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一.後宮女官・姷明(ゆうめい)

 (きょう) 姷明(ゆうめい)は、貧しい商家の次女として生まれた。




 皇都(こうと)に数多ある、英玄試(えいげんし)関連の書籍を商う店を細々と営む姷明の父は、一口で言えばどうしようもない男だった。

 父は元来の口下手や見通しの甘さが災いし、常に借金取りに追われていた。上手くいかない商売の鬱憤(うっぷん)を晴らすため、酒を(あお)り、賭け事に興じ、幾度も借財を重ねた。そして、その心理的負荷から逃れるために、また酒と賭け事に溺れる。

 先代の頃までは裕福な商家だったのだと、酔った父は酒焼けしただみ声で自慢げに語っていた。豪商の妻となるはずだった母は、生活苦に疲弊(ひへい)し、姷明が物心着く頃には老婆のような雰囲気を漂わせていた。


 姷明はいつも、腹を立てていた。


 両親は貧しいくせに子どもだけは数多くもうけ、姷明の上には姉と二人の兄がおり、後に弟も一人産まれた。

 きょうだいが増えればそれだけ、一人あたりの食事の量も不足していく。

 こんな家でも一応、跡取りである長兄と、万が一の際の替わりである次兄、病弱な姉が優先され、姷明と弟の食事は常に後回しにされてきた。空腹に泣き叫ぶ弟を前に、姷明はいつも表情を歪めていた。


(養う能力もないくせに、なぜ子を産もうなどと思うのか)


 父の言うなりの母にも腹が立ったし、満足に食事も取れない環境にも、つくづく嫌気がさしていた。遠目に見かける派手な(よそお)いの貴族連中も、彼らに下手なおべんちゃらを述べ、役に立たない書物を必死に売り込む父も、大嫌いだった。


 姷明はいつも(くら)く燃える瞳で、彼らを見つめていた。




 次兄と長姉は、就労が認められる年齢に達すると、口減らしを兼ねて二束三文で奉公先に売られていった。一方、姷明(ゆうめい)は器量の良さを買われ、十三になった直後の正月(しょうがつ)より、宮城(きゅうじょう)に出仕することになった。

 (たまわ)った僅かな支度金は、家の借金返済と父の飲み(しろ)に消えた。その頃にはもう、父に対して呆れ以外の感情は消え去っていた。母はまた子を(はら)んでいた。

 あちこちが擦り切れ、丈も合わなくなった一張羅(いっちょうら)を身に着け、姷明は他の多くの似たような立場の少女たちと共に、雪化粧を(まと)う宮城に上がった。


(……何があっても、二度と、あの家には戻らない)


 心の奥底から、そう誓って。







 登城後、すぐに仕事に就くのかと思っていたが、少女たちが初日に連れていかれたのは、古びた講堂だった。

 まずはそこで、宮城の決まりごとや、宮中における立ち居振る舞いについての指導を受けるのだと、年配の女官は告げた。彼女は、浮かれた雰囲気を漂わせる少女たちに、冷ややかな目線を向けていた。


 その日の昼前からさっそく始まった講義は、恐ろしいほどの量、恐ろしい勢いの詰め込み方式だった。


 宮中で女官が通っても良い道、貴人と遭遇した時に取るべき態度、業務に当たっての心構え。宮城や後宮の構成と、后妃(こうひ)たちの位階。六部(ろくぶ)の構成と、彼らの役職と呼称。軍部や監察部門について。その他にも、宦官(かんがん)の部署構成と職位に、何より、彼女たちが所属することになる、女官の部署と役割。


 今まで礼儀など意識もせず、ろくに学問もして来なかった少女たちは、軒並み悲鳴を上げた。だが、講師役である中年の女官は、一切手加減をしなかった。彼女は、宮中の全ての女官の教育と統率を担う、司率局(しそつきょく)の所属だった。


 教材として、宮中の決まり事を事細かく記した書物も惜しみなく貸し出されるものの、読み書きが出来るような生まれの者は、その集団の中にはほとんどいない。

 例外は、下級貴族や零細商人の娘で、姷明(ゆうめい)も一応、その(くく)りに入るのだろう。実家が書を(あきな)っていたため、彼女にとって文字は身近な存在だった。また、子の将来を案じた母により、読み書きの基礎だけは、叩き込まれてもいた。父親も、少しでも子どもたちを高く売るため、そんな母の行為を容認していたのだ。


 酒に酔った父のしたり顔とだみ声を思い出し、姷明は込み上げる怒りを懸命に押し殺す。


 真冬の凍える空気にかじかむ指先で、懸命に教材を(めく)りながら、姷明は知識の習得に全力を尽くした。





 女官見習いとして集められた少女たちは、いずれも十代前半と年若い者ばかりだった。

 五十名近い集団になれば当然、あちこちで一悶着(ひともんちゃく)起こる。騒ぎを起こして指導女官の逆鱗(げきりん)に触れた者たちは早々に、支度金の返金を命じられた上で、実家に返された。三日おきに課される小試験に落第した者は、地浄(じしょう)──清掃や汚物処理を担う宦官の部署──付きを命じられて、学舎を追い出された。

 実家の縁故などもほとんどなく、宮城(きゅうじょう)に送られた以上、皆それなりに「見られる」外見をしているためか、中には「皇帝陛下のお手付きになる」と豪語し、おざなりに講義に取り組む者もいた。

 だが、身の程知らずの野望は教官たちによって徹底的に叩きのめされ、彼女たちも同様に、地浄送りとなった。


(馬鹿ね……。奴婢(ぬひ)でも妃嬪(ひひん)になれた時代は、とうの昔に過ぎ去ってしまったのに)


 姷明はそう内心で呆れていたが、もちろん、その様子はおくびにも出さなかった。





 講堂に残ることを許されたのは、現実を思い知った賢明な少女たちのみだ。

 彼女たちは、朝から晩までみっちり詰められた講義に必死に着いて行った。やがてその中で結束が芽生え、交流を深めていく者たちも多かったが、姷明は一人、部屋の隅で教本を読み(ふけ)っていた。声を掛けられれば最低限の愛想を持って対応したし、教本の内容に関する質問には丁寧に答えたが、特定の誰かと親しく付き合うことはしなかった。

 誰かと近しく付き合い騒動に巻き込まれ、実家に戻されるなど、言語道断だった。姷明は、二度と家には帰らない覚悟で、出仕を決意したのだ。




 一月あまりに及んだ講義の最終日。気付けば講堂に集ったのは、当初の半数にも満たな人数になっていた。極寒に凍りついていた外気は少しずつ緩み、梅の花が咲き始めている。

 そこで彼女たちは、講師を務めた女官から、女官服と、佩玉(はいぎょく)をそれぞれ授けられた。講堂に残った者たちは皆、衣装の色や佩玉の形を見て、即座に自身の配属先や職位を理解できる程度には、宮中生活の知識が身に付いている。


 書籍屋の娘として、読み書きを得意としていた姷明(ゆうめい)は密かに、司文労(しぶんろう)──後宮の記録や、各部署の帳簿付けを担う部署──での就業(しゅうぎょう)を望んでいた。だが、与えられたのは、司衣労(しいろう)の最下位、「(じょ)」の衣装と佩玉であった。貴人たちの衣装の洗濯を行う、最下級の女官の職位だった。

 教養や知性を問われる部署や地位には、例え女官といえども、それに相応しい生まれ育ちの女性たちが、実家の力でもって配属される。どこの馬の骨とも知れぬ姷明たちは、所詮、使い捨ての肉体労働要員だった。



(馬鹿だったのは、私も同じね……)



 姷明もまた、分不相応な夢を見ていた自分自身の愚かさを痛感した。


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