年末の夜会 その3
「姉上、そろそろ休憩しませんか?」
何人かと踊ったところで、タイミングを見計らってリヒトが声をかけてくれた。
「ありがとう。さすがに少し疲れてきたわ」
まだ誘いたそうな子息もいたが、リヒトはスマートに姉の手を取り、その場を離れる。
姉が積極的ではないにしろ、貴族の務めとして縁談を決めようと努力しているのをリヒトは知っている。もちろん家に籠っていても山ほど釣書は来るのだが、ちゃんと自分の目で決めたいという姉の気持ちもよく分かる。
口には出さないが、ずっと家に居てくれてもと思っているので、姉の考えを尊重しつつ、ムリのないようフォローすることにしている。
「そうだ。息抜きにテラスに出よう。あそこなら中の様子も分かるし、保温の魔石のおかげで寒くもないはず」
「そうね。まだこの時間なら気を使わず出られるかしら」
夜会の広間には小さなテラスがいくつかある。それぞれ一組分のスペースとなっているため、マナーとして先客がいる間は他の人は来ないし、護衛の騎士に声をかけておけば、出入りも制限してくれる。
夜会の後半ではカップルが語り合う場所となるが、今の時間ならまだ空いていて息抜きにちょうどいいだろう。
テラスへ出るドアの1つへとリヒトがエスコートしてくれた。
ドアの内側に立つ護衛に声をかけ、外に出る。リヒトは「飲み物をとって来るよ」と告げて一旦会場に戻った。
高い場所にある王宮のテラスから見える景色は、屋敷街の色ランタンのカラフルな明かりと、さらに遠くの町の明かりがキラキラと輝いて美しい。
エルサは踊って熱くなった体を冷やすため、手摺に手をかけた。
うちの屋敷はあの辺りかしら。
(うーん。このまま手摺が伸びて、私の部屋まで橋のように繋がらないかしら)
王宮のテラスから、屋敷まで延びる虹の橋をひと滑り! 侍女もびっくり、あっという間に自分のベッドへ潜り込めるわ。
でも、バレたらミーナに怒られるわね。
テラスの内側は暖かいが、手摺は外の空気にも触れているためひんやりとして気持ちがいい。ふっと肩の力が抜け、もう少しだけ縁にもたれようとした時、後ろから急に腕をつかまれた。
振り返ったものの驚きで上手く言葉が出てこない。
「…え? で、でん「君が飛び降りそうにみえたから。つい、すまない」
テラスへは先客以外は入らない。
そんなルールを護衛に破らせることのできる数少ない人物がそこにいた。
「大丈夫か? 本当に、突然掴んだりして申し訳なかった。痛くはなかったか?」
掴まれた時の驚きと、その正体を知ってさらに体が強ばったのは一瞬で、夜の闇の中で、明かりに照らされた金色の瞳が焦っているのを見て、我にかえった。
まさか手摺で滑って帰ろうとしていただけですとも言えない。
「殿下、大丈夫です。そんなつもりはなかったのですが、ご心配をお掛けしてしまい申し訳ありません。わたくし、プリマヴェラ侯爵長女のエルサ・プリマヴェラと申します」
落ち着いて姿勢を正し、改めて挨拶をする。
「驚かせて悪かった。ウィリアムだ。プリマヴェラ侯爵令嬢、エルサ嬢と呼んでもいいか?」
「えぇ、どうぞ。…あの、殿下はどうしてこちらに?」
そう、これが聞きたかった。
「それは、…君が一人でテラスに出るのを見たから」
そう言ってウィリアムは目をそらす。
「そ、そうですか」
ってなんでやねん!とはいえない。
…気まずい空気が流れる。
挨拶の時も見られてた気がしたし、私、知らないうちに何かやらかしたかしら…
エルサがぐるぐるしていると、
「美しいな」
王太子がふいに顔をあげて遠くを見る。
「え?」
「ここから見える景色。夜会にちゃんと出るのは初めてだから、テラスからの夜景も初めてだ」
先ほどは違い、少しリラックスした話し方になっているウィリアムにつられて、思わず返事をする。
「そうですね。私も王宮のテラスの夜景は初めてです。冬の色ランタンはまるで人々の幸せが表れているようにみえますね」
「幸せの表れか。いいな」
気がつけば自然と二人並んで景色を楽しんでいた。
各家でバランス良く飾られているが、実は色ランタンはその色ごとに意味がある。
赤は健康に感謝して
黄色は平和に感謝して
緑は自然に感謝して
白は明るい未来を願って
「この明かりが減らないように、ますます輝かせるようにするのが王の役目か」
誰に聞かせるでもなく、思わず出ただろう言葉は、すっとエルサの中に馴染んだ。
エルサはふと横にいる王子を見る。
月と夜景に照らされた顔は、男性的でありながら女神のような美しさがある。遠くを見つめる金の瞳には王太子としての彼の強い意思が感じられた。
エルサの中でウィリアムの印象は、この数刻でどんどん変化している。
貴族の前で隙を見せない遠い存在の王太子かと思ったら、エルサを心配し焦って言葉を紡ぐ同じ歳の青年らしさがあった。
しかし今、いずれ国を治める者として、やるべき事への覚悟が窺える瞳は、臣下として自然とそれを支えようと思わせる力がある。
エルサも自分の中にある、貴族としての覚悟を見つめ直す。
「あまり長く出ているとさすがに体が冷える。一緒に戻ろう」
そう言ってエルサに向かって腕を出すウィリアム。
「ありがとうございます」
無意識に、そしてとても自然に、エルサは自分の腕を絡めた。
エルサは正直モテる。
恋愛経験こそないが、エスコートだけなら、され慣れていると言っても過言ではない。
だから、
…うっかりしていた。
エルサをエスコートしてテラスから戻る王太子に、誰もが注目することを。
先程までのウィリアムの行動と今の状況に、貴族達の理解が追い付いていないのを、その視線からひしひしと感じた。
これは誤解を招く状況だわ。
実際に話してみて、噂よりも話しやすい方だと分かったけれど、まだ他の人は分からないものね。
自然にリヒトと合流できたらいいのだけど。
そういえば、リヒトはどうしたのかしら。私ったら弟の存在をすっかり忘れていたわね。
…ウィリアムの事を話しやすいと思うのはエルサだけだ。側近さえ首を捻るだろう。
エルサの心配をよそに、そのままダンスホールまで来てしまった。
向き合って手を取られる。
「エルサ嬢、私と踊っていただけませんか」
金色の目にまっすぐ見つめられ、
今さらだが心が少しだけざわついた。
それでも
「はい。喜んで」
侯爵令嬢として、心の動揺を見せず、美しく微笑めば、挨拶の場とは全く違う、蕩けるような色気のある笑顔で返された。
それだけで、見ていた令嬢達から黄色い歓声があがり、数人が顔を赤くしてよろける。
「よかった」
組んだときに聞こえた小さな呟きに顔を向けると、ウィリアムが照れているのがエルサにだけ分かる。
一瞬だけ見れた王子の素の顔と、王族として堂々としている姿とのギャップに、今度こそエルサもふわりと心から微笑んだ。
音楽の開始とともに二人は優雅に踊りだす。
リヒトと踊る時も一対の人形のようだと注目を集めるが、王太子と侯爵令嬢のそれは、まさに物語の一場面のよう。
王太子の金の髪と、エルサのドレスに巻かれた金のリボンが、揺れる度に煌めき、まるで王太子がエルサを包んでいるように見える。
想い合っている二人が、あらかじめ示し合わせたかのような配色だ。
「先程も見ていたが上手だな。姿勢が良いので踊りやすい」
「ありがとうございます。殿下のリードのお陰ですわ」
周りにどう見られるかについては考えを放棄したエルサは、せっかくなので王太子との会話を楽しむことにした。
「殿下は留学中、帝国の夜会に参加されていたのですか」
「たまに付き合いでな。大きな学会のあとは、皇帝が出席される夜会もあるから断れない」
「皇帝陛下が。たしか殿下の研究の専門は魔石でしたね。先日書庫で紹介文だけ拝見しましたが、国の礎となるエネルギーから生活への活用まで分かりやすく分類されていて、とても勉強になりました。さすがに専門書の方は難しかったですけど」
「専門は大規模エネルギーなんだが、生活への可能性も広がれば良いと思ってね」
「どちらも国を支える大切なことだと思います。私も臣下として支えられるようもっと勉強いたしますわ」
一曲目が終わる頃になると、次は自分が王太子の目に留まろうと令嬢達がそわそわし始める。
思ったよりもずっと話しやすくて、つい楽しんでしまったわ。こんな機会はもうないでしょうけど。
エルサは少しだけ名残惜しく感じる。
しかし、ダンスを終えるためホールの端へ寄るわけでなく、ウィリアムは中央でしっかりとエルサの腰を抱き離さない。
王子の意をくみ取った楽団は、戸惑いながらも次の曲を奏ではじめ、結局2曲続けて踊ることとなった。
「あ、あの」
「どうした? こうしてエルサ嬢と踊るのは楽しいな」
そう機嫌良く笑うウィリアムに、思うところはあるものの、久しぶりの自国の夜会を楽しんでいると理解したエルサは、素直に付き合うことにした。
きっと殿下は帰国したばかりだから2曲続けて踊る意味をお忘れなのね。
フレーメ国では1曲のダンスは社交辞令
2曲目以上は家族や恋人など親しい間柄
というのが暗黙のルールである。
あとでそっとお教えして、皆の誤解を解いてもらいましょう。
視界の端にアンナが見えたが、驚きで開いた扇子が傾いている。他の貴族も似たような反応だ。
2曲目が終わる頃にはホールで踊るのはエルサ達だけとなっていた。
今や会場中が注目するなか、曲の終わりにウィリアムはエルサの手を取り、甲にそっと口づけを落とす。
何人かの令嬢がついに扇子を落とした。
時間が止まったように感じたのは一瞬で、すぐに目の奥が笑っていない、貼りつけた笑顔の父シリウスが現れて回収され、リヒトをお供に帰宅の馬車に押し込まれたのだった。
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