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7 侯爵家からの招待状(2)

 ウィントンは兄の方の肘置きに腰を下ろして何やら兄と小声で話している。王宮の噂話らしく、出てくる名前に少しも聞き覚えのないエスティールは侯爵家の美味しいお茶を飲みながらそれとなく周囲の様子を観察する。

 侍女たちは礼儀正しい上に存在を悟らせないほどの動きで驚く。よく見ていると動きもしなやかで、とても普通の侍女には見えないのだが。

 部屋も素晴らしい。品よく飾られた小物からカーテンに至るまで上品な調度品はそれと分からない高級品だ。爵位もあり金持ちであることに見栄を張らないでいる本物の貴族だな、と素直に感心する。

「待たせてしまったかな」

 扉が開かれ、執事を伴って侯爵が現れる。

 大きい息子がいるとは思えない美丈夫だ。スラリとした肢体は中年のはずの彼を若々しく見せ、少し癖のある金色の髪は息子であるウィントンに受け継がれているのが良くわかる。微笑むその顔はウィントンの美貌に鋭さと渋みが加わったようだ。

「ようこそ、ハーパー卿」

 ノンライト侯爵は右手を差し出し兄と握手を交わすと、流し目のように色気のある瞳をエスティールに向け、そして兄に紹介を促す。

「ノンライト卿、本日はお招きありがとうございます。こちらは我が妹エスティールでございます。実物を見て頂くのが一番かと思い、連れて参りました」

「光栄だな。深窓の姫君の素顔を拝めるなんて。エスティール嬢、私はフィオル・ノンライトです。ご令嬢にわざわざ足を運んで頂き、とても栄誉に思います」

 見た目の優雅な雰囲気とは違い、性分は軍人のような人だ。ご令嬢にまで握手をしようと差し出した手を慌てて引っ込めて、彼は茶目っ気のあるウィンクを寄越した。

 とんでもない色気に当てられて、エスティールは目眩がする中、なんとか令嬢らしく膝を折って目を伏せる。

「お初にお目にかかります、ノンライト卿。エスティール・ハーパーでございます」

 貴族の礼儀などよく分かっていないエスティールは取り繕った挨拶をする。

「いやあ、美しい。私が若かったらすぐに婚約者に名乗り出ただろう」

 渋いおじ様のお世辞にエスティールは恥ずかしそうに微笑む。見目麗しい男性にお世辞と分かっていても褒められたら悪い気はしない。だからご機嫌になるのは仕方ない。ということで兄の冷たい一瞥も無視する。

「父上、ご令嬢に失礼ですよ」

 ウィントンが苦笑しながら間に入る。

「こんなに素晴らしい女性を前に口説かない方が失礼だろう」

「母上に言い付けますよ」

「ふむ。口止めに交渉が必要といったところか?」

 楽しげに言い返して、ノンライト侯爵はソファに腰掛ける。

 お世辞は制限なく述べるが、実際の彼は愛妻家で有名だ。誰も入りこむ余地がないほど奥方を溺愛しているらしい。

「さてハーパー卿。早速本題なのだが」

「はい。お手紙で伺っておりましたが懸念事項がありすぎて、率直に言わせて頂くとお断りするのが妥当かと」

「うむ。ハーパー卿の気持ちも理解できる。大切な妹君を危険な目に合わせられないからな」

 エスティールをもう一度見て、彼女を安心させるように彼は微笑む。

「見て頂いてわかるようにエスティールは世間知らずの、それも令嬢教育を放り出してきたような娘です。とてもご子息の婚約者として務められるとは思いません」

「そうは思えないな。実に賢い瞳をしている。それにきっと肝も太い。企みではなく実際にうちの嫁に欲しいな。どうだね。長男のゲオルグはまだ婚約者が決まっていない。ウィントンが嫌ならゲオルグがいるぞ」

 冗談とは思えない口調でノンライト侯爵は兄に詰め寄る。

「家格が釣り合いません。丁重にお断り致します」

 本当なら家格が下の者から断ることはほぼ許されない。それをこの兄は即答で返す。

「もう少し考えてみてくれてもいいんじゃないのか?ゲオルグは良い男だぞ。ウィントンも親の贔屓目ながら良い青年に育ったと自負しているが、まだ未熟なところがあるからなあ」

 父親の視線を受けてウィントンは肩をすくめて見せる。

「発言をお許しいただけますか、父上」

「ああ。お前も直接エスティール嬢を口説いてみるといい」

 許可を得て、ウィントンがエスティールの前へ跪く。

「エスティール嬢、私が命を賭けてお守りすると誓います。どうか婚約を受けてもらえないでしょうか」

 彼女の手を取って彼は自分の唇の近くへ持っていき、口付けせんばかりの勢いで希う。

「え、あの?」

 話が見えなくて、エスティールは真っ赤になりながら兄を伺う。すると兄は大仰にため息をついて、これまでの借りてきた猫のようなお行儀良さを放り出して、ソファの奥に深く腰掛けて足を組んで座る。

「ウィントンはどうだか知らないが、卿は俺が青の魔術師だと知っているな?その上で俺を試したのか」

 不機嫌な様子で言ってのけ、腕を組んで明後日の方を見ている。

「お兄様……?」

 子爵の分際だったら酷く礼儀を欠いた態度だ。だが青の魔術師であれば王と言えど対等に扱われる存在だ。

「これは失礼を、青の魔術師殿。最初からそう接すると警戒なさると思って息子をダシに使ったのです。お許しを」

 ノンライト侯爵が頭を垂れる。

「え?レリオンが青の魔術師?」

 ウィントンだけが不思議そうにしている。

 やはり気付いていなかったらしい。

「ちょっと待って。お兄様、これはどういうことですか」

 他人がいる手前、エスティールは怒りを抑えて兄に詰め寄る。

「エスに婚約者のふりをして欲しいって話だ。どうやら王太子が狙われているらしい。それも力のある魔術師にな。そこで彩色の魔術師に依頼がきたが、今動けるのは白だけだ。あいつは(はかりごと)に向いていないからな。それで王と王太子の信頼の厚いウィントンにどうにかせよと丸投げされたんだ。一応近衛騎士だからな。暗殺を防ぐのも仕事のうちだ。で、こいつは考えた。学院の友人の中に悪企みに優れた奴がいたな、と。そしてそいつには妹がいる。こちらに引き込んで、王太子とその婚約者に近付ければ有利になるんじゃないのか」

 そう言いながら兄はウィントンを睨む。

「まあ、そう怒らないでよ」

 ウィントンは苦笑しながら友を見つめ、真面目な顔つきになってエスティールを見つめる。

「私は本気であなたを婚約者にしたいと願っている。どうか考えてみてはくれないだろうか」

 エスティールの右手の甲にキスをして彼は目を逸らさずに彼女を見つめている。

 息が止まりそうだった。

 エスティールは突然の申し出に頭が追いついていかない。

「全く、親子揃って難儀な」

 兄の言葉に彼女は心細そうに兄を見上げる。

「宰相殿ともあろう方が、もっとマシな作戦を考えられなかったのかね」

 青の魔術師の顔で兄はノンライト侯爵を睨む。

「え、宰相?」

 エスティールが驚いたように侯爵の顔を見ると、彼は悪戯っ子のように似たりと笑みを口端に浮かべている。

「私も世間一般にいるような息子を愛するただの父親でしてね。息子の一途な片思いを実らせてやりたいのです。これで婚約者問題も解決でき、ついでに息子の友人である方の協力も得られ、王太子殿下も殿下の婚約者であられるマデリー様もこんなに可愛いご友人を得ることができるのならば手紙の一つや二つ書いてやらない訳がない」

「それで子爵家から侯爵家が嫁を貰う?エスに嫌がらせがくる。ウィントンが全くモテないなら話は別だが」

 うんざりしたように兄はウィントンを見る。

「私は侯爵位は継がないし、問題ないだろう?そうだ、後で渡そうと思ってたんだけど、はい、これ」

 彼は上着の中から大事そうに封筒をエスティールに手渡す。

「これは?」

 エスティールが尋ねるとウィントンは彼女の手を封筒ごと包み込んでしまう。

「招待状だよ。陛下のご指示で、今度父の爵位の一つのパラット子爵位を受け継ぐことになったんだ。そのお披露目パーティーの招待状。ドレスも装飾品も贈らせて欲しい。良いだろうか」

 良いだろうかと問われても、どう回答するのが正解なのかエスティールには分からない。こんなことなら兄に付いてくるんじゃなかった、と悲壮な表情を浮かべるエスティールから視線を逸らさず、ウィントンは未だに彼女の手を離さない。

「言っておくが、エスに魔力は皆無だぞ」

 面倒そうに兄が言うとノンライト侯爵は大きく頷く。

「承知しておりますとも。我が家に迎えるのに問題ありません」

「そんなことまで調査済みか。恐ろしいな」

 不可侵の結界で覆われている青の魔術師の邸宅を詮索できる力がある宰相とは得体が知れない怪物のようだ。

「あの、私がウィントン様の婚約者のふりをして何か良いことがあるんですか」

 疑問に思っていたことを思い切ってエスティールが尋ねるとウィントンが彼女の指先を撫で撫でしながら答える。

「君一人で僕が部屋を与えられている王城には来ないでしょ?保護者としてレリオンが付いてくる。殿下や殿下の婚約者と友人関係になったら、余計保護者は付いて回ってくれるしね。そうすると、必然的にレリオンは君を守るついでに殿下を含めたみんなを守っちゃうことになるんだ」

 青の魔術師としては動かない兄でも、ハーパー子爵としては動くのだろう。エスティールは兄を不憫な子を見る目で見つめてしまった。

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