第9話「手紙と肉じゃが」
今日も日課の調合をしていると――ふと、胸の奥に嫌な予感がよぎった。
「……あっ、今日、家賃の支払い日じゃん!」
思わず立ち上がる。
調合中の瓶を布で覆い、慌てて財布を確認した。
幸い、口座には前回ギルドに納めたポーション代がしっかり入っている。
私はすぐにコートを羽織り、銀行へ向かった。
◆
お金を引き出してから、大家さんの部屋をノックする。
中からはテレビの音と、かすかに煮物の香りが漂っていた。
「はーい。あら、ミオちゃんじゃない。どうしたの?」
「すみません、今月分と来月分の家賃持ってきました」
封筒を差し出すと、大家さんは受け取りながら柔らかく笑った。
「ミオちゃん、最近顔色良くなったね~。一時期はほんと、死ぬんじゃないかって顔してたけど、今はずいぶん良い顔してるよ」
「そうですか?ありがとうございます!」
思わず照れ笑いを浮かべる。
そんなに酷かったのか……。
でも、確かにクロと出会ってから、毎日が少しずつ明るくなった気がする。
きっと、クロのおかげだ。
「あ、そうだ! ちょっと待ってて!」
大家さんが思い出したように部屋の奥へと消える。
ほどなくして戻ってくると、手には紙袋があった。
私の手を取って、その袋を握らせる。
「ちょうど今朝、肉じゃが作ったの。ミオちゃん、好きだったでしょ? 持っていきなさい」
「え!? いいんですか!? ありがとうございます!」
思わず声が弾んだ。
肉じゃがという響きだけで、胸が温かくなる。
久しぶりに“誰かの手料理”を貰った気がした。
「風邪ひかないようにね。あんた最近夜更かし多いでしょ」
「うっ……気をつけます!」
苦笑いしながら頭を下げ、袋を抱えて部屋を後にした。
◆
自分のポストを覗くと、いくつかの封筒が入っていた。
水道料金の請求書、通販の案内……その中に、見覚えのある封筒が一通。
「え? ギルドから?」
少し不思議に思いながら開封すると、中にはタケルさんからの手紙が入っていた。
『ミオさんの活力ポーション、すごかったです!遠征中に使ったら、いつもの何倍も体力が持ちました。大荷物での移動も楽で、仲間も驚いてました。機会があれば、またいくつか売ってほしいです』
「……よかった。ちゃんと効いてくれたんだ」
手紙を胸に当てて、小さく息を吐く。
自分の作った薬が、誰かの役に立った――それが、何より嬉しかった。
だけど、少し現実的な問題も頭をよぎる。
「あのポーション、ルミナフラワーがないと多分作れないんだよね……」
あの花は、サキさんいわく“極めて希少”な薬草。
森やダンジョンの深層でしか見つからないらしい。
つまり、素材がなければ量産は難しい。
「どうしようかなぁ……」
そんなことを考えていると、玄関の方でコトン、と音がした。
「クロ?」
扉を開けると、黒い影がぴょんと足元に飛び込んできた。
クロが口に何かをくわえている。
そのまま机の上まで駆け上がり、“ぽとり”とそれを置いた。
「……枝?」
よく見ると、小さな赤い実がいくつも付いた枝だった。
実からは、ほんのり甘い香りが漂う。
「おかえり、クロ。また何か拾ってきたの?」
「にゃーんっ」
短く鳴いて、得意げに尻尾を揺らす。
私は笑いながら、その頭を撫でた。
「お土産ありがとうね」
クロは気持ちよさそうに目を細め、ごろごろと喉を鳴らした。
私も、自分で素材を取りに行けたらいいんだけど……。
思わず心の中で呟く。けれど、すぐに首を横に振った。
ダンジョンに潜るなんて、私には到底無理。
血だってまだ怖いし、戦うなんて考えられない。
「でも……採取くらいなら、できるかも?」
ぽつりと呟くと、クロがこちらを見上げて「にゃ?」と鳴いた。
「ふふっ。そうだね。今度ギルドに行ったとき、サキさんに相談してみようかな」
小さく笑って、私は手を叩いた。
「よっし、クロ。ご飯にしよっか!」
「にゃにゃっ!」
クロが嬉しそうに飛び上がる。
その姿に思わず頬がゆるむ。
袋の中の肉じゃがを取り出し、器に移すと、優しい香りが部屋いっぱいに広がった。
「……おいしそう。ほんと、いい匂い」
湯気の向こうで、クロが鼻をひくひくさせている。
「ダメだよ、これは人間用だから」
「にゃーん……」
「もー、あとでおやつあげるから!」
そう言って笑う。
部屋の明かりが柔らかく揺れ、穏やかな夜が訪れる。
窓の外では風が木々を揺らし、クロの喉の音が静かに重なっていく。
「……こういう時間、悪くないなぁ」
私は肉じゃがを一口食べ、目を閉じた。
温かい味が、心までじんわりと染み渡っていく。
明日、ギルドに行こう。サキさんに相談して、また一歩、前に進もう。
その決意を胸に、私はクロの頭をもう一度撫でた。
柔らかな毛並みが指先に伝わり、自然と笑みがこぼれる。
「ねぇ、クロ。私、もう少し頑張ってみるね」
「にゃっ」
その短い返事が、まるで「うん」と言ってくれたように聞こえた。
あとがき
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