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別府にようこそ #2

「そこの男、何をしているの! ここはアナタのような人が足を踏み入れていい場所ではないわ!」


 誰かが叫んだ。途端、今まで動かなかった身体が自由を取り戻し、振り返ることが許された。

 息を飲んだ。

 家の方には、そこの少女をそのまま大きくしたような顔をした美女が立っていたから。しかし似てはいるものの雰囲気は随分違う。歳は俺と同じくらいで、髪は染めているのだろうか、薄い栗色で緩いウェーブだ。瞳の色も黒だし、服装も和装ではない。

 彼女の姿とただ立っていてるだけなのに気品を感じ、それに気圧され息を飲む。

 女が鋭い目で少女を睨んだ。


「ミツギ様、何をしているのです!?」 


 するとミツギと呼ばれる少女が駆け、俺の後ろに隠れた。

 間に挟まれた俺は睨まれる形となる。


「………」

「まったく、別府の直系だからって……。とにかく、男! アナタは関係ないの、帰りなさい!」


 まるで猫を追い払うようにシッシッと手首を返された。

 しかし、俺だって生活がかかっている。ここで引くわけにはいかない。


「いや……俺、バイトの面接に」

「は? 何のバイトよ。うちは人手に困ってなんて……」


 途中まで言ったところで、大きく目を見開き、顔色が変わった。あまりの剣幕に上半身が引く。

 服の後ろが強く掴まれた。

 振り返る。少女が大きな目を瞬きもさせず、女を見やっていた。


「ミツギ! 私のやり方に不満があっていうの!? 人を使役する以外、何もできない子ども癖に! 本家に生まれたってだけでエラそうに……言ったでしょ! アンタが大きくなるまでは私がアンタの代わりに“赤水湯”を守るよう任されたんだって!」


 最後に「ムカつく」と吐き捨て、女が近づいてきた。

 振り上げられる腕が頂点を結んだ。


「ムラサキ、私を連れてお逃げなさい」


 言われるなり、また体が独りでに動き出した。

(クソっ、またか!)

 足から力が抜け落ち、片膝が地面にひざまづく。 

 腕が勝手に少女へと差し出され、その腕の中に黒髪の子を納めてしまった。細い腕が首に回される……脚に一気に力が入り、まるで短距離走のスタートのように体が飛び出した。


「逃がさない! ムラサキ、止まりなさい!」


 もう独りの女が声を荒げる。すると靴の底を使い、砂利を巻き上げながら脚にブレーキがかかった。

(な、なんなんださっきから!)

 もう、俺の体は俺のものではない。ただただ、腕の中の少女ともう一人の女に言われるまま、身体が動いているだけの状態だ。できることといえば思考を繰り返すことと、呼吸をすること。そして小さな体を強く抱きかかえることだけ。

 背後でゆっくりと女が近づいてくる音がする。


「ほらミツギ様。アナタと私、全くと言っていい程に力は変わらない。いいえ、私の方がすべてを上回っています。“赤水湯”私に任せておけばいいのです。アナタはまだお小さい」

「………」

「ミツギ様。そんな口も性格も悪そうな下品な男から降りて、お手を……」


 イラっとした。けれど、体は縛られたかのように動けない。普段なら有無を言わさず殴り掛かっているところなのに。だから女のように唯一自由な口のみで反論をする。


「お前、何様のつもりだ? 人のこと見かけで判断するなよ?」

「五月蝿い。ただ使役されるだけの愚民が」

「ぐ……?」


 まさか愚民だなんて言葉が繰り出されるとは思ってもいなかったためか、喉が詰まった。

 女が俺の前まで歩いてきて、口の端を上げた。


「そういえばバイトだと言ったわね。ということは、アナタがミツギ様の次の……?」

「……は?」

「何も知らないわけ……? ふふっ。ミツギ様、ご乱心でもなさったの? 別府の、傀儡のことも何もわからないような男をつけるなんて。ふふっ。可笑しくて堪らないわ!」


 狂ったように女が笑う。

 この女……確実に危ない。力とか、傀儡とか意味の分からないことを言っては高笑いをしてみせる。

 回された腕が俺の体をさらに寄せた。返すように腕に力を込める。

 ジリジリと足裏を下げて隙を狙う。

 女が目をどこか違う方向へ向けた……一瞬の隙をつき、地面を蹴り付ける。まま、ドンドン速度を上げて転がるように坂道を下る。

 後ろで、また女が叫ぶ。


「逃げられませんよ! ムラサキ、止まりなさい!」

「くっ……」


 女の声と共に慣性の法則さえ無視して動きを止めようと筋肉が伸縮する。

 それを察したのか、腕の中で少女も叫ぶ。


「ムラサキ、もっと速くお逃げなさい! 脇道へ!」


 動きが止まり始めていた体がまた、爆発したかのように躍動する。落ちた速度を利用して左足を内側に、砂利を踏みつければ体が脇道へすっ飛んだ。

 整備されていないその道は脇道というより獣道。顔に、肩に、脚に、枝が容赦なく当たる。痛みが走るが、やはり脚は止まることを知らないかのように、走り抜けるのをやめない。

(クソ、なんで俺がこんなこと!)

 これがもうバイトの始まりだと言うなら、絶対に金はふんだくってやる。とういか、こんな狂った状況、狂った女を相手に仕事なんてやっていられない。

 絶対に元凶の華に会ったら殴ってやることを決意。そしてさらに元凶であるウワバキは闇討ち決定だ。半殺しでは絶対に済まさない!

 と、抱きかかえていた少女が急に顔を上げた。


「ハシバ……」


 彼女の視線を追うように視線を上げると……葉が舞い、小枝と空を切る音がした。

(嘘だろ!?)

 一瞬何かわからなかったが、近づいてくるにつれてそれが靴底だと悟る。


「ハシバ、止まりなさい!」


 少女が叫んだ。しかし重力に引かれた体は止まることを知らず、それどころか空中で体を捻り脚を繰り出してきた。

 あまりに素早い動きに体がついていかない。

 鋭い痛みが脇に走り、体の中で固いものが簡単に折れてしまう音が木霊した。


「ぐ……ぅえぇっ」


 苦痛に顔が歪み、カエルのような声が出た。追いかけて口から鮮血が流れ落ちた。

 ただ一発の蹴りを喰らっただけなのになぜか立っていられず崩れるように倒れ込む。

 胸が燃えるように痛い。息をする度、胸が焼けるような錯覚に陥る。


「ムラサ……!」


 少女の声が遮られた。

 彼女の唇はまるで親が子どもを黙らせるかのように一本の指先一つで押さえつけられていた。

 紫色の瞳がハシバと呼ばれる人物だけを写し込んだ。

 真っ黒な黒淵メガネに、センター分けの前髪が下ろされた彼の印象は、一言で言ってしまえばどこにでもいそうな真面目な男だ。電車の中でも街を歩いている時でも、一日一度はすれ違う、そんなありきたりな営業マン。格好も、まんまだ。まるで今から通勤するのではないかと思わせるような皺一つのないスーツに、綺麗に磨き上げられた革靴。本当にどこにでもいる、普通そうな男だ。強いて特徴を上げるとするならば唇の斜め下にある色気黒子くらいか。


「ミツギ様、これ以上……ムラサキくんですか? 彼の体に無理を強いるのは可哀想ですよ」


 物腰の柔らかい口調。

 意外に男らしい低い音程が、妙に心地のいい声だった。しかし、もう俺の中のあだ名では“平社員”に決定だ、このクソ野郎! 何が可哀想だ、蹴りを入れたのも、肋骨を折ったのもお前の所存だ。

 今すぐ罵りながら反撃を喰らわしてやりたい。

 でも立ち上がることさえ不可能な程の激痛が体を走る。息も、さっきより吸える量が減ってきたように感じる。いや、呼吸はしているが酸素が全く体の中に入ってきていないと言った方が正しいか。

 だんだん視界が霞んできた。

 遠くで少女と男の声がする。


「……ハシバ。もう私の元には戻ってきてはくれないの?」

「すみません……もぅ僕は……」


 視界は完全に闇に落ち、かすかにボゾボゾと何かが聞こえるだけの状態になった。

 苦しい。

 息をするのが。

 吸っても吸っても空気は供給されず、喉元でヒューヒューと音を立てるだけ。

 吐く息に混じって鉄の臭いが充満する。



「ムラサキ! ……! ……!」



 意識が完全に飛んでいく前に、少女の叫び声がした。


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