぬ絶望感。

 生まれ育った地への帰還が叶わない。そんな悲劇は到底信じたくない……。

 突然に知らない場所に放り出されて、帰る事は不可能だと判明する。だから「仕方なく、これまでの日常を諦める」など……。馬鹿げている。常人が簡単に納得できるわけが無い!


 夢想(くうそう)非現実(そうさく)の中ならばいざ知らず、これは現実だ。決してリンリは物語の主人公などではないのだ。現実を生きている血の通った人間だ。

 不完全な現実を不器用に足掻きながら、喜も楽も、悲しい事も困難も、唯人(ただひと)並みに乗り切りってきた一般人だ。なのになぜ……何故?


「……なぜ。なんで、どうしてだよ?」


 只今、放心状態。

反面で脳内は「なぜ自分が――」から続く言葉の数々で取り乱すリンリ。

 錯乱、恐慌の渦。顔が引き攣る。息ができない。心臓の鼓動が早まり身体中へと無駄に血流が巡る。毛穴という毛穴から油汗。全身の震えが止まらない。あと頭が痛い。

 しかしながら外面は大丈夫そうに取り繕おうとしてしまうのは、これまでの日常で培われた習わしか、リンリの気質や本性からか。


「ねぇ其方……大丈夫か?」


「あぁ、はぁ、大丈夫だ。

続けてくれ、ハクシ……様。頼む」


 ――大丈夫ではない、が。

 壊れそうな思考を中断して、半ば機械的にハクシを見上げた。きっとリンリは、かつてなく酷い顔をしている事だろう。


「――其方の帰還は叶わない。何故なら、此土(しど)彼土(ひど)(ここ)ノ土と彼方(かなた)ノ土の境界は絶対的なもの故。そも、彼方との境界線のような高次を観測する方法が此土には無い……たぶん。だから、“人”が自力で土の境を渡るのは“不可能に限りなく”近い」


 それなら、何故――?


「それなら――

「ならば何故、其方はここに現れたか?

即ち、人が自力では無理なれど、不可抗力という形でなら有り得てしまうのだろう。異成り世から人が紛れるのは、言わば“水の満たされた(さかずき)”どうしの乾盃。様々な(セカイ)(せかい)が邂逅する乾盃(すれちがい)の最中、ある盃に満たされていた水の“ほんの一雫”が跳ねてしまい、たまたま近くの盃に混入したと喩えようか……想像だけどね?」


 不可抗力、そんなもので。

“そんなもので”このような苦境に陥っているのか、と。自分の運の無さに嘆く他に無い。


「嫌な……乾杯だな。まったく」


「……ぁぅ」


「なんで、よりによって、俺が」


「そう、だね」


 ハクシは目を伏せた。


「其方は……死んで、しまう。今しがた、我はそう言ったな。聞き逃してはいないか?」


「死んで……しまう、か。大丈夫、聴いてた。理解が追い付いてないだけで」


「りんり、本当に大丈夫……?

――こほっ……其方には知る権利が有る。故に告げよう。真実、異成り世から来た者は一月と持たずに衰弱して、そのまま逝ってしまうのだ。悲しい事にそれがこの世の常なの」


「…………」


「――(イヌモノ)。りんり、ねぇ、答えて? この言の葉が、其方には理解できる……か?」


 リンリは力無く首を振る。


「そう。そっか。解らないと言う事は、其方の世には穢が認識されていなかった。即ち、存在していなかった……やっぱりそういう事だね?」


「……いぬ、もの」


 ――元の世には存在しない、


(イヌモノ)。それは命ある物、取り分けて意識や感情を強く持つ存在達が切り放し、どこかへ置き去りにした残思。置き去りにされ、大きな流れによって浄化されゆく“何かだったもの”の一つ。……よく理解できないなら単純に、りんりにとって微弱な毒と捉えてね?」


 ――微弱な毒?


「異成り世の者には、己の内に取り込んだ(イヌモノ)自浄(じじょう)する器官が無い。より正確には、器官が有ってもその能力が備わってなどいない。……故に、微弱な毒とて身体に溜まり、蝕まれるのだ」


 ――それに蝕まれ、


「少しずつ、確実に。蝕まれ、蝕まれ続けてやがて穢不慣(イヌモノミシリ)と言う病を発症する。これは此土では些細な旅病。しかし、病の元凶を自浄できぬ特異な存在が発症したならば……病は進行する。(イヌモノ)に徐々に精神を侵され、存在しない痛みや苦しみ、虚脱感に支配される。ゆくゆくは心が壊れ、五感を失い、衰弱し。最期に逝ってしまう……」


 ――逝ってしまう。


 ――ハクシは顔では非常に言い辛そうにしながらも。半面、淡々とした口調で告げてきた。この世界では直接的に異世界が観測されていないとしても、その異世界から来た者の存在は十分に認知されている……のだろうか? そして、その者達の最期も同様に認知されている?


 ――リンリは、差し迫った“死”を待つだけの運命だと。全て信じるとするなら、何と言い表すべきか、泣きっ面に蜂ではないか。


「――りんり……だが、案ずるな。この運命から抗う方法は有るとも。今はただ聞くだけで良いから、しっかり聴いていてね?」


 ハクシは立ち上がり。トコトコとリンリの前まで来て、止まった。


「一つ、殆ど(イヌモノ)の入り込まない隔離された環境や浄化された環境で生活する!」


 ハクシの肩に掛かる羽衣が、風もないのにリンリを撫でるように靡く。


「二つ、特別な統巫やその眷族に穢不慣(イヌモノミシリ)が発症しないうちに、それも定期的に(イヌモノ)を抜いてもらう」


 ハクシは優しい顔で、いや、慈しむような顔で、そっとリンリを覗き込んで言う。


「我が其方に『統巫屋(トウフヤ)で暮らさないか?』そう問いた理由は、一つ目で上げた隔離された環境というのに当てはまるのが統巫屋だからだ。この領域は、系統樹(ウゾティケクパ)の存在故に清められているし、土地そのものに(イヌモノ)を大きな流れに乗せ浄化を促す加護もある。故に長い時を延命出来る……あ!」


 近すぎて恥ずかしくなったのか、ハクシはトコトコと元の場所に戻って行った。


「……決して、強制はしないから。

己の死なんて気にしない。我の話を信じない。或いは帰還の方法を探す為に抗う。どんな理由でも領域と統巫屋から出て行くというなら、我と使従は其方を止めはしない。少しばかりの食料と旅銭を与えて送り出そう……」


「…………」


「ただ我は個人的に、其方が統巫屋に留まる事を推奨する。雑用でも任せる代わり、其方に生きる上で不自由ない暮らしを約束しよう。我は求められるのであれば、可能な範囲で手を差し伸べたいのだ」


「……ハクシ」


 純粋な、善意による行為だ。そこまでしてくれるとは願ってもないリンリ。リンリに都合が悪過ぎる状況なれど、望むのならば、彼女は可能な限りの保障を約束してくれた。

 彼女を疑う理由は無い。告げられた事は全て真実なのだろう。ならば、返答は、


「では……うーんと」


「……あのっ」


「うーんと、我からは以上だ。返事は……りんりの心の準備が出来るまで待とうかな?」


「俺は……っ」


 しかし、その場で返答の一声を出す事は叶わなかった。稚拙な理由ながら、ハクシに答えてしまう事は、即ち現実を受け入れる事になるからだ。その“受け入れる勇気”が少しばかり足りなかった為に。


「今日の沙汰は、此処までとする」


 ――沙汰の内容は、こんなものであったか。




 ◇◇◇




 夕焼けが紅く照らしていた立派な回廊。


 もう、ほぼ闇に包まれようとしている。


 どれ程の間、意識を飛ばしていたのか。


「…………ん」


 耳障りな羽音が横切り、止まった。潰す。


「――ぁ」


 自分の腕に、蚊のような虫が止まったのを反射的に叩き潰してしまい。その伝う衝撃によって我に返ったリンリ。掌を翻してみれば、叩き潰した虫の体液だかが皮膚に小さな黒い染みを作っていた。


「ぁ、ぁ――」


 どうしようもない動揺にリンリの手が震える。

虫を殺したのだ。自分が虫を殺したのだ。無意味に無意識に無感情に。その行動にはまったく正当性なんて無いし、理由なんて無い。ただの流れで、腕に止まったから殺した。


 ――自分は、この虫だ。


 ――理由無く、命を失った虫と。自分。

 これから虫と同じように、この知らない世界で絶対的な抗えない流れによって弄ばれ。無価値に無意義に無意味に、虫ケラの如く死んでゆくのだろう自分の姿が重なってしまう。


 虫の残した黒い染みは、消えた。

 指で拭っただけで、初めから無かったかのように消え失せた。虫を殺めたリンリがその事実を覚えておかねば。虫の命は、正しく意味の無かったものと成るに違いない。


「――何を、やってるんだ。俺は……?」


 こんな状況で、虫を殺した程度で「いったい自分は何を考えているのか」と「かなりの馬鹿ではないか」とも思うリンリ。

 しかし頭の狂った末の思考かというとそうでもないのだ。むしろ、どうにか冷静になろうと気を回している最中である。

 こんな時に縋るのは、遺されたもの。リンリ個人の根底の記憶。幼少より行われた長年の父親の授業、もとい洗脳により『例え、虫の一匹を殺す事にだろうと理由と意義と責任を持て!』そう教えられていたから。


「何を、やってるんだろうな……」


 そして、父親の言葉はそこから、

『――そして、倫理。お前がもし虫を身勝手に殺してしまう時があったのなら。その時は自分を省みてみるんだ。深呼吸し。自分が何をやったのか、何をするべきなのか。立ち止まって考えてみろ!』そう続く。本当にくだらない言葉だった。


 ――だが、リンリの精神の拠り所でもある。


 ――教師をしていたリンリの父は、たまに時間が合うとそうやって小難い上にくだらない事を意味も無く偉そうによく語ってきていた……。

 まぁ所詮は妻に逃げられた、不器用で頑固でつまらなく話が長い初老の男の言葉。リンリはそれが煩わしくて堪らなくて。あまり好きではなかった。でも皮肉にも父親が自分に(せんのう)してくれた数々の言葉(おもいで)は、何時も“ここぞ”という時に道を指し示してくれたのだ。


「くそ、今だって……!」


 ――認めたくはないが、今だってそうだ。

虫一匹の命を潰した事で、我に返り。それを切っ掛けにして、リンリはここまでの己を省みる事ができたというのだから。ぎりぎりで正気を失わず、両の足でなんとか立っていられるのだから。


「でも――」


 でも、認めるわけにはいかないリンリ。


 大嫌(あこがれてた)い……かった……だった。自分の父親の最期が、どれ程にどうしようもなく無様で耐え難い最低なものであったかが脳裏を過ぎ去る。

 父親がそんな風になってしまったのは、精神的な余裕を失い、周りの(リンリ)にも頼らず。全てを一人で抱え込んで、最期に行く所までいってしまったからだろう。だから。だから、そうか……あぁならば。


「――俺は」


 ――裏切られたのだ。唯一の肉親に。

 どれほどの幻滅や失望や落胆の感情を抱いたことか。軽蔑した。憎んだ。そして父親を救えなかった。彼のことを何も知らなかった。彼の苦しみを理解もしなかった自分に一番腹が立った。

 だから、自分自身の罪と責を棚上げし。自分の心を守るために、醜く酷く脆く弱い自分から逃げるように。自分自身の免罪符として誓ったのだ。

 自分は父親とは違うし、あのようには成らないと。成れないと。そう、妹になるかもしれなかった少女と父親に墓碑の前で誓ったのだ。


 ――ならば、


倫理(リンリ)とは――』


 ――ならば、今の自分は何か?

 思い返す。父親と同じ、それ以下だ。今の自分は現状を悲観し、最低最悪としか見えていない愚者である。しかもそれは、べつにこの世界に来たからではない。もっとずっと前から。

 きっと唯一の肉親を無くし、絶望と失意に押し潰された時から。あの時から全てが止まってしまった。やる事といえば現実から目を背けるのみで、理不尽や不条理を意味も無く嘆くのみの毎日。


「そうだな。……だめだよな、このままじゃ」


 サシギやハクシが投げかけてくれたような他人の好意や善意に耳を傾けるわけでもなく「助けて欲しい」と本心で頼みもしないで、流されるままで「大丈夫です」とだけ空言葉。

 けれど親切な行為は受け取っている。

 与えられるだけのまま。本当に人としてそれが真っ当な在り方だろうか? それは否だ。そんなのは自分(リンリ)が許せない。


 ――父親(かこ)とは決別した。最期は父親(もくひょう)を越え、胸を張っていきたい。ならば前を見なければ。


「そんな事、わかってるよ……!」


 前を見遣る。赤い髪と羽根の女性が居る。

 今は沙汰が終わり、サシギに今日貸してもらう部屋へ案内されている所であったか。


「――あの、サシギさん……ッ!!」


 リンリはサシギに声をかけた。

 拳を強く握り、息張り、背筋を伸ばす。


 それは、現実からは逃れられないと今一度自分自身に思い知らせる意味が有った。自分自身を見つめ直す意味も有った。

 ここから「前に進みたい」という振り絞った勇気であった。そうしなければ、足を進めなければ、今でさえまともに立っていられない気がしたからだ。しかして、なけなしの精神を奮い立たせる。自分に嘘をつくのは、ここで一端は終いだ。


「……いかが? されましたか?」


「――俺、無理してました。今も無理してます。これからも、きっと無理していきます! 本当はとても大丈夫なんかじゃない! 俺の精神は綿毛以下の強度しかありませんから。でも俺が困難に当たったら、そんな時は『助けて』って言えるようにするので、助けて下さい。受けた行為は何倍にもして返す努力をします! だから、だから――」


「はて……リンリ殿?」


「あ……」


 突然に威勢よく喋り出して、サシギを困惑させてしまったか。彼女に「何だコイツ、突然どうした」といった妙な表情をされていた。実際に言った台詞も、感情に任せた「何を言ってるのか解らない台詞」だったと反省。

 リンリはひと呼吸を開けて、サシギに深く頭を下げ。落ち着いて伝える事にする。


「――ありがとうございますサシギさん。大切な事に気付かせてもらって……。難しい言葉は言えませんが、俺はこれまで……ままならない現状から目を背けて、ただ生きる事しかしていなくって。言い訳して、かってに身を削って、いつの間にかそれに慣れて、なんで生きているかも見失ってた……。要するに、人として腐ってたんです。全て間違ってた」


 サシギは言った『ここに居る意義』と。


 意義も何も無い奴が、ハクシの善意の庇護を受けて、揺籃のような環境でただ意味もなく生かしてもらうのは、是か否か。リンリは先ほど問い掛けられた言葉の意味が、何となく上辺だけだが解った気がした。


 死にたくないから、生かしてもらうのか?


 ならどうして、死にたくない?


 いや、根底から違う。


「何で、生きてるか、じゃないんだ。

どうやって生きて、輝いたかが人の価値だ」


 生きたいから。足掻いて、必死に生きる。

命の答えなんて、後から付いてくるものだ。

 そもそも、殆どの人間は“何で生きてるのか”なんて答えを持ち合わせてはいない。


「――俺は、ここで、これから、必死に、まだ生きたいです! 活きる為に、生きます! 最後の一瞬まで活きて、行きます!」


 ハクシの口上に似た覚悟を告げた。


 下げていた頭を上げると、サシギはリンリの強張った顔を覗いて、ただそっと頷く。彼女はその後の言葉を待ってくれているようだった。


「――だから。これから、褌野郎をこのトウフヤで宜しくお願いします! 精一杯、頑張らせていただきますから!!」


「…………ふふ」


 サシギに笑われた。


「……褌野郎、ですか。良いですよ。そう自分なりに省みれたのなら、ここに居る為の最低限の資格は満たしているでしょう。そんなにも難しく考える必要などないのです。必死に生きる者に、この統巫屋は寛大でありますから」


「ありがとうございます」


「リンリ殿。吹っ切れたのなら、いい加減に行きますよ。私も多忙ではありませんが、暇という身ではありませんので――」


「はは……すいません。

もう辺り、日が沈んで真っ暗ですね……」


 ――現代で守るものは、守っていたものは最早、自分以外が帰る事の無くなった大切な場所だけだった。

 それを守る為に、それから逃げる為に。自分を誤魔化し、嘘を重ね、言い訳を繰り返した。

 挙げ句に自傷自滅破滅行為同然の毎日。

 心身の余裕を削りつつ日々を過ごしていたリンリ。故にこそ、このような非現実的な厄に見舞われたかも知れない。

 これは罪か、試練か。けれどもリンリの止まってしまっていた時は……こんな状況になってこそ、少しずつだが、漸くまた動き出したのであった。



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