出発前に
ウィリアムの色気のある瞳が他の女性を映す
いつもは自分に向けられる優しい瞳
いつも宝物のように優しく包んでくれる温かい手が…
「いやっ! ダメ!…っはぁ、はぁ」
エルサは自分の声で目を覚ました。
先程の光景が夢であったと安堵するとともに、納得させたはずなのに不安が大きくなっている自分の至らなさにギュッと手を握る。
「エルサ様、大丈夫ですか? かなりうなされていましたが。呼んでもなかなか目を覚まさなかったので心配しました。儀式の部屋には私もついていけませんし、もし体調が悪いようでしたら延期されては?」
侍女のミーナが心配そうにベッドに果実水を持ってくる。
「ありがとう、大丈夫よ。少し緊張しているだけだわ」
冷たい果実水で頭を切り替えたエルサは準備を始める。
結局ウィリアムとは儀式の為に前倒しした執務や公務が重なり、あの日以来会えずに当日の朝を迎えてしまった。
この間エルサは病院や孤児院への視察や儀式の勉強、公務で必要な外国語の勉強など精力的にこなした。
だから、誰も気が付かなかった。
エルサが妄想で掘った穴から聞こえる小さな小さな泣き声に。
儀式の為に領地の教会に向かう前に、王宮で王との謁見がある。
その控室で先に待っていたウィリアムは、エルサを視界に入れた途端に氷のような表情が溶け、愛おしそうな炎が瞳に映る。
しかし
「すまない、少しだけ二人にしてくれ」
早足でエルサの方に向かうとそのまま横抱きにして控室と繋がる隣室へと歩きだしてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください! いくらエルサ様に会えなかったからと言って、謁見前ですよ! 慎んでくださいっ」
突然のウィリアムの行動に側近であるニースが慌てて止めにはいる。エルサとしても、あまりに急な行動に声が出せない。
「大切なことだ! 時間までには戻る」
珍しく声を荒げ、真剣な目で言い放つウィリアムにハッとしたニース。
長年一緒にいる乳兄弟だからこそ何かがあると察し、制止するのをやめた。
「お時間の前にノックします」
それだけ声をかけ、心配ながらも隣室に消えていく二人を見送った。
隣室のソファの上。
エルサはウィリアムの膝の上に横抱きされたまま固まっている。
急なこの状況と膝の上という恥ずかしさで、一旦思考が止まったようだ。
ウィリアムは先程荒げた声とは別人のように優しい声で話しかけた。
「どうした? 元気がない。何があった?」
「な、なな、なんでもありませんわ。それより、この体勢は…」
「とても癒やされるね。エルサが足りない私のわがままだと思って、ね?」
胸元に頬を寄せ下から見上げるウィリアム。
な、なんだか最近のリアム様はあざと可愛さが増してないかしら。
「うぅ。しかしお時間が。服装も乱れてしまいますわ」
このあとは王との謁見だ。
晩餐などで何度も顔を合わせているとはいえ、一貴族であるエルサにとって公式の場での謁見は最も優先すべきことである。
「気をつけるから大丈夫。私にはエルサだけだから、エルサが側にいないことがこんなに堪えるとは思わなかったんだ。わがままを聞いて? それにエルサにも私に対しては我儘になってほしいんだ」
そう言って手を握るウィリアムの、エルサを見る目は真剣だ。ただ甘えているわけではなく本心から言ってくれているのが分かる。
「わがまま、ですか?」
ウィリアムの視線、触れ方、言葉のすべてでエルサを大切に思うことが伝わってくる。
『…私だけ』
その言葉に喜ぶ私はすでにわがままだわ。
まだ不安が残り上手く伝えることはできないが、じんわりとエルサの心が温まってくる。
「リアム様。ありがとうございます。こうして抱きしめて伝えてくださることが嬉しいです。もう大丈夫ですから、王族であるリアム様の横に並ぶのに恥ずかしくないよう、儀式がんばりますね」
「…元気にはなったようだが、まだ私には話してはくれないのか」
少し不満が残るウィリアムだが、エルサが笑顔をみせたところでノックとともにニースに呼ばれた。
まだ足りないというウィリアムから下ろしてもらい、軽く整えたあと今度こそ謁見に向かう。
謁見の間では国王夫妻、そしてエルサの両親であるシリウスとソフィア、教会から迎えの神官が並んでいた。
これからする儀式は王族だけに伝わる習慣のため、大々的に集まることはない。
二人で決められた口上を述べ、国王からも言葉を貰い、いよいよ出発となった。
「それでは、ウィリアム様。どうか…お体に気をつけて」
エルサの気持ちは朝よりかなり落ち着いていた。
何があろうともウィリアムを信じ、ウィリアムがどんな行動を取ろうとも意味があるのだと、納得した。
ただ、別れの挨拶のときにほんの一瞬だけ心が揺らめいてしまった。
がばりっ!
「やはり今はだめだ。こんなエルサを置いていけない!」
突然視界が暗くなりエルサは何が起こっているのかわからないが、頭の上でウィリアムの声がする。
「ウィリアム様!?」
どうやら突然抱きしめられたようだ。
「何か不安があるんだろう? 儀式を頑張ろうとするエルサは立派だけど、離れた地で私が側にいられないのにこのままでは…エルサ」
「いい加減になさい!」
ぱこーん
今度は何かが当たる音がしたかと思うと視界が広がりウィリアムの後ろに扇を広げた王妃が立っていた。
「…え?え!?」
相変わらず抱きしめられてはいるがウィリアムと王妃を交互に見る。
「母上。いきなり後ろから殴るとはどういうことですか」
「おだまりなさい! エルサさん、ごめんなさいね。ほんっとうに重い息子で…」
「い、いえ。ウィリアム様も皆様も、申し訳ありません。私が不安そうにしてしまったからですね」
「大丈夫よ。家から離れて侍女もつけずに過ごすんだもの。不安に思うのは当然だわ。でもあなた達なら素敵な時間を過ごせると思うわ。10日間なんてあっという間よ」
「は、はい。ありがとうございます」
「いやしかし」
まだごねるウィリアム。
「エルサさんは大丈夫よ。信じなさい! それに儀式を終えないと婚儀が行えないわよ」
エルサからウィリアムを剥がし、がしっと肩を押さえつけて言い聞かせる王妃。
王妃の後ろでエルサの父シリウスの、期待に満ちた笑顔が見える。
「わ、分かりました。エルサの為なら儀式を延期してもとは思いましたが…ほんとうに無理はしていない?」
ローズ様だって同じ儀式をしたんだもの。私がしっかりしないと、ウィリアムさまの足を引っ張ってしまうのは絶対に嫌。
「ウィリアム様、私はあなたの隣に立てるようしっかりお祈りします。次にお会いできるのを楽しみにしてますね」
「…あぁ。分かった。いや、でも、どうかくれぐれも無理はしないで」
エルサに触れようと伸ばした手を王妃にピシャリと叩かれる。
「神官達がいますから、大丈夫です! ハイ! 行ってらっしゃい!!」
エルサを馬車まで見送ると、ウィリアムは引きずられるように王宮内の教会に連れて行かれた。
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王の私室にて
「まったく。あんなに愛が重い男だったとはね。誰に似たのかしら」
「ローズ、私だって君への想いは負けないつもりだよ!」
「そうだったわね。それにしても、『次にお会いできるのを楽しみにしてます』って可愛いかったわぁ…ふふっどんな顔をするかしらね」
「懐かしいなぁ。まぁ私も10日間離れる前は寂しかったよ。内容も知らされないしね。今日くらいの立会人の数なら私のときも同ようにゴネていたかも知れないな。ウィリアムの気持ちがよく分かる」
「私達の時は両国の大臣もいたのよね。耐えてくれてよかったわ…そしてあの子が誰に似たか理解したわ」
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