猫叉先輩と僕の話
猫叉先輩は謎が多い人だ。女性。学年は3年。学年以外の、部活や委員会の所属は不明。身長は低い。太ってはいないがその分凹凸も少ない。それを指摘すると激烈に怒ってひっかいてくる。声は高め。猫耳。犬歯というか牙が見えたりする。あると噂の尻尾はどこにあるか皆目見当もつかない。たまに何もいない辺りを見てハムハムする。たまにその辺のベンチで寝てごろごろする。たまに人から貰ったまたたびで酔う。
「あれは本物の猫叉だよ」とも、「猫叉かぶれだよ、耳? 単にネコ耳のカチューシャだよ」とも。「猫叉というか猫娘だな。趣深い」とも、「おっぱいがあればなあ」とも。とにかく諸説紛々としている。
そんな猫叉先輩には僕だけが知っている弱点がある。耳が弱いのだ。フェイクだと言われる猫耳が、だ。
体育館と校舎の間の、ちょっとした隙間。そこで今、猫叉先輩はいつものように何もいない辺りにハムハムしている。この時は大変狙い目だ。基本隙だらけだからだ。
すすっと近づき、耳元で囁く。
「猫叉先輩」
「ぶにゃあ!」
猫叉先輩は跳び上がり、空中一回転の後着地すると高速でバク転三連からの着地を華麗に決めて猫の警戒態勢に移行して「フシャー!」とか言い出した。いつも通りの俊敏さだがいつも通りビビり過ぎである。
しばし猫叉先輩が野生のままに警戒行動をとるに任せる。下手に声を掛けてもこの状況では警戒反応しか無い。なのでしばらく待つ。と、猫叉先輩は野生から理性を取り戻し、自分の態勢の愚かさに気付いたのか、警戒を止めて立ち上がると、咳払い一つ。
「こほん」
それから、僕の方に詰め寄ってきて、見上げて怒る。
「君、ああいう事はするなって前から言ってるよね」
「言われてますね」
「言われてますねじゃないよ。本当に吃驚してしまうんだよ。本当に、今後は止めてちょうだい」
猫叉先輩の、やや下から見上げてくるその顔は、その、可愛い。猫科の丸さと鋭さの同居する、いうなれば優美さがある。そんな顔でぷりぷり怒ってくるのだ。そして近いのだ。うーむ、この近さよ。
「聞いてるの?」
「はあ」
気のない返事を返しておく。聞いているけど聞く気が無いので、「はあ」としか言いようがない。
「君はいつもそういう返事だな。どういう教育されているんだ」
「知っているでしょう。同じ学校じゃないですか」
「そういう意味じゃないんだよ!」
この話がこじれる前に、僕は言葉を繰り出した。
「それより猫叉先輩、お聞きしたい事があるんですよ」
「……ん? なんだい」
「二つありますが、まず一つ」
「うん」
「さっきもですが、たまに何か見えない物をハムハムされてますけど、アレって何をされてる訳で?」
「ああ、あれは雑霊を食べてるんだよ……、って露骨に嫌な顔するんじゃないよ」
「いやだって、食うって。よりにもよって直球過ぎますよ。なんか怖いですよ。食べ方もなんというか、えぐくて」
猫の捕食は、結構大きい獲物を食べるから、中々嫌な響きがある。それはちょっと嫌である。
「君は霊感が無いくせに、そう言うことには過敏だね。でも、あんまり放っておいてもあちこちで淀みを生んで、他の雑霊を集めて、大きく祟る霊を呼び寄せる事にもなるんだ。それを未然に防ぐという部分もあるんだよ」
「はあ」
「他には、霊力を補充するって意味合いもある。それで霊格を上げたりもするんだよ。あたしは先天的に猫叉の性だから、実際特に必要じゃないけどさ。最近だとほら、牛木先生が霊格が上がって牛鬼の性を手に入れたのも、そういうのをしたからなんだよ」
「ああ、だから最近牛木先生に角見たいなのがあるんですね」
「そういうこと」
「牛木先生も、食べた?」
「他にも色々と手段はあるよ。まあでも、あたしは大体食べるだけどね」
霊を食べてる、というのは中々怖い話だが、納得は出来た。次に行こう。
「聞きたい事のもう一つですけど、進路の事を聞きたいなあ、と。僕のやつの参考に猫叉先輩のやつを聞きたいなあ、と」
それは喫緊の課題であった。まだ2年だというのにかなり具体的な物を提出しろという上(教師)からのお達しである。気軽に書けるもんじゃないから、考えて考えて、調べて調べて、考えてしてきたがいい加減限界である。こういうのは先達に聞くに限る。と言う事で、その白羽の矢が猫叉先輩に刺さったのである。他にも候補はいたが、一番聞きたいのが猫叉先輩だったのだ。
そういう事を告げると、猫叉先輩は俺から少し距離をとり、
「ふむり」
と言って考え込み始めた。3年ともなればその辺が固まっているだろうと思っていた俺には不意打ち的な思考時間である。それでも何も言わず待っていると、猫叉先輩はぽつぽつと語り出した。
「将来と言っても中々範囲が難しい問題だよ。短期的に積み上げる、あるいは長期的に考える、どっちを取るか、あるいはどっちも考えるかでまた変わってくる」
「そうですか」
「そうだよ。短期的な所でとりあえずどこかの大学に入る。そこからどうするか。会社に入る。だがそこでそのまま終わるかね? そこから長期的に、出世して社長会長を狙うとか、古い言葉だが脱サラするとか、あるいは短期的の積み重ねとして社員のまま好きな事に打ちこむとか。そもそも社員にはならないとか。農業に手を出すとか、会社建てちゃうとか。あるいは旅に出ちゃうとかね。そういう振れ幅は当然ある。その辺も踏まえていかないといけない」
「はあ」
「それに、考えていた人生よりも実際は色んな事が起こる。いい事も、悪い事も。それをどう吸収していくか。どうその辺のバランスを取っていくか。その為の試金石をどう作っておくか。そういう考えもしないといけない」
「はあ」
「自分の体が突如として病に、あるいは事故にあって怪我をだってあるし、天災だって何時やってくるか分からない。そういうリスクをどう考えるかもまた、将来についての」
そろそろいいだろう。僕は口を挟む。
「猫叉先輩」
「なに?」
「夢を語るのが恥ずかしいなら恥ずかしいって言っていただけると、俺も諦めがつくんですが」
猫叉先輩の表情が、苦虫噛み潰したという言葉がぴたりとくるものに変わる。
「君のその察しの良さが大変嫌なんだけど、これは怒るべきなのかな」
「褒めていいですよ」
「面の皮も厚いし……」
「それより、先輩の、将来と言うのはなんなんですか?」
尋ねると、猫叉先輩は困った顔をすると、思案し始めた。それも長考。無理に聞いた手前、急かすのも無粋と感じて、そしてこの妙な間が何だか心地よいので、待ってみる。春の盛りを感じる風もまた、心地よい。
「……」
「……」
妙な間がまだ続く。熟考の構えだ。先に自分でハードルを上げてしまったのが、ここにきて響いているのだろうという予測が出来る。とはいえ、ちょっと長過ぎやしないか。間の味は良いものだが、それでも自ずと限界がある。時間は無限にある訳ではないのだ。
と、思って声を出そう、というタイミングで、猫叉先輩の口が動いた。
「お」
と、聞こえる。そこで一旦区切りが入り、ほんの少し逡巡してから、猫叉先輩は続きを口にした。
「お嫁さん……」
小さな声だったが、聞こえない事はなかった。ただ、意味が不明だったので大声で聞き返す。
「お嫁さん!?」
「ばっ、声でかいって!」
僕は出来る限りの上から目線で、猫叉先輩に詰め寄る。
「だって、猫叉先輩、色々言っていたのに、とどのつまりがお嫁さん、ってどういう事ですか」
「いや、色々考えたんだよ? キャリアになって偉くなって、でも、ふと自分の隣に誰もいなくて、と思ったらつい!」
「悲しい想像だなあ」
「だって、だって!」
猫叉先輩はバタバタ足を踏みしめる。そして言う。
「ねえちゃを見てたら、なんかヤバいって思っちゃうんだよ!」
「あー」
ねえちゃ、つまり姉さんとは猫叉先輩の姉、猫叉先生の事だ。ニアイコールで行き遅れと言う意味だ。
しかし、それは考え過ぎだ。猫叉先輩は。
「可愛いですよ、猫叉先輩は」
「……え?」
「いや、その、可愛い猫叉先輩なら、その、好きな人がいます、というか、近くにも居ますって」
「え、あ、うん」
そのまま、二人で沈黙する。
なんというか、こそばゆい。
と、放送が掛る。
『3Bの猫叉! 追試の件で話があるから即刻職員室に来るように! 以上!』
「……」
「……」
そのまま、二人で沈黙する。
なんというか、居心地が悪い。
「……行ってくる」
「はい」
猫叉先輩は職員室に向かい歩き出した。
僕はつぶやく。
「あれで案外勉強できないんだよなあ、猫叉先輩」
『猫叉先輩』の1話目です。2話目以降と執筆時期が異なる、しばらく間があって確認出来ない時期に2話目以降を書いたので、今後と雰囲気がすりあうかどうかが個人的な見所です。結構手直ししたけどもなあ。