十四.突然の辞令
華やかな容貌を王雅妃から受け継いだ第二皇子と第一皇女は、表向きは母妃の親族の来訪を、歓迎している様子だった。
けれど、ある日、姷明がいつものように、幽貞花の文を王雅妃の朱香殿に届けていた際のことだ。
近道である庭園の出入口で、姷明は偶然、熙衡皇子を見掛けた。咄嗟に隠れた姷明に気付かなかったのか、東屋の一つに腰掛けた第二皇子は、ぐったりとした様子で近侍の少年に愚痴を零していた。
「まったく、あの人には困ったものだよ……」
「あの人とは?」
顰めっ面の第二皇子に、近侍は驚くことなく問うている。
誰にでも優しく人当たりの良いと評判の熙衡皇子だが、こちらが本性なのだろう。話が終わるまでは下手に動かない方が良いと判断し、姷明は慎重に呼吸を殺した。
第二皇子は盛大な溜め息を吐き、組んだ右脚に右肘をついて、ぼやいた。
「分かってるんだろう? ――三日と空けず、母妃に会いに来る、あの女だよ。
私にも剣の稽古や、四書の講義があるのに、お構いなしに騒いで……。そういうところを父皇が嫌っておられるんだと、何故理解できないのかな」
「……皇子、お言葉が過ぎます」
窘める近侍の少年に、第二皇子は苦い顔をする。確か、今年で十三歳だという皇子は、顔を歪めて吐き捨てるように言った。
「事実じゃないか。あんな女、僕は絶対にごめんだな。
――昭瑶みたいな、女人の嗜みなんてまるで理解していない人間は論外だけど、ああいう、女の武器を全面に押し出してくる女も無理だ。侍女たちも、こちらに媚びるばかりで、……なんというか、品がない」
鼻息も荒く言葉を連ねる主に、近侍の少年が苦笑した。
「殿下は、奥ゆかしい女人が好みですからね」
揶揄うような近侍の言葉に、第二皇子は不貞腐れた顔で答えた。
「うるさいな。夢ぐらい見させてくれよ。皇族の婚姻なんて、打算以外にないんだから」
「今度、婚約者候補のご令嬢とお会いになるんでしょう? 取り繕う練習は続けてくださいね。……さぁ、そろそろ戻って、勉強の続きをしましょう」
軽口の応酬を続けながら、二人はその場を去る。
姷明は、昏い目で宙を睨み据えた。
思い返せばあの皇子は、にこやかな笑顔の隙間で、幽貞花や侍女たちを、酷く冷めた目で見つめていた。
彼のような立場の人間ですら、女性の価値は「貞淑さと、優雅に見せる芸の才」にあると考えていることが腹立たしかった。
そして、何より。
(血の繋がった義妹君に、あんな言い方……)
姷明は、やるせない思いを抱いた。
けれど、戦うことを諦めた姷明に、今更言えることなど何もない。束の間沸騰した頭が瞬時に冷め、姷明はただきつく目を瞑る。
せめて、あの言葉を昭瑶皇女が耳にする日が来ないよう、願うばかりだった。
その日齎された通達に、姷明は目を見開いた。
沈貞花の死から、八年が経過していた。
幽氏は、ここ数年、年とともに衰え始めた容姿に怯え、痩身や若返りに効くという怪しげな薬を手当り次第摂取していた。結果、重度の病を患い、後宮を退くことになった。美貌を絶賛されたかつての令嬢は、ついに皇胤を宿すこともなく、老婆のような面差しを隠しながら、ひっそりと玻鏡殿を去っていった。
二十三歳の中堅侍女となり、「女」の次位、「連」に昇格していた姷明には、物思いに浸る間もなく、次の主の名が告げられる。姷明は息を飲み、辞令を運んで来た内律署の宦官を凝視した。
けれども、彼が掲げた書面には、間違いなく「第二皇女、澄蘭公主付きを命ずる」とある。
(昭瑶様……!)
十五の歳を迎えた今年、昭瑶皇女は成人の儀を終え、「澄蘭」という字で呼ばれることとなった。
長年冷遇されていた第二皇女は、冊封すらされないのではという声もあったが、養母である崔媛儀の顔を立てる意味もあり、公主を名乗ることを許されたそうだ。
成人した女性皇族の多くは、扶持と封邑を賜り、基本的には婚姻まで、母の殿舎で引き続き生活を送る。
ただし、それまでのように母の侍女に面倒を見てもらうのではなく、自身の侍女をそばに置き、降嫁に備えて、人の使い方や生活の術を学んでいくのだ。
侍女は、内廷女官から新たに選別されるのが一般的だが、稀に、母妃から譲り受ける形で、自身の側近とすることは認められている。
現に、昨年、華々しい儀と共に成人となった、第一皇女の琴華公主は、かつての乳母を筆頭侍女としていた。
第二皇女の澄蘭公主には、暇乞いをした幽氏の内廷女官が二名──姷明と、幽氏の晩年に玻鏡殿に配属になった女官だ──と、新たに司率局に配属された新人女官が三名、宛てがわれた。
荷物を纏め、集合を命じられた司率局の一室へ向かう間も、姷明の心臓は早鐘を打ち続けた。
沈貞花亡きあと、昭瑶皇女──澄蘭公主に目通りする機会はなかった。
広大な後宮の中、遠目に見掛けることはもちろんあった。けれど、詳細な様子は伺い知れず、聞こえてくるのは悪意に満ちた噂話のみ。
(何を伝えよう、何を伺おう)
「出来損ないの皇女」の世話役を押し付けられ、不満気な集団の最前列で、姷明は駆け出したくなる気持ちを懸命に押し殺して、両拳を握り締めた。




