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第一章  フォックスの憂鬱  6

 パル――は、存在そのものが薄いベールに包まれ、透明感漂う不思議な人物だった。時折陽をはじいて銀色に見える灰色の瞳は、どこか遠くをながめるようにまばたき、湖より深く澄み、穏やかさにあふれていた。


『……悲しいけれど、人は、宝石にふれると心を動かされる者がいます。だけど動かされない者も必ずいます。そんな人をお捜しなさい。旅をお続けならこんな物でもいつかお役に立つ時がくるでしょう。さあ、持ってお行きなさい……いいえ、私にとって大事なものは他にありますから』


「――って、パルは無造作に俺にくれたんだ。ふふっ、うんちくたれる先生だったぜ。だけど、あいつの言ったことなんとなくわかる気がするな。しかし、小惑星の一つや二つ買えるくらいの価値があるって宝石商の親父が言っていたが、まさかな。本当かどうか知らないが売るつもりはないし、かと言って中に入れる物はないし、どうやって役立てたらいいか。俺には立派すぎるぜ」


 この箱は取り出してながめる機会などなかったので、ずっとリュックの奥に眠っていた。


『あなたとは男同士、心からつきあえる友人になれそうです』

「あっは、初対面の時あいつそう言ったんだ。二つ、いや三つ年上だったな。ふん、俺と違って出来のいい奴だったぜ。今頃どうしているんだろう。無事でいればいいが……」


 パルとの思い出をなつかしみ、夢想にふけっていた。が、胸にひびく濁流音にはっと現実に戻った。それはホテルの裏を流れる川の音で、荒れた怒涛が開け放たれた窓からとどろき渡っていた。


「そうだ、どうしてリュックに入れていた物が玄関に落ちていたんだ。リュックは酒場に行く前パットに渡したはず……はっ、そうだ、パットは!?」


 部屋には誰もいなかった。

 散らばった山のような荷物とひっくり返ったリュックが口を開けたまま放り出され、そして、丸められたシーツが乱雑にベッドの間に投げ出されていただけだった。

 あわてて逃げた様子を物語っていた。


「いない。まさか、あいつここから逃げたのか。いや、まさか誤って川に落ちたんじゃ……」

 窓から身を乗り出すと狭い通路とその横を流れる川を交互に見、大声でパットの名を叫んだ。

 明かりの届かない真っ暗闇の川は、不気味で得体の知れない化け物みたいだった。

 吸いこまれそうな雰囲気に怖気づきそうだったが、ためらうことなく地面に飛び降りようとした。


「パット、待ってろ。今行くぞ!」

「ん、にゃあ……はふっ」


 のんびりした声が後ろから聞こえ、思わず振り返った。

 するとそこに。

 白いシーツにくるまったすき間からブロンドの巻き毛がのぞいており、寝返りをうったパットの気持ち良さそうな顔があらわれたのである。


「はああ、パ、パット! そこにいたのか!」

 リシューは体中から力が抜け、へたへたとその場に座りこんだ。

「忘れてた……この野郎、真下を見た時だけ起こる高所恐怖症でかなづち。飛び降りるはずがない。はあーっ、どっと疲れが出たぜ」

 

「うふふ、このクッキーおいしいね……むにゃ」

 ブーツを脱ぐと床に向かって放り投げ、寝言を言うパットに大声でわめいた。

「この野郎! よくも人を死ぬほど驚かせたな。ふん、まったく。パットといる時は導師さまになった気でいないと身がもたないぜ」


「まって、リシュー、取りあげないで。ボクのおやつーっ」

「やな夢を見てるな。しかし、俺は今、寛大な導師だ」

 首を振ると目をつぶった。


 パットは涙をこぼし、何か叫びながら起き上がった。

「あっ、リシュー。今ね、とってもこわい夢見たの。ボクの前からクッキーやチョコレートがどんどん消えてゆくの」


 無言のまま転がっているブーツを拾い上げると、すぐさま不思議そうな顔をしたパットが何か質問してくる前に言った。

「おい、言いたいことも、聞きたいこともたくさんあるが、一つだけ聞く。なぜ、俺が逃げろと言ったのにこんな所でのんきに寝ていたんだ?」

 

「う、うん。寝てた……どうしてだろ」

「うん、じゃない」

「は、はい」

 急に立ち上がったので巻きついていたシーツに足をとられてよろめき、ベッドの端で座ってブーツをはいていたリシューに思いきりぶつかった。

 

 痛かったのと、驚いたのとで大声で怒鳴った。

「わかった、思い出したよ。あのね、ここ二階だから窓から逃げようと思ったの。ロープにしようとシーツを引っ張ったんだけど、なかなか抜けなかったんだ。それで思いきり力を入れたら、急にお星さまがあらわれたんだ。ボク、いつ眠ったの? 今はもう明日なの?」


 リシューは、パットがシーツとともに転がった場面が簡単に想像でき、ひたすら忍耐が必要だと自分自身に言いきかせていた。

 すべりの悪い窓を閉めると

「早く寝ろ。そうでないと正夢になるぞ。十数えるうちにそこらに散らばっている

物全部片づけて、さっさとベッドに入れ!」


「えっ、ゆ、夢って?」

「一、二、三……」

「わーっ、まって、まって」

「五……六……」

 大騒ぎで片づける様子をちらとながめ、目をつぶった。


「……九……十……」

 伏せていた顔を上げたのと、ベッドへすべりこんだのは同時だった。

「ふん、ぎりぎりセーフだな」

「いたっ!」とすぐさま顔をしかめ、飛び起きた。


 右額をさすりながら感心したように

「わーっ、すごいこぶ。いたいなと思ったらこぶができてるよ。いつ、こんなのができたんだろう。覚えがないや。すごいすごい。ビー玉より大きいよ。ねぇ、リシュー、どうしてこぶはふくらむの? ボク、一日に二回おやすみしたことになるの?」


「ねぇ、リシューってば……」

「パーットーッ! 俺の言うことが聞けない奴は、ロボットと交換して船から放り出すぞ!」

「は、はいっ」

 パットはおやすみなさいと言いながら、大慌てでベッドにもぐりこんだ。

「ふん、導師は廃業だ」

 前髪をかきあげ、小さく笑った。


 部屋の中は静かだった。

 川の音と、ポツポツ降る雨の音以外何も聞こえてこない。

 リシューはベッドの天板にもたれ、瞑想にふけっていた。

『危なっかしい仕事だけはしないと約束してくれないか。リラ星へは行かないと』


 ビビの言葉が思い出され、きまり悪そうに首を振った。

(悪いなおじさん。約束は破るぜ。俺は、リラへ行く。最初から決めていた旅だ。変更はできない。行かなければ俺は、自分を一生許せないだろう。たとえこの旅で命を落とす結果になろうとも、俺は、行く)

(ふん、警備が厳しかろうが、攻撃してこようが、職権乱用でもして行ってやろうじゃないか)

 らんらんと豹のように瞳を光らせながら、真正面の壁をにらみつけた。


 ふと耳をすましじっとしていると、規則正しく鳴る機械音がかすかに聞こえてくるのだった。

(何だ……雨量測定器の音じゃない。もっと別のだ。どこかで聞いたような……)

 立ち上がって探しはじめたリシューは、先程ガラステーブルの上に置いた宝石箱から音がもれていることに気づき、そっと蝶の羽根を模した留め具を外した。


 すると中に丸いてんとう虫の形をした小さな機械が点滅していたのである。

「これは、コール・ベルじゃないか! どうしてこんな所にあるんだ。ボリュームも最小にしてある。はーん、それで聞こえにくかったのか。誰がやったんだ」

 パットは、リシューの鋭い視線が自分に向けられているのがわかった。


 何かを探している時点で声をかけようとしたのだが、宝石箱を見つけてからは口を両手で押さえ、眠ったふりをしていたのだった。

「確かに箱は勝手に見てもいいと言った。だが、勝手にコール・ベルをその中に放りこんで、玄関に捨ててきたアホは誰だろうなあ。パット」


(ご、ごめんなさい。リシュー。あのやさしい言いかたがこわいよお。宝石箱は、雨の色と見くらべようと思って外に出したの。どっちもきれかったけど――黒いベルは、外からすけて見えるのかなあと思って中に入れたの。見えなかったけど――でも、音のことは知らないよ。ボク、玄関に捨てたんじゃないの。雨にぬれるといけないから、後ですぐ取るつもりで、ちょっと置いただけなの――って言いたいけど、とても言えないよお)とフェル毛布を頭からかぶったまま怯えていた。


「ふん、コール・ベルは船から連絡を知らせる装置なんだぞ。これがないと船が飛ばないから、絶対身から離すなと言っただろう。箱も、人からもらった大事な品なんだ。今度、勝手な真似をしたら承知しないからな」

(はあい、リシュー船長、ごめんなさい)


 コール・ベルの横にある白いリセットボタンを押すと、音が鳴りやんだと同時に背中についた小さな九粒の玉が点滅しはじ始めた。

 縦、横に三つずつ仲良く並んだ玉は、それぞれの色――赤、青、紫、緑、茶、白、橙、黒が五つ同時についたり、一つだけ消えたりとさまざまな色が点滅しあって語る――光の言葉だった。


 あくびをかみ殺しながら、またいつもの取るに足らない用事だろうと思い、寝そべったままゆっくりと解読していった。

「し・き・ゆ・う――至急か――の・し・ご・と・い・ら・い・あ・り――仕事依頼、誰だ? いつものなじみ客か。うんざりだぜ――り・ら・の・だ・あ・る・お・う・よ・り・で・す・す・ぐ・ふ・ね・に・お・か・え・り……」


 いいかげんな態度で口に出して読みとっていたが、急に唇をひきしめ、がばっと跳ね起きた。ピュルルと全部の色が消え、再生装置が作動した。

顔つきは険しく、今度は真剣なまなざしで光の動きを追った。

「リラ星のダール王……ダール! 間違いない」

 リシューの表情に歓喜とも、哀愁ともいえない笑顔が浮かんだ。


「パット……おい、起きているんだろう。支度をしろ。船に戻るぞ」

 リュックにすべて荷物を詰めこみ、チャックを閉めると肩から下げ、辺りを見回した。

「よし、忘れ物はないな。いや、あった」

 隣のベッドで寝ているパットの頭を人差し指でつついた。


「いいか。今から十数えるうちに起きないと、ロボットと交換するぞ。一、二」

 パットは熟睡していたのだが、頭をつつかれぼんやりと目を開けた。

「四、五」と数えているのを聞くと、条件反射で飛び起きた。


「リシュー、これは夢で見ている夢なの? ここは、どこ? ボク、何か悪いことしたの?」

 眠そうに目をこすり、大きなあくびをした。


「さっさと着替えろ。船に戻るぞ」

「えーっ、今から? 夜だし、眠いし、雨がまだふってるのに」

「パーッートォーッ!」

「はいっ!」

 パットは大慌てで服を着替え、パジャマを丸めてリュックの中に放りこみ、料理の本を小脇にかかえた。

 そして、大股で部屋を出て行くリシューの後を急いで追いかけた。


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