十一.非情な診断
「先生。……私はもう、長くないのでしょう」
いつの間に、目を覚ましていたのか。
掠れた声で囁いた沈貞花が、こちらを見上げていた。
驚いて振り返った内廷医と鵬杏、姷明の視線を受けると、沈妃は小さく微笑んでみせる。二人の侍女が息を飲み、内廷医は戸惑ったように視線を彷徨わせた。
沈貞花は、穏やかな声で告げる。
「良いんです。正直、寝込んでいる間もずっと、気力や体力がごっそりと削られていく気配は感じていました。……寧ろ、吐血のような分かりやすい症状が出て、ほっとしているぐらい」
「そんな、沈貞花様……!」
目を見開いた姷明に、沈貞花が頷きを返す。
長い沈黙の末、何度も溜息をこぼした内廷医は、やがて苦虫を噛み潰したような表情で告げた。
「原因が分からぬのは、私も同様です。ですが……」
視線を落とした老宦官はおもむろに、上衣を寛げあらわになったままの内衣越しに、沈貞花の腹部を何ヶ所か押す。
「――っ!」
息を詰めて、痛みにのたうち回る沈貞花の姿に、姷明は悲鳴を上げた。
「沈妃様……!?」
「以前、似たような症状で命を落とした者を、診たことがある。その者も、最初は何となくの疲労感から始まり……、最後には、腹部からあちこちに移転した痛みに悶え、苦しみながら息絶えた。
大変言い辛いが、沈貞花様の痛がりようは、彼の者の姿を思い起こさせます」
息絶える。
沈妃様が。
頭を殴られたような衝撃に、姷明は絶句するしか出来ない。鵬杏が震える声で尋ねた。
「その者は、どれぐらい生きられたのですか?」
「三月だ。……こちらも治療方法が分からず、訴える症状に合わせて、薬を処方する程度のことしか出来なかった。何度も血を吐き、食事がとれなくなり、そのくせ腹部は大量の水を摂取したように膨満し……。ひどく苦しんだ末の往生だった」
聞かされた内容に、姷明は口元を押さえ、嗚咽が漏れるのを懸命に堪えた。鵬杏も隣で目を閉じ、肩を震わせている。
覚悟していたと言っていたとはいえ、恐ろしい死の予言に誰よりも衝撃を受けているのは、沈貞花自身のはずだ。姷明が感情に振り回され、泣き喚けば、彼女は主として配下を宥めなければならなくなる。そんな負担は掛けられない。
しかし、沈貞花は驚くほど静かな表情で、内廷医を真っ直ぐに見上げた。
「治療方法は、不明なのですね」
「……申し訳ない」
「対症療法で、薬を出すしかない」
「その通りです」
淡々とした確認に、内廷医は悔しそうに無言で顔を俯かせる。空気のように部屋の隅に控えていた彼の弟子たちが、項垂れた師の様子におろおろしていた。
沈貞花は一度きつく目を瞑り瞑、そしていつもの凛とした眼差しで、枕元に集まる面々に告げた。
「それならば、薬の処方は不要です」
「――沈妃様、何を仰るのです!」
とうとう声を荒らげてしまった鵬杏を真っ直ぐに見上げ、沈貞花は言う。
「治る見込みも、治す手立てもない病のために使えるお金なんて、私にはない。すぐに死ぬと決まってる訳じゃないけど、いつまでかかるのかも分からない。
──そんなことに、大金をつぎ込むぐらいなら。昭瑶が少しでも将来に困らないよう備えたり、栄養があって美味しいものを、毎日食べさせたい。これまで私みたいな駄目な妃のもとで頑張ってくれた皆を、最後までちゃんと労いたい」
皇子皇女の養育費用は、もちろん宮中から支払われるが、その金額は母妃の位階に左右される。十分な教育、健康で安全な生活を確保するには、自身の化粧料の持ち出しも必要だっただろう。そして、侍女の給金は、司率局女官であれば宮中と折半だ。
療養食代や薬代などは、残った化粧料から出すしかない。けれど不知の病とあっては、最悪は廃妃されて冷宮送りとなり、化粧料も減らされてしまうかも知れない。
沈貞花は、そうなった時に備えて、支出の優先順位を付けたのだ。子を、配下を守ることを、僅かな延命の可能性よりも重視した。
それは主としてあまりに眩しく、けれど遺される者にとっては、あまりに残酷な決断だった。
鵬杏が血相を変えて、沈貞花に詰め寄る。
「そんな、そんなこと! 沈妃様が、蕙蘭様が生きておられてこそでしょう! 命あっての……」
「鵬杏」
分かって。
命じるように重々しく、沈貞花は告げる。
その場に崩れ落ち、主の寝台に顔を伏せて号泣する鵬杏の頭を優しく撫でながら、沈貞花は立ち尽くす姷明を見上げる。顔色は土気色で、頬はこけ唇も荒れているが、その雰囲気はいつもの悠然と構えた主だった。
沈妃はやがて、内廷医に視線を移す。彼は苦々しい表情を浮かべたあと、目を伏せながら答えた。
「貞花様の意向は分かりました。……しかし、私めを派遣なさったのは皇后陛下です。また、御身は、偉大なる皇帝陛下の妾。貴女の要望は伝えますが、方針をお決めになるのは両陛下方です」
「そうでしたね。……承知しました。どうか、よろしくお取り計らいください」
そう言った沈貞花は、苦しそうに息をついて目を閉じる。
眠りにつく主の姿を見詰めながら、姷明はただ黙って涙を零すことしか出来なかった。




