見送り
「もう帰ってしまわれるんですね。マリーナ様と仲良くなれてよかったです」
「短い間でしたけど、お世話になりました。いつか帝国にもいらしてくださいね。おもてなしいたしますわ」
王宮の正門の内側で固く握手をするエルサとマリーナ。
研修期間が終わり、帝国へと帰国する日となった。
門の外側の広場には使者や大臣、貴族たちが集まり見送りに来ている。姪とはいえ王族籍でない令嬢の見送りに国王夫妻が来ることはないため、代わりにウィリアムとエルサが見送りに来たのだ。
そして広場へ続く扉を開く前の短い時間が、最後の私的な時間となる。
プリマヴェラ家でのお茶会のあともエルサとマリーナの交流は続き、今ではすっかり親友となった。
「次に会うのは私達の結婚式かな」
寂しそうにひしりと手を握りあう二人を見ながらウィリアムが言葉をかける。
「もう日程が決まっているのですか?」
忙しくしているエルサとは当分会えることはないだろうと思っていたマリーナは思わず聞き返す。
「先日決まったところだ。婚約の日から一年、来年の春になる。皇帝へは既に書簡を送っているが、そろそろ触れを出すだろう」
「王族の婚姻にしてはかなり短期間で組まれたのですね。エルサ様の王太子妃教育は順調のようですし、エルサ様なら不安もないでしょうが」
「あぁ譲位を予定より早める代わりに、婚姻の日程を早めてもらった」
「…えぇ?」
なんてことの無いように返すウィリアムにマリーナは驚き、エルサは交渉時を思い出して苦笑する。
数日前__________
「母上、エルサの教育はもう済んでますよね」
教育と称して外国の言葉でお茶会をしている王妃とエルサのもとにいつものようにウィリアムが迎えに来たときだった。
「えぇ。本来ならあとは何年かかけて公務での実績を作っていくところですが、エルサさんにはもう十分実績はあるし」
「では、そろそろ婚姻の日程を決めたいのです」
いつもなら攫うようにエルサを連れ出す息子が、自分に向かって話してくるときは大抵の場合エルサに関することだ。
王妃は扇で口元を隠すと、息子との会話を楽しむことにした。
「まぁ。随分急ね、まさかもう孫の顔が!」
「いえ。そういうことではなく、エルサと早く一緒になりたいという純粋な希望です」
「ほほ。冗談よ。まぁ焦るのもわかるわ。あの子は自由にしておくとどこまでも信者を作りそうだし。王太子妃として国内ならまだしも外国に取られたらたまらないわね」
「では母上は賛成ということで。このあと父上に話してみます」
「エルサ嬢との婚姻を来春に?まさかもう孫の顔が!?」
「違います。ただ、エルサの教育は終えてますし、王太子妃としての実績も地位も申し分ないでしょう?」
「…うーん」
エルサを早く嫁にしたいと常々言葉にしている王にしては歯切れが悪い。
「なにかありますか?」
「いやー、本来は王族の結婚には最低数年はいるだろ?それを根回しするの大変だし、そこで遺恨を残しても私はまだまだ王でいなきゃならんわけだし…」
実績はもちろんのこと、エルサが王宮にいればウィリアムもシリウスも比較的機嫌よく仕事が捗るため、大臣や文官たちはむしろ早く結婚してほしいと思っていることは周知の事実だ。
「エルサなら大臣達も文句ないでしょう?」
「とはいえなぁ。お前たちが早めに王位を継いでくれたら私の負担は軽くなるだろうけど」
「何を言ってるんですか。まだまだ元気で譲位を考えるには早いでしょう」
「いや。私はローズとの二度目の新婚旅行に行きたい!あ、もちろん孫が生まれたらしっかり面倒見てあげるから、このおじーさまに任せなさい」
「いやだから、まだいませんよ。それにすぐに即位したら私も新婚生活を楽しめないじゃないですか。はぁ。あと20年はお願いしますよ」
「5年!」
「いや、だから…」
「10年!!」
「…わかりました。10年後ですね」
「よしっ! 結婚おめでとう!」
「…認めてくださりありがとうございます」
_____
ということがあったのだ。
ちなみにエルサは始終隣りにいたが、この親子の会話には必要がなければ口を挟まない。
なかなか本音で語ることのない王族達は議論するように見えてコミュニケーションをとっていることが分かってきたのだ。
いつまでも王の椅子に座りたい者もいるが、今の国王は早く息子に譲位して、夫婦で各地を回りたいらしい。
そして悪を成敗するとかなんとか。
「それは…参列させていただくのを楽しみにしていますね」
マリーナがなんとか返事をしたあと、ふいに外のガヤガヤとした音が静かになり城の侍従から合図があった。
「では、出発だ」
「「「はい」」」
先程までの寂しそうな顔はどこにもない。
美しく聡明な未来を治める王太子と婚約者として並び立った。
参加者が見守る中、一通りの別れの口上を述べたあと、マリーナがウィリアムとエルサに向かって最敬礼をする。
スヴェンもウィリアムに研修の礼を述べ最敬礼した。
そしてエルサの方を見ると一歩下がって胸に手を当て深々と礼をする。
これは貴族的な意味とはまた別の、帝国の研究者としては最上級の礼だ。
自分が認めた研究者にしかしないことである。
周りで見ていた者達は思わず息を呑んだ。
「エルサ様のおかげで空気清浄機が完成しました。本当にありがとうございます」
そう言うスヴェンはどことなくやつれてはいるが満足そうな表情だ。
あと一歩だった空気清浄機が、先日のお茶会のエルサのアドバイスのおかげで完成したのだ。
「スヴェン、あなた…」
研究に対する高いプライドを持ち、帝国でも認められた実績のあるスヴェン。
そんなスヴェンが頭を下げていることにマリーナは驚く。
「こちらに来て、私もまだまだ学ぶことがあり、私の大好きな研究の種はどこにでも誰にでもあることを思い出しました」
笑顔で告げたその顔は、なんだかマリーナが初めてスヴェンに会った頃のただひたすらに研究をしていた表情を思い出させた。
馬車までの道すがら、交流を深めた使者や大臣達に挨拶をし、ジェットや室長とも熱い握手を交わして、二人は帝国へと帰っていった。
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