胃液の戦慄
春の暖かい日に日光の注ぐ縁側に座って、私は目的の無い時間に足を伸ばしていた。時折緩く肌に当たる風や、その風の気配を包み込む柔らかな体温の日光が私に呑気な安楽を与えていた。心地よい静けさだった。私は日の光を濃い緑で力強く反射させ、初春の空気を葉の上で躍らせている庭の植木たちを眺めていた。それらを見ていると何となく陽気なこの季節の気配に、自分も体を動かしてみたくなり、立ち上がった。私はとりあえず適当な場所に座っておもむろに草むしりを始めた。
雑草というのは本当にしつこいくらいに生命力の強いもので、冬の間も枯れることなく、何度ぬこうと引きちぎろうとたちまちに再生してくる。根は細かく枝分かれして固い土に絡みつき、手でぬきとることは容易ではない。下手に引っ張ればこちらの手がするどく切れることさえある。もう土の中の養分全てがこの雑草たちに吸い上げられているのではないかと思うほどに、何か執念さえ感じさせる生命である。透明な維管束を液体が滑らかにのぼっていくのだ。その雑草も陽春の下で、濃い緑色を地面に突き立てるようにして立っている。私はしつこく蔓延る草を一心に抜いていたが、ふと草の消えた地面に蟻の巣を見つけた。
小さな蟻がせわしく穴を出入りしている様は見ていて飽きなかった。彼らは決して立ち止まることなく、一瞬止まったかと思えば、前足を器用に使って触覚の手入れをするだけで、常に地面に黒い点々の流れをつくっていた。点々の繋がりは地面に色々の模様を描いている。私はその模様の中に大きな塊を見つけた。小さな蟻が何十匹と集まって薄緑の柔らかそうな大きな芋虫を運んでいるのだ。芋虫の寸胴な体の、肉の盛り上がりによる規則的な節は、そのまわりだけ何か粘着質の液体で濡れているような感じだった。何十匹の蟻はそのまだ生きている芋虫を包み込むように取り囲み、色々な方向に不安定に曲がりながら運んでいる。芋虫は肉厚の体を気持ちの悪いはやさで懸命にくねらせて、体の滑りは日を受けてますます光った。くねらせた体に、細かい砂が沢山ついた。蟻の方も大きな芋虫を運ぶのに大分苦労をしているらしく、群がり集まった蟻たちは巣への道順を決めかねて、一匹一匹が全く別の方向に芋虫を引っ張り合っている。それでも暫く眺めていると、蟻たちはやっと巣へ辿りつき、穴の深くに芋虫を引きずり込んで行った。地面は静かになった。
私にはあの芋虫の行く末を見ることはもうできないが、群がる蟻たちに体液を吸われている光景が、妙に在り在りと、生ぬるい体温を持って浮かんできた。巣穴の暗闇の中でもあの滑滑は、まだ光っているだろうか。、それは冷たい光沢だろうか。
私はふと面白半分に、土の中に住んでいるのだからあんなに苦労をして芋虫を運び込まなくても、土を食って蟻は生きてはいけないものかと考えた。しかしその面白半分の他愛無かったはずの考えに、私の頭は鋭い物で奥まで刺されたかのような感覚に覚めた。その瞬間、春の日差しは柔らかで暖かいものでは無かった。生き物は生き物しか食えぬ事実を、今初めて知ったかのようだった。蟻は生きていない土を食うことはできないのだ。
冷たい風を感じて私が蟻の巣から顔を上げると、青い羽の鳥が私のすぐ前で、羽虫のような昆虫をくちばしで突き刺していた。その時くちばしは、とてつもなく固く鋭い奇妙な道具だった。鳥はわずかに上を向いて喉の奥に滑り込ませると、軽やかに舞い上がった。青は段々遠くなった。虫はあの鳥の胃液に沈みながら、空を飛んでいるに違いなかった。私は遥かに飛んでいく鳥を目で追っていた。
先程の蟻たちの胃の中にも今頃は芋虫が、私の胃の中にも昨日の夕飯の動物の肉があるに違いない。よくこの庭に入り込んでくる猫の胃の中にも、町で見かける犬の胃の中にも、私が昨日食べた者達の胃も中にも、彼らが取り込んだ生命が胃液に浮かんでいるに違いなかった。その事実は私には、何よりも奇妙に感じられた。皆、生命が生命を取り込んで胃液に浸す運命を甘受している。
地面に目を落とすと、蟻たちがまた次の獲物を運んでいた。