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十九.友

 随行(ずいこう)を申し出たのは結局、姷明(ゆうめい)ただ一人だったそうだ。


 罪は犯していなかったものの、疑惑を招くような行動をしたことは、皇族としての自覚と配慮に欠けるとして、澄蘭(ちょうらん)公主(こうしゅ)は出立の日まで、冷宮(れいぐう)での謹慎を命じられている。

 冷宮には微罪で裁かれたり、病で外見が変わってしまったりして、婢女(はしため)の身分に落ちた元女官が詰めている。随行の侍女が一人では皇族の降嫁(こうか)として面目が立たないとして、そうした立場の者から数名が見繕(みつくろ)われ、皇后陛下の命で侍女に立てられた。


 姷明は、錚雲(しょううん)の風習や言葉を大急ぎで頭に叩き込みながら、降嫁に伴う隣国への下賜品(かしひん)の細目の確認や、澄蘭公主の身の回り品の手配、急拵(きゅうごしら)えの侍女たちの教育など、病み上がりの身体に鞭打って働き続けた。婚礼衣装は(さい)媛儀(えんぎ)が用意するとのことだったので、そこには敢えて触れないようにしていた。





 瞬く間に二旬(にじゅん)が過ぎ去り、ついに錚雲(しょううん)への旅立ちの朝がやって来た。





 先般の騒動を経て、「陥れられた悲劇の英雄の名誉を取り戻した」皇帝陛下への、皇都(こうと)の民からの支持は上昇したが、一方で、反感を抱く者も根強く存在している。

 隣国への旅路の途中で、万が一にも公主(こうしゅ)が襲撃を受けるような事態が、あってはならない。隊列は念入りに、二手に別れることになった。

 多少、人目を引くような装飾をされた馬車には、姷明(ゆうめい)と護衛の武官が乗って半刻ほど先行する。一方、後続の目立たない馬車には、澄蘭(ちょうらん)公主と手練の武官が乗る。


 家族との縁も切れて久しく、今や後宮でも完全に浮いた存在となった姷明は、一人静かに宮城(きゅうじょう)を去ろうと考えていたが──




湄娘(びじょう)……?」




 内廷(ないてい)から央廷(おうてい)へと抜ける門の前に、人目を忍ぶように(たたず)む人影に、姷明(ゆうめい)は目を見開いた。

 それは、(さい)媛儀(えんぎ)の筆頭侍女に肩を支えられた、かつての同輩。(ゆう)氏の退宮直前に彼女の侍女となり、のちに共に澄蘭公主に仕えることになった、同年代の女性だった。

 慌てふためいて駆け寄った姷明に、彼女は儚い笑みを浮かべる。訳が分からず、現れた二人の間で姷明が視線を彷徨わせていると、崔媛儀の侍女がふんわりと笑った。


「良かったわ、間に合って。――崔媛儀様から、伝言を(ことづ)かって来たの」

「え……?」


 翠流殿(すいりゅうでん)には属していたものの、姷明はあくまで澄蘭公主の侍女であり、崔媛儀とは殆ど顔を合わせることもなかった。

 戸惑う姷明に、崔妃と同年輩の侍女は一つ頷いて言う。


「『身体に気を付けて。澄蘭公主を──養娘(むすめ)を、よろしく頼みます』……ですって」


 姷明は、目を見開いた。


「もったいない……お言葉です……」


 頭を垂れる姷明に、崔妃の侍女は淡く微笑む。そうして、その肩を支えていた、姷明の同輩の背を叩いた。

 彼女は、おずおずと震える足で前に進み出る。ふらつく身体を慌てて姷明が支えると、彼女──湄娘(びじょう)は、潤んだ目で姷明を見上げた。



「……元気でね、姷明。私の分も、公主様をお守りしてね」



 いつもの「姷姷(ゆうゆう)」という渾名(あだな)ではなく、(あざな)を呼んだ彼女に、姷明は驚いて目を見開く。彼女の反応に気付いた湄娘は、苦笑しながら告げた。


「だって貴女(あなた)、『姷姷』って皆に呼ばれる度に、表情が微かに苛立ってたもの。本当は、そう呼ばれたくなかったんでしょう?」




 ゆうゆう。




 それはかつて、昭瑶(しょうよう)皇女が姷明に付けてくれた愛称だった。

 当時を知らない同僚たちに、気安くその渾名(あだな)で呼ばれる度、その思い出に土足で踏み込まれるような気がしていた。その度に姷明は、言いようのない不快感を覚えていた。親しげな空気に逆らえず、曖昧に微笑み、返事をしていたけれども。

 そして、肝心の澄蘭(ちょうらん)公主(こうしゅ)は、彼女をその愛称で呼ぶことはなかった。


 思いがけない言葉に呆然と佇む姷明に、一つ頷き、かつての同僚は優しく微笑んだ。


「あの牢獄で、取り調べで、やっと思い至ったの。公主様はいつも悲しそうで、辛そうで、見ていて不安になって……。だからこそ苛立って、不敬な態度を取ってしまった気がする。

──そして、貴女も同じ。ずっと何かを背負って、自分を責めてて、見ているのが苦しくて、近寄りたくなかった。……それでも、絶望していた私たちを、貴女は懸命に支えてくれた。貴女が居たから、私は狂わずに生き延びることが出来た」


 ありがとう。


 背中を押すような暖かなその声に、知らず姷明の目に涙が浮かんだ。頷く彼女の笑顔に、後宮で過ごした十二年が走馬灯のように脳裏を過ぎる。


 微かな期待を打ち破られ、一生下働きで終わるのだと諦めた冬の日。

 唐突に運命が変わった、春の終わり。

 憧れ、一心に慕った主を亡くした夏の日と、自分の無力さに打ちひしがれた秋。

 そして、後宮の空気に抗えず、信念を失い道に迷った、永遠に続くかと思われた長く冷たい冬。


 もがき苦しんだ日々の果て、それでも見送りに来てくれる人が居ることに、姷明は言いようのない安堵を覚える。


 そうして同時に、澄蘭公主にも知って欲しいと思った。姷明と同じように、手に入らなかったものにばかり気を取られ、道に迷ったもう一人の主に。貴女を見ていた人は、こんなにも沢山居たのだと。


 姷明は一筋の涙を零しながら、静かに頷いた。


「任せて、湄娘。……貴女も元気でね」



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