猫叉先輩と僕と猫叉先生の話
猫叉先生がいる。
この学校の教師で、保健体育担当。名字の通り猫叉先輩の近親。姉である。年齢関係の質問はタブー中のタブー。言えば地獄が待っている。運動能力はずば抜けて高く、若い頃はオリンピック選手の選考にも名が登ったほどだと言う。今でもオファーがあったりしたそうだ。運動選手だったというのにそのスタイルは抜群で、大量の胸派と大量の尻派の支持を得ている。そんなメリハリのあるボディラインでも、猫然とした優美さは失われておらず、ルックスも良い点を考えればある意味パーフェクトな女性と言えるだろう。
体育教師用の教員室で、猫叉先輩の等身大抱き枕を抱えて、飲んだくれてなければ。
「あーん、妹ちゃーん、なんであたしに構ってくれないのー?」
「猫叉先生」
「うに゛ゃあ!」
僕の一声に猫叉先輩は狭い体育教師室内の狭い隙間を縫うように飛びまわり、どこも打つ事無く三回ひねりからの着地を決めて「ふしゃー!」と警戒声をだした。
「落ち着いてください、猫叉先生。別に取って食おうって訳じゃないですから」
「しゃー……ん? ああ、君か」
警戒を解いた猫叉先生は、元の位置に華麗と言える動きで戻った。そして抱き枕をかき抱く。知り合いだからと言って、ある種礼儀は必要ではないだろうか。それはともかく。
「何か用かい?」
聞かれ、僕は答える。
「ええ、猫叉先輩が捕まらなくて」
「ん? 君もかい」
「猫叉先生もですか」
そう聞くと、猫叉先生は抱き枕をぎゅーと抱きしめる。その表情は儚げで美しいが、ノンアルコールとはいえビールの空き缶を見つけると、この人は……、とも思ってしまう。
そんな猫叉先生が言う。
「そう。捕まえられてないのさ。こないだ君たちが持ち込んだブツがあったろ?」
「ええ」
「あれについて分かった事がいくつかあってね。で、もう一度状況についてとか色々聞こうかと思っていたんだよ。いたんだが」
「いない、と」
猫叉先生は首肯する。
「今朝は会ったんだが、なにぶん情報が回ってきたのがその後でね。学校で会えればいいや、と思ったらいないだろ? だから困ってるのさ。そっちは?」
振られて、ちょっと考える。自分の知っている事を明かすべきか否か。変に負担にならないか。しかしよくよく考えれば、これは猫叉先生に知っていてもらった方がいいと判断出来る。なので答える事にした。
「実は、不動尊君にさっき霊視してもらったんですよ。あの道具によって、と言う事は人為的だから、この間あの道具を見つけた場所以外にも、そう言う場所があるんじゃないかって思いまして」
「ふむ。で?」
促されるまま、喋る。
「大雑把ですが、学校から10キロ四方で6カ所ほどあるのが分かりました。近い所では旧校舎にです。もっと広げれば増えるかもしれません」
「ふむ。そいつは問題だね。“上”の方にも伝えておく必要があるかもしらん」
「“上”?」と尋ねると、猫叉先生は「そうだよ」と、話し始めた。それによると、霊などの超常現象を専門とする組織があり、猫叉先生もそこに、非正規ながら所属しているという。
「この辺だけどそれだけある、というのは、これはちょっと大事になるかも分からんね」
猫叉先生が、ひとりごちる。非正規とはいえそういう組織の一員が大事とは、これは穏やかじゃない。
「そんなによくないことですか?」
問うと、
「そうだね、これはちょっと所ではなく、不穏と言えるよ。大体の場合、霊を呼び出すにしても、そうする理由が当然ある。それが普通だろ?」
「ええ」
「そう、普通。なんだが、この犯人、と言えばいいのかはまだ分からないけど、そいつは霊を呼ぶだけ呼んで、後は放置している節がある。あるいは、他の使い方をしたのかもしれないが、そこには何かしら目的があると考える方がいい。とはいえそれが分からない。だから不穏なんだよ」
「成程」
僕は納得する。ならば尚更猫叉先輩を素早く見つけないといけない。あの人は本人が思っている上に変なことに足を突っ込み易いタイプだ。この間の、廃工場の事もそうだ。霊を確認して去ればいいのに、道具をぶっ壊してしまったりする。そういう危うさが、あの人にはある。そして、よく僕もそれに巻き込まれる。だから、芽は潰しておかないといけない。
「っとなると、ますます迷い猫を捜さにゃならんね」
「そうですね」
意見は一致する。たぶん、同じ事を考えたろうとも分かる。猫叉先生の方が、猫叉先輩の危うさについては、より熟知しているだろう。その人が言うのだから、とっとと探さないといけない。
……?
思ったことを口にした。
「そういえば、なんで猫叉先輩が見つかってないのに、こんな所で飲んだくれてるんですか?」
「飲んだくれてねえよ! ちゃんとノンアルコールの飲料だし!」
一応、今の時間にアルコールはいけないというのは分かっているようだ。
さておき。
「じゃあ、捜すの諦めたんですか?」
「どうせ、家に帰れば会える、って思ってね。流石にあの子でも、毎日毎日変なのにひっかかりゃしないよ」
確かにそれもそうだ。毎日のようには、流石に無いだろうとは僕も思う。けど、僕としては早い方がいい。だから、
「一緒に捜しませんか」
そう、提案してみた。すると、猫叉先生は、何故か虎を思わせる鋭い目つきになって、
「ふうん、いいね、それ」
と、無駄に勿体つけて言った。
とはいえ、校内は僕と猫叉先生の両者ともあらかた捜し尽くしている。裏庭などの居そうな所は重点的に、それ以外もローラー作戦めいて捜したが、成果は0。となると校外の可能性もあるが、そうなれば範囲が広すぎて、結局家で待つのが正解になる。
よって、猫叉先輩捜しは暗礁に乗り上げた。
「うーん」
こうも見つけられてないとは、と僕は呻く。
元々猫叉で猫成分も多めな猫叉先輩は、ふらっといなくなることもよくある。今日もその一環だろう。にしたって、ここまで見つからないのはそうそうない。下手したら、という嫌な予感がある。
「あの子はちょっと、糸の切れた凧めいたとこがあるから、捜す時は本当、苦労するのよね」
一緒に捜す仲、猫叉先生はそう述べる。その言葉にふと、連想が入る。
凧……、空……、上……。
「そうだ、屋上!」
僕の言葉に猫叉先生は吃驚して、猫警戒に入りかけたが、すぐに僕の糸に気づいてくれた。
「そういや、ウチの学校は屋上に上がるの禁止だっけ。だからすっかり抜けてたね。鍵が無くても、あの子の身体能力なら、近いベランダから登っていけるだろうしね」
鍵を持って屋上行ってみれば、はたしてそこに猫叉先輩はいた。
「ふにゃあ!?」扉を開いた音で、振り向きざまそう鳴く猫叉先輩。どうやら猫の気が強い状態のようだ。丸っとした座り姿勢は猫その物である。
「麗しの妹ちゃん!」
突如、猫叉先輩がそう言ってダッシュで近づいた。足元は色々とでこぼこしているが、それを瞬時に見切って走りぬける辺りは伊達にオリンピック候補だった訳ではない。
が、その突進は報われることはなく、当たる手前で猫叉先輩に回避される。
「あん」
そして、猫叉先輩は猫叉先生の頭の上に乗った。あれ、好きだなあ、猫叉先輩。
「ねえちゃ、何の用?」
猫っ気がするりと抜けたらしい猫叉先輩は、そう尋ねる。でも頭の上に乗ったままだ。あるいは、そうしておかないと危険な相手なのかもしれない。
「あ、あーん」
なのかもしれない。
さておき。
「僕達は、新情報が入ったから、猫叉先輩にも教えようと捜してたんです。猫叉先輩はどうしてここに?」
「ここはあたしの一番の昼寝場所だよ? 人も来なくて静かでいい所だからね」
特に深い理由ではないらしかった。なのに僕らはむやみにバタバタしていた訳だ。
「で、ねえちゃ。新情報っていうのは?」
「そ、そろそろ降りてくれない? 首がさ」
よく耐えていられるな、猫叉先生。タフネスというべきなのか、これは。
しかし、猫叉先輩はにべもない。
「ん、駄目。ねえちゃに抱きつかれるの、趣味じゃないし」
「あーん、つれないねえ」
そうは言いつつも、どこか嬉しそうにも見える猫叉先生はそのまま語り出した。
「一つ目。あんたの持ってきたのは降霊用の祭具だね。基本はアメリカ由来の交霊術みたいだけど、そこにかなり独自理論が混ざってハッキリ別物めいてるね」
「交霊術、というとこっくりさんみたいな?」
「まあ、大雑把に言っちゃえばそうなるね。で、話を聞く限りだと相当量の霊が呼べたみたいというの以上は分かんないのが現状。完全な状態な物があれば、もうちょい調査は進むね」
成程と頷き、猫叉先輩は「一つ目があるって事は、二つ目もあるんだよね?」と問いかける。
「そうです」
答えるのは僕だ。そして、不動尊君の調査について話す。
成程とまた頷き、猫叉先輩はうーん、と悩みだした。
「やっぱり、情報がどうにも足りないね」
「そうですし、そもそも頭脳労働は猫叉先輩向きじゃないですよ」
「るっさいなあ」
ちょっと怒る猫叉先輩に、僕はおずおずと持論を出してみた。
「とにかく今ある情報では、何かあるのは分かりますけど、それが何か、という部分までは到達出来てない状態ですね。誰かが、霊を呼び寄せているのは確かですが、それで何をするつもりなのか、というのはちょっと分からない。もうちょっと情報が欲しいです」
「って言っても、あたしは情報屋じゃないからね。ねえちゃはもうちょっと何か知ってない?」
話を振られた猫叉先生は、「足りるかどうかだけど」と言う。
「関係あるかどうかだが、なっちゃん、養護の夏目先生がね、最近貧血みたいな症状の子がよく来るって言ってたよ。それもうちの学校だけじゃなく、他校でも多いらしいんよ」
「その原因はなんです?」
「分かんねーんだな、これが。全員口が堅いらしいし、ようやっと聞けても記憶があいまいだったりするんだってさ。……でも」
猫叉先生が口ごもる。
「そこまで話て今更ですよ、猫叉先生」
僕が促すと、猫叉先生は溜息一つ。
「んだよなあ。なら言っちまうが、記憶のあった一人がどこかで降霊会をしていたという話をしているをしてたのさ。そして、次のその集会の話も」
「そう。潜入してみる」
「だから言いたくなかったんだよ。でも、こいつはちょっと手が込んでる。あんたには荷が重いかもしれないよ」
言われ、猫叉先輩は猫叉先生の頭の上から跳ね降りると、それに答えた。
「誰かがやるなら、あたしがやりたい。あたしの力はそういう為の物でしょ?」
「また、妙な正義感みたいだね。あたしの妹ながら、生真面目というか」
「確かにそうかも、だけど」
「ああ、いい、いい。妹がやるってんなら、フォローしないでもないよ。そうだろ、君?」
「え、あ、はい」
つい答えたが、これは僕達でどうにかなる問題なのだろうか、という思いにも駆られている。事は、案外大きいかもしれないのだ。なのに二つ返事してしまって、大丈夫なのだろうか。
と。
悲鳴が聞こえた。階下である。何事かとそこを見れば、校庭内を大型の犬が走り回っている。……訂正しよう。大型の、狼が走り回っている。あれは犬じゃない。狼だ。それも、体から炎のような物を噴き出している。普通の狼ではない。
「ねえちゃ、あれは?」
「うーん、炎狼の類かね。直系の血筋の犬ははこの辺りには居ないはずだが」
「でも、いるよ?」
「だな。その辺の理由は、とりあえず止めてからだ。このままだと怪我人が出る」
と言うと、猫叉先生は柵をよじ登り、越えて、するすると下に降り始めた。猫叉先輩も続く。
「猫叉先輩!」
「君はここに居るように。下手に降りても役に立たないからね」
「いや、ここ結構高いですけど大丈夫ですか!?」
「大丈夫。木もあるし」
と言うはしから、猫叉先生が近場の木に飛び移り、するすると木を降りていく。すぐに猫叉先輩も同じ行動をしていた。流石の身体能力というべきなのか。危ないから止めるように言うべきなのか。迷っているうちに二人は地上まで到達していた。
また悲鳴。見れば、一人の女子が炎狼に睨みつかれている。まだ噛みつかれてはいないが、それも時間の問題。人並みの大きさの狼だ。噛まれたら怪我どころか命すら危ういだろう。女子は恐怖で竦み、動けない。猫叉シスターズはまだそこに到達するまでに至っていない。あとちょっとだが、それが遠い。
炎狼が吠え、口を開く。万事休すか。とその時。
「せい!」
大声が聞こえたと思った瞬間、炎狼はどこからか強い衝撃を受け、人一人分くらいの高さまで浮き上がった。
「ぎゃん!」
と悲鳴にも似た吠え声をあげるその炎狼の体に、
「せいやあっ!」
猫叉シスターズの飛び蹴りが炸裂した。
「ぎゃいん!」
と一声残して、炎狼は地面に這いつくばった。
猫叉シスターズが女生徒を助けて、大層なありがとうの言葉をもらった、帰り道。
「牛木先生、本当に牛鬼の力を手に入れてたんですね」
僕が猫叉先輩にそう言うと、「そうだね」と猫叉先輩は返してきた。
あの時、炎狼が高く打ちあがったのは、牛木先生が殴り飛ばしたからだ。それも、人間の力では到底ない。牛鬼のそれでである。
「前にも話したかもだけど、後天的にも霊格が上がることはそんなに珍しいことじゃないんだ。先天性のより、形質の獲得が遅れたり、そもそも無理だったりすることもあるけどね」
そんなことを、猫叉先輩は言う。それに、と続ける。
「あたしとしてはあの炎狼の方が気になるよ」
「後天的に、ならあれもそうですものね。気絶したら、単なる大きめの犬でしたし」
「そう。どっかで霊能力が高い犬が霊力を蓄えたから、ああなったと見る方がいいと思う」
「それを、誰かが後押ししたとかも、考えられますね」
「そうだね。そいつが、あの祭具に関係しているのかも」
そう言う猫叉先輩の顔には、決意が満ちていた。原因を調べるという決意が。だから僕も流されるように、「ですね」と答えるだけだった。
蓄積があるにはあるが、それを写すにも時間がかかっている。これよく書いたなあ、ってくらいは量があるので、週一ペースが崩れないよう頑張ろう……。