第ニ話
私が異世界へと転生してから数年の月日が流れた。
私は今、お屋敷で暮らしている。と言っても、裕福な家庭に生まれた訳ではなかった。寧ろ生きていくのがやっとの生活だった。というのも私の家族は母親だけだった。父親は分からないし、兄弟達とは生き別れとなってしまっていた。
母は一番幼い私だけを連れて彷徨っている所をこの屋敷の奥様と出会い助けて貰い、あまつさえ屋敷に住ませて貰える事となったのだった。
「ミルちゃん、ごはんですよ」
私は今世ではミルという名であった。畏れ多い事に、奥様が熱心に私の世話をしてくれる。とても愛情深い奥様の事を私は大好きなのである。
「お母様、ミルのご飯はそれでは少なくないかしら」
私のご飯に口を出して来たのは奥様の娘、つまりこの屋敷のお嬢様だった。彼女は私の事を妹の様に可愛がってくれている。
『私はこれで充分ですよ』
安心して眠れる環境と、お腹がすいてひもじい思いをしなくて済む事だけで、感謝してもしたりない程の恩なのである。
「ほら、ミルちゃんもこれ位で良いって言っているじゃない。それに、貴女がどうせおやつを沢山あげてしまうじゃない」
「ええっ、そうですか。でもそれは、お母様がいつもおやつを沢山用意するからですわ」
奥様とお嬢様は互いに顔を見合わせた。食卓には楽し気な笑い声が響き渡った。
この様に、今の私は沢山の愛情に囲まれて幸せに暮らしているのでした。
▽▼▽
それから更に数年の時が経過した。
「お母様、ミルの姿が見当たらないのだけれども」
「きっと、お散歩にでも出掛けているのでしょう」
お嬢様が私を探しているようでした。奥様の言う通り私は町へと出掛ける所だった。
『行ってきま~す』
私は大きな声を出した。お嬢様が私を気にしておられる以上、黙って出掛ける訳にもいかないからだ。
「あっ、ミル! やっぱり出掛けるのね。気を付けて行ってらっしゃい」
お嬢様のお見送りを受けて、私は元気いっぱいに外へと飛び出していった。降り注ぐ日差しが心地よい。
気分良く歩いて行く。ここいらは、同じ様な大きさのお屋敷が続いて行く。庭に大きな木がある家が多く適度に日差しを遮ってくれるので、少し早歩きをしても汗ばむ事もなかった。その調子で進んで行くと、段々家の間隔は狭くなっていき、代わりに通りを行きかう人の姿が増えていくのだった。
『ここは、雑貨屋さん』
お店の中には多種多様な商品が陳列されているが、私は入った事がなかった。店頭に置いてある豚の置物はちょっと怖いので、離れた場所を歩く。決して、そちら側を見ないようにして、何とか通り過ぎる。
『ふぅぅぅ』
無事に雑貨屋を過ぎて一息つく。香ばしい良い匂いが漂って来た。
『ここは、パン屋さん』
「あっ、ミーちゃん。これ、食べなさい」
パン屋のおばちゃんは、いつも私に残り物のパンをくれるのだった。
『うん、美味しい! ありがとね』
私が食べ終えて満足していると、おばちゃんは私の頭を撫でてくれる。この時間も、私の大好きなひと時である。
「また、いつでもおいでね」
おばちゃんに見送られて、私は後ろ髪を引かれつつパン屋を後にするのだった。
『ここは、お魚屋さん』
「なんだ、ミー助か。お前にやるものは、何もないぞ」
私がお魚を見ていると、魚屋のおっちゃんが私の前にしゃがみこんだ。
『助って何よ! レディに向かって、失礼しちゃうわね』
「おっ、怒ったのか? わりぃわりぃ。母ちゃんには内緒だぜ」
おっちゃんは口は悪いが悪い人間ではない。最初に会った時も刺身をご馳走してくれたのだ。それをしっかり者の奥さんに目撃されてしまい、犬も食わないものが始まってしまったのも今となっては良い思い出だ。
「あんた! 何やっているんだい」
そんな事を思っていると、店の奥から、おっちゃんの奥さんが現れた。
「また、ミルちゃんに勝手に食べさせて!」
『ごめんなさい』
奥さんの余りの剣幕に、私は涙目で謝罪した。
「ああ、ごめんよ。ミルちゃんを怖がらせるつもりは無いのよ。ほら、安心してお食べ」
そう言うと奥さんはおっちゃんの耳を引っ張って奥へと連れて行ってしまった。
「全く! ボレデュもいつも何かしら食べさせているのよ。あなたまであげたら、夕飯が食べられなくなってしまうでしょ。自分が良い格好したいからって、よそ様の家に迷惑になるような事はダメよ! 分かりましたか」
説教が終わると、二人で戻って来た。それからは、奥さんが中心に遊んでくれる。今日は運動が多めだった気がする。
『それじゃあ、そろそろ行くね』
メリハリのある愛情をくれる、お魚屋の夫婦も私は大好きなのだ。しかし、いつまでもこうしている訳にもいかないのである。
「おう、またな」
「いつでも、遊びにいらっしゃいね」
人々の優しさに触れながら、私は今日も通りを駆けて行く。目的のあの場所へと向かって。
そこは、今までの場所と比べると生息している人達のガラが悪い。昼間から飲んだくれている者もいたりするのだ。がっしりとした体躯の粗野な者が殆どだ。何を隠そうここは冒険者ギルドなのだから。
『ねえ、エクテーク。私も冒険者になりたいの。お願い』
「あっ、ミー子。また来たの。何度来てくれても、あなたは冒険者登録する事は出来ないのよ」
冒険者ギルドの一服の清涼剤である、受付嬢のエクテークへ今日も今日とておねだりをする。
「私は、仕事中なの。邪魔になるから、あっちへ行ってね」
エクテークは私の秘技『上目遣い』にも動じる事なく、軽くあしらわれてしまった。
『もう、分かっているわよ。冒険者登録は15歳以上でないのは。でも、そんなに待っていられないわ』
エクテークは接客に入ってしまい、私にはもう構ってくれなかった。受付には次から次へと人がやって来る。仕事の斡旋をしたり、完了した仕事の依頼料を支払ったり、素材の買取や薬などの販売等々受付のやる事は沢山有るのだから。
『私、やっと魔法が使いこなせるようになったのに』
私のぶうたれた声は、目まぐるしく仕事をこなしているエクテークには届かないのであった。