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りんどう  作者: ハッカビ
4/15

 「今日もK帰ってこなかったね」

 と台所に立つ母のそばに立ってトモヤが悲しそうに言った。

 「そうねえ、もうKがいなくなってからだいぶたつわね」

 Kが我が家から姿を消してから、気づけばかれこれ二週間くらい経っていた。リビングの壁際に置かれたKのトイレは、Kの失踪後に綺麗に掃除され、その後新しい砂を入れられていないままだった。

それは寒空の下で開け放たれた窓のように寂しそうにみえた。


 慌ただしく巡る毎日の中で、Kがいないことを気に掛ける時間は段々と減っていっていた。

それはまるで砂時計の砂が落ちるようで、さらさらと私達の日常から彼の存在は抜け落ちていった。

ただ一人、トモヤだけが毎日何度もKのことを話題に出し、その間だけ、私たちの砂時計はせき止められていた。


 トントントン、と包丁が立てる心地良いリズムが三人のいるリビングに響く。その音を聞きながら、私はテレビの前に置かれたソファに座って特に用もなくスマホをいじっていた。

 「ごはんできたよ」

 お母さんが出来上がった料理を食卓の上に並べ始める。

おいしそうな匂いとともに、ごとっと、料理がのせられたお皿が食卓に置かれる温かい音が響く。

私も携帯をソファに放り出し、立ち上がった。

 「やったあ。僕の大好きなお魚だ」

 トモヤが台所からお皿に盛り付けられた焼き魚を食卓に運びながら嬉しそうな声をあげた。今日の夕食はサバの塩焼きだった。

 トモヤは年に似合わず何故かサバが大好きだった。一般的な小学生なら、好きな食べ物はハンバーグや唐揚げと答えるだろう。けれど何故かトモヤは渋いものばかりを好んで食べた。彼は子供っぽいのか大人びているのかがよくはっきりとしない所がある。

 そう言えばKもサバが大好きだった。

二人とも魚の食べられる所は全てペロリと食べた。

小さな骨も、魚の皮も残すことはなかった。

トモヤは、魚の一番美味しいところは皮だよ、とそんなことさえ言った。

Kもサバが出された時はいつも以上に時間をかけ、全てを味わい尽くすようにして食べた。

恐らく、サバが何日も続いて食事に出されたとしても、彼は飽きることなく大事に一匹一匹を味わい尽くすだろう、そんな愛情のある食べ方だった。

 トモヤとKの食べっぷりを見ながら、私達大人は、「トモヤとKは本当にサバが好きね」と食卓で半分感心、半分あきれながらよく話したものだった。

箸を並べながら私はそんなことを思い出していた。 

そんなに昔の話ではないのに、Kと過ごしたその日々が随分とノスタルジックな色彩を帯びていた。


 食事の用意が整い、私達三人は食卓の定位置に座った。

 「いただきます」

 と手を合わせる。味噌汁を一口飲む。ああ、ほっとする味。

我が家の味噌汁は定食屋のそれより薄味だ。

それはいつも変わらず優しく体に染みわたった。今日の具はわかめと豆腐である。

 「Kはいつ帰ってくるのかな」

 トモヤは味噌汁に目を落としながら言った。

しつこいな、またKの話か、と少し私はいらだった。何だかもう、Kの話はうんざりだった。

 「さあね」

 と私はそっけなく彼に言った。

 「やっぱりもう寿命が近かったからどこかに行ってしまったのよ。Kはいないけど、彼のためにお墓を作ってあげましょう。」

 と母がお茶椀を片手にトモヤに言った。

母もKがいないことをいつまでも話題にするトモヤに少し苛立っているようだった。


 毎朝仕事前にきちんと束ねられている艶やかな彼女の髪の毛。今それは少し乱れていた。

 Kのお墓を作ろうという母の提案は、トモヤに踏ん切りをつけさせるためだろう。

トモヤがこれ以上Kのことを引きずらないように、もう私達にその話題を出さないように。

 「確かクッキーの入ってた空き缶があるから、トモヤと一緒に庭にお墓を作ってあげて。Kへの手紙とかをそれに入れて埋めてあげるといいわ」

 と母は私に言った。


 夕食が終わり、食器を流しに運び終えて、私は自分の部屋にK宛ての手紙を書くための便箋を取りに行った。

確か、使っていない便箋が自分の机の引き出しの奥にあるはずだった。

長いこと誰にも手紙を書いていないせいで、その記憶に自信はない。

 しかし、思った通り便箋は引き出しの奥にあった。

ごちゃごちゃと無造作につめこまれた文具の奥から、まるで新芽のような淡い緑色の便箋セットが出てきた。

便箋セットを包んでいるビニールは開いており、何セットか使われた形跡があった。その便箋をみていると、様々な思い出がさざ波のように寄せ上がってきた。

 確かこれは中学生の頃に、当時仲の良かった友達と文通にはまり、その時に買った便箋だった。

文通といっても、郵便には出さず、お互いの学校の下駄箱に直接入れ合った。お互い携帯電話を持っていたし、学校でも会っていた。それでも私達は手紙を書き、互いの下駄箱に入れ合った。

手紙を書いて下駄箱に入れておくという行為は、メールでワンタッチで送信してしまうよりもどこか特別で、わくわくしたのだ。

書いた手紙を朝に友達の下駄箱に入れる、友達からの返信が翌日以降に自分の下駄箱に届く。今日は手紙が入っているかと毎朝下駄箱を開けるのが楽しみだった。

手紙が入っていた日は、我慢できずに一時限目の授業中に先生の目を盗んで読んだ。にやにやしながら、何回も何回も繰り返し読んだ。

手紙の内容は、至って平凡だった。近代の偉人たちのように政治的な議論や芸術に対する意見なんかでは全くなかった。クラスや部活の出来事とか、当時気になっていた隣のクラスの男の子の話ばかりだった。

私達は普通の女の子だった。

 文通は私達にわくわくと深い繋がりをもたらした。他の友達よりも特別な友達関係を結んでいるように感じられた。それがとても嬉しかった。

しかし、受験シーズンが訪れると、勉強に追われ、いつしかその文通も途絶えてしまった。最後どのような手紙で幕を閉じたかは覚えていない。

その文通していた友達とも、高校が離れると同時に疎遠になった。それ以来私は一回も誰に対しても手紙を書いていなかった。


 便箋セットをもって食卓へと戻ると、トモヤはテレビの前で立ったまま、ぼんやりとバラエティ番組を見ていた。

 「Kへのお手紙を書こう」

私はトモヤにそう声をかけると食卓に座った。

ビニール袋から便箋セットを二組取り出した。新芽のような緑色。トモヤも私の隣の席に座った。

 「あ、ペン持ってくるの忘れた」

 「ぼく、えんぴつあるよ」

 と言ってトモヤが椅子から立ち上がり、床に置きっぱなしのランドセルから筆箱を持ってきた。今年の四月に両親に買ってもらった青い筆箱だった。

 「ありがとう」

 トモヤから先がまるまった鉛筆を受け取る。鉛筆に描かれた戦隊もののキャラクターが剥げて消えかけていた。

トモヤも自分の分の鉛筆を取り出して椅子に座った。

 「じゃあ、書こうか」

 「うん」

 トモヤは便箋に前のめりになると、すぐに何やら一生懸命に書きだした。

早いな。

私はそんなトモヤを横目で見ながら、何を書いていいかさっぱり思いつかなかった。とりあえず手紙の最初の行に「Kへ」と書いた。

久しぶりに鉛筆を握ったからか、少し小さくてか弱そうな字になってしまった。

 書き始めはどうしよう。私は考えながら、キッチンで食器を洗う母の姿をぼんやりと眺めた。

手紙を書くのは久しぶりだった。


 私が何も書き出せないでいるうちにトモヤは手紙を書き終えたようだった。彼は書き終えた手紙を前に、とても満足そうな顔をしていた。

 隣から彼の手紙を覗くと、大きな元気のよい文字がたくさんつらなっていた。筆跡は強め。 

 手紙の最後には、Kを含めた家族全員の似顔絵まで書いてあった。

私達家族四人の似顔絵は、微笑むKを囲むようにして描かれていた。

 「折り紙持ってくる」

 トモヤは椅子から立ち上がり、自分の部屋へと走っていった。折り紙で何かを折って缶に一緒に入れるつもりなのだろう。花でも折ろうかな。

沢山花でも折って缶に敷き詰めよう。そうすれば、棺っぽくなる。棺に花は付き物だ。うん、ちゃんとお墓っぽい。

 私は自分の便箋に向きなおった。不思議にも今度は鉛筆がすらすらと動き、すぐに書けてしまった。

 私がちょうど手紙を書き終えた頃、トモヤがリビングに戻ってきた。彼の手には折り紙がなかった。

代わりに彼は自分の宝物箱を持っていた。

その箱の中には、トモヤが大切にしているアニメのフィギュアや旅行の際に拾った綺麗な石やらが入っているのを私は知っていた。


 「Kにぼくの宝物をひとつあげることにした」

 と彼は言った。

そして、食卓に座ると、箱からひとつひとつ宝物を取り出して、「これあげようかな、でもなあ、どうしようかな」と一人でぶつぶつ言いながら選別を始めた。

 Kに宝物をあげるのか。缶にその宝物を入れて埋めるのだろうか。別に折り紙でいいのに。

 「Kはどこで死んでしまっているかもわからないし、別にトモヤの宝物はいらないと思うよ。折り紙で一緒にお花を折ろうよ」と私は彼に声をかけようと思った。

けれど、トモヤがあまりにも真剣にKにあげるものを選んでいるので、口に出すのはやめた。

邪魔してしまうのは何だか忍びなかった。彼の好きにさせよう。

 私は、トモヤと自分が書いた手紙をそれぞれ違う封筒に入れて名前を書いた。

 トモヤのプレゼントの選定はなかなか終わらなかった。

私は特にすることもなかったので、自分の封筒の端に小さくハートを書き、内側を黒く塗りつぶした。


 トモヤを見ると、彼は沢山ある宝物の中から、押し花にしてある四葉のクローバーを取り出し、じっとそれを見つめていた。

いつか家族で訪ねた大きな公園で、トモヤがみつけたものだった。

彼がこの四葉のクローバーを見つけた時、私は彼に、「それは幸せを運んでくると言われているんだよ」と教えてやった。

彼はそれを知って、とても喜んでいた。「しあわせをはこんでくれるものをみつけた!」と。

欲しかったおもちゃを買ってもらった時よりも、何よりも嬉しそうだった。彼は占いや迷信を信じるタイプらしい。

 幸運を運ぶ幸せの四葉のクローバー。

彼がとても大はしゃぎして大事そうにしていたので、彼がずっと持っていられるようにと、母はそれを押し花にしたのだった。それ以来、それは彼の宝物箱の一員となっていた。

 「これ珍しいし、幸運を運んで来てくれるやつだし、Kも喜ぶと思う。これにする! これをKにあげる! ぼく的には、あげたくないんだけど、Kのためだし。あげちゃう! K喜んでくれるといいな」

 と彼は愛おしそうに言った。

 私は驚いた。私は宝物箱の中で、彼が一番それを大切にしていることを知っていた。

 「え、本当にそれあげちゃうの? トモヤがずっと大切にしてたやつじゃん」

 と私は彼に言った。

私は彼を諭そうとした。その自己犠牲は無駄である、と。

 「うん。すごく大切にしてたんだけど、Kにはあげたい。Kには天国で幸せになってほし 

 い」 

 「Kは天国で幸せになれるよ、トモヤがそれをあげなくたって」

 「うん。でもあげるの。これ、すごくきれいなものだから」

 私がいくら言っても、トモヤはそれをKにあげると言って聞かなかった。

私は彼を説得することを諦めた。

彼の物だし、彼が好きにすればいいか。けれど、何だか府に落ちなかった。

別に自分の物でもないし、彼がそれをどうしようが私には関係がない。そうわかってはいるのに、何故だか彼にやめろと言いたくなっている私がいた。

大切なものをKにあげたいという彼の気持ちが理解できなかった。いや、理解できないわけではない。でも、Kは実際にはそのプレゼントを受け取らない。Kはどこに行ってしまっているのかも、生きていることすらもわからない。缶に入れて埋めてしまうなんて、それは捨てることとほぼ同じだ。しかも、Kは猫である。Kは猫なのだ。もし仮に、Kが直接それを受け取ったとしても、それもそのクローバーを捨てることと同じことだ。

Kにとって、そのクローバーは何の意味も持たない。Kにとっては、それは何の意味も変哲もないただの草だ。だってKは猫であるから。

 私はトモヤの行動に訳なくイライラした。

そしてイライラすればするほど、そんな自分に傷つく小さな自分がいることにまだ気がついていなかった。

 私はその幸せを運ぶ四葉のクローバーをトモヤの封筒に入れて封を閉じた。

そして、母が用意してくれたクッキー缶に私達の手紙を入れた。

それはA4サイズくらいの缶で、手紙二通だけには少し大きすぎた。

 トモヤはその缶の蓋に、でかでかと黒のマジックで「Kのはか」と書いた。幼く力づよい筆跡。

 缶はピンクと水色で彩られ、クマのキャラクターが缶のあちこちで、楽しそうに踊っていた。


 私達は、庭に通じる窓を開けて外に出た。

水分をたっぷりと含んだむわっとした空気。空を見上げなくても分厚い雲が重たく私達の頭上を覆っているとわかる。

 私とトモヤは庭の隅に植わっている柿の木の下に、この缶を埋めることにした。それはこの狭い庭に植わっている唯一の木だった。

私たちがここに住む前に住んでいたおばあさんが植えたものらしかった。

特に邪魔というわけでもなかったため、両親はその柿の木ごと、おばあさんの死後空き家となっていたこの家を買いとったのだった。


 特別な世話をしていないのにも関わらず、今年もいくつかの青い柿の実がなっていた。毎年、毎年この木は実をつける。

私はこの柿の木の実を食べたことがない。鳥たちがどこからかやって来ては毎年落ちた実をついばんでいた。

 二人でスコップで穴を堀る。

何も考えずにただ漫然と掘っていたら、結構な深い穴になってしまった。

その穴の中に缶を入れた。

 缶を入れた穴を埋める前に、

「Kありがとう、ばいばい」

 とトモヤが缶に声をかけた。

私も、

「ありがとう。じゃあね」

 と声をかけた。

 穴を埋めて元通りにし、トモヤが傍に落ちていた緑の葉っぱを二枚、埋めた場所の上に置いた。

私達はしゃがんだまま、それに向かって手を合わせた。


 トモヤはそれ以来、Kの帰りを口にすることはなくなった。私達の砂時計は滞りなくさらさらと流れた。


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