表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/20

十八.解放、そして決断

 長く続く過酷な取り調べの果てに、侍女たちの中には、精神を病む者も出てきた。

 二年前、司率局(しそつきょく)に配属された直後に澄蘭(ちょうらん)公主(こうしゅ)付きとなった、一番年少の侍女の正気がまず、最初に怪しくなった。

 彼女は軟禁部屋の片隅で、壊れたように日夜、何かを(ささや)き続けている。その口元に耳を寄せ、姷明(ゆうめい)瞑目(めいもく)した。



「おねがいしますいえにかえらせて……わたしはなにもしらないかんけいない……たすけておとうさまおかあさまもうなぐらないでもういや……」



 実家が中級官僚で、後宮には良縁を得ることを求めて親が送り込んだと、いつか恥ずかしげに笑っていた少女だ。

 食事をとることも出来なくなり、幽鬼(ゆうき)のように痩せ細り、ぼさぼさの髪を振り乱す彼女の世話を、姷明は黙って焼き続けた。



 残りの三人も、些細な物音で飛び起きたり、日に一度の粥を飲み下すことも出来ず、嘔吐するなど、日に日に心身を弱らせていく。

 精神に異常を来たした娘の発する言葉に涙を零したり、突如激高して暴れ出す者もいた。

 その度に姷明は骨の浮いた背をさすり、震える身体を抱き締めながら、じっと宙を睨み据えていた。







 そうして、冬の間中軟禁され続けた彼女たちは、春を目前にしたある日、突如解放された。


 精神を病んだ侍女は数日前、弱った身体が冬の最後の名残の極寒に耐え切れず、粗末な藁の寝具の上で冷たくなっていた。

 耐え抜いた残りの者も皆骨と皮ばかりになり、中には凍傷で足指を腐らせたり、取調官に殴られた際に当たり所が悪かったのか、片目の視力を失った者もいた。

 幾度も殴られ、顔中(あざ)だらけになったものの、五体満足で外に出られただけ、姷明(ゆうめい)は幸運だった。


 彼女たちは、垢じみて薄汚れた姿のまま、牢の外に放り出されて呆然としていた。

 傍を通りがかった最下位の宦官や婢女(はしため)ですら、すえた臭いを発するボロボロの侍女たちを、(ごみ)でも見るかのような目を向けて通り過ぎていく。

 足の指が幾つか欠損し、満足に歩けなくなっていた一人の侍女が、地面にへたりこんで泣き出した。つられるように、残りの二人もその横に膝をついて、嗚咽(おえつ)(こぼ)す。

 姷明(ゆうめい)は黙って、三人の肩を代わる代わる抱き締めた。胸に縋り付いてきたその内の一人、(ゆう)氏付き時代からの同輩の背を、懸命に(なだ)める。


 女たちの泣き声に混じって、不意にいくつかの足音が響いた。

 はっと息を飲んで姷明が振り返ると、そこには、痛ましそうに顔を歪めた、(さい)媛儀(えんぎ)の侍女の姿が複数あった。

 彼女たちは清潔な衣を差し出しながら、静かに微笑む。


「――翠流殿(すいりゅうでん)に戻って手当てを受けるようにと、媛儀様から言付(ことづ)かっております。まずは、湯で身体を温めましょう」


 立てますか、と差し出された手を見つめ、姷明の瞳にもようやく涙が浮かんだ。






 (あぶら)で固まった髪を丁寧に洗い流し、身体の隅々に入り込んだ垢を、何度も肌を擦って落とす。

 温かな湯と柔らかな布、何より清潔な新しい衣は、姷明(ゆうめい)たちの心を優しく癒してくれた。

 (さい)媛儀(えんぎ)は特別に内廷医を呼んでくれており、姷明は恐縮しながら手当を受けた。痣はいくつかは残るだろうが、ゆっくり食事をとっていけば、体力は回復するだろうとのことだった。


 けれど、残りの三人、特に凍傷で指を腐らせてしまった者と、片目の視力を失ってしまった者は、宮仕えを続けることは難しいとの診断だった。

 彼女たちの身柄は、体調が幾らか落ち着いた直後、家族が引き受けて行った。


 後のもう一名、かつて姷明と共に(ゆう)氏に仕えていた侍女は、体力がどれだけ戻るかによるとのことだ。


「もう少しここで身体を休めて、ゆっくり今後のことを考えなさい」


 崔媛儀は二人に、温かな言葉を掛けてくれた。





 七日ほどの療養を経て、起き上がれるようになった姷明(ゆうめい)は、(さい)媛儀(えんぎ)の筆頭侍女に呼ばれ、媛儀の侍女たちの控え部屋に腰を下ろしていた。


 彼女は、崔妃が貞容(ていよう)として入内(じゅだい)した頃からの筆頭侍女で、崔媛儀の信頼の(あつ)い人物だ。

 暖かな茶を姷明に供した筆頭侍女は、まずは姷明を柔らかな声で気遣ってくれる。


「……具合はどう?」

「お陰様で、この通り問題ございません。崔媛儀様には格別のご配慮を(たまわ)り、また皆様にも多大なお気遣いをいただきましたこと、改めて御礼申し上げます」


 かしこまってお辞儀をする姷明に頷き、彼女はやがて姷明が頭を上げるのを待って切り出した。


「今回のことは、(おん)家の台頭(たいとう)をよく思わず、また、かつて温家によって罪を暴かれた一族が、彼らに復讐することを企んで起こしたそうよ。

真相を見抜かれた陛下が下手人(げしゅにん)を既に処分し、国賊(こくぞく)とされた温家の身分は回復された。

……澄蘭(ちょうらん)様は、その騒動に巻き込まれてしまっただけ。飢えに苦しむ貧民を思うあまり、不用意に行動を起こされ、付け込まれたとのことだったわ。――貴女(あなた)たちも、災難だったわね」


 優しく(ねぎら)ってくれる彼女にぎこちない笑みを浮かべ、姷明は曖昧に笑った。

 しかし、すぐに真顔に戻り、身を乗り出して尋ねる。


「あの、澄蘭公主(こうしゅ)様は今……?」

「そうそう。その話もしなくてはね」


 困ったように右手を右頬に当て、彼女は眉を曇らせながら首を傾げた。


「実は先程、宮城(きゅうじょう)内に通達があったわ。今後の友好の証にと、隣国が降嫁(こうか)を求めていて……。それに、澄蘭公主様が名乗りを上げられたの。

皇帝陛下は、『婚約者の遺志を継ぎ、両国の平和的交流に尽力したい』という公主様の願いをお聞きになり、それをお認めになったそうなの。……出立(しゅったつ)は、二旬(にじゅん)ほど先よ」

「そんな……!」


 何がなんだか、姷明には急転した事態がまるで理解出来ない。

 あれほど、その罪は確定しているとばかりに自信ありげだった宦官たち。彼らが姷明たちに課した過酷な取り調べは、いったい何だったのか。それに何より、疑惑を一身に集め、婚約者を亡くした公主が一転、両国の仲立ちのために隣国へ出立するなど、訳が分からない。


 この騒動は何だったのか。誰が考え、誰が演じ、誰が途中で(くつがえ)したのか。


 そしてそれ以上に、澄蘭公主があとわずか二旬で隣国へ旅立たれてしまうことに、姷明は動揺していた。

 姷明は、血相を変えて叫ぶように尋ねた。


「どなたか……どなたか、公主様に随行(ずいこう)なさるのですか!?」

「実は、それも通達の中に含まれていたの。今回、色々あったから……侍女として随行を申し出る者がいれば、その者を優先にするって。道行きの警護の武官と違って、随身はまず帰って来られないでしょう? だから……」


 気まずい表情で、崔媛儀の侍女は視線を卓の上の湯呑に落とした。

 元々人、望があったとは言い難い澄蘭公主だ。

 更に、この度の騒動を受け、娘を宮中に出仕させている貴族たちが、実態も分からない異国への随行を認めるとは思えない。彼女たちは、掌中(しょうちゅう)(たま)であると同時に、政略や立身出世のための重要な道具だ。

 侍女は、目を伏せたまま小声で続ける。


「もし随身に名乗りをあげるのであれば、司率局(しそつきょく)へ申し出るようにとのことだったけれど……」


 姷明はその言葉に、じっと宙を見据えて黙り込んだ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ