一章……(三) 【白紙】
――少女の身体には、その髪と同色の狐のような尻尾と耳が静かに垂れていた。
髪の色や眼の色はまだ良い。
確かに特徴的といえば特徴的だが。髪色は普通に存在する色だし、染髪剤なんかでどうとでもなる。金眼も見方によりそう見える目を持つ人間が居ることをリンリは知っていて。獣のような瞳孔と共に、眼の色は割と簡単に瞳に入れる硝子の装飾器具等で誤魔化せる事だろう。
だけれど、獣の“尻尾や耳”となると話は別となってしまう。そんな身体的特徴を持つ人形の生物など、それこそ創作や空想の中にしかいない夢語りな存在である……はず。
リンリには若気の至りと、悪友的な人間の誘いと、物は試しにとの好奇心から、昔一度そういった場所でそういった格好をした女性達に接客や遊戯等をしてもらえるという店へ行った経験が有るのだが。まぁ、解っていたものの、元より彼女達のアレは客商売でそんな格好をしている訳で。耳や尻尾の装飾を嫌々と邪魔そうにしていた彼女達の様子から、所詮は紛い物の存在かと落胆した覚えがあるのだ。
――だが、目の前の少女は違った。
「――んむぅ? これが、本物かどうか?」
少女はリンリの質問に小首を傾げキョトンとしつつ、「何を言ってるのか?」と妙な表情をしつつも。そのフサフサとした、銀色で先の白い毛に包まれた尻尾を水中でサッと一振りして見せる。
「冷たっ」
彼女の尻尾が振られ、弾かれた水がパシャりと跳ねてリンリの顔に少しかかった。
その時点で、彼女のソレが装飾等の飾りではなく限り無く本物の身体の一部だと理解できてしまう。何せ見慣れた犬や猫などの物と同じ“生き物の質感”というものが感じられたからだ。その自然な動きは、尾に神経が通い、筋肉が無ければ説明がつけられない。
そもそもそれが装飾だったら、ほぼ全裸の状態である少女の臀部に一体どう装着されているのかと如何わしくも思ってしまうリンリ。
「……えーとそうだな。後、失礼だけど、その御耳も良いかな? 申し訳ないけど、俺の認識だと人間にはそんなアニマルな尻尾や耳のオプションは付いて無かったからな」
「動物の? 尾や耳? おぷしょーん?」
少女は目を細め、リンリの事を再び「この人は何を言っているんだろう?」とでも言いたげな怪訝な表情をする。
それでもリンリの言葉に応え、自身の獣の耳に方手を伸ばして一度さらりと撫でて見せる。少女が撫でると、伏せるよう垂れていた両耳がピクピクと動いた。
「――ぉお! そっちも本物なのか!?
まさか、リアルな獣っ娘とはっ!」
リンリは少女の動いた耳を見て、ついつい口から歓喜のような声を出してしまった。
冗談のような状況で大自然に放り出され、唐突に死にかけた反動か、そのまま気分が向上し、少女の事や序でにここが何処だか等を質問攻めにしてしまいそうになったのだが、
「……ケモノッコ……。それは……我を……」
「あのっ!! あーじゃなくて……だ!」
……が、その前に。落ち着いてよく自分の状況を考えてみた。
客観的には、突然水中から現れ、陰部を両手で隠している今のリンリの状態。
実に滑稽で不審で愉快な存在なのだが、そこに目を瞑ってくれている人外的な少女。
そういえば、まだ彼女に自己紹介もしていないのである。今は彼女のことを配慮して事を慎重に進めるべきかも知れない。
――右も左も解らない現状では、自分が頼れる唯一の存在が目の前の少女なのだ。
例えば、是非や結果を考えない軽率な行動によって不審者と判断され、彼女に逃げられてしまったりするのは何としても避けなければいけないリンリである。
「俺の名前は……
「――もう満足か? 我は系統導巫と名告った筈。故にこの身体には我自身が統べる力の根源であり、万物の一端を司る一柱にして秩序と理の権化である“彼ノ者”の特徴を賜っている。それと肩の羽衣を見れば、我の存在が統巫だという事は疑いようも無い……よね?」
「はい……?」
言いかけた名乗りは、少女からの難しそうな言葉によって遮られてしまった。
再びの違和感と【ケイトウドウフ】【カノモノ】【ユリカゴ】【トウフ】など……。
共通の言葉の中に、リンリでは理解出来ない単語を含めてくる少女。察するに少女は、自身がその“トウフ”や“ケイトウドウフ”という存在だとリンリがうまく認識出来ていない。又は、疑っているのだと踏んでいるようだ。……当たらずとも遠からず、だろうか?
「えーと『疑いようも無い』とおっしゃられましても、困ってしまうんだが。悪い……俺には、キミの言う“豆腐”って固有名詞が何だか解らないんだ。まさか、あの白くて四角いヤツって訳でもないよな?」
「白い四角いヤツ……? 其方は統巫屋の事を申しているのか? 確かに、遠目では白く四角い成りをしている……けど」
少女には、豆腐屋さんが白くて四角いという認識らしい。このままでは、お互いによくわからない。会話中の違和感は元より、リンリと彼女の間には一部の言葉の認識に隔たりが有るのが明白か。
「白く四角い豆腐屋……? ダメだ、混乱するな。とりあえず、俺は右も左も解らない状態だって事と、今は見てのとおりのフルチ……全裸だが、別に不審者じゃないって事だけ理解して欲しい!」
リンリは、単純にそう伝えた。
「はっきりさせておこう。其方は、自分から領域に浸入した訳では無いという事……なんだね? それに、右も左も解らない状態と? 我も、統巫も解らないと申すか? 誠に?」
少女は頭を横に傾けて呟く。
「領域、浸入? 意識して何処かに入り込んだ記憶は無いんだが。……もしかして、ここは普通の人間が入っちゃダメな場所だったとかか? あー、そういう設定の場所?」
リンリは表情に出さないが。背中に冷や汗をかいて、内心びくびくで確認する。
領域に浸入――。
リンリはその言葉から、もしやこの場所は少女のような人外の存在が、人間社会から隔絶された環境でひっそり隠れ住んでいる場所なのではと想像した。
近年の創作でよくある設定だ。現在地、異世界という可能性も考えたが、共通の言葉が通じているのは都合が良すぎる。
人外の存在の隠れ里。この場所が彼女にとって領域と言うのなら、よりその想像に真実味が出てきた。それならば嬉しい。
――それならば、現代に帰還は可能だろうから。
「ううん、そのような事は。
領域、ここへの浸入は別に禁じられている訳じゃない。ただ、浸入にはその者自身が統巫のような特別な存在、或いは系統統巫の許可を持った存在でないと……いけない筈なんだけど……。なんだけど、なぁ……」
少女は瞳を伏せると、リンリから視線を反らして考える素振りをした。
「良かった。じゃあ、不法浸入に関しては咎められたりはしないんだな? 安心させて『ここの存在を知ったよそ者は、口封じだ。生きては帰せない』とか言い出すパターンは止めてくれよ? 一難去ってまた一難は勘弁願いたいからなぁ……」
リンリは念の為に再度の確認。
「……口封じとは? うん、何を?
案ずるな。別に其方の身を咎めたり罰したり等はしない。今のところ、する必要が無く。する気も無い……だから、大丈夫だよ?」
「今のところ? ……もしや後で、猥褻物陳列罪とかで、お役人的な人達に逮捕、起訴されたりする事はあり得るって話か? そうなら泣きながら異議を申し立てる」
ここは、その「お役人的なの」が居る世界観かどうかは不明だが。彼女は大丈夫でも、他の遭遇者にリンリがどう扱われるかは、正直わかったもんじゃない。
「……其方は何を言っているのだ? 裸になった程度で人の世の役人が来るものか。じゃなくてね……否。当然に我に危害でも加えてくるなら、その者には相応の報いを与えるまでのことと、故に。……其方は大丈夫だよね?」
「あぁ。はい、大丈夫です。俺はとっても人畜無害なフルチ……全裸男だと断言します!」
身なりに目を瞑ってもらえれば無害だ。
まぁ、つまり。特に問題無いと。
小首を傾げながらの平淡なその言葉に嘘は無さそうだ。先程までの少女の丁寧な対応を考えても、リンリが危害などを加えられる可能性はとても低いと判断できるだろう。
「ほっ……。そうか、安心した」
そして、胸を撫で下ろして安堵する。
もしも万が一【この場所の存在や秘密を知ってしまった】からという理由で、口封じとして処刑されたり、一生の間投獄されると伝えられていたとしたら……。
その場合リンリは、すぐ少女の顔に水でも掛けて必死の逃走劇でも始めたことだろう。
「……えーと、そうだ。お豆腐様だったか?
まず出会いがしらで、キミを驚かしたようで。まことに申し訳ないです。……はぁ」
思わず、ため息が出る。
ようやく多少の人心地が付いたリンリ。
「オトウフ様……」
「おかしな話だけどな。気が付いたら、河のもっと上流で全裸遊泳してたんだ。そんで思わぬトラブルで流された結果、滝から落ちてキミに出会って……今に至る。不思議だろ?」
「そう、なんだ――」
「現状の俺はこんな格好だし、ここがどこだかも不明。とうぜんに頼れる人間も居ない。絶望的な状況だ……泣きたい。迷惑じゃないなら、落ち着ける場所に連れて行ってもらえないか? そこにキミの他に人が居るなら、一見不審な俺の口利きもお願いしたいだけど……」
少女はリンリを見返すと、苦笑いのような表情をして頷いてくれた。
「うん、聞き入れた。
我が然るべき対処をすると保証しよう」
仰々しい言い回しで保証してくれた。
「……ありがとう。いや、本当に感謝するよ。
俺はリンリ、鈴隣倫理だ。お豆腐様? ってゆうの、それは肩書か? 名前は……聞いて良いのかな? とにかく宜しくお願いします!」
「ん……是だ。我が名はハクシ。
系統導巫のハクシなり……よろしくね?」
二人の邂逅だった。
「――白紙、ハクシ様か。よし、覚えた」




