第18話「蒼い世界」
――静寂の中で、風の音だけが静かに響いている。
気付いたら私は、どこか知らない場所に立っていた。
足元には鏡のような水面。空と地面の区別がつかない。
ただ、すべてが青く染まっていて、空気すら淡い光を含んで揺らいでいた。
「……ここは……どこ?」
声を出しても、音が水に吸い込まれるように消えていく。
息を吸うと、冷たい水のような感覚が喉を通り抜けた。
目を閉じていたはずなのに、まぶたの裏が光っているような――そんな感覚。
ふと、足元の水面に波紋が広がる。
それは、風が吹いたからではない。
“何か”がこの世界に入ってきたような、そんな圧を感じた。
ゆっくりと、何かが浮かび上がってくる。
それは――猫のような影だった。
「……クロ?」
けれど、違う。
確かに姿かたちは似ているのに、どこか違う。
毛並みは影のように透け、身体の輪郭は揺らいでいた。
その瞳は深海の底のような青で、じっとこちらを見つめている。
やがて、その影が口を開いた。
『汝、視る者となる覚悟はあるか』
耳ではなく、頭の中に直接響く声。
音ではなく、“意味”そのものが流れ込んでくるような不思議な感覚。
それは懐かしく、どこか温かかった。
まるで、クロの声が心に直接語りかけてくるようで――。
「……視る、者?」
『真実は、姿を変えて隠れる。だが“視る”者だけが、それを掴む。この目を得る者は、虚構の膜を超えて世界の理を知る。』
青い光が周囲に舞い、私の胸元から微かな光が溢れ出す。
それは、あの青い実――。
光の粒が実の形を取ったまま、ゆっくりと私の目の前に浮かぶ。
その周囲を、青い猫の影が静かに回る。
『選ぶのは、汝自身だ。視る力は、祝福か、呪いか――』
圧倒されるような気迫。
世界そのものがその言葉に反応して震えた気がした。
水面に映る自分の姿が揺らぎ、波紋が広がっていく。
だけど、不思議と怖くはなかった。
「……はい。私は、視たいです」
声に出した瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
誰かのために。
もう、無力で立ち止まりたくない。
見えなかったものを見て、守れるようになりたい。
『よかろう――では、その瞳に刻もう。』
光が、私の身体に流れ込む。
視界が白く染まり、熱がこめかみの奥で弾ける。
目の奥が焼けるように熱く、でも痛くはなかった。
むしろ、それは心臓の鼓動に合わせて広がる“生の熱”のよう――。
まぶたの裏に、何かが焼き付くような感覚。
そして、声が最後に告げた。
『――《鑑定》、汝に授ける。』
光が弾け、世界が反転する。
音が戻り、現実の空気が肺を満たした。
◆
――次の瞬間、私はベッドの上で飛び起きた。
「っ――はぁ、はぁ……夢?」
息が荒い。心臓が痛いくらいに脈打っている。
でも――夢じゃない。
視界の端に、青い光がふわりと揺れていた。
まるで“まだあの世界の名残”が、ここに残っているようだった。
「なに、これ……」
視線を動かすと、机の上の薬草の上に、薄い光の文字が浮かんでいた。
【名称:マルベール草】
【品質:中】
【用途:回復薬の基礎素材】
「……っ!?」
思わず声が漏れた。
次に視線を動かす。
瓶詰めにしたポーションにも、文字が浮かぶ。
【初級治癒ポーション】
【効能:軽度の外傷治癒・疲労回復】
【品質:良】
「見える……! 素材の情報が……!」
まるで、ゲームのステータス画面みたい。
でもこれは、現実だ。
言葉を発した瞬間、情報の光が少し明滅し、私の意識に溶けていく。
「クロ……まさか、これが……」
「にゃっ」
クロがベッドの足元で眠そうに顔を上げ、私を見上げて鳴く。
まるで“そうだよ”と言っているみたいに。
その仕草が妙に誇らしげで、思わず笑ってしまう。
私は胸の前で手を握った。
これが――新しいスキル。
【新スキル:《鑑定》を習得しました】
視界に青いウィンドウが浮かび、私のスキル欄に文字が追加されていく。
その瞬間、心の奥で何かが“開いた”ような感覚が走った。
まるで世界の輪郭が少しだけ鮮明になったような――そんな感覚。
「……ありがとう、クロ。私、また一歩進めた気がする」
クロは嬉しそうに尻尾を振る。
その動きが、月明かりを受けて淡く光った。
私は机に並ぶ素材をもう一度見つめた。
ひとつひとつの素材に、確かな“名前”がある。
それを“視る”ことができるだけで、世界の見え方がまるで違う。
素材たちが、まるで「私はここにいる」と語りかけてくるようで、胸がじんわりと温かくなった。
「これで……もっと良いポーションが作れる。もっと、誰かを助けられる」
その言葉を口にした瞬間、青い光がひときわ強く瞬いた。
それは祝福のようでもあり、決意への返事のようでもあった。
光がゆっくりと消えていく。
けれど、胸の奥の熱はまだ冷めなかった。
私は小さく息を吐き、微笑んだ。
クロが「にゃ」と短く鳴き、私の隣に丸くなる。
夜の静けさの中、私はそっと目を閉じた。
あとがき
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