⑤
朝九時半過ぎ。
俺と真帆は朝も早から地下鉄南北線を三駅ほど乗り継いで、中央公園に降り立った。といってもだらだらと散歩などをしにきたわけではなく、ちゃんと目的があってここにきている。
本日七月六日はうろな町の夏祭りが開催される日なのだ。
真帆は毎年参加しているとのことだが、つい一ヶ月前にこの町にやってきた新参者の俺は当然このお祭りの概要についてはよくわからないでいる。
しかし何をどこで間違えたのか、俺はまさかの出店をすることになってしまったのだ。つい三週間前くらいのことだ。犬の散歩バイト中に複数のリードに絡みとられているところを町長さんとその秘書さんに助けてもらった。いや、正確には突如現れた天狗仮面さんが犬達を一喝して静めてくれたのだが、それはまぁ置いておくとしよう。
そしてそこでようやく町長にお会いできたかと思えば、その場の成り行きでついお祭りのお手伝いに挙手してしまったのだ。
いままで自分から何か行動を起こすことなどなかった俺だが、やはりこの町に来てから何か一つ、例えどんなにちっぽけなことでもやり遂げてみたいという気持ちが強くなっている気がする。
ここまで個性豊かな、しかしそれでいてとても温かな人達とふれあってきたことで、少しでもこの町に恩返しがしたいという気持ちが芽生えてきているのだ。
自分の中の明確な変化に手応えを感じながら、俺と真帆は時間指定されている場所へと足を向けた。
会場である広場にたどり着くと、既に会場設営は済まされていて、色とりどりの屋台や吊り下げられた提灯、そして鉄組と木板で施された簡易ステージが見事に存在を主張していた。
そんな様変わりした公園を感心しながら、ステージ付近の本部を訪れた俺達は、町長さんの秘書である秋原さんのもとにやってきた。
眼鏡を掛けたスレンダーな体格の美人な女性である。
「おはようございます秋原さん」
「あら、マサムネくんおはよう。やだもうそんな時間?」
秋原さんが俺達に気づくと、慌てたように腕時計に眼をやる。
「約束の開始十五分前に来ました」
「ごめんなさいね、こんな朝早くに来させてしまって」
「いえいえ、町役場や設営担当の方々に比べればどうってことないっすよ」
「そういって貰えると助かるわ。そして……、」
俺と秋原さんの簡単な挨拶が終わると、秋原さんの目線は俺の肩下の隣へと移る。
「椋原さんちの真帆ちゃんね? はじめまして、この町の町長さんの秘書をしている秋原です。今日はよろしくね」
「はじめまして、椋原真帆です。今日はうちのマサムネをよろしくおねがいします」
ポーッと俺と秋原さんの様子を眺めていた真帆は、話の矛先が自分の方に向いてきたと同時にぺこりとお行儀良く頭を下げた。でももう少し言い方ってもんがあるよねー。
「うふふ、マサムネくんはやっぱり真帆ちゃんの尻に敷かれてるのね」
「やっぱりってなんすか。やっぱりって」
「マサムネは放っておくと知らない人についてっちゃうから、わたしが見てないとダメなんです」
「ダメなガキんちょみたいに言わないで!?」
真帆はつっこむ俺をちらりと一瞥して、また秋原さんの方へと視線を戻す。
そんな様子を眼鏡の奥の眼を弓なりにしながら眺めている秋原さん。
「さてと、ホントはもうちょっとお話していたいけれど、もうすぐ開始の時間だから説明の方をさせてもらうわね」
「はい、おねがいします」
そうと決まると、秋原さんは先陣を切って本部からでると、中央の広場を斜めに横切って行く。俺達もその後に続き、少し歩くとすぐに仰々しく装飾された『わたあめ』の看板が見えてきた。
「ここがマサムネくんの戦場よ」
秋原さんが物騒な単語を交えながら、屋台の向こう側へと案内する。
この時俺は、「そんな大袈裟な」などと内心屋台というものを軽視していた。
要するに楽だろうと舐めてかかっていたのだ。
しかしそんなことは大きな間違いだったことを後で知ることになる。
「わあ、わたあめの機械だ」
屋台の中へと通されると、真帆が珍しく瞳を輝かし、満面の笑みで業務用のわたあめ機の中を覗き込む。
「こっちのテーブルにざらめと割り箸が置いてあります。わたあめの作り方は知ってるかしら?」
「イメージはわかりますけど、業務用みたいですし教えてもらえますか?」
秋原さんは頷くと、わたあめ機の電源を入れた。モーター音が鳴りだしてかたかたと震えだす。
「まず電源を入れたら、二十秒ほど空回しをしておきます。このまますぐにざらめを入れてしまうと、ヒーターが温まってなくて、ざらめが溶けずに目詰まりを起こして燃えてしまうからね」
そう言うと、秋原さんはカメラのフィルムケースのような容器を手にとってざらめを掬った。
「温まってきたら、ざらめをこの真ん中の穴に入れます。一度にたくさん入れないで、この容器の八分目くらいを目安にこまめに入れるようにしてください」
すっと穴にざらめが投入される。すると徐々にわたあめ機の周りに綿が出現してきた。
それを確認して秋原さんは割り箸を持ち、慣れた手つきで綿を集めはじめた。
「焦らずに周りに溜まったわたを割り箸でゆっくり回して掬い取ってあげる気持ちでやってみてください。箸を横にして掬えるようになると尚いいわ」
きゅきゅっとスナップを効かせた秋原さんの綺麗な手には、いつの間にか大きく形の整ったわたあめが。
「おおすげーっす」
「すごいきれい」
俺と真帆は感嘆の声をあげる。
「完成したら、」
秋原さんはしゃがみこんで下の引き出しから子供向けアニメの絵が描かれた袋を取り出すと、先程までの華麗でカッコイイ秋原さんはどこへやら、袋の口を小さくして「ふぅ!」と豪快に空気を注ぎ込むと、ぱんぱんに膨らんだ袋の中に先程のわたあめを突っ込み、輪ゴムで手際良く蓋をした。
「…………え? 自分で空気いれるんすかそれ?」
「え? そうよ?」
さも当然のように首を傾げる秋原さんを見て、俺は思わず青くなった。
「ふ、普通機械とかで膨らますんじゃないんですか?」
それは当たり前の疑問だった。
今この瞬間、ガキの頃の楽しい思い出はガラスが割れたように崩れさるかもしれないのだ。
真帆も隣で八の字眉にしながら口をあんぐり開けて驚愕の表情をしている。
まだ中学生の真帆には辛い話になるかもしれないなぁ……。
秋原さんは俺達の言いたいことを理解したのか、ふっと憐れみの笑みを浮かべ俺の肩に手を置いた。
「マサムネくん。世の中には常識じゃ理解できないことが、たくさんあるのよ」
それはとても優しく、とても残酷な一言だった。
ということは、昔ごっつい腕まくりの奥にちらりと絵が覗いちゃってるような明らかに息が臭そうな屋台の親父が作ってたわたあめ入りの袋って……。
「あ、ごめんね。そろそろ私行かなきゃいけないから、あとは練習あるのみね。値段に関しては食券になってるから簡単だと思うわ。普通のわたあめと袋入りのわたあめがあるからそれだけ分けるのを忘れないでね」
秋原さんはそれだけ言い残して、そそくさと本部の方へと戻っていった。
俺達は考えるのやめた。
夏祭りスタート! シュウさんの『『うろな町』発展記録』から秋原さんをお借りしました。