第34話「今はそれでいい」
――襲撃事件から、二週間が経った。
あの日の騒動は、予想以上の速さで街中に広がっていった。
全国対抗ポーションコンテストという、各地から注目を集める大舞台で起きた出来事だ。
観客も、参加者も、関係者も多い。
最初から、隠し通せるはずがなかった。
黒服の集団。
ドクロの紋章。
そして、ギルドマスターたちの拘束魔法を、いとも簡単に打ち破ったリーダーの存在。
噂は噂を呼び、尾ひれがつき、誇張され、やがて恐怖そのものとして街に根を下ろしていった。
冒険者ギルドは総力を挙げて捜査に当たっているらしいけれど――。
「……手がかり、なし。か」
ギルドの掲示板に貼り出された報告書を眺めながら、小さく息を吐いた。
目撃情報も、痕跡も、魔力反応すら残っていない。
まるで、最初から存在しなかったみたいに。
不気味なほど、綺麗に消えている。
ギルドマスターたちがかけた拘束魔法は、決して生半可なものじゃない。
それを解除できる相手。
しかも、個人ではなく、組織として統率されている。
その事実だけで、冒険者たちの表情は曇り、街の空気は目に見えて重くなっていた。
「次は、どこが狙われるんだ……」
「また襲撃されたらヤバいだろ」
「いや、そもそも、あいつら魔物絡みで動いてるって噂だぞ」
酒場で交わされる噂話が、耳に入るたび、胸の奥がざわつく。
笑い声に紛れて、不安だけが確実に募っていく。
そして――。
その不安の中心に、自分がいることを。
私は、はっきりと自覚していた。
◆
家に戻ると、私はそのまま部屋に籠もった。
扉を閉める音が、やけに大きく響く。
机の上には、薬草、試薬、ノート。
すでに何度も書き直された設計図が、何枚も重なっている。
赤や青のインクで書かれた修正跡は、迷いと焦りの証拠だった。
――相殺薬。
自分の新薬が、もし悪用されたときのための“止める薬”。
持続的な作用を、打ち消す。
魔素の蓄積を、強制的に分解する。
進化を促す流れを、逆流させる。
理論上は可能だ。
でも、実現させるには、あまりにも繊細すぎる。
コンテストに出した薬を作るよりも、何倍も難しい。
求められるのは、力じゃない。
精度と制御、そして失敗を許さない覚悟。
これは、私が得意とする「助けるための薬」じゃない。
“壊す”ための薬だ。
そもそもの構築理論も、作用効果の出し方も、まるで別物。
例えるなら、卓球の選手がいきなりテニス選手相手にテニスの試合を挑むようなもの。
正直、無謀だと思う。
それでも――。
「……間に合わなかったら」
最悪の想像が、頭をよぎる。
もし、あの組織がすでに実験を始めていたら。
もし、魔物に投与されていたら。
人為的に引き起こされる、最悪の災厄。
取り返しのつかない被害。
その引き金を、自分が作ってしまったかもしれないという恐怖。
リーダーの言葉が、何度も蘇る。
『完成しすぎてるものは、使いづらくてな』
完成しているからこそ、逆算できる。
完成しているからこそ、模倣も、改変も、可能になる。
だからこそ、狙われた。
「……私の、せいだ」
気づけば、指先が震えていた。
寝不足。
食事も、ここ数日は適当に済ませている。
頭は重く、視界の端が時々揺れる。
それでも、手を止められなかった。
止めたら、考えてしまうから。
考えたら、怖くなるから。
「……もう一回」
試作を捨て、次の調合に入ろうとした、その時。
「にゃああああっ!!」
鋭い声とともに、視界が揺れた。
「え――」
次の瞬間、机の上のノートが床に落ちる。
薬草の入った箱が転がり、ぼすっと軽い音を立てた。
犯人は、言うまでもない。
「……クロ?」
クロが机の上に乗って、尻尾を大きく膨らませながら、こちらを睨んでいる。
普段は見せない、少しだけ怒った顔。
「にゃっ! にゃー!!」
「ちょ、ちょっと待って……」
言い終わる前に、クロは私の腕に飛びついた。
ぎゅっと、しがみつく。
爪は立てない。
ただ、離すまいとする力だけが、はっきり伝わってくる。
「にゃ……」
低く、甘えるような声。
その温もりに、張り詰めていたものが、ふっと緩んだ。
「あ……」
気づけば、呼吸が浅くなっていたことに、ようやく気づく。
クロは、私の胸元に顔を埋めて、動かない。
離れる気、ゼロだ。
「……もしかして、止めに来たの?」
「にゃ」
即答だった。
思わず、苦笑する。
「ごめんね。ちょっと……頑張りすぎてた」
クロの背中を、ゆっくり撫でる。
柔らかい毛並み。
確かな鼓動。
それが、今の私を現実に引き戻してくれる。
――大丈夫だから、休みなさい。
そう言われているみたいだった。
「……今日は、休もうか」
そう呟いた瞬間、クロが満足そうに喉を鳴らした。
窓の外では、夕暮れの光が差し込んでいる。
どこかの家から、夕飯の匂いが漂ってきた。
変わらない日常の気配。
世界は、ちゃんと回っている。
今すぐ、私が全部背負わなくても。
「お茶、淹れよっか」
「にゃー」
私は、軽く着替えて、台所に向かった。
相殺薬は、必ず作る。
それでも――今日じゃなくていい。
焦らなくていい。
一人で抱え込まなくていい。
クロと並んで湯気の立つカップを眺めながら、私はようやく、肩の力を抜いた。
嵐は、まだ終わっていない。
それでも。
この小さな日常を守るために、私は薬師でいる。
今は――それで、いい。
あとがき
見て下さりありがとうございます!
手探りながら、自分の好きと読者様の好きが重なるそんな境界線上の物語を目指してます!
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