第一章 フォックスの憂鬱 2
宇宙空港の周りの川は、東西南北と放射線状に伸び、街の中いたるところ流れていた。
家屋はすべて川より高い位置に造られ、増水した場合は、川と岸の堺に埋めこまれた分厚く丈夫な防護壁がせり上がって、水をせき止めていた。
空港周辺はどこでもそうなのだが、様々な人種のるつぼで、いつも人々の熱気と興奮に満ちあふれ、異様なほどのにぎやかさだった。 が、メインストリートから一歩奥に入ると、がらりと雰囲気は変わる。
今にもくずれそうな暗く汚い建物の間は迷路のように道が交錯し、不気味なほどの静けさだった。
(ここだけは、いつきても変わらないな)
リシューは、ごみごみした異臭漂う裏町に目を向けた。
どんよりした重い漆黒の世界。
その中で生きる者の目は、エア・カーのヘッドライトより鋭く、ぎらぎらと光っていた。
対照的に川の向こう側にある高いビル群に住む人々は、きらびやかな光の洪水にあふれ、優雅なダンス音楽とともに笑いさざめく楽しげな声が風に運ばれてきた。
川面にゆらゆらと揺れるネオン灯をぼんやりと見つめ
(俺には、縁のない世界だな)
心の中でつぶやき、小さなため息をついた。
ふと感じた視線にすぐさま振り返り、横に飛びながら銃をかまえる。
カンの良さと俊敏さでリシューは、幾多の危険を乗り越えてきたのである。
「誰だ!」
辺りをうかがったが、遠くの方からエア・カーの風を切る音が一瞬のうちに通り過ぎ、ごみ箱のフタが転がっただけで何も起こらなかった。得体の知れない何者かが闇に潜み、悪意に満ちた殺気は痛いほど感じてはいたが。
「ふん」
ブーツの先で壁をけとばし、人がたむろする裏通りへ向かった。
雨はいつのまにか小降りになり、リシューはコートのポケットに手を突っこむと、でこぼこの坂道を大股で下って行った。
「お兄さん、寄ってかない?」
酒場街にさしかかった頃、けだるい明かりを投げかける店の前でグラマーな女性に呼びとめられたが、苦笑いをすると手を振って、大声で騒ぐ一団の脇を通り抜けた。
しばらくにぎやかな通りをうろつき、はげかかった看板の前で立ちどまった。
すでにヴェガという字も風雨にさらされ判読できなかったが、笑いながらなつかしさをこめキィキィといやな音をたてて揺れる看板をつついた。
急にリシューの表情が和らぎ安心したのを誰も知らない。
コートの中に銃を隠し、黒ずんだ狭い階段を勢いよくおりると古ぼけた扉の前に立った。
すると四方八方から熱風が来客めがけて吹き出し、雨でぬれた服等を瞬時のうちに乾かしていく。旧い型のせいか威力が弱く完全とまではいかなかったが、十分気持ちの良くなったリシューは、鼻歌を歌いながら自然にコートやズボンについたほこりを払い、しゃんと背筋を伸ばした。
「よし、行くとするか」
深呼吸をすると、やかましい音楽が鳴り響いてくる酒場へ足を踏み入れた。
耳のつんざく音と派手なライトがくるくる回るその下で人々は、思い思いの時を過ごし、大部分があやしげな密談にふけっていた。
ぶつけあうグラスや大勢のだみ声に混じって、女性たちの高笑いがさらに拍車をかけ、店内は騒然としていた。
その中、誰も店に入ってきた客に目を向ける者などいない。
ある一人の男が隣にいた男の腕を突いたのを発端に、たちまち重い沈黙がさざ波のように広がった。
ドラムの音が弱くなるにつれ、しだいに敵意むきだしの幾つもの目がテーブルの脇をすり抜けて行くリシューに注がれた。異様な静けさの中を進み、七人掛けの一つしか空いていないカウンターに座ると、そ知らぬふりで
「メグレット」と注文した。
両隣にいた客がさっさと席を立ち、そそくさと離れて行く。
「あんた、もしや……」
皿をふいていた店の主人がリシューの近くにくると、びくびくしながらたずねた。
「その、スター(銀河パトロールの別名)関係の方で?」
「あはは、俺が銀河パトロールだって? まさか、そんなんじゃねえよ。ふん、俺が入ってきたから静かになっちまったのかい。冗談じゃねえぜ。薄暗い酒場は密談に適した場所だって昔から決まってるんだ。遠慮なく続けなよ」
一同にきこえるように大声で叫んだ。そう広くない店内に、リシューの言葉は危険をともなって隅まで届いた。
「ス、スターのお客さん、悪いことは言わねえ。早く出て行った方が身のためだ」
すでに音楽も鳴りやみ、今にも目つきの悪い連中が銃を抜きそうな気配に、マスターは声をふるわせた。
「いや、違う。俺は」
額にかかる前髪をかきあげ、苦笑いをした。
「ビビおじさん、忘れたのかい。古いなじみ客だぜ。俺は」
「残念だが、あんたみたいな偉い人とは縁もゆかりも……ん、どうしてわしの名を知っておるんじゃ。親しい者にしか教えていないはずだが……はっ!」
黒く大きな澄んだ瞳と、人なつっこい笑顔に彼はなつかしい記憶を甦らせた。
「ま、まさか、あの小さかったリシューなのか?」
「ああ、ビビおじさん。久しぶりだな」
「リシュー!! 大きくなったなあ。すっかり見違えたよ。背だってわしをはるかに越えて。こどもが大きくなるのは早いもんだな。わしも年をとるはずだ。わっはっはっ」
大声で笑い太めのお腹をテーブルにくっつけながら手を伸ばすと、愛情をこめてリシューを抱きしめた。肩をたたき再会を喜ぶ様子に、高まっていた緊迫感がとけ
「なんだ、知り合いか」
「ちえっ、驚かしやがる。てっきりスターの奴だと思ったぜ」
他の客たちは安心したように銃を元に戻し、それぞれの話や計画に没頭し始めた。
再び店内はにぎやかなはしゃぎ声と、騒々しい音楽に包まれた。
「しかし、なつかしいのう。こうして会うのは何年ぶりだろう。今いくつになったんだ?」
「十九になった」
「そうかそうか。いつも親父さんの後をくっついていた子がなあ。それで、親父さんは、ふとっちょジムはどこにいるんだ? お前さんたちはいつも一緒だったからね。近くで仕事があった時は、必ずわしの店に寄ってくれた。今も覚えているよ。ほら、昔親父さんに内緒で紫竜を連れ帰ったことがあっただろう。突然カバンの中から飛び出してきた時は、体中が縮みあがったよ。わしゃあ、ああいったぬるっとした生き物は苦手でね。恐ろしくてこのテーブルの下でふるえていたもんだ。それもネズミくらいの赤ちゃん竜だったのにな。わっはっは」
「ああ、だけど羽はしっかり生えてた」
「そうだそうだ。おまけに鳴き声がすごかったな。後でいいもの見せてあげる、とこっそり教えてくれた時はどんないいものかと内心楽しみにしていたんだよ。だけどばれた後でえらく親父さんに怒られただろう」
その時、殴られても泣かずに歯を食いしばって竜を抱いていたリシューの姿が目に焼き付いて離れなかった。ドラム缶をひっかいたような鳴き声とともに。
「よく覚えているな、ビビおじさん。ずいぶん昔の話なのに」
「ははは、まあな」
ビビは缶に立ててある棒キャンディーを渡し、食事を用意する間軽く食べるかとサンドイッチを目の前に置いた。
「ここ数年姿が見えなかったから心配していたんだよ。もっともお前さんたちのことは、いろいろと噂が流れてきたから元気でやっているんだなって、安心はしていたがね」
客の一人が今流行りのムーンウィスキーを注文したので、慣れた手つきでグラスに注ぐとテーブルの上をすべらせて渡した。
「ここへは一人できたのかい? ふとっちょジムはどこにいるんだ?」
「……親父は……」
「うん?」
「もういない。おふくろの隣で、花に囲まれて眠っているよ」
「ええっ、な、何だって!? い、いつのことだ?」
「二年前に……」
「何てこった!」
言葉を失うと力なく椅子に座りこみ、呆然ととしたまま人の良さそうな丸顔に、深い悲しみの表情を浮かべた。
しばらくの沈黙の後、つぶやくように
「病気で、か?」
「ああ。一種の宇宙病だった。気づいた時にはもう手のつけようがなくて。ただ、見ているしかなかった」
「そうか……ちっとも知らなかったよ。元気にやっているものとばかり思っていた。気難しかったが、根はいい奴だったな。わしは、ふとっちょジムが好きだったよ。あいつは、あんな仕事をやる人間ではなかった。もっと別の生き方を選んでいれば、もっともっと楽しい人生が送れたはずなのに」
年老いた小さな目をしばたたかせ、しわしわになったタオルで何度も涙をぬぐった。
――それは、自分の妻の医療費を稼ぐためだったが、その件は父が口にしなかった以上、あえて語るべきではないと判断し、リシューは黙っていた。
頬杖をつくと、優しく微笑みながらその姿を見守っていた。
「すまんな、リシュー。一番辛いのはお前さんなのに」
「ううん、おじさんだけだ。親父のことそんなふうに言ってくれるのは。ありがとう」
ビビは、静かにごま塩頭を振った。ふと何かを思い出したように声をひそめてたずねた。
「じゃあ、お前さんが――フォックスの名を受け継いだのかい?」
「ああ。暮らしていけるだけの仕事はしてるよ。俺なりにね。胸くそ悪い連中の仕事は別だが」
「そうか……それで納得したよ。店の客が不思議そうに話してた。近頃のフォックスは、以前と比べて仕事を頼んでもほとんど断ってくるし、金のもうからないことばかりやっているってね」
ビビは気をとり直すように立ちあがると、きれいに拭いたグラスを棚に並べ、奥の冷蔵庫からカチンカチンに固まった肉を出して料理を始めた。
「どうだ、これは直送の代物だぞ。船の旅が多けりゃまともな物も食っておるまい」
「あはは、ありがたい。船のコック長は肉嫌いで困っていたんだ」
「何だ、ロボットでも買ったのか?」
「まあね」
リシューは、ウィンクするといたずらっぽく笑った。