第38話「今ならきっと……」
静かな午後。
窓から差し込む柔らかな光が、作業机の上を静かに照らしている。
埃一つない木目の上には、フラスコやビーカー、刻み途中の素材が整然と並び、部屋の中にはほのかに薬草の香りが漂っていた。
私は、いつものように部屋に籠もり、研究と調合に勤しむ。
フラスコの中で、淡い色をした薬液がゆっくりと揺れる。
刻んだ素材を慎重に計量し、配合比率を確認しながら魔力を流し込んでいく。
反応を確かめるために、耳を澄まし、目を凝らし、わずかな変化も見逃さない。
この光景自体は、少し前までと何も変わらない。
けれど――今までとは、確かに違ってもいた。
――上級薬師。
その肩書きを得てから、扱える素材の幅が一気に広がった。
今までギルドの許可が下りなかった希少素材や、魔力反応が極端に不安定なものも、正規の取引対象として認められている。
机の端には、以前なら見ることすら出来なかった素材が並んでいる。
強い魔力を帯び、扱いを誤れば薬師自身が危険に晒されるようなものばかりだ。
「……やっぱり、感触が違う」
素材に触れた瞬間、指先から流れ込んでくる情報量が、以前とは比べものにならない。
魔力の流れ方。
内部に抱え込んでいる癖。
どこを刺激すると、危険な反応が起きやすいのか。
それらが、言葉になる前の感覚として、自然と頭に浮かんでくる。
それは単なる慣れや経験だけじゃない。
私自身の力も、確実に底上げされていた。
《癒やす者》のスキルレベルは3へ。
《鑑定》のスキルも、いつの間にか2に上がっている。
その影響は、はっきりと分かるほど大きかった。
調合中に起こりがちな、ほんのわずかなズレ。
素材同士の相性の微妙な歪み。
そういったものを、失敗する前に察知できるようになった。
素材の情報を、数値や文字ではなく、“意味”や“方向性”として理解できる感覚。
結果として、成功率は大幅に上がった。
失敗作を前に頭を抱え、夜遅くまで落ち込むことも、随分と減っている。
「特に……《鑑定》は、大きいね」
以前は、名前と大まかな性質しか見えなかった。
今は違う。
対象の“状態”。
今どんな立ち位置にあり、どんな変化の途中にあるのか。
完璧ではないけれど、ぼんやりと輪郭を掴めるようになっていた。
私は、ふと視線を横に向けた。
ベッドの上で丸くなっている、小さな影。
「……クロ」
名前を呼ぶと、ぴくりと耳が動いた。
「にゃ?」
相変わらず、何も知らないような顔でこちらを見てくる。
私は作業の手を止め、ゆっくりとクロの方へ歩み寄った。
胸の奥で、ほんの少しだけ迷いが生まれる。
けれど、それを振り払うように、心の中でスキルを発動させた。
「――鑑定」
視界に、情報が浮かび上がる。
【名 前:��Ƙ��(クロ)】
【種 族:��(”現状”は、魔獣)】
【魔力反応:超高濃度/安定】
【危険度:――】
「……やっぱり」
私は小さく息を吐いた。
以前、コンテスト会場で黒服に言われた言葉が、はっきりと脳裏をよぎる。
――魔獣。
あの時は、否定する根拠がなかった。
クロの正体について、何一つ分からなかったから。
でも、今は違う。
「“現状は、魔獣”……か」
その表記が、はっきりと示している。
クロは、ただの魔獣ってわけじゃない。
今の鑑定レベルでは、これ以上の正体までは見えない。
けれど少なくとも、魔獣という枠に収まる存在ではないということだけは、確信できた。
「まったく……クロは、何者なんだい?」
私はベッドに腰を下ろし、クロをそっと抱き上げる。
柔らかい毛並みと、規則正しい鼓動が伝わってくる。
「にゃにゃ」
すっとぼけたような表情で、クロは喉を鳴らした。
拍子抜けするほど、いつも通り。
「クロはさ、悪い魔獣さんなんかじゃないよね? 突然ぱくって、私のこと食べたりしないよね?」
「にゃーん」
尻尾をゆっくり揺らしながら、否定するように鳴く。
その仕草があまりにも穏やかで、私は思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
正体が分からなくても。
危険度が表示されなくても。
私が、ここまで来られたのは、間違いなくクロとの出会いがあったからだ。
孤独だった頃。
不安で立ち止まり、何度も諦めかけた時。
この子の存在が、私を支え、少しずつ変えてくれた。
薬師としての道を選び、歩き続けられたのも――
隣にクロがいたから。
そして。
これから進む道にも、クロがいる。
それだけは、はっきりと分かっている。
「……そろそろ、かな」
私は、ぽつりと呟いた。
「にゃぁ?」
クロが首をかしげる。
「私も……過去に向き合う時かな、って」
それは、ずっと胸の奥にしまい込んでいた想い。
考えないようにしてきた記憶。
ボソッと呟いて、クロをぎゅっと抱きしめる。
胸の奥で、静かに覚悟が固まっていく。
逃げていたわけじゃない。
ただ、向き合う勇気がなくて先延ばしにしてきた。
でも、今なら――。
会いに行こう。
あの子に――。
クロは何も言わず、私の腕の中で大人しくしていた。
その温もりが、背中を押してくれる。
大丈夫。
クロが居れば、私はきっと前に進んでいける。
あとがき
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