第一話
私はその日トラックにはねられた。しかし、トラックはそのまま行ってしまったのだった。所謂ひき逃げというやつだろう。
恨めしい気持ちは有るものの、とにかく全身が痛い。もう痛くない所が無いと言っても過言ではない。このまま寒空の下で孤独に虚しく死んでいくのかと考えると、私の人生は一体何だったのだろうかと思ってしまう。
悲嘆に暮れていると、偶々通りかかった人の善意によって私は病院へと行く事が出来たのだった。そこで何かを注射されて、体の痛みは徐々に引いて行った。だがそれでも、自身の命の終わりが近い事を私が一番分かっていた。
人の温もりを感じながら、痛みも無くただ眠気だけが私にのしかかって来た。死をこんなにも安らかな気持ちで迎える事が出来るなんて、必死にもがいて生きていた頃には想像も出来なかった事だった。
心臓の鼓動が徐々にゆっくりとなり、そしてついに止まった。程なくして私は意識の最後の一欠けらも手放し、温かな暗闇の中へと沈んで行ったのだった。
次に意識が覚醒した時には、私は真っ白な空間を揺蕩っていた。
『あれ? 私は確かトラックに轢かれて死んだはずじゃ』
間違いなく私は迫り来る死と共に旅立った筈だった。訳が分からずに戸惑っていると、目の前にぼんやりと光る人の姿が浮かび上がってきた。
『うひゃい』
驚いた私は後ろへと吹き飛んだ。表現がおかしく感じるだろうが、確かに吹き飛んだのだから仕方がない。
『まあ、驚かせてしまったみたいで、ごめんなさいね。さて、私は転生を司る女神です。結論から申し上げますと、あなたはとある神のちょっとした手違いで命を落とす事になってしまいました。その尻……コホン、お詫びとして私の司る世界へと転生させてあげる事に致しました』
『転生? どういうことですか。死んだら土に還り、自然の一部へと戻るのではないのですか』
天涯孤独の私が理解している死というものはそういうものだと思っていた。
『ええ、確かに肉体的にはそうなのですが、精神的には違います。魂は役目を終えた肉体を離れます。そうして彷徨いながら次の命を求める旅に出るのです。差はありますが数十年から数百年の時を経て、自身に適合する新たな命を見付けるのです』
『はあ、それは大変そうですね』
私にはその時間があまりにも膨大に思えた。その過程で今の記憶とかも薄れて行ってしまうのかと納得したのだが。
『いえ、違います。新しい肉体へと宿る過程でエネルギが必要になるのです。そのエネルギーの基になるのが記憶という訳です』
『えっ、女神さまって心も読めるのですか』
私がどん引きしていると女神は得意げに胸を張っていた。
『女神ですから』
私は生まれて初めてどん引きの先を経験したのだった。
『それで、全部忘れてしまうのですか。何だか寂しいです』
死の間際に感じた温もりと安心感に、私は心からの幸せを感じたのだった。それを手放さなくてはならないというのはどこか切ない気持ちだった。
『それでしたら、記憶は残して差し上げます。エネルギーはこちらで何とかしますから心配しないで下さいね。所謂、転生特典というものですわね』
私には女神の言っている事の意味が良く分からなかった。ただ、内容としては転生先の言葉を理解出来る能力と最上級の魔法適正を与えてくれるとの事らしい。どうやら女神の管理する世界は剣と魔法のファンタジー世界というものだそうだ。
『最後に種族はどうなさいますか。エルフやドワーフなどがお勧めですよ。レアな所で言えば魔族なんかも良いですよ』
『今のままというのはダメですか』
私の今世は短い物だった。だからだろう、もう少しこのままでいるのも悪くないと思ったのだ。
『そ、そうですか。ちょっと苦労するかもしれませんよ。それでも構いませんか』
私は静かに頷いた。苦労する事には慣れている。多少の苦労は人生を彩るスパイスであると誰かが言っていた気もするしね。
『それでは、あなたは今から転生します。新しい生に幸多からん事を』
女神の祝福を最後に、私の意識は再び闇の中へと帰っていったのだった。