一章……(八) 【回廊】
「――あの、サシギさん。俺はどうも混乱しているので、現状の把握をするのを手伝ってもらっても構わないですか? 主に、こちらから質問する感じですが……」
おずおずと聞いてみたリンリ。
彼女、サシギは数秒の間は無言。その後、猛禽類を思わせるほど鋭い眼光を送ってきた。
リンリの事を観察しているようだ。
「リンリ殿、サシギで結構でございます。現状の把握ですか。ええどうぞ。私が知り得る範囲、私の一存で許される範疇でお答えいたしましょう」
数秒後。彼女は小さく頷くと、そう淡々とした口調で事務的に返してくる。
はたして彼女に、リンリは警戒されているのだろうか。まぁ、警戒されているだろう、当然そうだろうと断言できた。
「助かります。んじゃ、まず俺がここに居る経緯を詳しくお願いします――」
そんな扱いを受けるのは仕方がない。
貧相な話術の自覚があるリンリ。あからさまに警戒してくる相手と上手く会話できる自信もまるで無いものの、ここは乗り切るしかない。
「経緯……ですか? んッふふ」
突如サシギが軽く吹き出した。何故?
いや、ただの咳払いだったのだろうか。
「……はい? どうか、しましたか?」
「ゴホッ、失礼いたしました。お話しします」
…………。
サシギの話を要約するとこうだ。
――ハクシが水浴びをしようとした所、滝の上から突然全裸で落ちてきたらしい、何処から領域に入り込んだのか不明で不審で不埒な男。
動揺するハクシに自身の陰部を露出させながら丁寧に挨拶してきて、同じく裸の状態だった彼女の身体をあれこれ観察、質問してきた。
その後、落ち着ける場所に自分を連れて行くようにと裸を見せ付けつつ脅し半分でハクシに頼み、ハクシの衣類の一部を剥ぎ取って身に纏い、ここトウフヤまで付いて来たものの、到着すると同時にハクシとケンタイの前で倒れて運ばれた。
「――以上で、ございます」
淡々とした彼女の語りが終わる。
「――うっわ、酷い伝わり方してますね。
いやいや、事実だけども。もう変態以外の何者でもないだろソレ! それに何ヶ所か無視できない語弊? ……もあるぞ!」
なるほど、リンリの記憶と相違無い。
相違は無いが『ハクシの裸を観察』『自身の陰部を露出させながら』『裸を見せ付けつつ脅し半分で』『ハクシの衣類を剥ぎ取って身に纏い』と、なんだかとても悪意を感じる酷い伝わり方で認識されている。その通りの行動をしたのは間違い無いが、それでは完全に危ない奴だ。
顔をしかめるリンリ。
正面を見ると。彼女、サシギが妙に険しい表情で天井を眺めていた。彼女は握り拳を作り、何かの感情を堪えているように見えた。
――サシギの抱く感情は、怒り。か?
己の主であるハクシに対しての、リンリの振る舞いに怒っているのかも知れない。
「……とりあえず。俺は警戒するだけ無意味な人間で、不審者でも無いと断言します! 猥褻物陳列罪とかで捕縛とかは勘弁していただきたくそうろう。お願いします!」
堪らず、バサリと布団から出て正座をしその場でサシギに向き直り、かなり強めの口調で言い切ったリンリ。しょうもない誤解や偏見は直ぐその場でどうにかするに限る。
けれど予想に反して、
「リンリ殿を……警戒する必要は、確かに不用かと存じますが。不審な者で無いと……その格好でおっしゃられても……説得力が……んっフフッ!」
……何故か笑われる。
サシギが僅かに顔を背けて呟く。その後また吹き出した。彼女はリンリを直視しないようにしつつ口元を隠し、肩を震わせている。
――彼女は何を笑っているのか?
「フフ……ぶフっ……その格好はたまりませぬ」
――格好、格好と?
「――おわっ!」
そこで気が付いた。
リンリは未だに、ハクシから借りた布を腰に巻いただけの格好だったのだ。
そして、今まで横になっていたのが原因で、男の大切な所が“はだけて”しまっていた。最悪である。リンリは直ぐに布団を羽織るようにしてサシギから全身を隠す。滑稽な姿だ。
「――サシギさん?! そのままの格好で寝かせないでくださいよ!? いくら不審者みたいなヤツだからといって、扱いが雑ッ!」
直接布団に寝かせる前に、何か薄着でも着せて欲しかった。
あの寒気を体験した後だ、そのままにしたら場合によっては風邪でも引いてしまうだろう。……拾ってもらった身で図々しいかもとは思うが、そう意見したくなったリンリ。
「そうは言われましても、私がリンリ殿をここに運んだわけではありませんので。ただ、“冗談混じりの”あらましを聞き、貴方が目覚め次第、客人相応の対応するようにと指示を受けただけでございます……ふふッ」
という事らしい。
「――おや、因みに。リンリ殿?」
「はい?」
「貴方が現在腰に巻いているその外衣は……。系統導巫に納める為、腕利きの布職人に最高級の生糸を使用して織っていただいたという逸品でございますが……ソレについて」
「……ああ、やっぱり、高級な品で」
場の空気が変わった。
サシギは笑いを堪えている状態から一転、その視線を鋭くした。あぁ、やはり怒っている。流石にこれは怒られると覚悟するも。
「まさか、まさか。それを……それをっ!
……褌のように使用するなどっ――」
一端、息を溜めるサシギ。
布を渡してくれたのはハクシなので、少しばかり理不尽な気がするものの、サシギが仕えている主のハクシの持ち物を色々な意味で穢してしまったのは事実。彼女の怒りは尤もだと、ここは反論等せず、慎んでその怒りを受ける事にする。リンリはそう思っていたのだが、
「――フ、ふふ、ぶふっ! 貴方ッ!!……褌って、貴方それは無いでしょうに!! ふふ……その発想は有り得ません!!」
「……いや、まだ笑うんかい」
ただサシギは耐え切れなくなったのか、感情の蓋が決壊し、面白そうに腹を抱えて笑い出すだけだった。……それも、リンリが素で引いてしまう程に。なまじ堅物そうな彼女が、恥も外聞も無い風に顔を紅くして笑い出したのだから尚更だ。
「えーと、あの……サシギ、さん?」
――繰り返すが。多少なり先入観も有るだろうが、最初に抱いたサシギの固そうな印象からはどうにも想像出来ない豹変した彼女。
「……ふふ、申し訳、ありません。失礼にも、あまりにも褌の貴方の姿が可笑しかったのでつい……ふふ……褌。布団の下でそのような格好をしているとは……不覚でした……ぶふッ……褌っ!」
「そうですか……」
「ハァハァ……貴方がここに来るまでの経緯を聞いただけで、既に私を笑い殺し兼ねないというのに……二段構えとは……なかなか油断なりませぬ……褌、ふふッ、ふふふッ」
「いつまで笑われるんです? これ」
目に涙を溜めて笑いを堪えようとするサシギの様子に、リンリの「綿毛より柔らかい」と自負している心は深く傷付いた。
自分は不審者改め、褌野郎といったところだろうか。それはとても悲しい話だ。それから『褌、褌』と連呼しないで欲しい。そんな言葉を込めた視線をサシギに送ってみた。
「ふふ……私は、主である系統導巫のハクシ様の事。それに関連する事となると、些か気を張り過ぎてしまいます。恥ずかしながら最初はリンリ殿には必要以上の警戒心を持っていました」
「――そう? 本当に、ですか?」
「主を守る為には、何が毒になるか、何が薬になるか。或いは、それが毒にも薬にもならないか。確りと見極める必要があります故に。……誠に申し訳ありませんでした。ですが、貴方は私が保証いたします。私は人を見る目には一定の自負がありますので」
「いや、どこで判断したんですかソレ?」
「判断? 簡単な事でございます。リンリ殿は、私を笑わす程の逸材ですから」
「……つまり、俺は毒にも薬にもならない褌野郎だと判断したと? そう言いたいんですか? ……あと、謝るとこ違うと思います」
「ふふッ! 褌野郎……ふふ」
リンリはサシギの言葉に被せて、いかにも不愉快そうに且つ皮肉げに言った。
結果的に警戒する必要が無いと判断されたのならば良いのかも知れないが……。傷を負った男心に思う所が残った。
「ゴホッ……では、そろそろ。貴方が意識を取り戻した事を今から皆に伝えて参りますので。暫しの間ここでお待ちくださいませ」
「ちょ、サシギさん? 早い早い。まだまだ質問したい事があるんですが」
「リンリ殿、それは後の沙汰で改めて質問してくださいませ。その方が、私共も十全にお答え出来るかと存じます故に――」
そうリンリに返すと、サシギは一礼してからそそくさと部屋から出て行き、襖を閉めて歩いて行ってしまった。その先からまだ『ふふふ』と笑い声が聞こえてくるが、リンリは空耳だとそう思う事にした。
…………。
――サシギ。シジュウという者の一人。ハクシの従者の者らしい。それ以上彼女がどのような存在かはまだ測り兼ねるものの、自分にとって好ましく扱ってくれる存在である事は頷く。ただ、会話するだけで疲れてしまった。
「……はぁ」
再び部屋に一人、取り残されたリンリ。
「という事で。ここは――」
――トウフヤ。
リンリが夢の終わりだと思っていた、あのケンタイという男に出会った場面。そこで実際に自分が倒れていたと判明した。そして、ここはあの白くて四角い外観の建物の中……だろうか?
未だに“トウフヤ”があの美しい場所全体を指しているのか、豆腐みたいな建物の方を指しているのかが微妙なものの、現在地がトウフヤなのは確かだろう。
「まいったな……」
両手を空に投げ出して、起こしていた上半身を布団にバサリと倒れ込ます。
これが心引かれる“夢”ではなく確りとした“現実”の世界での出来事。まさか、こんな事が信じられるだろうか?
「……沙汰、か」
リンリは今どうする事も出来ず、
思考は混迷し泣くことさえ出来ず、
求める答えを見付ける事も出来ず、
「しかたない、もう一眠りしよう」
一端、現実に匙を投げた。
◇◇◇
リンリが暫く横になっていると、初対面と同じ固い表情に戻ったサシギが帰ってきた。
サシギはリンリの為に、やや大きめの男物の浴衣に似た服と帯、それから丁度よく温められた豆乳のような液体を持って来てくれた。
浴衣モドキを来て、豆乳のような液体をいただいたリンリは、サシギに「先程お伝えした沙汰の用意が出来ていますので、私に着いてきてくださいませ」と指示される。
そのまま部屋から出て、サシギに連れられて時代劇に出てくるような回廊を。花や木々、小さな溜め池等のある美しい中庭を囲むように健造された回廊、その外側に並ぶ幾つもの襖の前を進んで行った。
……まあ最初のうちは良かったのだが、回廊の通路の角を曲がると、また違う回廊の通路に出て。そこからまた曲がると、また微妙に違う似たような回廊の通路に出る。そんな廊下の特徴から、段々と無限に続く迷路に迷い込んだような錯覚、不安さえ感じ始めてしまったリンリ。
サシギにそろそろ何処に向かっているのかと問おうとした所で、
「リンリ殿、こちらでございます」
サシギはある襖の前で止まり、言う。
「この襖? 開けて、入れば良いんですか?」
「ええ」
頷かれた。どうやら、その“沙汰”をする部屋の前に到着したようだ。
「襖だから、ノックとかは不要だよな? 時代劇とかだと……どう入場してたか? こういう場のマナーが解らないぞ……」
リンリが襖の前でもたついていると。サシギは一礼し、廊下を歩いて行ってしまう。襖を開ける程度で助けてはくれないようだ。
――取り残された。途端に心細くなった。
「えーと、失礼します」
リンリは意を決し、襖を引いた。




