新年の花火 その1
その日、シリウス・プリマヴェラは朝から不機嫌だった。
仕事の為に王宮へ出掛けるまでの家族の時間、口を開いては閉じ、を繰り返していたが、意を決して重くゆっくり意識して声をかけた。
「ほ、ほほ本当に、行くのか?」
しかし口から出たのは、
残念ながら悲しげな、弱々しい声だった。
「お父様、許可してくださったではないですか。しかもリヒトとオレリア様まで巻き込んで」
朝食後のコーヒーをのみながらエルサが答える。
「王太子殿下と一度約束してしまったものは覆せませんよ。ダメなら返事をする前にお願いします」
リヒトは紅茶派である。
「だぁってぇ。あの日も朝急に殿下からエルサの予定を聞かれたから大急ぎで帰って来たのに、入れ違ってしまったし。エルサには、私の王宮での態度を怒られるし…ちょっと弱ってたんだ」
シリウスは自分の居ないところで、二人きりにさせたくなかったと、ウィリアムが帰ったあとも散々嘆いていた。
「あなた。エルサを信じましょう。それに婚約発表まであまり日がないのですから、お互いを知る時間が増えた方がエルサのためですわよ」
落ち込む父を、母ソフィアが優しく慰める。
そう
今夜はウィリアムに誘われた、
新年の花火の日である。
ウィリアムに誘われたあと、入れ違いで帰ってきた父に許可をとるため話しにいったが「エルサと夜に過ごすなんて!」と変な方に怒り始めたので、王宮での王太子への振る舞いについて問い詰めたのだ。
その結果シリウスは、娘に嫌われたくない一心で、リヒトを付き添いとすることで外出を許可した。
そして、その話をリヒトからダニエル経由で聞いたオレリアが、同じく付き添いとして手をあげたので、4人で花火を見る予定となった。
「エルサ様、とっても素敵です!月の女神様のようです!」
花火を邪魔しないよう、深い紺色のドレスに、アクセントとして夜会でもつけた金のリボンを腰回りに編み込み、真っ白な毛皮のマフラーを首に巻いたエルサの装いにオレリアが声をあげる。
「オレリア様も深いグリーン色にラメが入っていて、夜の外出にぴったりですわ。よく似合ってる」
先にリヒトがオレリアを迎えに行き、プリマヴェラ邸のホールで合流した。
「ミーナ、ありがとう。今年は屋敷で見られないけれど、みんなで楽しく見てね」
支度をし、ホールまで付き添ってくれたミーナにお礼を言う。
「お父様、お母様行って参ります」
エルサのあげた刺繍入りのハンカチを握りしめた父と、笑顔の母、使用人達に見送られ馬車に乗り込んだ。
王宮の正面で馬車から降りると、以前見かけたウィリアムの護衛が待っており、庭園まで案内された。
庭園内はテーブルと椅子が間をあけて並べられていて、その中でも奥の一角に案内される。
侯爵家の3人が揃っていて、さらに王太子が加わるので、おそらく警護がしやすく、周りと少し離れた広い場所を用意してくれたようだ。
暗くなるまではまだ時間があり、それぞれ自由に話している。
庭園に入れるのは貴族だけだが、花火がメインなので普段の社交と違い、家族連れやカップルなど、グループでまとまっていて、必要以上に挨拶をしたりと周りに気を使うことはない。
「こんばんは、エルサ様。殿下から、合流されるまでのエスコート役を賜りました。お側に仕えても?」
声をかけられ見上げると、以前紹介されたウィリアムの側近のニースが笑顔で立っていた。
「ニース様、こんばんは。私は大丈夫なので、もし殿下がお忙しいなら、殿下のお側に戻られても」
「いえいえ。エルサ様をお守りすることも、殿下の為の大切な仕事です。まだエルサ様には婚約者はいないことになっていますから、子息達に囲まれたら私が殿下に怒られてしまいます」
「ふふ。私もちゃんと対応できますわよ。でも、ありがとうございます。それではよろしくお願いします」
ニースが来たことで気を使ったリヒトとオレリアは、せっかく王宮の庭園に来たのだからと時間まで散策しに行ってしまった。
「エルサ様は周りに愛されていますね」
王太子の側近と仲良くなるために知り合いを利用しようとする者が多いなか、自然に離れる二人にニースは素直に感心する。
「そうですね。弟のリヒトはもちろん、オレリア様も幼い頃から知っているので家族のような存在ですわ」
大切な二人を誉められて、ふわりと笑顔になるエルサに、近くで様子をうかがっていた子息達の息が止まる。
「…これはまずいな」
自身も一瞬見惚れかけたが、近くで忙しくしているだろう乳兄弟のことを思って、ニースは冷や汗をかく。
エルサに別の話題を降ろうと口を開きかけたとき、すっとエルサが立ち上がった。
「アンナ様、こんばんは」
エスターテ侯爵令嬢アンナがそばに来たようだ。ニースも笑顔で立ち上がり黙礼する。
侯爵令嬢二人が揃えば子息達は容易に話しかけてこられない。ニースはそっと息をはいた。
「エルサ様、こんばんは。今年は庭園で花火を見られるのね」
ちらりと、エルサの隣のニースを見る。
「はい。初めてここから見るので楽しみですわ。アンナ様、ご紹介いたします。クルトン伯爵位のご令息、ニース様です」
「ニース・クルトンと申します。先日王宮の中庭でお見かけいたしましたが、ご挨拶は初めてですね。お美しい方」
アンナの手を取り、さらりと誉め言葉の入った挨拶をする。
「…あの時の。わたくしは、アンナ・エスターテと申します。たしか帝国に留学されていたとおっしゃってましたね」
「はい。国を離れている間に成人しましたので、王国ではまだ成人の儀をしておりません。エスターテ侯爵様とは王宮でお会いすることもありますが、どうぞこれを機にお見知りおきいただけると幸いです」
「父からもお人柄は伺っておりますわ。お若いのにとても責任感があると」
「侯爵様にそのようにおっしゃっていただけて光栄です。私は三男なので、継げる爵位はありませんが、王太子殿下の側近として相応しくあるために功績をあげて認められたいと思っています」
貴族の爵位は基本的には世襲制だが、文化、軍事、産業など、各分野で優れた功績を出せば一代限りの爵位が認められる。そしてそこから3代続けて認められれば貴族として新たな爵位を得られる。
軽い雰囲気とは反対に、熱心で正確な仕事ぶりだとエルサの父シリウスも話していた。国のインフラ改革を進めていて、これが成功すればいずれは叙爵するだろうとも。
「ふぅん。どんな理由でも前向きに仕事ができるのはいいわね。それにしても今年は人が多いわ。王太子殿下の影響かしら。エルサ様、気を抜かないようにね」
アンナは思案げに呟き、家族に呼ばれたので挨拶をして去っていった。
「なんだか肯定されたようでよかったです。それにしても華やかな方でしたね」
アンナのことが気になるのか、後ろ姿を目で追いながら、ニースはいつもの軽い雰囲気に戻った。
「アンナ様はとても貴族らしく、尊敬しています。正しいこと、間違っていること、ちゃんと指摘してくださって、本当に…見習うことがたくさんありますわ」
同じくアンナを見送りながら、エルサは先日のアンナの発言を思い出す。
しばらく話していると楽団の準備が始まり、リヒトたちも戻ってきて、いよいよ花火の開始となった。
王宮のバルコニーに国王夫妻と二人の王子が並び、参加者達が最敬礼をしたあと、国王の言葉がある。
エルサも顔をあげ、バルコニーを見つめた。
ウィリアムが王に続き挨拶し、その美しくも風格ある姿に全ての者が心を奪われる。
挨拶自体は短く、いつも通り美しくも壁のある表情だったが、エルサは知っている。
今日の花火のためにどれ程の準備をしたのか。多くの貴族が安全に、貴族だけでなく王都の街のどこからでも楽しめるよう。さらに厄除けの意味もある花火の慣習を守りながらと。今夜の準備の全ては王太子の責任で執り行われることになっていると、ウィリアムからの手紙に書いてあったのだ。
しかしそれを全く感じさせず、涼しい顔でバルコニーに立つウィリアム。
私なんかで本当に支えられるの?
今まで聞こえなかった心の声が聞こえる気がする。
挨拶がすむと、花火の準備が整うまではワインを飲んだり、音楽を聴きながら歓談の時間である。
先ほどの光景を思いだし、王族に嫁ぎウィリアムに並び立つ資格が自分にはあるのだろうかと、再び思考の渦にのまれそうになっていると、横からそっとオレリアが手を握ってくれた。
オレリアにはエルサの定まらない気持ちを話してある。きっと王族を前に弱気になってしまったのに気づいて励ましてくれたんだろう。
空気を読んで、オレリアから話題をふる。
「ニース様も帝国では学院で研究していらしたのですか?」
オレリアは、先ほど初めてニースと挨拶したが、兄ダニエルに近いものを感じたのかすぐに打ち解けたようだ。
「いえ。私は殿下より一つ歳上なんだけど、あの方の学問に付いていくのはとても無理ですね。たまに手伝うことはあっても、基本的には殿下が過ごしやすいように周りの貴族との調整や執務の下準備など、やることは王国でも帝国でも変わりません」
その応えにリヒトが驚く。
「殿下は帝国でも執務をしてらしたんですか。研究も成果を出しているのに」
「ほんとうに。しかも全てが完璧な仕事ぶりですよ。それでも私には、あの方は能力の半分も使ってないような気がして。底が知れない」
「おい、手なんて抜いてないぞ」
いいタイミングで現れた王太子に、オレリアとリヒトはさっと頭を下げ青ざめる。
不敬なことを口にしたのはニースだが、その輪の中に自分が入ってしまっているのだ。
「あ、殿下! 早かったですね。やだなぁ、全力ではやってないって言うべきでした」
ニースは特に焦ることなく、笑顔で対応している。
しかし王太子は軽く片手をあげ気にするなと挨拶すると、すぐに立ち上がりニースが空けた椅子にも座らず、跪いて探るような瞳でエルサを覗きこみ手をとった。
「エルサ、何か不安なことがあったかい?」
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