歓迎の晩餐会
『マリーナ、よく来たわね。ブラッドからも手紙をもらったけど研究も頑張っているようで、伯母として嬉しいわ』
ブラッドというのは王妃の弟で、マリーナの父である。
会場に張っていた緊張をほぐすように、王妃ローズが優しく話しかけた。
『私も憧れの伯母様に久しぶりに会えて嬉しいですわ。伯母様の研究は帝国経済の教科書にも載っているんですから』
マリーナは、隣で存在感を放つエルサをちらちらと気にしながらも、笑顔で答えた。
『スヴェンは少し痩せたんじゃないの? もう少し鍛えた方がいいわよ』
『はい。どうしても研究に集中すると食べることを忘れてしまいまして』
『相変わらずね』
帝国出身の王妃は、スヴェンのことも知っているらしい。王妃の会話をきっかけに、少しずつ近くの者同士で交流が始まり、前菜が運ばれる。
『改めて紹介するわね。エルサさん、この子が私の弟の娘でマリーナ・トワイニングよ。で、彼はスヴェン・ホーク。この二人が研究室でしばらく研修するわ。そして、こちらウィリアムの婚約者、エルサ・プリマヴェラ嬢よ』
王妃は紹介の順番で、エルサの立ち位置がこの中で高いことを言外に示した。
少なくとも王妃の声が届く位置にいた者には伝わっただろう。
『プ、プリマヴェラ様、マリーナとお呼びください。どうぞよろしくお願いいたします』
『私のことはスヴェンと。よろしくお願いします』
スヴェンがどう思ったかは分からないが、マリーナは、婚約者とはいえ侯爵位、しかも婚約が決まってから日が浅いはずのエルサが、公爵で王妃の親戚である自分より重用されていることに、思わず動揺する。
『マリーナ様、スヴェン様。お会いできて嬉しいです。こちらこそ、よろしくお願いいたします。私のこともどうぞエルサとお呼びくださいませ』
マリーナの不自然な挨拶と、スヴェンのそっけない態度を気にすることもなく、エルサはキラキラと、本当に会えて嬉しいとでもいうような眩しい笑顔で挨拶を返す。
あまりにも裏のないエルサの顔を素直に見れなくてマリーナが視線をずらすと、エルサの前に座ったウィリアムがこちらを見ていた。
その表情は少し冷たく、いつもと変わらないようにも思えたが、なぜだか背中がぞくりとしてマリーナは再度視線をそらした。
『そうそう、マリーナ。あなた研究もいいけど、そろそろ、他のことにも目を向けてもいいんじゃないかしら? ブラッドも心配してたわよ』
少しお酒が入ったからか、王妃の声が明るい。
『他のこと?でしょうか』
『んもう! 恋人とか、結婚とかよ。あなたも今年から成人でしょう?』
『こ、恋ですか。えーっと、そうですね。でもまだ研究に集中したいというか…そんな時間は取れないかなって』
『あのね、マリーナ。恋と研究は両立できるのよ。私が言うんだから間違いないわ。それにこのウィリアムを見てよ! ぜんっぜんそんな雰囲気なかったのに、今じゃエルサさんにメロメロだし、仕事も以前より気合いを入れてくれてるわ』
『メロメロ…そ、そうなんですか』
王妃の言葉と自分の知っているウィリアムのイメージが一致せず、返答に困っていると
『ローズ、もうそれくらいで解放してあげなさい。マリーナ、せっかくだから近い年齢同士エルサ嬢と話してみたらどうかな? 彼女も高位貴族だが、かなりの勉強家なんだ。気が合うと思うよ』
気を効かせたのか分からないが、国王が混乱中のマリーナに追い討ちをかける。
『へぇ。エルサ様はなんのお勉強をされているんですか?』
国王の無茶振りに、何を話そうかと考えを巡らせているうちに、向かいに座るスヴェンが質問した。
研究者という仕事にプライドを持っている彼の気に障ったようだ。明らかに挑発的な言い方に、近くに座る者達がぎくりとする。
そう、実は先程からかなりの者達が、それとなくこの席の会話に聞き耳をたてていた。
『お恥ずかしながら、私は皆さんのように特定の学問の研究はしておりませんの。今までは領地経営の手伝いや特産品の改良に少しずつ関わっていましたわ』
『あぁ、プリマヴェラ領の発展は帝国でも注目されていますよ。少しでも自領に関心をもつのは素晴らしいですね。お父上の侯爵も、かなりやり手だと有名です』
『まぁ!ありがとうございます!』
スヴェンは真横なので気付いていないが、マリーナから見えるウィリアムの表情の温度がさらに下がるのがわかり、マリーナは混乱する。
スヴェンは明らかにエルサを見下した発言をしたのだ。
侯爵令嬢が領地に関わるレベルは、たかが知れている。さらにプリマヴェラ侯爵の優秀さは有名なので、ウィリアムとの婚約もその繋がりではないかと、暗に示しているともとれる。
だが、言われたエルサはまたしても、プリマヴェラ領の知名度が知れて本当に嬉しい、とでもいうような花のような笑顔を見せた。
『どうぞ皆様、このワインはプリマヴェラ領の特産なんです。もしよければ飲んでみてください』
そのあまりにも美しい笑顔と、スヴェンの言葉に微塵も
嫌悪の様子を見せない器の大きさには、内心ヒヤヒヤしていた者たちは驚かされる。
スヴェンの嫌味を完全に受け流し、その流れで侍従にワインを配らせ、嬉しそうに振る舞うエルサにウィリアムの口角が上がる。
緊張感のある雰囲気だったが、ワインの試飲が始まると、テーブルのあちこちから感嘆の声が聞こえた。
『エルサ、本当にプリマヴェラのワインは深いコクがあるね。帝国でもここまでの質のものは少ないと思うよ。マリーナもスヴェンも、ワインは好きだろう?』
今まで静かだったウィリアムからも勧められ、二人も渡されたワインを口に含む。
『まぁ! とても複雑な味なのに、苦味もなくて。しっかりと葡萄の風味も楽しめるわ。美味しい!』
『本当だ。こんなに深い味わいなのに、いくらでも飲めそうな雑味のなさ。香りもすごくいいですね』
飲む前からハードルをあげていたのに、その上を越えてくるワインの味には、二人とも素直に驚いた。
『よかったね、エルサ。帝国人はワインにうるさいんだけど、エルサのワインは好評のようだ』
そう言ってエルサに向けて微笑むウィリアムの表情、そして甘く柔らかい声にマリーナとスヴェンは驚き、思わずグラスを落としそうになる。
『エルサ様の、ワイン?』
マリーナのつぶやきに得意げに答えたのは、大臣席に座っていたエルサの父シリウス。
『えぇえぇ! こちらは我がプリマヴェラ領特産のワインの中でも、特別に限られた畑でしか取れない葡萄で製造しております。まだ幼かった私の可愛い可愛い娘からの助言がきっかけで誕生しました。プリマヴェラ産のワインはどれも他にはない特徴を持っていますが、そのほとんどにエルサは関わっておりますからね』
『おぉ、さすがプリマヴェラ令嬢』
『噂通り優秀な方なんですね』
『普段はとても優雅で淑女の鑑なのに行動力もあって、令嬢達が憧れるはずですわ』
『フルルの改良では王国の文化をまた一つ発展させましたし』
『車椅子は、これからの社会に無くてはならない物だ』
『本当に。このワインだけでなく、経済や福祉、幅広く国の発展のためにご活躍されるなど私達大臣でも難しいですな』
シリウスの言葉に反応したのは、フレーメ国側の大臣や夫人達。
フレーメ国側の出席者たちにとって、たしかにスヴェンは帝国の侯爵位ではあるが、やっと見つけた未来の自慢の王太子妃を見下すような発言に限界が来ていたのか。
はたまたエルサにベタ惚れのウィリアムの機嫌を損ねたら、明日の議会どうしてくれるんだ! …というのが本音かもしれない。
『私は自分の手の届く範囲しか見つめてきませんでしたもの。ここにいる皆様のお仕事があってこそのこと。比べられるものではありませんわ。でも、これからはウィリアム様とこの国を支えられるように、ぜひご助言お願いしますね』
『帝国の使者達も、ぜひ滞在中にゆっくりフレーメ国を楽しんでくれ。学問の最先端の研究ではまだ張り合うつもりは無いが、両国を知る私からしてもフレーメ国の生活の中にはおもしろい発見が多い』
娘くらいの年齢の謙虚なエルサの言葉に、大臣達のハートは鷲掴みにされ、学問の国の研究者肌な使者達はウィリアムの言葉に、ハートを刺激された。
『さぁ本日用意したものはすべてフレーメ国の特産ですわ。北のインヴェルノ領から南のエスターテ領まで。特に南のフルーツはグレイス帝国では珍しいと思いますから、どうぞ楽しんでくださいませ』
ウィリアムの笑顔を見てから静かになったマリーナとスヴェンを除いて、場の雰囲気がガラリと良くなり、両国の大臣と使者たちの会話も活発になる。
こうして歓迎の晩餐会は大変な盛り上がりをみせたのだった。
ちなみに人々が話す間、国王と王妃は、それはそれはにこやかに見守っていた。
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