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博愛主義者優子とその恋人  作者: 川光俊哉
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(5)

 優子の恋人は見たものをつつみかくさず説明した。ふたりは夜のコンビニ前をぐるぐるし、やがて路上へ、中華屋、ビデオ屋、音楽スタジオ、駐車場を通過した。歩きながら話していたのだ。

 ふたりは歩き、順調に恐怖と衝撃は希釈され、ややたのしい気分にすらなってきた。彼は、その気分にふさわしいふたりの思い出を語りはじめる。

私「水族館、覚えてる」

優子「知ってる」

私「いや、おれと行ったのを」

優子「覚えてない。でも、行ったんだ」

私「もういいよ。じゃあ聞いてくれよ」

優子「ペンギンは好きなんだ」

私「ああ、そう。ペンギンも出てくるよ」

優子「え、どこどこ」

私「おれの話のなかに」

優子「ペンギンを飼ってる人がいてね。もう、溺愛してて、まくらにして寝たり、ハンガーに吊るしてあげたり、ティッシュでくるんだり、辞書のしおりにしたり、ドライヤーのコンセントをなめるのをしかったり、逆立ちしたそうだからさせてあげたり、電子レンジの上に転がしたり、猫とけんかさせたり、念入りにブラッシングしたりしてかわいがってたんだ。

 でも、日本って暑いし、湿気はあるし、そんなにかまってたらそれ自体がペンギンのストレスになって、だんだん元気がなくなってきたのね。

 ペンギンを飼ってる人の友達が、

友達「おまえ、かわいそうだろ」

人「かわいいよ」

友達「本当にペンギンがかわいいなら、ペンギンのためを思うなら、動物園につれていくんだ」

人「そうだな。ありがとう」

 数日後、その友達がペンギンを飼ってる人にまた会ったの。

友達「言ったとおりにしたか」

人「ああ。あの子、よろこんでたよ」

友達「よかった」

人「今度は、水族館につれていくよ」」

私「おもしろい」

優子「本当に」

 彼は笑ってみせた。そして、ペンギンを飼ってる人が友達の忠告を誤解して、つまり動物園を愛玩動物ペンギンのあるべき場所、現代日本においてもっとも適切な生息地ではなく、ほとんどそれとの原初的一体感を享楽している移行対象ペンギンとの単なるデートコースとして認識して、洒蛙洒蛙然と、よろこんでたよ、と、しかも、あの子、と言いはなった、そのすれちがいぶりが、おもしろうてやがてかなしきペンギンを飼ってる人とペンギン、とでもいった悲喜劇を見事に現出せしめており、第一声で、おもしろい、という感想を優子にはなったが、いまは、せつない、と思っている、と優子に具体的な感動の内容を熱弁してみせた。

 優子の恋人は、優子を納得させたことに安堵して、自分が切りだした話題であることを忘れていた。実は、そんな気もしたが、

私「ところで、また水族館の話なんだけど」

 などと急激な方向転換、ほとんどヘリコプターの旋回かねじの回転で、会話の焦点を引きもどすのはいかにも傲慢で、本能を出しすぎで、まるで余韻を切り裂くようで、A4コピー用紙のように簡単にまっぷたつにできる程度の余韻しか残せない感動本体だったと言っているようで、自己中心的で、その中心軸が彼で、むりやり一八〇度ぶんの円周を振りまわしてしまっては目をまわし、見当識をこの霧のなか、完全に喪失して、

優子「はあ」

 などと語尾をつりあげて、しょうちゃん人形のおなかを押せば出るような音声で、虚無的な返事を頂戴するだろう。なに、なんで、なにが、どうして、どこ、誰、すべての意味をふくんだその一声に彼は泣きたくなる。

 安堵したあたりで未練は飲みこみ、思い出も一旦保存しておいたのはいいが、ふたりは道に迷っていた。人がいた。おっさんらしかった。かかとを合わせて開脚している、その菱形がくっきりと浮かんだ。

優子「道を聞いてもいいですか」

おっさん「あん」

優子「工事現場はどちら」

おっさん「まっつぐ」

優子「ありがとうございます」

 いくつか腑に落ちない、確認するか説明を求めたい瑣末なこと、きわめて重要なことが一度に彼の胸中で結晶したが、それをつまぐって数えあげる余裕などなく、優子の手をにぎって走った。逃げたのだ。おっさんが追いかけてくるから。

 おっさんの足音は重篤の不整脈的で、音量もリズムもでたらめで、きっとまっすぐ、

私「なんでおっさんは、まっつぐ、とか言ったんだ。江戸っ子か」

 まっすぐ進んでもいないと思う。たぶん、かなり離した。振り返ると、おっさんはたおれていた。電柱二本、はさんでいた。呼吸をととのえながら、いつでもまた逃げだせるように足腰を緊張させていた。おっさんとアスファルトのすきまから牛乳のごとき白い汁がにじむ。さらさら、小川のような清冽な流れを形成して最寄りの溝に吸いこまれていくが、どこまでも白かった。見ているうちにおっさんが崩壊、ちょうど雪だるまがほがらかな朝日を浴び、自重に耐えきれなくなった瞬間のように、壊滅して、その破片が牛乳そのものになった。

優子「どうしたの」

私「おれが」

優子「え、うん」

私「まず、状況では」

優子「じゃあ、それでいい」

私「まずね、立ちしょんしてるおっさんに話しかけるなよ。酔っぱらってたのか、江戸っ子なのか、まっつぐって言うし、あと、小便がまっ白だった。おかしいよ、さっき酔いつぶれてたおっさんも変だった。あと、なんで工事現場にいく道を聞いたの」

 やや、まくしたてすぎた。だが、優子の恋人は後悔しなかった。ずいぶん優子の恋人をやっているが、これらの疑問、おかげさまで量的にはぜんぜん余裕なのだが質的に、許容、抑圧しきれるものではなかった。

優子「もういい」

 優子はすねた。

私「それはおかしい」

 と思ったが、今度は口にしなかった。

私「せめて逆上しろ。分かんない、とか」

 とも思った。

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