③
六月九日、日曜日。
ペットショップ『Love ふぁみりあ』での犬の散歩アルバイトを始めて早くも一週間が経とうとしていた。
本日は朝からしとしとと雨がぱさついていたが、午後になってようやく晴れ間が見えてきた。
「午後は晴れてよかったわね〜」
『Love ふぁみりあ』の店主さんである久島梨沙さんが、入口のドアを開け放っておっとりとした口調でそう言った。
「雨の中の散歩は犬達も嫌でしょう」
「そーねー。テンションは上がらないわよねー」
「犬も『今日はやる気でね〜な〜』とか思うんですかね?」
「それはワンちゃん達に聞いてみて?」
梨沙さんはそう言って、ふわりとした笑顔をくれる。俺もつられてつい口許を緩めてしまう。
初っ端からまーくんだの呼ばれて、ちょっぴり苦手意識があったのだが、今ではすっかり慣れてしまった。何よりとても美人な方なので最近は梨沙さんとお話することが俺の密かな楽しみだ。こんなこと前の町じゃ感じなかったことなのにな。
「雨だとマサムネがやる気でないだけじゃん」
そんな声と同時に太もも辺りに痛みが走った。
「いてーな。なんで抓るんだよマホ」
「知らないもん」
ぷいっとそっぽを向いてしまう。
今日は学校が休みだからと、犬の散歩バイトを監視するなんて言って勝手について来たのになんで怒ってるんだよ。
「だらし無い顔」
「生まれつきなんだから見逃せ」
なぜかぷりぷり頬を膨らませる真帆とそんなことを言い合っていると、梨沙さんが今日の担当犬を連れて来てくれた。そして計五匹分のリードを渡される。
「うふふ、じゃあマホちゃん、うちのコ達とまーくんをよろしくねー」
「梨沙さんそれだと俺も犬側ですよね!?」
「はい。ちゃんと連れて帰ってきます」
「それ誰のことを言ってるんだろう!?」
妙な連携で遠回しに俺を犬扱いする二人。
もう犬でも何でもいいよ。くすん。
『Love ふぁみりあ』を出発して、河川敷を一回りして帰ってくるコースだ。
バイト初日は二匹だったが、今は五匹同時に任せてもらえるようになった。小型犬から大型犬まで面子はまちまちだが、なるべく身体の大きさは合わせてくれているようだ。
これは梨沙さんから聞いた話だが、犬の散歩バイトのプロは二十匹を同時に散歩させることができらしい。というか犬の散歩にプロもアマもあるのかよ。散歩選手権とかやればいいんじゃないかな。
閑話休題。
さてと、真帆はどこと無く俺をペットとして見てるように感じるし、五匹もの犬達を華麗に散歩させる俺の勇姿を見せて見直させてやるとしますか。
「とと!」
小柄なダックスフンドが右後方へ。
「わたた!」
更に小柄なチワワが前へ前へぐいぐいと。
「ちょちょい!」
中型ラブラドールが転がる石に興味津々で暴れる。
「おおい!」
真っ白なスピッツは飛んでる蝶々を捕まえようとして。
「ぐおお!」
そして大型なゴールデンレトリーバがゆっくりと俺の周りをくるくるり。
俺の状況はまさしく敵軍に追い込まれ囚われた兵士のようだった。
「マサムネ……」
「そんな悲しい人を見る目をしないでくれ」
というか助けてくれ。
真帆は一つ大きなため息をつくと、あれよあれよという間にすべての犬達を落ち着かせてしまった。
「すまん助かったよ」
「こんなことだろうと思ったよ」
いやいつもはこんなんじゃないんだけどな。
今日は妙に血気盛んな犬達を任されてしまったようだ。
梨沙さんまさかわざとじゃないだろうな。
「それよりマサムネ」
「ん?」
真帆がゴールデンレトリーバーを撫でながら無垢な表情を向ける。
「“妖狐”って知ってる?」
「ようこ? 誰?」
「……言っとくけど女の子の名前じゃないから」
何故俺の考えてることがわかる。
「隣のクラスに転校生が来たんだけど、そのコ陰陽師なんだって」
「え……、は? お、陰陽師?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
果たして普通に生活してきて陰陽師などと得体の知れない職業を聞く確率はどれほどのものだろうか。
しかも真帆の同級生ってことは中学生じゃないか。
「午前中お使い行ったときに会ったんだ。そのコ、妖狐を倒しにきたんだって」
「妖狐って……お伽話の?」
「うん。この町にも妖狐は言い伝えられてるんだけど、普段は人間の姿をして生活してるの。だから平和に暮らしてる妖狐さんたちの邪魔をしちゃいけないから、誰かに尋ねられても『知らない』って答えなきゃダメってお話」
「へえ。そんな言い伝えが」
「でもさ、妖狐さんたちが悪い人たちだとはわたしは思わないんだ」
「どうして?」
そう問い掛けると、撫でていたゴールデンレトリーバーを愛おしむように見つめながら、
「動物に悪いコはいないよ」
と断言した。
いつの間にかお利口にお座りしていた五匹の犬たちを見つめる真帆の眼は、とても優しい眼をしていた。
きっと様々な動物たちと接してきた真帆だからこそ言える言葉なのかもしれない。
それにしても陰陽師がいたり、その陰陽師が何処にいるかもわからない空想の世界の妖狐を探していたり、相変わらずこの町は俺を飽きさせることがない。
願うなら、俺も是非とも妖狐と肩を並べて歩いてみたいものだ。きっとこの町の妖狐なら、真帆のいうとおり気持ちのいい奴だろうからさ。
「それで思ったんだけど……」
「ん?」
「マサムネってもしかして妖狐?」
「ちっバレたか。……ってんなわけあるかい!」
「髪も不自然にフサフサだし、顔もなんか狐っぽい気がする」
「全国の狐顔の皆様に謝れ!」
俺もできるなら妖狐になって刺激ある毎日を送ってみたいよ。
……ってあれ? じゃあ真帆は俺のことを良い奴だとは思ってるってことだよな?
ってそれってやっぱり動物だと思われてるんじゃん。
前回に引き続きとにあさんの久島梨沙さんと、寺町朱穂さんの「人間どもに不幸を!」から陰陽師や妖狐の話題を出させていただきました!
おかしな設定等ありましたらご一報ください!