一章……(五) 【天女】
悲しい行き違いだったのだ。
意図せずに彼女、ハクシ様へと心的外傷を与えてしまったようだが、何時までもそう小さくなっていられては適わない。
「よし、そうだな……。えーとじゃあ、お詫びに機会があれば俺特製のプリンとか、甘い物でも作ってご馳走するからさっ! 今さっきの粗相は水に流してくれないかな?」
なので試しに、そう言ってみる。
「――甘い物? 否、我は基本的に捧げられた神饌しか口にしないから……」
やや興味有りげにしながら、ハクシはくるまっていた羽衣を綻びさせて姿を表す。
だが、直ぐに耳と肩を萎ませ、リンリの申し出に残念そうに呟いた。
――釣れた、のだろうか?
「新鮮しか口に? ……そうなのか?
なら新鮮なら食べられるのか……? あー、耳とか尻尾に獣っぽい特徴あるから、生モノしか食べられない体質とかだったりするのかな?」
「其方は、何を言っている? 新鮮ではなく神饌だ。我は、正式な手順を踏んで我自身に捧げられた物しか口にしない。そう決められている故に……残念だけど」
「ほぅ捧げ物しか口に、ね。
今更ながら、もしかしてハクシ様って、なかなか高貴な身分の方なんじゃないか? これは失礼。
ゴホンッ……ないでしょうか?」
本当に今更ながら、ハクシに「様」付けをし丁寧語で話してみるリンリ。
ハクシから今更に不敬なぞを咎められたりはしないだろうが。彼女がそのまま求めるならば、しっかりと敬う姿勢と言動に改める所存。
「高貴な身分? 前提から誤っている。
……其方。だから我は、己を統巫だと何度も……」
言葉の途中で。少し、間が空いた。
ハクシの顔を見ると、彼女はハッとした表情で小さな口を開き、固まっている。
「どうした?」
「……我とした事が。ぁぅそうか……。
その“統巫”がわからなかったね? ぅう……」
瞳を潤ますハクシ。
「…………はい?」
リンリには解らない。何故、彼女はこのようなな感情を見せるというのかを。
先程までは初々しい反応と共に、頬を可愛らしく桜色に染める程度だったというのに。一転して明らかに“哀の表情”をみせられている。
「ごめんね」
そして謝罪された。謝罪の意図は解らない。
察するに、「申し訳なくなって思わず謝ってしまう」ほど、リンリは無知を憐れまれているとかだろうか……? いやきっと違うか。
謝罪の言葉の部分。まるで、リンリの置かれた境遇に「気を回せなかった自責」の感情が溢れて口から出てしまったようにも感じられた。リンリ個人に対しての感情のようで、そうではないようにも。それ以上の事は詳しく解らない。
「おい、そんな顔しないでくれ……」
妙な雰囲気になってしまったが、
「あっ、その服すごい似合ってる。
物語の中の天女様とか女神様みたいだなっ!」
そこでハクシの衣姿が目に入り。
何とか彼女の哀の感情を払おうと、リンリはそう唐突に口に出した。女性との会話で困ったら『とにかく服装を褒めておけ』と。昔に父親に教えられた処世術だ。これが悲しいほど貧相な発想で、口下手なのは自覚している。
まぁ実際、美しかったのは事実。
ハクシが身に付けているのは、彼女の特徴に合った金と銀の色合いで装飾された膝下までの長さの白い小袖のような衣装。
所々複雑な紋様が描かれたその装束は、羽織るように着てから腕を出し、帯で纏めて結ぶことで着付けている。それは和服のようでいて、細部の細かな装飾等はまた違う民族衣装のような独特の趣があるものであった。
――肩に掛かる羽衣と、ハクシ自身の美しくも人ならざる特徴も相俟って、堅苦しくは感じさせないものの冒し難く神聖な礼装装束を思わせた。
それを身に纏うハクシがどれ程可憐な事か。
今ならば“トウフ”が神様の類に奉仕する神職の存在。或いは、その神様自身だと名乗られた場合、とてもしっくりきてしまっただろう。
……それは彼女とのここまでのやり取りで、どうにも見え隠れしていた子供っぽい“素”の部分をリンリが見ていなかった場合の話だったが。
「女神様みたい……?」
「あぁそうだ。この世の存在じゃないみたいに綺麗だよ。俺はお世辞じゃなくて、そう思った。……思わずこの場で拝みたくなるくらいになっ! ありがたや、ありがたや!」
ハクシは耳をひくひく動かして言葉を発したリンリを見上げる。リンリはここぞとばかりに彼女の機嫌をとってみた。
「……その言い回し、むず痒くなる……。
懐かしいな。どうも其方に……気をつかわせたか。すまぬ。……妙な顔を見られちゃったね……」
瞳を擦るハクシ。
綻んだ彼女の顔を見ると、リンリの薄っぺらいお世辞言葉でも、彼女の哀の感情を吹き飛ばすという役にはたった? という事だろうか。いや、単純に彼女が勝手に泣き止んだだけかもしれない。
そもそも彼女が瞳を潤ました内情さえ、リンリにとって預かり知るところではない。
「……ぁぅ」
「俺はここの事、ハクシ様の事も、トウフの事も、まだ何も解らないけども。俺が関与した事で、誰かが悲しい気持ちになるってのは我慢できない。俺に落ち度が有ったなら言ってくれっ!」
こういう際に、相手を取り繕うのも男の甲斐性だと。キメ顔で笑い掛けるリンリ。
「……其方のせいでは無い。それに、我は些細な事では己の感情を揺り動かしたりなどしない……っていう事で良いね? 今のは忘れてね!」
しかし、無駄な計らいに終わった。
「えぇ……。あぁ、はい」
泣き止んだと思ったら、泣いていた事実を無かった事にするよう要望されるとは。
それは構わないものの、
「――ハクシ様は、男のナニかを見たくらいで動揺したりもしないよな?」
あまりにも呆気に取られたので、ついでに猥褻物陳列罪の件も無かった事にしておく。
「ぁぅ……」
ズルい遣り口なのは承知しているとも。
だが、リンリがハクシにこれ以上不快な思いをさせず、その上で行動を急いでもらう……。
「はははっ……はッ、ハックションッ!」
何せ、ずぶ濡れの状態で、ハクシに渡された布を巻いただけのリンリの装備。
ここいらで正直に明かすと、時間の経過と共に体温と体力が奪われている。流石にすぐさま命の危機とまでは行かないが、川で流されていた時に消耗した分もあり、じりじりと肉体の限界が見えてきた事実を無視も出来ないからだ。
「ぅ……勿論。勿論、無論だとも。我は、ナニを見ても。その程度では動じないに決まっている。……統巫だからね!」
――とは言ったものの、リンリの股の間をチラッと見て身震いし、直ぐに顔を背けてしまう。だけれど、元々は彼女自身が渡した布が透けてしまったからこその茶番なので……。ハクシは必要の無い責任を感じてか、またチラッとリンリの股間の部分を見返して、
「我が其方の“男の人”を見て叫んだり、目を背けたこと等で気を悪くしたりはしないで。我が慣れて無いだけだから……。そちらについても、ごめんなさい」
そう、いじらしく事の顛末の補助。リンリへの謝罪だろう言葉を言ってくれた。
「あぁ、大丈夫だ」
「その……其方に、うーんと、我の渡したソレ……に、似合ってるね? ん、似合ってるかな?」
「いやいや、気を使って変なフォローしなくても大丈夫だからな? この格好が似合ってるって寧ろ傷付くぞっ?! やめてくれっ!!」
「へぇっ!? ……じ、冗談だから!」
ハクシは「しまった!」と顔を変えて、飛び上がり、苦し紛れに冗談だと言う。
「冗談か。あれ、素で言ってなかった?」
「んぅ……」
ハクシの尻尾が膨らんだ。
「悪い、無粋だったな」
「……はふぅ」
ハクシの尻尾が垂れた。
「キミ、やっぱり色々と可愛いな」
「ぁぅ……って、もう! 我で遊ぶでない!
其方なかなか意地が悪いぞっ!」
ハクシの尻尾が振られた。
――ちょいと怒られてしまった。
リンリは苦笑いする。こんな状況だというのに愉快な心地となり、彼女に何処となく心をくすぐられ、好感を感じてしまうからか。
そう“こんな状況”でなければ、苦笑いで留めずに普通に笑ってられた。元々子供や年下と関わるのは嫌いではないし。彼女と接していると不思議と、家族とでも触れ合っているような“得も言えぬ”心身の温かさを抱いた。
同じくらいの感傷も。恐怖も。苦しみも。
「――じゃあ、ナニも無かったって事で。気を取り直して、案内をお願い申し上げます!」
リンリは手を叩いて、この場の事を全て“無かった事”にした。それ以上にここで彼女と触れ合っていれば、醜く酷く脆く弱い部分の自分をさらけ出してしまう恐れから。
「……ん? うん。我に付いてきてっ!」
ハクシは、その様子に何かを察してしまったのだろうか。リンリを見ないで頷くと。一度手招きをして歩き出したのだった。
◇◇◇
「すずどらり……りんりぃ。すずどらりんが氏で、其方自身の名がりんり……かな?」
「うじ……? あぁ、苗字の事か。
そうだな、鈴隣が苗字で倫理が名前だ。呼び方はそのままリンリとかで良いから、さ」
「……そう。ならば、りんり。我の事もそのままハクシで良い。統巫はよく“様”や“君”や“殿”など敬った呼び方をされるようだが、統巫を知らないなら………普通にハクシって呼んで良いよ? 許す」
「じゃあ、ハクシ。因みに、……どこに案内してくれてるのか訊いても?」
水辺から離れ、歩き辛くない程度に開かれた大自然の中。リンリは、自分を先導して尻尾を振りながら歩くハクシと、互いの呼び名の話をして進んでいた。体感時間だが、五分十分程度は歩いた所だろうと感じる。
「統巫屋に案内している。もう直ぐ」
「豆腐屋さん、ね……。はッ、ハクッショッ!」
「――わぁっ!」
「あぁ、悪い。驚かした。どうも寒くて……」
鼻を啜り、身体の震えを押さえる。
身体のほぼ全面に直接当たるひんやりとした向かい風。足裏から徐々に熱を奪ってゆく湿った地面に加えて。繁った木々の紅葉により、若干の日陰という環境。そんな要因から、本格的に体温、体力に余裕が無くなってきたリンリ。
「もぅ早く申してくれれば、我はもっと急いだというものを……。てっきり、其方が『川で全裸遊泳していた』『滝から落ちてみた』と言うから。見かけによらず強靭な身体だとばかり……」
ハクシは振り返ると、心配そうにしてくれる。
「“落ちてみて”は、いないな……。全裸遊泳もしたくてしたんじゃな。はッ、ふッ、ファッショッ!」
「りんり。も、もう、見えるからね……」
「……そそ、そうか。豆腐屋さん、見えるか」
仮に倒れたとすると、それはそれでハクシに迷惑がかかるというもの。
あの細く華奢な腕の彼女だけでは自分を運ぶのが困難だろう。そう思うと、リンリは「とにかく落ち着ける場所まで行ってやる」と意地になり。鼻を啜りながら歯を食いしばって、目の前で揺れる尻尾を追うように進んだ。
そうしていると、ハクシが話してくれた通りに木々が徐々に開いてくる。木々の日陰を抜け、射し込んできた日差しは高くリンリは腕で目を覆う。
「ほら、りんりっ!」
そして、かけられたハクシの声に少しずつ腕の覆いを開いてみると、
「これは……うおっ、凄いなぁ!」
――絶景。
それは、宛ら東洋の楽園のようだった。
――目に入ったのは、今立っている場所からやや低地に円形に開けた広大な土地。
見渡す限りの大地に、まず何かの作物を育てている畑や彩り鮮やかな実を付けた果樹等が見える。
その他にも、奥の方には花畑や小さな池があり、それら一つ一つが先程の小川から引いているだろう水路によって区画分けされ調和した景色。
――これを見る為ならば、大金をはたいてやってきたとしても悔いは無いだろう。そう見る者に思わせ、魅了させる絶景。
「統巫が住まう屋だから、
その回りの土地も含めて統巫屋。我の領域」
「――あぁ、なるほど。
なんというか、豆腐みたいだ」
――その中央部に建物だろうもの。
真っ白くて四角い、平たい壁。……言われてみれば“豆腐”のような建造物が見て取れた。




